ラブドール

倉藤

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最終章 ハッピーエンドとは、ただひとりに捧げるために作られた悲喜劇だ

96 最後にして最悪の

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 キャプテン室は期待外れだった。
 見つけたのは海軍の将官時代を引き摺っているかのような古ぼけた品ばかり。
 爆発解除に役立ちそうなものは残されていない。

「なあ、これ変じゃねぇ?」

 ナガトが譲を呼んだ。目を落としていたのは地図に書かれた走り書きだ。

「秘密の暗号でも見つけたか」
「ふざけてんなよ。これ見てなんか思わないか?」
「んん?」

 譲は地図を覗き込む。

「なんかって言っても別に普通のセボンアイランドの地図だろ。賓客席の位置とか書いてあるみたいだけど、・・・凄いな誰が何処でターゲットを仕留めようとしてるのか詳しく予想してある」

 感心してしまったが、ナガトに頭を軽く殴られた。

「そこじゃないわ! これはアレグサンダーが記した行動計画書なわけじゃん。ほらこれ、見ろよ、ここはセレモニー会場のステージ傍の席だ。アレグサンダーの記名の横にトーマスの名前が書いてある」
「だから?」
「あのな、自分で書いたってことは、ボスは普通にトーマスとセレモニーに出席するつもりだったんだよ」
「えっ、でも、直前に気が変わったのかもしれないし」
「トーマスは自分の立場を公言してたんだぞ? 怪しむならもっと前に怪しんでいるはずで、トーマスの身辺は調べ尽くしてるはずなんだよ。ボスは用心深い男だった。この書き込みは、そのボスがトーマスを信頼して上陸後もそばに置きたがってたってことなんだぜ」

 譲は返す言葉を失う。

「・・・ちょっと整理していい? トーマスさんはボスに拘束されたって証言してる。ボスはトーマスとセレモニーに参加する予定でいた。これって言ってること噛み合ってないよな」
「トーマスを寝かせた客室に戻って話を聞こう」
「ああ、急いだ方がいいかもな」

 譲とナガトはキャプテン室を出ると、駆け足でトーマスのもとに戻った。
 客室の中はもぬけの殻。
 顔を見合わせて、唾を飲み込む。冷や汗がダラダラと首を伝った。
 その後、立ち寄った厨房で信じられない証言を得た。
 それを教えてくれたのはロイシアの近衛兵だった。
 キリルの護衛を担当していた兵士の一人だ。ゆえに自ずとヴィクトルの周囲を護ることにもなっていたらしい。
 近衛兵は賓客たちが続々とテティスを降りてセレモニー会場に向かっている裏で、ヴィクトルがアレグサンダーを捕縛するのに同行したという。

「ではムーア市長と一緒にいた秘書を知りませんか?」

 そう訊ねると、近衛兵は知ってると頷く。

「秘書なら捕らえられていたよ」
「ほんとですか! ムーア市長にやられていたんですね?」
「違う違う、アゴール公爵閣下がアレグサンダー=ムーアの時と同じように動けなくしてから縄で縛ったんだ」

 近衛兵は上機嫌に笑ってワインのボトル瓶を口に含んだ。

「じゃ、いいかい? 飲み足りないんで酒を取りに来ただけなんだ」
「ええ、はい、ごめんなさい・・・ありがとう」

 譲はこめかみの髪をくしゃりと掴んで立ちすくんだ。

「騙された」
「みたいだな」
「俺だ、俺のせいだ・・・。トーマスさんはボスじゃなくて公爵に捕まってたんだ」
「まあ、落ち着け。ったくよ、肝心のトーマスは何処に行ったんだ?」

 ナガトが慰めてくれるように言う。しかし譲のしてしまったことは取り返しがつかないかもしれない。
 早くトーマスを探し出して問いたださなければ、何か良からぬことが起きそうな気がする。
 そして不安に駆られた矢先、最上デッキの階段から助けを呼ぶ声がした。

「甲板にっ、誰か来てくれっ!!」

 譲とナガトは階段下にいた為、声を誰よりも早く聞きつけた。

「行こう」
「おう」

 階段を駆け上る。
 息を切らしながら甲板に顔を出すと、操縦室を中心にして人がまばらに立ちすくんでいた。譲はこの面子を覚えている。ヴィクトルが引き連れている部下だ。
 彼等がいるということは、目線の先にはヴィクトルがいる?
 譲とナガトが真下のキャプテン室で探しものをしている時には、ヴィクトルは操縦室で指示を出していた。今もまだそこにいるかもしれない。

「何があった」

 ナガトが冷静に訊ねる。
 だが甲板に出ているヴィクトルの部下たちはとても冷静ではいられなかったのだろう、途切れ途切れの言葉で「公爵が・・・捕まった」と口にする。

「なっ、あのアゴール公爵閣下ですよ? 襲ったところで返り討ちに合う」
「俺らもそうだろうと思った!」

 しかし、この動揺っぷりは彼の言葉通りだということだ。

「ちっ」

 譲は考えるより早くに操縦室に飛び込んだ。
 そこにはヴィクトルとトーマスの姿があった。
 トーマスは柱の影になって外から見えずらい場所にいる。ヴィクトルを後ろから羽交い締めにし、頭に拳銃を突きつけていた。
 探していたけれど、ここでこのように見つけたくなかったと譲は奥歯を噛む。
 
「トーマスさん!」
「やあ、さっきはありがとうね」

 笑みだけは依然小鹿のように弱々しく、非戦闘のなりのままだ。
 余計にどうしてだと憤りが募る。

「公爵を返して下さい・・・・・・っ」
「返して下さいとは不思議なお願いの仕方ですね。君にとってアゴール公爵閣下はそういう人なのだね」
「今は関係のないことです。ご自身が何をなさっているのかわかっているんですか?」

 譲は畳み掛ける。後ろに追いついたナガトが息を呑んだのが空気を伝って教えられる。

「はーぁぁ、最高ですね。これが貴方達の見られる景色ですか」

 トーマスは悦に浸った吐息をこぼした。
 ナガトが困惑しながらも「諦めろ」と牽制する。

「何をするつもりだ? ボスの意志を引き継いで・・・・・・・・・・・騒ぎを起こそうったって無駄だぞ。全て失敗に終わったんだ」


「わかって貰えなくてもいいのですよ。失敗は怖くありません」

 ぐりぐりと銃口を押し当てられて頭が痛むのか、ヴィクトルが不快そうに顔を歪めた。
 トーマスは一種の興奮状態にあるのだ。
 暴走させると何をしでかすか予想がつかない。

「話を聞かせて下さい」

 譲は対話を申し出る。口と頭を使わせて興奮した頭を冷やし、正気を取り戻させる時間を稼ぎたかった。けれど刺激しないように、現状から外れた話題にする。

「聞きたいことがあります」
「何でしょう」

 トーマスが答える。

「トーマスさんが俺に教えてくれた義足のことです。爆発の仕組みをご存知ですか? 解除方法を知っていれば教えて欲しいのですが」
「んははは、義足、爆弾。ええ、それなら私の作ったものなので私がどうにでもできますよ」

 譲の正面にいるヴィクトルが目を見開いた。譲も、そして止める間もなくトーマスに近寄っていくナガトも、信じられないという顔をしていた。

「貴様」

 食いしばるようにナガトが呟き、懐に手を入れようとする。

「ナガト、堪えろ」

 頼むからと譲は間一髪で腕を掴んだ。
 多分だがトーマスは最終的な己れの生死に執着がない。相打ち覚悟でナガトが武器を取り出す前に引き金を引かれたらヴィクトルが死ぬ。
 しかし解せないのは、幼い頃から剣を持たされ戦闘にすら長けたヴィクトルなら、簡単にトーマスの腕から抜け出せるはずだろうということだ。
 何故そうしない。ヴィクトルは何故黙っているのだ。
 
「あと少しで帰国できますねぇ」

 トーマスが夢見心地な声で喋りだす。

「私の狙いが知りたいのでしょう? 教えてあげますよ。私は群衆の前で彼を殺します。港に集まっている国の人間の目の前で最恐と謳われたアゴール公爵閣下を殺せば、この私が歴史に名を刻む存在となれる。ボスでさえも成し遂げられなかった宿願を私が叶えるのです!」

 聞いた直後に、譲は「ふざけるなっ」と叫んだ。
 殴り飛ばしに行かなかったのは、譲の心を読んだナガトに肩を掴まれていたからだ。先程とは逆の状態だった。

「そうですよ、近づかないで下さい。今の私はアブナイ」

 完全に酔っている声だ。胃がムカムカして吐き気がする。

「君たちに取り付けた爆弾は時限式、タイマーがゼロになれば距離に関係なく爆発する。解除して欲しければ私を殺さないで、時間通りに港にテティスを着けること。それから私が彼を殺す歴史的瞬間を大人しく見ていることですよ。安心なさいな、装置は無事に降りられた後に解除して差し上げます。ですが途中で取り外したり壊そうとした場合はタイマーが速回しされ十秒程度で爆発に至りますのでご注意願います」

 すると、耳元で死刑宣告をされたにも関わらずヴィクトルが気丈に応じた。

「わかった。予定通りにテティスを進める。甲板上で爆発が起きればテティスは沈む」

 従うしかないのか。このまま手をこまねいてヴィクトルの死を見ているだけなのか。
 打開策は浮かばない。
 譲も含めた乗組員は全員、苦渋の決断をしたヴィクトルの命令に従うしかなかった。
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