ラブドール

倉藤

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別れを告げたあとに見た世界

64 渡航

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「驚いた。まさか国境を越えることになるとは」

 譲はダビィ海峡を航る輸送船の甲板上にいた。
 横にいるのは公爵邸から抜け出す際に譲を担いでいた男。
 名はナガト=ケリー。年齢は二十一。譲と歳が近く、短髪に八重歯が覗いた口でよく笑う。黒髪だが瞳は琥珀色で、べコック人の血が濃く出ていた。
 身体は頑丈で鋼鉄のような筋肉に覆われており、軽々と譲を担ぎ上げたのも納得の重量級である。べコック軍の元兵士だといい、現在も現役で傭兵をしているそうだ。

「おうよ、べコックにいる間はあの公爵様も手を出せない。安心しな」

 ナガトが譲の胸をトンと叩く。

「うん、ありがとう」

 これから譲は海峡を挟んだお隣国べコックに航り、ナガトらが所属しているという組織の拠点に向かう。
 譲を助けに来てくれた五名の救出部隊のうち、船に乗ってロイシアを出たのは譲とナガトだけだった。
 あとの三人はロイシア国内で生活する一般市民なのだ。彼ら潜伏員は互いに顔を見せない。各々日常生活は別にあり、仕事や家庭を持ち、何処の誰かも知らない人間の集まりである。街ですれ違っても話しかけてはいけないルールがあった。
 彼らの助けを借りて仕事をする時は全員が顔を隠すように計らわれ、ナガトが素顔を晒したのも船に乗り込んでからだった。

「隊長は大丈夫かな」

 手すりにもたれて水面を見つめる。

「隊長?」
「エルマーさん。兵士だった頃の元隊長なんだ」
「ああ、イザークさんか。気にしなくても平気だぜ、きっと。あの人害虫並みにしぶといし」

 ナガトの言い草に譲は笑った。

「そんな感じはするけど」
「ま、実際、あの人の力は組織にとって絶大だよ。この密輸船を手配してくれたのもイザークさんだ」
「げっ、これ密輸船なの?」
「言ってなかったか。国家には秘密の貨物輸送船さ。俺らみたいなのが普通に船に乗れると思うか?」
「思わないよ」

 譲は真顔で首を横に振った。
 自身は死んだことにされており、ナガトはべコックの人間、恐らくは足がつかないよう密入国してきている。
 ロイシア国内で大手を振って人前を歩ける二人じゃない。

「けど良かった。ナガトみたいなのがいてくれて」
「みたいなのって何だよ。失礼だな」

 ナガトは拗ねた口調で言いながらもニィッと八重歯を見せた。
 あれから、譲が壊れそうな情緒を保てているのは彼が気安く接してくれるお陰だ。閉鎖された世界で関わっていたのはヴィクトルとロマンそれからイザークと、完全に気を許せる相手じゃなかった。
 ナガトとは出逢ってまだ二日も経ってないが、古い友人のように思える。

「あとどれくらいで着く?」
「そうだなぁ」

 ナガトが腕時計を見た。

「本日中には港に入れるから。今の運航状況だと夜中になるが」

 となると、つい先程昼飯を食べたばかりなので、残り半日は船の上ということになる。
 その時に譲は、水面に突き出た不思議な建造物にハッとした。
 運航中、他にもいくつか見かけていたのだ。

「ずっと気になっていたんだけど、あれは何」

 水面から顔を出した柱の断面。
 指を差すとナガトは興味なさそうに溜息を吐いた。

「あーあれね、建築中の橋だよ」
「海の上に?」

 譲は想像もつかない話にきょとんとする。

「譲は知らなくて当然かもな。平和的な戦争終結の記念に、べコックとロイシアの二国間に橋をかける計画が立ち上げられて、戦後まもなく工事が始まったんだ」
「それは可能なことなのか?」
「さぁね」

 ナガトが鼻を鳴らす。

「なにせ途方もない距離だから、工事が進んでいなくても誰も気づきやしないのさ。にも関わらず、両国民のためにと謳って、この前も税金が上げられたんだぜ?」
「もういいや聞きたくない」

 計画を発案したのは誰だろう。推し進めたのは誰だろう。何のための橋造りなのだろう。
 国家が行っている悪事の裏にヴィクトルの顔が浮かぶ。
 譲が暗い顔をしたせいで、空気が微妙な色に沈んでしまった。

「あー、なんていうの? 俺は沈黙が苦手なんだ」

 ナガトが鼻の下を擦りながら話題を変えてくれる。

「ごめん」
「そういうのは、やめやめ。べコックに着いた後の話をおさらいしてもいいか?」

 譲はこくんと顎を引く。

「さっきも言ったように、この先この船は夜中の時間を見計らって我らが仲間が暮らす聖なる地、イェスプーンの港に着く予定だ。着港後、俺らは貨物と共に車に乗り換え、街中にある組織のアジトに向かう。そこで譲をボスに会わせる」
「うん。ボスはどんな人?」
「んな不安そうな顔すんなよっ、ボスは怒らせるとおっかなくて容赦のない人だが、譲と知り合いだって言ってたぞ?」
「知り合い———?」
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