ラブドール

倉藤

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ロイシア国の公爵《プリンス》のこと

58 イザークの教え(3)

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 けれどもそのような可愛い理由だけで終わるはずがなかった。
 聞きたいことの半分も消化できていないのだ。

「ところで、いい加減に何かないのか。俺には」

 唐突にイザークが譲の肩を押す。

「えっ、うわ・・・・・・っ」

 体勢を崩し、譲は仰向けに倒れた。
 ベッドが軋む。イザークは譲の顔の横に手をついた。

「どうしたよ、ん? ぽやぽやしてんなら気付け薬を注射してやろうか?」
「絶対にやめて下さい」

 だが押しのけるには体格の差が大きくて不利だった。
 譲は咄嗟に思いついたあのことを口にする。

「じゃ、じゃあ、あんた、エルマーさん。以前に俺と会ったことありますか」
「ちゃんと覚えてるじゃないか」
「明確な記憶はないです。名前を聞いた時もピンと来なかったし。でも薄らと懐かしい感じがするような・・・気がするので、もしかしたらと」

 すると無礼にも押し倒してきた男は奇妙な表情をし、あっさりと身を引いた。
 譲の隣に座り直したかと思うと、紙煙草を取り出して咥え、マッチを摩ろうとする。
 その仕草を見て雷に打たれた。

「待って下さい・・・煙草は服に匂いがつきますよ、隊長・・・・・・?」

 イザークがぽろりと紙煙草を取り落とした。

「譲、俺がわかるのか」
「思い出しました、今」
「そうか、今か! 全然思い出してくれないから本気で落ち込んだぞ」

 破顔した男に犬を撫でるみたいな手つきでこめかみの髪をぐしゃぐしゃにされる。

「ははは、隊長は変わってませんね」

 譲は一気に警戒心を解いた。イザークとは戦場で出会っていたのだ。
 この男は寄せ集めで作られた決死作戦の隊長だった。
 隊が機能していたのは三日もなかったが、最後に煙草を吸っていた姿と、荒っぽくて特徴的な撫で方を覚えている。
 戦場で見たイザークは——互いにだが——泥や血で顔が汚れており、現在の貴族らしい様相とは似ても似つかない。気づけなくて当たり前だ。

「名前を変えて兵士をしていたんですか?」
「ああ、家業を継ぐ前にな。親父は俺を戦場へ行かせないために金を積んでいたが、俺は無視して軍に入った」
「重症を負った俺をべコック軍に投降させてくれたのは隊長だったんですね」
「そうだ・・・しかしあの時に救えたのはお前と俺だけだった」
「いえ、俺は朦朧としててよく覚えてなかったから。命の恩人にお礼が言えて良かったと思います。ありがとうございました」

 礼を言うと、イザークが表情を変える。

「譲、なのに何故また囚われているんだ。俺はお前を助けたい。一緒に行こう」

 会話の流れが急展開し、肩を強く掴まれる。譲は身を捻ってイザークの腕から抜け出した。

「できません。俺は囚われなんていない。助けて貰う必要なんてないんですよ」

 イザークが顔を曇らせ、奇異なものを見るような目つきになる。

「相当深く洗脳されているようだ。説得するには時間が足りなかったのかもしれない」
「公爵を悪く言わないで下さい!」

 譲が憤ると、イザークは匂いの痕跡が残ってしまうのも厭わず紙煙草を咥え直した。煙を吐き出してから譲の顔を見つめる。

「ふぅ、まぁいい。話を続けてみようか」

 イザークの視線を受けて譲はじりっと尻で後ずさった。もう会話を続けたくないが、断れば襲いかかってきそうな予感がする。

「わかりました、お願いします」

 譲は合意する。
 
「よし。では続きだ。俺が本格的にアゴール公爵家を洗い始めたのは捕虜を解かれて帰国してからだった。家族のもとに帰った俺は、親父の大目玉は免れなかったものの、つつがなく家業を継いだ。そうしたことで宮殿や貴族らの居住スペースに出入りし易くなったのが役立った。奴らは自分以外を下落させるためなら何でもかんでもベラベラ喋ってくれる」

 下衆な奴らだと、イザークが唇を歪めた。

「具体的に隊長はそこで何を知ったんですか」

 譲は苛立ちながら問いかける。
 イザークが一瞬、フッと笑った。

「あの戦争は人為的に仕組まれたものだったんだよ・・・・・・!」

 そう言った直後には紙煙草が噛み締められていて、絨毯に灰が落ちる。
 譲は目を丸くした。

「それって、えっ、誰が」
「アゴール公爵だ。・・・・・・だけじゃないが、大きく関与している」
「・・・・・・嘘だ」
「嘘なもんか。譲、お前がどんなに公爵閣下を擁護しようとな、あいつは極悪人の血を引いてるんだ。わかるだろう。俺たちはしなくてもいい戦争をさせられたんだよ。流された血も犠牲も意味がなかったのさ」

 その犠牲には譲の家族が含まれている。

「証拠はあるんですか」

 問いかける声に無様な震えが混じった。

「俺は最終的に親父を問い詰めた。白状したよ。戦争ってのは儲かるんだとよ。火薬や銃火器が山のように売れるんだと。それらをあいつの依頼で流通させてたのはエルマー商会だ。親父とアゴール公爵家は先代の頃からグズグズの関係だった」
「ふっ、ふざけるな・・・適当なことを言わないで下さい。やっぱりあなたは信用できない。隊長とはこれきり会いたくありません!」

 譲はイザークの胸を拳で殴る。
 大声で叫んで否定をしたい。でもそれはヴィクトルを信じているからか、そう信じたいからか。譲はわからなくなった。
 イザークが譲の手首を掴んで胸から引き剥がす。

「譲・・・真実を見てくれ。目を覚ますんだ」
「うっ」

 手首を強く握られる。骨が折れそうだ。
 イザークの方がよっぽど気が狂っていると感じる。

「聞けっ、この国の上層部はべコックと手を組み、自作自演の戦争を始めた。ロイシアとべコックがどんぱちやっている間、周辺国がこぞって軍事費に金を落としていたんだ。両国共に表向きは消耗したかに思わせ、戦争によって動いた多額の金は国の裏金庫に回されていた。そこにあるのは何の為の金だと思う? 王族と貴族が豪遊する為の金だよ」

 喰われそうなくらいに恐ろしい顔で、瞳がギラギラと光っている。今日は執事服の装いだが、あの鰐の目玉みたいな宝石の輝きが思い出された。

「俺は俺の一家が関わっていたことが許せないんだよ・・・・・・」
「隊長、痛いです」

 手首を掴む力が強くなる。しかしイザークの心は善良だ。
 是が非でも譲を救い出したいのだろう。
 彼の恐ろしいまでの強引さは悪じゃない。

「そこまでです。譲様から離れて下さい」

 ドアが激しく開けられる。ロマンだ。ふらつきながら駆けつけてくれた。
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