首輪をつけたら俺たちは

倉藤

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I 首輪をつけたら俺たちは(蓮太郎)

story.7 迷子の犬

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 めでたく自由の身になったというのに、心は全く晴れなかった。
 鬼崎さんの家を出て真っ直ぐバイトに向かい、バイト中は鬼のような忙しさで気を紛らわしたが、ふとした拍子に鬼崎さんのことを考えてしまう。
 休憩時間にスマートフォンを覗くと、楠木から着信が入っていた。出勤前にメッセージを送っておいた返答だろう。裏口から外へ出て、発信ボタンをタップした。五コール目で電話が繋がった。

「ああ、楠木、電話出れなくてごめん、今バイト中なんだ。それで一緒に住もうって話なんだけど」
「あっ、あのさ!」

 一緒に住みたいという話題を切り出すと、性急な様子で言葉を止められる。重苦しい声色に良くない予感がした。

「なに?」
「林田本当にごめん、言い忘れてたんだけど、あの後すぐに彼女とよりを戻したんだよね。今も彼女と一緒に居てさ・・・・・・だから・・・・・・その」

 目の前が真っ白になったように感じる。楠木の言いたいことは伝わる。自分とは住めないと、はっきりしない態度が物語っていた。もちろん、腹が立つ。だがこれは事前に確認しなかった俺が完全に悪い。

「分かった、いいよ。こっちこそ急にごめんな、今度は彼女と仲良くしなきゃ駄目だぞ」
「おう、わかってる。お前、他に行くとこあんのか? 数日なら俺のとこくるか?」

 ありがたい提案に、口ごもる。

「大丈夫だよ。彼女がいるんだろう? 当てくらい、いくらでもあるから気にすんな」
「そうか、なら良かった」

 薄っぺらな大嘘だ。それでも楠木は安心したように電話を切った。休憩室に戻り、椅子にどさっと腰掛ける。唯一の頼みの綱だった楠木に断られ、正直行くあてなどない。
 数ヶ月間、家賃がタダだったおかげで貯金は少し余裕があった。しばらくは何とかなったとしても、ネットカフェでも格安ホテルでも最低一泊二千円はみないといけない。連日利用すれば、貯金なんて簡単に底をつく。

「むしろ公園かどっかで寝ればいいか、冬じゃないし、男だし」

 そうすれば宿泊費は浮かせることができる。早めに部屋を見つけて引っ越せれば、問題ない。
 その日は店内の雑用を全て引き受け、ぎりぎりまで残業させてもらった。バイトを終えたのは二十四時近くになり、外に出ると、夜中にも関わらず、飲み屋街は賑やかで目がチカチカした。
 その中を目的もなく歩く。まだ本格的に暑くなる前の気温は心地よくて、ずっと外に居ても苦には感じない。一時間経ったあたりで、小腹が空き、コンビニでおにぎりを買って食べた。
 けれど美味しくない・・・・・・と唐突に思い、半分を残してしまった。間違いなくお腹は空いていたはずで、食べたぶんは胃に収まったはずなのに、全く満たされていない。どうしようもなく込み上げるマイナスな感情が不安定な心に拍車をかける。

「帰りたい」

 もう鬼崎さんの家は俺の帰る場所じゃない。帰れないからこそ、俺は呟きを噛み締める。
 寂しさを振り切りたい。そう思って自転車を押し、鬼崎さんの家とは反対方向に歩いた。その途中で小さな公園を見つけ、足を止めた。遊具は滑り台一つしか無いような、こじんまりした空き地みたいな場所だ。住宅地にぽっかりと開いたようなそこは、ぐるりと家に囲まれ、周囲から目に付きづらい。少々暗いけれど居心地は悪くなかった。
 その公園を寝床に決め、ベンチに腰を下ろした。今朝は早起きだったのを思い出し、顎が外れそうなほど大きな欠伸が出る。立ちっぱなしで鉛のように足が重く、朝になるまでうとうとしながらベンチで過ごした。

 キャンキャンと甲高い犬の鳴き声で目が覚めた。外でも案外ふつうに眠れていたらしい、自身の図太さに感心しつつ、瞼をこすり周りを見たが、飼い主らしき人は見当たらない。近所の犬が吠えているんだろうか、しかしずっと鳴き止まない鳴き声は、俺のすぐ近くから聞こえてくる気がした。
 カリカリと爪で引っ掻く音がして、まさかと思い下を向くと、ボストンバッグの横に小型犬がちょこんと座っていた。
 首輪が付いているから、少なくとも野良犬では無さそうだが、なぜ犬だけでここにいるんだ? と疑問を持つ。

「あ! ちょっと・・・・・・いけないぞ」

 見知らぬ小型犬はクンクンとしきりにバッグの匂いを嗅いで、はみ出ていたコンビニのビニール袋を引っ張り出そうとしている。

「もしかして、腹が減ってるの?」

 話しかけると、その犬はつぶらな瞳でこちらを見つめて首を傾げた。

「何言ってるか分からないのかな、どうしよう」

 犬のふりをしていた事はあっても、実際に犬を飼った経験は無い。俺は考えた末、一番近くのコンビニまで走り、適当なパンを買って戻ることにした。犬はベンチの足元に座って待っており、俺が近寄ると尻尾を振る。
 ちぎれんばかりに愛情表現をされると、悪い気はしない。とても可愛い。
 パンを細かくし、手のひらに乗せてあげる。舐め回される舌がくすぐったくて、頬が緩んだ。

「可愛いなお前、どこから来たんだよ?」

 もふもふの毛を撫でながら、首回りを観察してみる。首輪には名前を記入するチャームが付いてるものの、名前の欄は無記名だ。パンを全て平らげた犬はすっかり懐いた様子で、足に身を寄せている。

「困ったな。こうゆう時ってどうするのが正解なんだ。交番に行きたいかな? 保健所・・・・・・はちょっと怖そうだな?」

 犬に問いかけたところで返事など返ってこない。ぺろぺろ顔を舐められて、ははは、と笑った。
 アルバイトに向かう時間までなら一緒に過ごせる。公園前を通りかかる人に、飼い主についてを尋ねてみたけれど、手がかりは見つけられずに時間が来た。

「じゃあな、俺そろそろ行かなきゃだから。お前は、飼い主のとこに帰れよ」

 置いていくのは名残惜しい。俺は最後に犬の頭を撫でた。振り返るたびに尻尾を振って見送ってくれ、終わったら必ず戻ってこようと誓った。
 だがその夜、アルバイトを終えて公園に戻った時には、見知らぬ迷子の犬は居なくなっていた。
 おーいと何の気配も無い無機質な空間に声をかける。居ないと分かっているが、もしかしてという思いが捨て切れず、ベンチの下、遊具の影、隅々まで探して歩いた。

「おーい、パン持ってきてやったぞー」

 再度呼びかけても、生き物が顔を出す様子は無く、俺の叫びだけが小さな公園に児玉した。

「おにぎりの方が良かった? そんなわけないか」

 ぽつりと呟いて、落胆とも安堵とも取れるため息を一回落とす。無事に飼い主の元に帰れたのならそれは喜ばしい事なのに、自分の足に纏わりついてきた、あったかい生き物が消えてしまい寂しさを感じる。
 また独りきり。俺が家を出たことで、鬼崎さんも寂しいと思ってくれているのだろうか。俺はあんなに小さくて可愛らしい見た目じゃないけれど・・・・・・一応、鬼崎さんのペットだった。
 鬼崎さんを思い出し、自分の手のひらを頭の上にポンと乗せる。いつまで経っても無くならない、温かい感覚。俺は唸るように声を漏らして、髪の毛をくしゃくしゃに掻き回した。
 帰らないという答えは出ているのに、何か別の事を考えていないと、堂々巡りに悩んでしまう自分が嫌だった。

「よし、バイト増やそっかな」

 こうして一週間のうちに夜間のカラオケ店でのアルバイトを決めた。毎晩の寝床を確保せずに済むし、金も稼げて一石二鳥だと思った。だが一番の理由は暇な時間を作りたくないからだ。
 昼間は大学、夕方から夜中まで居酒屋、深夜から朝まではカラオケ店。シフトも連日詰めてもらい、睡眠は講義と講義の間に大学内で取っていた。段々と身体のリズムがおかしくなってきたのに気付いていたが、それでもいいやと思っていた。

「林田ぁ、大丈夫かよ」

 俺はヒリヒリする痛みに手をやる。何でこうなったのか理解できない。楠木いわく、講義中に船を漕いで、机に額をぶつけたらしい。

「ごめん、大丈夫」

 目をつぶって答えたが、少しでも頭を動かすと吐いてしまいそうな最悪な気分だった。頭の中がかき混ぜられているかのようにぐちゃぐちゃで、隣で眉を顰める楠木の顔がグニャリと歪んで見える。
 茹だる暑さに首元を仰ぐ、残り十分の授業時間が永遠にも感じられ、早く終われと祈る思いで懸命に耐えた。

「病院に行った方がいいんじゃないか?」
「平気だよ、これくらい。あれ、お前は暑くないの?」
「当たり前だろ、まだ夏前だぞ? むしろこの部屋は寒いくらいだよ」

 そう言われて、ゆらりと周りを見回した。講義室に残る学生の大半が長袖か薄手の上着を羽織り、学内の効きすぎた空調に身体を震わせている。

「寒気がするなら完全に熱があるだろ。今日はもう帰って寝ろ」
「無理、バイトがある。急に休んだら迷惑掛けるし」

 そもそも帰る場所など自分には無い。俺は自分に気合を入れ、重い身体を持ち上げた。心配そうについて来る楠木を振り切り、バイトのために大学を出る。
 外は雨が降っていた。傘がない。売店の方へ足を向け、やめる。どうせすぐ止むだろう。傘代がもったいなくて、雨避けにパーカーのフードを被っただけで駆け出した。
 居酒屋のバイト中は朦朧としながらも何とかなった。着替えを済ませ、濡れたパーカーに腕を通す。ジメッと気持ちの悪い肌触りに悪寒が走り、青白い顔をして次のバイト先に向かった。出勤してすぐに、責任者は慌てて帰るように俺に指示した。
 外に放り出され、ぼんやりと歩く。フラフラする、気持ち悪い、暑いのに身体は冷たい・・・・・・足が絡れて倒れて、俺の記憶はそこから途絶えた。




 ———甲高い鳴き声が聞こえた。
 名前を呼ばれている。

「・・・・・・太郎、まだ起こしちゃ駄目だよ」

 名前を呼ばれてるのは俺だろうか、でも俺はそんな犬みたいな声じゃない。それとも俺は本物の犬になったのかな、それなら、何も気にせずに鬼崎さんに撫でてもらえる・・・・・・。


 
 天井のライトが眩しくて、少しずつ瞼を開ける。薄らと天井が見えてきた。青くも黒くもない、白い天井だ。俺はゆっくりと身体を起こした。
 壁に並ぶ長方形型のロッカー、テーブルと椅子が数脚、俺が横たえられていた背もたれのないベンチソファ、何かの控え室だろうと予測は出来た。居酒屋か、カラオケか、しかしそのどれとも違う、俺の記憶の中にこんな部屋は存在しない。
 着ている物は昨日と変わらず、荷物も全て傍に置いてあった。自分の手を見つめ、握って開いてを繰り返してみる。これは確かに自分の身体で、犬になったわけでは無さそうだった。あの鳴き声ともう一つの声の主はどこに言ってしまったのだろうか。
 その時、ドアが突然開いた。驚いてそちらを見ると、髪を低い位置で結え、パンツタイプの白衣にカーディガンを羽織った人物の丸い瞳と目が合った。

「せんせー! この人起きたみたいだよ!」

 その人は俺と同年代くらいに見え、看護師だろうかと思われる。彼女は後ろの誰かに向かって話しかけている。だが人が来るよりも先に茶色い毛玉のようなものが、俺の足元をかすめ飛び込んで来た。

「こら、小太郎! びっくりしちゃうでしょ」

 さっと抱え上げられたもふもふの塊は、同じく手触りの良さそうな尻尾を激しく振り、「キャンキャン」と甲高い声を上げた。

「お前! ここの犬だったのか!」
「おっ、やっぱり知り合いだったんだ」

 看護師が反応を示す。

「知り合いってゆうか、俺が公園に居たらいきなり寄ってきたんです。飼い主らしい人が見当たらないからどうしようかと思って、また見に行った時には居なくなっちゃってたんですけど・・・・・・だけど、ちゃんと家に帰れてて良かったです、安心しました」
「へぇー、そう。小太郎が世話になったんだ」

 床に下ろしてもらい、駆け寄ってきた柔らかい頭を撫でてやる。
 看護師は一人と一匹のじゃれあいをじっと眺め、「あんた、いい奴だね」と口元に笑みを浮かべた。
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