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第5章 ユリン編・参
81 盤上の駒たち①
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ユリンは口をつぐんだ。こんなときに人間の瞳はとても雄弁になる。シャオルのように涙をこぼしたり、揺らいだり、泳いだりする。
今、ダオはなにを思っているのだろう。なにを思って、この場に来てくれたんだろうか。
(話しかけてもいいんだろうか・・・・・・)
立ちすくんでいるダオに視線をやるが、閉じられた瞼は何ひとつユリンに語ってくれなかった。
「これで勝敗がついたので、ランライさまにお知らせをします」
気づけばシャオレイがダオの横に立っていた。リュウホンの所在が気になったが、彼は首を垂れて大人しくしていた。非常時ほど冷静に頭が回る男である。侍女の皮をかぶった間者を信用しダオを任せていたという、間抜けなコトの次第を理解したのだろう。
「あの男のむごい仕打ちを目の当たりにしながら貴方のことを放置してしまったことを謝るわ。せめてもと思って、貴方を惑わしていた香りを打ち消す別の香炉を部屋に置いたのだけれど、それが裏目に出てしまったのよね。辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
シャオレイは優しい手つきでダオの肩を抱く。
「・・・・・・メイメイさん? いいえ、それがなければ、ぼくは大切なひとを忘れたまま抗う力を得られなかった。そのほうが良かったとは思いません」
「そのとおりだぜー。あの香炉がなければ俺だってあんたに気がつけなかった」
「そう・・・・・・ありがとう」
ダオとシャオルはきっぱりと答えた。彼女はぜんまい仕かけのような淡々とした口調を和らげる。
彼らのあいだで起こっていた出来事をユリンは知らない。巾着袋を大事そうに抱えているダオの本心が聞きたくて、ユリンはダオに向かって脚を踏み出していた。
「ダオ・・・・・・、君の中で俺は」
———俺は今どんな存在なんだろうか。
ユリンの足音に気がつき、顔がこちらに向けられる。ダオは口を開きかけたが、遮ぎるようにシャオレイが合いの手を入れた。
「積もる話はあとでごゆっくりどうぞ」
その瞬間、的外れな方向に動かされたシャオレイの視線に、ユリンは息を殺した。改めて息を吸い飲んだとき、周囲の景色が一変した。
建物、提灯飾り、瓦礫、目に見えていた形あるものがひとつ残らず靄に変わっていく。視界が奪われ、徐々に景色が開けてゆくと、対決の舞台となっていた場所の輪郭がやっとはっきりした。
敷地じゅうを駆け回った感覚がしていたが、対決は銀餡亭のほんの一部で行われていたようだった。それも、一軒の屋敷の庭園だ。
屋根付きの縁側にはシアン大王と、家臣。リュウホン派閥の者たち。その他大勢の来賓者がいる。シアン大王の隣には、八の字の髭が立派な高潔そうな佇まいの男が座り、平たい椀に注がれた酒をおおらかに嗜んでいた。
そして二人の後ろにはランライが控えている。
彼は似合わない顎髭を撫でながら絶句したユリンと目を合わせると、大きく手を叩いた。
「いや見事! どうでしたかな? 帝殿」
「酔狂じゃな、面白い見世物であった」
帝と呼ばれた男。ユリンは目を瞬いた。
ほろ酔いに気を良くさせ、頬を蒸気させているのはナーロン帝国のシン・ハオエン皇帝。
ウォン国が属する大陸一帯で、帝と呼べる者が君臨している国はそこしかなく、顔がわからずとも他に考えられない。
ランライはどうやら格上の国を喜ばせるために、こんな小さな舞台でユリンらを大立ち回りさせていたらしい。
外交の一環か? たぶん、ユリンの予想は正解だった。だがそれだけではない空気が漂っている。
賑やかに宴会を続けているのは大王と帝の周りだけであり、特にリュウホン派閥の一段はとりわけ葬式のような顔で静まり返っていた。
彼らの中心では、刃物をもってユリンに暗殺をしかけたリュウウが青白い顔で正座をしている。
(なんだ、なにがあったんだ? 対決に乗じた暗殺未遂が露呈したせいであの顔か?)
しかし、哀しくも暗殺は国家の裏で日常的に横行している。関心すべきは狙われた人物であって、自分の命がこの場に集まっている王宮の人間たちにとって、致命的なこととは思えない。
それともリュウ家のいざこざが原因か。彼らの大将リュウホンの滑稽でかわいそうな末路を見せつけられたせいか?
ユリンが頭を絞っていると、シャオレイがすいっと動いた。後ろをシャオルが追い、手を引いてダオを連れていく。三人は、庭園から真っ直ぐに帝のもとへ向かった。
(ダオ・・・・・・?)
そのとき、ユリンの頭で一本の線が繋がった。
シャオレイ、シャオルの雇い主は帝。二人はナーロン帝国所属の導術師なのだ。
となれば、シャオレイを通じて情報を得た帝がダオを欲した? 話を聞きつけたランライは帝の願いを叶えるために動いた。当然、多大なる見返りを期待してだろう。
そこに至るまでの背景を省き、ユリンはいちばん明確で近道の答えを導き出した。
(そうか・・・・・・)
けれど、だとしたらなんだというのだ。
(俺はすでにダオを送りだした身なのに)
シャオルにそう頼んだ自分が、今さら落胆するのは筋違いだった。
今、ダオはなにを思っているのだろう。なにを思って、この場に来てくれたんだろうか。
(話しかけてもいいんだろうか・・・・・・)
立ちすくんでいるダオに視線をやるが、閉じられた瞼は何ひとつユリンに語ってくれなかった。
「これで勝敗がついたので、ランライさまにお知らせをします」
気づけばシャオレイがダオの横に立っていた。リュウホンの所在が気になったが、彼は首を垂れて大人しくしていた。非常時ほど冷静に頭が回る男である。侍女の皮をかぶった間者を信用しダオを任せていたという、間抜けなコトの次第を理解したのだろう。
「あの男のむごい仕打ちを目の当たりにしながら貴方のことを放置してしまったことを謝るわ。せめてもと思って、貴方を惑わしていた香りを打ち消す別の香炉を部屋に置いたのだけれど、それが裏目に出てしまったのよね。辛い思いをさせてしまって、ごめんなさい」
シャオレイは優しい手つきでダオの肩を抱く。
「・・・・・・メイメイさん? いいえ、それがなければ、ぼくは大切なひとを忘れたまま抗う力を得られなかった。そのほうが良かったとは思いません」
「そのとおりだぜー。あの香炉がなければ俺だってあんたに気がつけなかった」
「そう・・・・・・ありがとう」
ダオとシャオルはきっぱりと答えた。彼女はぜんまい仕かけのような淡々とした口調を和らげる。
彼らのあいだで起こっていた出来事をユリンは知らない。巾着袋を大事そうに抱えているダオの本心が聞きたくて、ユリンはダオに向かって脚を踏み出していた。
「ダオ・・・・・・、君の中で俺は」
———俺は今どんな存在なんだろうか。
ユリンの足音に気がつき、顔がこちらに向けられる。ダオは口を開きかけたが、遮ぎるようにシャオレイが合いの手を入れた。
「積もる話はあとでごゆっくりどうぞ」
その瞬間、的外れな方向に動かされたシャオレイの視線に、ユリンは息を殺した。改めて息を吸い飲んだとき、周囲の景色が一変した。
建物、提灯飾り、瓦礫、目に見えていた形あるものがひとつ残らず靄に変わっていく。視界が奪われ、徐々に景色が開けてゆくと、対決の舞台となっていた場所の輪郭がやっとはっきりした。
敷地じゅうを駆け回った感覚がしていたが、対決は銀餡亭のほんの一部で行われていたようだった。それも、一軒の屋敷の庭園だ。
屋根付きの縁側にはシアン大王と、家臣。リュウホン派閥の者たち。その他大勢の来賓者がいる。シアン大王の隣には、八の字の髭が立派な高潔そうな佇まいの男が座り、平たい椀に注がれた酒をおおらかに嗜んでいた。
そして二人の後ろにはランライが控えている。
彼は似合わない顎髭を撫でながら絶句したユリンと目を合わせると、大きく手を叩いた。
「いや見事! どうでしたかな? 帝殿」
「酔狂じゃな、面白い見世物であった」
帝と呼ばれた男。ユリンは目を瞬いた。
ほろ酔いに気を良くさせ、頬を蒸気させているのはナーロン帝国のシン・ハオエン皇帝。
ウォン国が属する大陸一帯で、帝と呼べる者が君臨している国はそこしかなく、顔がわからずとも他に考えられない。
ランライはどうやら格上の国を喜ばせるために、こんな小さな舞台でユリンらを大立ち回りさせていたらしい。
外交の一環か? たぶん、ユリンの予想は正解だった。だがそれだけではない空気が漂っている。
賑やかに宴会を続けているのは大王と帝の周りだけであり、特にリュウホン派閥の一段はとりわけ葬式のような顔で静まり返っていた。
彼らの中心では、刃物をもってユリンに暗殺をしかけたリュウウが青白い顔で正座をしている。
(なんだ、なにがあったんだ? 対決に乗じた暗殺未遂が露呈したせいであの顔か?)
しかし、哀しくも暗殺は国家の裏で日常的に横行している。関心すべきは狙われた人物であって、自分の命がこの場に集まっている王宮の人間たちにとって、致命的なこととは思えない。
それともリュウ家のいざこざが原因か。彼らの大将リュウホンの滑稽でかわいそうな末路を見せつけられたせいか?
ユリンが頭を絞っていると、シャオレイがすいっと動いた。後ろをシャオルが追い、手を引いてダオを連れていく。三人は、庭園から真っ直ぐに帝のもとへ向かった。
(ダオ・・・・・・?)
そのとき、ユリンの頭で一本の線が繋がった。
シャオレイ、シャオルの雇い主は帝。二人はナーロン帝国所属の導術師なのだ。
となれば、シャオレイを通じて情報を得た帝がダオを欲した? 話を聞きつけたランライは帝の願いを叶えるために動いた。当然、多大なる見返りを期待してだろう。
そこに至るまでの背景を省き、ユリンはいちばん明確で近道の答えを導き出した。
(そうか・・・・・・)
けれど、だとしたらなんだというのだ。
(俺はすでにダオを送りだした身なのに)
シャオルにそう頼んだ自分が、今さら落胆するのは筋違いだった。
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