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第5章 ユリン編・参
74 過去——鬼の潜む湖④
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「・・・・・・麗鬼」
鬼の名を噛み締めるユリンに麗鬼は微笑する。
「小僧、礼を言うぞ。よくここまでこの子を連れて来てくれたのう」
「俺は、なにも・・・・・・」
即座に否定する。興味を持ったのはダオで、ユリンはついて来ただけだ。
「なにも? お前は儂の存在に気がついていただろう。のう? ユ家の倅よ」
血の気が引いた。そうだ。そのとおりだ。自分はもっと強くダオを止めなきゃいけなかった。
ガチガチと震え、上下の歯がうるさく鳴る口でユリンは問いかける。
「ダオをどうするつもりですか?」
「さて、どうしようか」
「貴方の棲家に踏み入ってしまったことを怒っていらっしゃるのなら、俺が謝ります。だからっ」
「く、ふ、はっはっは」
麗鬼は牙を覗かせて豪快に笑い、ダオの髪を撫でた。
「怒るものか。儂はこの子が来るのをずっと待っていた」
「は?」
「この子は儂の倅だ」
ユリンは目を白黒させる。この鬼はいったい何を言っているのかと思った。けれども麗鬼がダオに顔を近づけ頬擦りすると、二人の面立ちがあまりにも似ていることにユリンはハッとせざるを得なかった。
「ダオを連れていくの?」
ユリンの声は涙で濡れていた。
「やめてっ、お願い、ダオを返してっ」
「もう遅い。永遠に儂のそばに置いておくためにこの子に呪いをかけてやった。時間が経てば儂のような物の怪に変わろう」
その瞬間、ユリンの頭で意識が弾けた。血管がちぎれるような、ぶちぶちっという音と、腹の底から迫り上がってくる力を感じた。
潜在的に眠る魔導力がユリンに活力を与える。
ユリンは歯を食いしばった。自分でも信じられないほどにすさまじい筋力で麗鬼を突き飛ばし、ダオを奪い返す。そして再び森の出口にむかって駆け出した。
(ごめなさいっ、ごめんなさいっ)
と、ユリンは自分を責め、ダオを抱きしめて走る。何度も木の幹につまずいたが、すんでのところで脚を踏ん張り、また走った。
(はやく、父上に診せないと・・・・・・)
いっぺんに放出してしまった魔導力のせいか、だんだんと身体が重だるくなってくる。胸が上下に激しく喘ぐ。あと少し。あと少しだからと、懸命に己れを鼓舞して脚を動かしつづけていると、途中で腕のなかのダオが身じろぎをした。
「ダオ、頑張れ、あと少しの辛抱だから・・・・・・」
ユリンはそう励ましながらダオをちらりと見下ろし、息を呑んだ。
うっすらと開いた瞼。ダオの明るい色の瞳が黒と赤に染まっている。
———儂と同じように、という麗鬼の言葉が脳内で繰り返された。
(・・・・・・ちがうっ、あいつは嘘をついている)
ユリンは父に教えられたことを思い出していた。永遠にそばに置くなんて嘘だ。
人間を物の怪に変えるのは人間自身の心。呪いは心の『暗』を膨らませるための起爆剤に過ぎない。
しかし強い呪いは人間を傷つけ殺す。
ダオが死んだあとに、麗鬼は呪いづけにされた身体を養分として喰らうつもりなのだ。
そんなふうに人間を自らの力と糧にする物の怪もいるのだと、ユリンは知っていた。
・・・・・・心臓が早鐘をうつ。
「必死だの」
ユリンは悲鳴を呑み込み横を向いた。
嘲笑う麗鬼が風から姿を変える。
「はやくせねば物の怪に変わってしまうなぁ」
戯れ言を無視をして走り過ぎたが、麗鬼は風にのって追いかけてくる。
「くっく、その子の目に邪悪な呪いをかけた。どうせ、呪いを浄化し元に戻しても目玉は使い物にならんだろう。ふ、そうだなぁ。小僧の頑張りに免じてそれだけを寄越せば、助けてやらんでもない」
「う、嘘をつくなっ! もうすぐ森の外に出るんだっ、そうしたら」
ユリンの父は国いちばんに腕のいい導術師。ダオにかけられた呪いも、きっと綺麗に祓ってくれる。ユリンは信じて疑わなかった。
「小賢しい、本気で森から出られると思っているのか?」
ぞっとする声に脚が止まった。
「断言してやるぞ。もし出られたとしてもその前にそいつは呪いに当てられて死ぬ」
「・・・・・・やっぱりっ」
「これも嘘だと思うなら勝手にせい。貴様ら二人、力尽きたあとにゆっくり喰ろうてやるわい。せいぜい頑張るがよい」
その忠告を最後に麗鬼は姿を消した。目には見えなくなったが、森の全てから見張られている気配は消えていない。
ダオは薄く目を開けたまま、ユリンの腕のなかで動かなくなっていた。
修行前のユリンに呪いを浄化するためのまじない術は使えなかった。
刻一刻と、ダオの死は迫っている。
ここでダオが助かるには・・・・・・、ダオと呪いを受けた部分を切り離さないといけない。
それがユリンの知識でわかる精一杯だった。
(おぞましい物の怪に、ダオをやるもんか・・・・・・。たとえ自分がどうなろうとも)
ユリンは小刻みに震える自分の手を見下ろすと、大きく息を吸い込んだ。
鬼の名を噛み締めるユリンに麗鬼は微笑する。
「小僧、礼を言うぞ。よくここまでこの子を連れて来てくれたのう」
「俺は、なにも・・・・・・」
即座に否定する。興味を持ったのはダオで、ユリンはついて来ただけだ。
「なにも? お前は儂の存在に気がついていただろう。のう? ユ家の倅よ」
血の気が引いた。そうだ。そのとおりだ。自分はもっと強くダオを止めなきゃいけなかった。
ガチガチと震え、上下の歯がうるさく鳴る口でユリンは問いかける。
「ダオをどうするつもりですか?」
「さて、どうしようか」
「貴方の棲家に踏み入ってしまったことを怒っていらっしゃるのなら、俺が謝ります。だからっ」
「く、ふ、はっはっは」
麗鬼は牙を覗かせて豪快に笑い、ダオの髪を撫でた。
「怒るものか。儂はこの子が来るのをずっと待っていた」
「は?」
「この子は儂の倅だ」
ユリンは目を白黒させる。この鬼はいったい何を言っているのかと思った。けれども麗鬼がダオに顔を近づけ頬擦りすると、二人の面立ちがあまりにも似ていることにユリンはハッとせざるを得なかった。
「ダオを連れていくの?」
ユリンの声は涙で濡れていた。
「やめてっ、お願い、ダオを返してっ」
「もう遅い。永遠に儂のそばに置いておくためにこの子に呪いをかけてやった。時間が経てば儂のような物の怪に変わろう」
その瞬間、ユリンの頭で意識が弾けた。血管がちぎれるような、ぶちぶちっという音と、腹の底から迫り上がってくる力を感じた。
潜在的に眠る魔導力がユリンに活力を与える。
ユリンは歯を食いしばった。自分でも信じられないほどにすさまじい筋力で麗鬼を突き飛ばし、ダオを奪い返す。そして再び森の出口にむかって駆け出した。
(ごめなさいっ、ごめんなさいっ)
と、ユリンは自分を責め、ダオを抱きしめて走る。何度も木の幹につまずいたが、すんでのところで脚を踏ん張り、また走った。
(はやく、父上に診せないと・・・・・・)
いっぺんに放出してしまった魔導力のせいか、だんだんと身体が重だるくなってくる。胸が上下に激しく喘ぐ。あと少し。あと少しだからと、懸命に己れを鼓舞して脚を動かしつづけていると、途中で腕のなかのダオが身じろぎをした。
「ダオ、頑張れ、あと少しの辛抱だから・・・・・・」
ユリンはそう励ましながらダオをちらりと見下ろし、息を呑んだ。
うっすらと開いた瞼。ダオの明るい色の瞳が黒と赤に染まっている。
———儂と同じように、という麗鬼の言葉が脳内で繰り返された。
(・・・・・・ちがうっ、あいつは嘘をついている)
ユリンは父に教えられたことを思い出していた。永遠にそばに置くなんて嘘だ。
人間を物の怪に変えるのは人間自身の心。呪いは心の『暗』を膨らませるための起爆剤に過ぎない。
しかし強い呪いは人間を傷つけ殺す。
ダオが死んだあとに、麗鬼は呪いづけにされた身体を養分として喰らうつもりなのだ。
そんなふうに人間を自らの力と糧にする物の怪もいるのだと、ユリンは知っていた。
・・・・・・心臓が早鐘をうつ。
「必死だの」
ユリンは悲鳴を呑み込み横を向いた。
嘲笑う麗鬼が風から姿を変える。
「はやくせねば物の怪に変わってしまうなぁ」
戯れ言を無視をして走り過ぎたが、麗鬼は風にのって追いかけてくる。
「くっく、その子の目に邪悪な呪いをかけた。どうせ、呪いを浄化し元に戻しても目玉は使い物にならんだろう。ふ、そうだなぁ。小僧の頑張りに免じてそれだけを寄越せば、助けてやらんでもない」
「う、嘘をつくなっ! もうすぐ森の外に出るんだっ、そうしたら」
ユリンの父は国いちばんに腕のいい導術師。ダオにかけられた呪いも、きっと綺麗に祓ってくれる。ユリンは信じて疑わなかった。
「小賢しい、本気で森から出られると思っているのか?」
ぞっとする声に脚が止まった。
「断言してやるぞ。もし出られたとしてもその前にそいつは呪いに当てられて死ぬ」
「・・・・・・やっぱりっ」
「これも嘘だと思うなら勝手にせい。貴様ら二人、力尽きたあとにゆっくり喰ろうてやるわい。せいぜい頑張るがよい」
その忠告を最後に麗鬼は姿を消した。目には見えなくなったが、森の全てから見張られている気配は消えていない。
ダオは薄く目を開けたまま、ユリンの腕のなかで動かなくなっていた。
修行前のユリンに呪いを浄化するためのまじない術は使えなかった。
刻一刻と、ダオの死は迫っている。
ここでダオが助かるには・・・・・・、ダオと呪いを受けた部分を切り離さないといけない。
それがユリンの知識でわかる精一杯だった。
(おぞましい物の怪に、ダオをやるもんか・・・・・・。たとえ自分がどうなろうとも)
ユリンは小刻みに震える自分の手を見下ろすと、大きく息を吸い込んだ。
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