60 / 91
第4章 ユリン編・弐
59 ダオの手紙
しおりを挟む
小さな巾着袋と、細長く飛び出ているのは筆の持ち手。中には乾燥させた薬草と、練習用の白い紙も入っていた。
(この乾燥葉はなんだ? シャオルが持ってきたのか? 紙のほうは、なにか文字が書いてある)
ユリンは中身が気になり、折り畳まれた紙を開いて見てしまった。
文字が書いてある紙は複数枚ある。———石、笹、とユリンは一文字ずつを読み上げた。一枚に一文字ずつ、大きく歪に書かれた不恰好な文字。墨が滲んで飛び散り、お世辞にもうまいとは言えない。加減など、わからなくて当然だ。だが、この懸命さがダオの書いたものであると教えてくれる。
最初は意味していることがわからなかった。ただありふれた文字を、思いつくままに練習しただけなのかと。紙をめくりながら微笑ましくもなり、愛おしさを覚える。
・・・・・・穂、牛、鳥、川、葉。
しだいにユリンはダオの意図に気がついて声を失った。
あれは何年前のことだったか。ユリンは記憶を辿って反芻した。
「旦那さま、ごめんなさい」
と、当時涙ながらに謝ったダオに、ユリンは心苦しさを感じていた。
慣れないままにひとりで村に降りていってしまい、ダオが迷子になった日だった。ダオを見つけた瞬間、ユリンは泥で汚れて不安げに震えていた背中を強く抱きしめたのだ。
「さあ、帰ろう。ダオ?」
「・・・・・・家にひとりで帰ることもできないなんて、ぼくは自分が情けないと思います」
「そんなことない」
そう言って手を取ったが、ダオの表情は固かった。
「ならば、これから道を覚えればよい」
「どうやってでしょう? ぼくに地図は読めませんし、景色を目で見て捉えることができません」
「ははっ、そう卑屈になっては覚えられるものも覚えられないぞ。どれ、おいで」
ユリンはダオの肩を優しく抱き寄せ、手を近くの壁に当てさせた。
「これが、村の一番入り口に位置する村長さんの家。立派な石造りの壁だ。そして村長の家のすぐ傍に笹の林がある。低い位置にはクコの植木があり、温かい季節には実がなる。これにはトゲがあって危ないから触っちゃいけない」
「うん、それで? こっちの笹林の方向に進む?」
「正解。でも林のなかに入ったらいけないよ。斜面が急でダオには危険だから。この道沿いに歩いて行けば畑地が広がっていて、牛や羊といった家畜が飼われてる。迷ったら鳴き声が聴こえる方向に進むといい。・・・・・・あ、止まって」
ユリンはダオの脚を止めさせた。
「水の音? もしかしてさっきぼくが落ちた川ですか?」
「山に流れてる川とは違うよ。ここでは道を横切って田んぼ用の細い水路が通っているんだ。足を滑らせてしまうと濡れて汚れてしまうから、そうだね、よし、これをここに」
「旦那さま、なにを?」
「近くの葉の枝に鈴をつけておいた。このあたりは一年中風が出る地域だから、川に落ちないように鈴の音を合図にするといい」
ダオは「はい」とうなずき、耳に手を当てた。チリン、チリンと涼やかな音が鳴る。ユリンもダオに倣って目をつむると、耳に手を当て鈴の音を聴いた。その音にダオが口ずさむ唄が重なった。
「~石壁、でこぼこ、触るな危険なクコの枝。笹の葉、畑、稲穂の尻尾。牛と羊が喧嘩して、呆れた鵞鳥も忘れずに。そよ風、甘風、鈴の音。そろそろ止まって田んぼの水路」
たまらずくしゃりと握りつぶしてしまった紙を、ユリンは胸に寄せる。
この書かれた文字列を見て意味を理解できるのはユリンしかいないだろう。それでいい、自分だけがわかればいい。これはダオがユリンの元へ帰ってくる道順を示した唄なのだ。曖昧になってゆく記憶のなかで、ダオはユリンとのことを忘れないように、失くさないように、心にあるうちに書き留めてくれた。帰りたいと希う強い意思を、こうして伝えてくれた。
(かならず、叶えるから・・・・・・)
ユリンの決意は増した。
それからユリンはリュウホンの信頼を得るためだけに動いた。
数日経って、ねずみが地下の部屋に通ずる床の穴を見つけ、狭い通気口越しにダオと再会した。
ユリンは心が引きちぎられる思いだった。ひどい環境に置かれていても、シャオルを思いやるダオの人情に胸打たれ、できるだけ早くダオを地下にある監禁場所から救い出してやらなくてはいけないと誓った。
ひとまず災いを退けるためにという口実で、リュウホンに不吉への態度を改めなさいと伝えたが不十分ではない。
すべてはダオを取り戻すために。仲間うちへの罪悪感には目をつむり、ユリンはシャオルに指示をして適度に導術師フェンに失敗をさせ、リュウホンの希望にそうように働いてやった。
あたかも降りかかってきた幸運が、導術師フェンの技巧によるものだと思わせるように。
(この乾燥葉はなんだ? シャオルが持ってきたのか? 紙のほうは、なにか文字が書いてある)
ユリンは中身が気になり、折り畳まれた紙を開いて見てしまった。
文字が書いてある紙は複数枚ある。———石、笹、とユリンは一文字ずつを読み上げた。一枚に一文字ずつ、大きく歪に書かれた不恰好な文字。墨が滲んで飛び散り、お世辞にもうまいとは言えない。加減など、わからなくて当然だ。だが、この懸命さがダオの書いたものであると教えてくれる。
最初は意味していることがわからなかった。ただありふれた文字を、思いつくままに練習しただけなのかと。紙をめくりながら微笑ましくもなり、愛おしさを覚える。
・・・・・・穂、牛、鳥、川、葉。
しだいにユリンはダオの意図に気がついて声を失った。
あれは何年前のことだったか。ユリンは記憶を辿って反芻した。
「旦那さま、ごめんなさい」
と、当時涙ながらに謝ったダオに、ユリンは心苦しさを感じていた。
慣れないままにひとりで村に降りていってしまい、ダオが迷子になった日だった。ダオを見つけた瞬間、ユリンは泥で汚れて不安げに震えていた背中を強く抱きしめたのだ。
「さあ、帰ろう。ダオ?」
「・・・・・・家にひとりで帰ることもできないなんて、ぼくは自分が情けないと思います」
「そんなことない」
そう言って手を取ったが、ダオの表情は固かった。
「ならば、これから道を覚えればよい」
「どうやってでしょう? ぼくに地図は読めませんし、景色を目で見て捉えることができません」
「ははっ、そう卑屈になっては覚えられるものも覚えられないぞ。どれ、おいで」
ユリンはダオの肩を優しく抱き寄せ、手を近くの壁に当てさせた。
「これが、村の一番入り口に位置する村長さんの家。立派な石造りの壁だ。そして村長の家のすぐ傍に笹の林がある。低い位置にはクコの植木があり、温かい季節には実がなる。これにはトゲがあって危ないから触っちゃいけない」
「うん、それで? こっちの笹林の方向に進む?」
「正解。でも林のなかに入ったらいけないよ。斜面が急でダオには危険だから。この道沿いに歩いて行けば畑地が広がっていて、牛や羊といった家畜が飼われてる。迷ったら鳴き声が聴こえる方向に進むといい。・・・・・・あ、止まって」
ユリンはダオの脚を止めさせた。
「水の音? もしかしてさっきぼくが落ちた川ですか?」
「山に流れてる川とは違うよ。ここでは道を横切って田んぼ用の細い水路が通っているんだ。足を滑らせてしまうと濡れて汚れてしまうから、そうだね、よし、これをここに」
「旦那さま、なにを?」
「近くの葉の枝に鈴をつけておいた。このあたりは一年中風が出る地域だから、川に落ちないように鈴の音を合図にするといい」
ダオは「はい」とうなずき、耳に手を当てた。チリン、チリンと涼やかな音が鳴る。ユリンもダオに倣って目をつむると、耳に手を当て鈴の音を聴いた。その音にダオが口ずさむ唄が重なった。
「~石壁、でこぼこ、触るな危険なクコの枝。笹の葉、畑、稲穂の尻尾。牛と羊が喧嘩して、呆れた鵞鳥も忘れずに。そよ風、甘風、鈴の音。そろそろ止まって田んぼの水路」
たまらずくしゃりと握りつぶしてしまった紙を、ユリンは胸に寄せる。
この書かれた文字列を見て意味を理解できるのはユリンしかいないだろう。それでいい、自分だけがわかればいい。これはダオがユリンの元へ帰ってくる道順を示した唄なのだ。曖昧になってゆく記憶のなかで、ダオはユリンとのことを忘れないように、失くさないように、心にあるうちに書き留めてくれた。帰りたいと希う強い意思を、こうして伝えてくれた。
(かならず、叶えるから・・・・・・)
ユリンの決意は増した。
それからユリンはリュウホンの信頼を得るためだけに動いた。
数日経って、ねずみが地下の部屋に通ずる床の穴を見つけ、狭い通気口越しにダオと再会した。
ユリンは心が引きちぎられる思いだった。ひどい環境に置かれていても、シャオルを思いやるダオの人情に胸打たれ、できるだけ早くダオを地下にある監禁場所から救い出してやらなくてはいけないと誓った。
ひとまず災いを退けるためにという口実で、リュウホンに不吉への態度を改めなさいと伝えたが不十分ではない。
すべてはダオを取り戻すために。仲間うちへの罪悪感には目をつむり、ユリンはシャオルに指示をして適度に導術師フェンに失敗をさせ、リュウホンの希望にそうように働いてやった。
あたかも降りかかってきた幸運が、導術師フェンの技巧によるものだと思わせるように。
0
お気に入りに追加
38
あなたにおすすめの小説
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
壁穴奴隷No.19 麻袋の男
猫丸
BL
壁穴奴隷シリーズ・第二弾、壁穴奴隷No.19の男の話。
麻袋で顔を隠して働いていた壁穴奴隷19番、レオが誘拐されてしまった。彼の正体は、実は新王国の第二王子。変態的な性癖を持つ王子を連れ去った犯人の目的は?
シンプルにドS(攻)✕ドM(受※ちょっとビッチ気味)の組合せ。
前編・後編+後日談の全3話
SM系で鞭多めです。ハッピーエンド。
※壁穴奴隷シリーズのNo.18で使えなかった特殊性癖を含む内容です。地雷のある方はキーワードを確認してからお読みください。
※No.18の話と世界観(設定)は一緒で、一部にNo.18の登場人物がでてきますが、No.19からお読みいただいても問題ありません。
ハッピーエンド
藤美りゅう
BL
恋心を抱いた人には、彼女がいましたーー。
レンタルショップ『MIMIYA』でアルバイトをする三上凛は、週末の夜に来るカップルの彼氏、堺智樹に恋心を抱いていた。
ある日、凛はそのカップルが雨の中喧嘩をするのを偶然目撃してしまい、雨が降りしきる中、帰れず立ち尽くしている智樹に自分の傘を貸してやる。
それから二人の距離は縮まろうとしていたが、一本のある映画が、凛の心にブレーキをかけてしまう。
※ 他サイトでコンテスト用に執筆した作品です。
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?
転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。
愛などもう求めない
白兪
BL
とある国の皇子、ヴェリテは長い長い夢を見た。夢ではヴェリテは偽物の皇子だと罪にかけられてしまう。情を交わした婚約者は真の皇子であるファクティスの側につき、兄は睨みつけてくる。そして、とうとう父親である皇帝は処刑を命じた。
「僕のことを1度でも愛してくれたことはありましたか?」
「お前のことを一度も息子だと思ったことはない。」
目が覚め、現実に戻ったヴェリテは安心するが、本当にただの夢だったのだろうか?もし予知夢だとしたら、今すぐここから逃げなくては。
本当に自分を愛してくれる人と生きたい。
ヴェリテの切実な願いが周りを変えていく。
ハッピーエンド大好きなので、絶対に主人公は幸せに終わらせたいです。
最後まで読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる