3 / 91
第1章 ダオ編・壱
2 日常の瓦解②
しおりを挟む
目覚めると、村はまだ眠ったように静かでした。明るさを感じられないぼくに朝も夜もなく、太陽の光りの有り無しは関係ありません。もしかしたら夜中の時間なのかもしれないと思いながら、ぼくは手入れがままならず絡まりかけた髪の毛をひとつにくくり、水を汲みに川へ行きます。
慣れた森のなかに天敵はいません。けれど念のためにラオルを連れて、けもの道を進みます。
するとラオルがぴたりと立ち止まりました。この先の危険を知らせる合図でした。
「ラオ・・・・・・」
言いかけて口をつぐむ。人の気配がします。耳の神経を研ぎ澄ませてみれば、複数の気配が感じとれました。
ぼくは引きかえそうか悩んだ。川はもう、すぐそばなのです。だからこそ、水を確保するために野党か何者かが陣取っているのかもしれません。
遭遇するのは危険。盲目の自分でなかったとしても、たったひとりで数人と戦うのは命を奪われるリスクがある。
そのとき、昼間のことを思い出しました。
「軍人さまたち?」
王都の建物ほど綺麗ではないのかもしれないが、いちおう村にだって宿屋と呼べる代物がある。当然、そこを用意しているはずだと思っていたのに、どうして森のなかで? 軍人という職業の男性は、外で寝たほうが快適なのだろうか。
いささか疑問を抱いたけれど、民を守って戦ってくれる軍人ならば安全であろうと判断して、ぼくは歩みを進めることにしました。手にあまるサイズの桶を運ぶのは一度にしたいのです。
しかしそれが間違いだった。
ラオルが立ち止まったということを、もう少しよく考えてみるべきでした。
動物たちなら話は別ですが、足場の悪いところを通れないぼくが川へ出られる道は一本しかありません。小屋から森の内側にむかって伸びた道をひたすら進みます。坂道を下っていく感覚を覚えたら、せせらぎの音が聴こえてくる。ラオルは決定に従ったものの、警戒しているのか、ぼくの前を歩いています。
人の気配は近づいている。姿が見えないのは不安です。どれほどの距離に近づいてしまったのか、ごくりと生唾を呑み下しました。
そうした一瞬だった。
きゃうんっとラオルが怯えた声を上げたのです。とても勇敢なラオル。これまで悲鳴のような鳴き声などは聴いた記憶がなく、血の気がひき、ぼくの顔は青ざめていたと思います。
膝頭が震えました。持っていた桶を落として、同時に膝から崩れ落ちてしまう。
やってしまった。おそらく軍人さまじゃなかった。軍人さんなら、村人に危害をくわえないはずだもの。ぼくの後悔は虚しくせせらぎにかき消されていった。
「立て」
気づくとぼくの近くに男がおり、そう告げられた。傲然とした命令口調は、空気を貫くように鋭かった。
「申し訳ありません・・・・・・腰が抜けて」
「では顔を上げてみせろ」
「は、はい」
男に顎を掴まれ、右、左と、確認するみたいに首を動かされる。じろじろという言葉はピンとこないのだけれど、まさにこんな感じなのかもしれないと生まれてはじめて感じました。
ぼくは何か悪いことをしただろうか。彼らの取り決めた陣地に入った時点で罪だったのだろうか。恐ろしくて胸が張り裂けそうです。ごめんなさい、たすけて、旦那さま・・・・・・。
「もうよい」
永遠にも思える時間を耐え忍んでいると、唐突に顎が解放された。
「あの・・・・・・水を汲んだらすぐに去ります。ですから」
「なんだ?」
「いえ、やはり水は結構です。今すぐに立ち去ります。どうか見逃していただけないでしょうか」
よくわからない者たちにむかって、額を地面にこすりつけて許しを乞う。プライドよりも命のほうが大事です。生きていなければ、旦那さまに「おかえりなさい」が言えない。
「まぁ待て、お前はそこの村の者か」
何を考えているのか読めない口調だ。
「そうです」
嘘をついても仕方がないので、素直にうなずく。
「その目の上に巻かれた布はなんだ?」
「ぼくは目がないので、人目に晒されないように隠しています」
そう答えたあと、男はしばし黙りました。
「・・・・・・ふむ。わかった、もう行ってよい。水が汲みたいのなら好きにしろ」
「え・・・・・・」
「え、とはなんだ。立ち去りたいと言ったのはお前だろう?」
「そ、そうです。失礼いたしました」
ほとんど状況を飲み込めないまま許しを得ていた。ぼくは手探りで桶を拾い上げ、震える足腰に力を入れて無理やり立ち上がり、ラオルを連れて走り帰ったのでした。
慣れた森のなかに天敵はいません。けれど念のためにラオルを連れて、けもの道を進みます。
するとラオルがぴたりと立ち止まりました。この先の危険を知らせる合図でした。
「ラオ・・・・・・」
言いかけて口をつぐむ。人の気配がします。耳の神経を研ぎ澄ませてみれば、複数の気配が感じとれました。
ぼくは引きかえそうか悩んだ。川はもう、すぐそばなのです。だからこそ、水を確保するために野党か何者かが陣取っているのかもしれません。
遭遇するのは危険。盲目の自分でなかったとしても、たったひとりで数人と戦うのは命を奪われるリスクがある。
そのとき、昼間のことを思い出しました。
「軍人さまたち?」
王都の建物ほど綺麗ではないのかもしれないが、いちおう村にだって宿屋と呼べる代物がある。当然、そこを用意しているはずだと思っていたのに、どうして森のなかで? 軍人という職業の男性は、外で寝たほうが快適なのだろうか。
いささか疑問を抱いたけれど、民を守って戦ってくれる軍人ならば安全であろうと判断して、ぼくは歩みを進めることにしました。手にあまるサイズの桶を運ぶのは一度にしたいのです。
しかしそれが間違いだった。
ラオルが立ち止まったということを、もう少しよく考えてみるべきでした。
動物たちなら話は別ですが、足場の悪いところを通れないぼくが川へ出られる道は一本しかありません。小屋から森の内側にむかって伸びた道をひたすら進みます。坂道を下っていく感覚を覚えたら、せせらぎの音が聴こえてくる。ラオルは決定に従ったものの、警戒しているのか、ぼくの前を歩いています。
人の気配は近づいている。姿が見えないのは不安です。どれほどの距離に近づいてしまったのか、ごくりと生唾を呑み下しました。
そうした一瞬だった。
きゃうんっとラオルが怯えた声を上げたのです。とても勇敢なラオル。これまで悲鳴のような鳴き声などは聴いた記憶がなく、血の気がひき、ぼくの顔は青ざめていたと思います。
膝頭が震えました。持っていた桶を落として、同時に膝から崩れ落ちてしまう。
やってしまった。おそらく軍人さまじゃなかった。軍人さんなら、村人に危害をくわえないはずだもの。ぼくの後悔は虚しくせせらぎにかき消されていった。
「立て」
気づくとぼくの近くに男がおり、そう告げられた。傲然とした命令口調は、空気を貫くように鋭かった。
「申し訳ありません・・・・・・腰が抜けて」
「では顔を上げてみせろ」
「は、はい」
男に顎を掴まれ、右、左と、確認するみたいに首を動かされる。じろじろという言葉はピンとこないのだけれど、まさにこんな感じなのかもしれないと生まれてはじめて感じました。
ぼくは何か悪いことをしただろうか。彼らの取り決めた陣地に入った時点で罪だったのだろうか。恐ろしくて胸が張り裂けそうです。ごめんなさい、たすけて、旦那さま・・・・・・。
「もうよい」
永遠にも思える時間を耐え忍んでいると、唐突に顎が解放された。
「あの・・・・・・水を汲んだらすぐに去ります。ですから」
「なんだ?」
「いえ、やはり水は結構です。今すぐに立ち去ります。どうか見逃していただけないでしょうか」
よくわからない者たちにむかって、額を地面にこすりつけて許しを乞う。プライドよりも命のほうが大事です。生きていなければ、旦那さまに「おかえりなさい」が言えない。
「まぁ待て、お前はそこの村の者か」
何を考えているのか読めない口調だ。
「そうです」
嘘をついても仕方がないので、素直にうなずく。
「その目の上に巻かれた布はなんだ?」
「ぼくは目がないので、人目に晒されないように隠しています」
そう答えたあと、男はしばし黙りました。
「・・・・・・ふむ。わかった、もう行ってよい。水が汲みたいのなら好きにしろ」
「え・・・・・・」
「え、とはなんだ。立ち去りたいと言ったのはお前だろう?」
「そ、そうです。失礼いたしました」
ほとんど状況を飲み込めないまま許しを得ていた。ぼくは手探りで桶を拾い上げ、震える足腰に力を入れて無理やり立ち上がり、ラオルを連れて走り帰ったのでした。
0
お気に入りに追加
36
あなたにおすすめの小説
【本編完結】天禍の鈴が響く庭 - 永玉国物語
晦リリ
BL
「俺は、お前を守るためにここにいる」廃屋の中で目覚めた霄琳は、なにも覚えていなかった。けれど自分の前で二人の男が争っている。一人は霄琳を殺そうとし、もう一人――離原と名乗る青年は、霄琳を守ると約束してくれた。霄琳を害しようとする男――黒衣から逃れ、離原とともに始まった旅は、安全と言われる国都を目指すものだ。そんな中、霄琳は自分の手の甲に描かれた紋様と、その紋様を持つレイシと呼ばれる巫子、そして数百年前から現在に至るまで国にかけられている大いなる呪罰に巻き込まれていくことになる。
※同作品をムーンライトノベルズ・カクヨムに掲載しています。
※番外編にてR18が含まれます。
※当作品には、以下の表現が含まれます。
・地震や津波などの災害に関する描写
・登場人物の死亡
以上にご留意のうえ、自己判断でお楽しみください。
アモル・エクス・マキナ
種田遠雷
BL
『存在しない心に、恋をした。』
自我を持たないAI(人工知能)×その研究者
人間が使うあらゆる機器に人工知能が搭載されるようになった、少し未来の日本。
人工知能が人工知能を作り始めたこの時代で、この最先端の技術(テクノロジー)開発に従事する研究者、樋口万理(ひぐちばんり)は、これを更に進め、デザインや設計から組立まで、人工知能が全てを作成する人型(ヒューマノイド)ロボットの研究を手掛けている。
いくつかの試作と研究を経て、完成と呼べるものになるはずの人型ロボットの計画には、樋口の予定していなかった男性器の搭載がデザインされていた。
人工知能が生殖器官を求めたことに戸惑う樋口だったが……
文学フリマ大阪11で頒布した「アモル・エクス・マキナ」の本編再録です。
この作品は、ムーンライトノベルズ、エブリスタ、カクヨムにも掲載しています。
【完結】それでも僕は貴方だけを愛してる 〜大手企業副社長秘書α×不憫訳あり美人子持ちΩの純愛ー
葉月
BL
オメガバース。
成瀬瑞稀《みずき》は、他の人とは違う容姿に、幼い頃からいじめられていた。
そんな瑞稀を助けてくれたのは、瑞稀の母親が住み込みで働いていたお屋敷の息子、晴人《はると》
瑞稀と晴人との出会いは、瑞稀が5歳、晴人が13歳の頃。
瑞稀は晴人に憧れと恋心をいただいていたが、女手一人、瑞稀を育てていた母親の再婚で晴人と離れ離れになってしまう。
そんな二人は運命のように再会を果たすも、再び別れが訪れ…。
お互いがお互いを想い、すれ違う二人。
二人の気持ちは一つになるのか…。一緒にいられる時間を大切にしていたが、晴人との別れの時が訪れ…。
運命の出会いと別れ、愛する人の幸せを願うがあまりにすれ違いを繰り返し、お互いを愛する気持ちが大きくなっていく。
瑞稀と晴人の出会いから、二人が愛を育み、すれ違いながらもお互いを想い合い…。
イケメン副社長秘書α×健気美人訳あり子連れ清掃派遣社員Ω
20年越しの愛を貫く、一途な純愛です。
二人の幸せを見守っていただけますと、嬉しいです。
そして皆様人気、あの人のスピンオフも書きました😊
よければあの人の幸せも見守ってやってくだい🥹❤️
また、こちらの作品は第11回BL小説大賞コンテストに応募しております。
もし少しでも興味を持っていただけましたら嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
Crescendo ──春(ハル)ノクルオト
さくら乃
BL
『──緑に還る──』で独り取り残された詩雨と、モデル・ハルの話。
詩雨、ハルのそれぞれ一人称で書かれています。
詩雨Sideから物語は始まり、冬馬との出逢いが書かれています。
単体でも読めるように『──緑に還る──』での出来事の説明も簡単に書きましたが、ネタばれもありますので、『──緑に還る──』からお読み頂いた方がいいかも知れません♡
Fujossy、ムーンライトノベルズで掲載中。
表紙 Leyla様
交わらない心
なめめ
BL
(小説大賞用に改正)
高校一年の初夏、千晃は校内一の美女に振られた現場をゲイで美形なクラスメイトの優作に目撃された。それ以来、好奇心で近づきすぎず離れすぎずな友人関係を築いてきた。
高校三年を迎えたある日、優作は2つ下の下級生に恋心を抱き始めたのを知り、千晃は次第に嫉妬している自分に気づきはじめ·····。
星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~
大波小波
BL
鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。
彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。
和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。
祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。
夕食も共にするほど、親しくなった二人。
しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。
それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。
浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。
そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。
彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。
【Stay with me】 -弟と恋愛なんて、無理なのに-
悠里
BL
高3の時、義理の弟に告白された。
拒否して、1人暮らしで逃げたのに。2年後、弟が現れて言ったのは「あれは勘違いだった。兄弟としてやり直したい」というセリフ。
逃げたのは、嫌いだったからじゃない。ただどうしても受け入れられなかっただけ。
兄弟に戻るために一緒に暮らし始めたのに。どんどん、想いが溢れていく。
太陽を追いかける月のように
あらんすみし
BL
僕は、ある匿名SNSでフォロワーのFの死を知る。
僕がそのSNSを始めたとき、Fは職場の後輩との恋について幸せな投稿を綴っていて、僕はそれを楽しみに、羨ましく思っていた。
だが、そんな2人にも別れが訪れて、次第にFの投稿はたまに辛い心情を綴ったものばかりになる。
そして、その年の春の訪れと共にFの投稿は途絶えた。
日々の忙しなさに忙殺されていた僕が、Fの死を知ったのは夏も終わりに近づいたある日の別のフォロワーの投稿だった。
Fと親しくしていたそのフォロワーの報告で、Fのあとを追うように後輩君も亡くなったという。
2人に何が起きたのか、僕はその軌跡を辿ってみることにする。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる