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 あるアパートの一室。
 アメカジの雰囲気で揃えたこの部屋の中心に置かれたガラス張りのテーブル。
 その上のスマホからは留守電が流れている。

『もしもし丈二? お母さんだけど。もしかして忙しいからあんまり連絡くれないのかな? だったら良い事だから気にしないで、せっかく良い企業に勤めてるんだから』

 優しくもどこか儚い雰囲気の女性が息子宛に音声メッセージを残している。

『お母さんも鼻が高いよ、たくさん勉強頑張らせた甲斐があったなぁ。まだまだ頑張れば社長にだってなれたりして!』

 そのタイミングでスマホの持ち主、この部屋の住人と思わしき男がシャワーから上がり髪をタオルで拭きながら出てくる。
 少し怪訝そうな表情をしながら留守電の画面に書かれた"母さん"という文字を睨んだ。

『でもたまには声が聞きたいな、時間ある時は連絡してね? じゃあ今日もがんば…………』

 そこまで聞いた所でその男は留守電を閉じた、まるで"頑張って"という言葉を聞きたくないがためにそうしたように見える。
 その表情や態度から母親を鬱陶しく思っているのが伺えた。

「はぁ……」

 その男、岬 丈二(みさきじょうじ)はこの日も仕事に向かうために朝の身支度を始めるのだった。

 



 留守電を閉じたスマホで1960年代後半のロックナンバーを流し口遊みながら髪型を整える。
 ワックスは念入りに、指先まで使い丁寧に仕上げた。

 それから制汗スプレーを全身に浴びて今日のコーデ選びだ、クローゼットを開けると古着がビッシリ。
 映画のロゴがプリントされたTシャツとヴィンテージの穴開きジーンズを手に取り身につけ、ウエスタンベルトを腰に巻く。
 最後に十字架のネックレスを首にかけた。

 ラックに掛けてある高級感が満載の革ジャンを上から羽織りコーデは完成。
 そのタイミングでトースターにセットしておいたパンが焼けたため朝食を取る。

 ジャムを塗ったパンとコーヒーを口に運びながらスマホでチャットアプリを確認した。
 そこには部下と思わしき人物からのメッセージが届いていたため嬉しそうに返信する。

『丈二さんのアイディアのお陰で企画通りそうです!』

『そうか良かった、頑張った甲斐があったな!』

 そのようなやり取りを終えると同時に朝食も食べ終えた、食後の一服だ。
 テーブルに置かれたソフトのラッキーストライクを取りジッポライターで火を点ける。
 気持ち良さそうに煙を吐き出したら準備万端だ、アンティークの時計は出発の時刻を指している。

「よし」

 火を消し立ち上がりサングラスをかけた後に香水を満遍なく浴びる。
 玄関に向かい車のキーを取ると指でクルクルと回した。
 芯が出るほど履き込んだブーツを履いて玄関の扉を開ける、誰もいない部屋へ"行ってきます"と声を掛けて丈二は仕事へ向かうのだ。





 部屋の内観からは少し想像が出来ないような質素なアパートの駐車場にはイケてるスポーツカーが。
 その車体を優しく撫でた後、丈二は先程と同じようにキーを指で回した。
 すると突然声を掛けられる。

「何してんだ」

 声がした方に目をやるとそこには質素な格好をした青年が一人。
 呆れたような表情で丈二を見つめている。

「いや、カッコいい車だから……」

 部屋の中にいた時からは想像も出来ないほど弱気な態度で丈二は言う、彼の目も見れていなかった。

「またレプリカで気分だけでも味わおうってのか」

 丈二の持つキーを見ながらレプリカだと言った。
 現にその青年は本物のキーを持ち車の扉を開けたのだ、どうやら彼が持つ車らしい。

「だってこんな良い車買えないし……」

「いつまでもフリーターだからだろ、その割に服とかは良いの買ってさ」

 そう言いながら青年は車に乗りエンジンをかけた。
 丈二はそんな彼を"直樹"と呼ぶ。

「直樹も仕事?」

「あぁ、不動産屋さんと話しにちょっと」

 そして丈二の方を見ながら皮肉のように発言した。

「誰かさんのせいで経営がな、早く家賃頼むぜ」

「分かってるよ……」

 歯切れの悪い返事をする丈二に直樹は少し溜息を吐いて真剣な表情で告げる。

「もっと頑張って就職しろよ、カッコつけんのはそれからだ」

 それだけ言い残し直樹は車に乗ってその場を去った。
 "もっと頑張れ"という言葉を聞いた丈二は車が見えなくなるまでその場に立ち尽くしてしまう。

「俺だって頑張ったんだよ……」

 キーのレプリカを仕舞って苦しそうに呟いた。
 そして気を取り直し丈二は自分の仕事、アルバイトに向かうのだった。





 つづく
 
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