エンジェリカの王女

四季

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100話 「エリアス」

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 ——赤く染まった天使。

 それを見た時、その天使がエリアスであるとすぐに分かった。
 私は大急ぎで駆け寄り、彼のすぐ横に座る。

「エリアス!? エリアス!」

 呼びかけてみても反応は一切ない。
 白い衣装も、白い翼も、目を逸らしたくなるぐらい赤く染まっている。腹部に傷があるらしく、トクトク脈打って血が流れ出ている。このままでは死ぬのも時間の問題だ。
 長い睫のついた目は眠っているかのように閉じられ、顔と唇は青くなっている。

「エリアス、起きて。お願い。ねぇ! エリアス!」

 もう一度呼びかけても反応はなく、私の声は森に虚しく響くだけ。
 途端に目の奥から熱いものが込み上げてくる。私が彼をこんな目に遭わせてしまったという罪の意識。それがあまりに苦しくて、泣きたくなる。

「ごめんなさいエリアス……。こんなことになったのは私のせい……。でもどうかお願い、死なないで……」

 彼の身が滅ばぬようにと思って、辛いながらも突き放した。それなのに結局こうなってしまった。
 私の選択が間違っていた。
 あの時、あのまま森の中に潜んでいたならば。一緒に行動していたならば。こんな風にはならなかったかもしれない。

 彼の存在がどれほど大きなものなのか、私はたった今まで気づけなかった。否、分かっているつもりでいた。けれど本当に分かってはいなかったのだと、今更思い知る。

「嫌だ……死なないで……。話したり、笑ったり、抱き締めたり、してよ……」

 別れが来るのが怖くて、半ば無意識に体が震えた。
 エリアスはピクリとも動かず、ただただ皮膚が青白くなっていくばかり。脱力した彼の肉体からはいつもの神々しい聖気は感じられない。まるで抜け殻のよう。

「……王女」

 突如、エリアスの唇が小さく動いた。驚いて彼の顔を見たが、意識が戻った様子はない。どうやら譫言のようだ。

「エリアス?」

 恐る恐る声をかけてみる。

「……会いたい」

 エリアスは私のかけた声には反応しなかったが、また小さく言葉を漏らす。長い睫には透き通った涙の粒がついていた。

 彼の脱力した手を握る。血色は悪いが体温は感じられる。

「私も会いたいわ……。勝手なこと言ってごめんなさい。本当は、ずっと傍にいてほしい……」

 今まで一度でも、自分の行動を、これほど悔やんだことがあっただろうか。

「お願い……」

 彼がいることが当たり前だった。護ってもらうことを当たり前と思っていた。
 私は自分勝手だったのだ。
 彼の本当の心を知ろうともせず、勝手な考えで彼を突き放した。彼を護るためなどと聞こえのいいことを言っていても、それはただ私自身が傷つくのを恐れていただけ。結局はすべて私のためにした行動だった。


 ——その時。

 エリアスの指が微かに動いた。私の手を握り返すように。

「エリアス?」

 恐る恐る名前を呼んでみる。
 すると、彼は静かに瞼を開けた。

「……王女」

 瑠璃色の瞳が私を捉える。意識が戻ったらしい。目つきは思っていたよりかしっかりしている。

「エリアス! 気がついたの!?」
「……なぜここに」

 声はまだ弱々しいが、意志疎通は可能なようだ。
 エリアスが生きている。それがあまりに嬉しくて、溜まっていた涙が一気に溢れ出した。泣いている暇なんてありはしないのに。

「王女……なぜ泣いてらっしゃるのですか」

 彼は指で私の涙を拭う。

「構わなくていいのですよ。私はもう護衛隊長ではありませんから」

 そう言いながら少し切なげに微笑むエリアス。

「死んじゃったかと思った……。私のせいでエリアスが……って思って、それで……」

 私は泣きすぎてまともに話せなかった。涙は洪水のように溢れて止まらず、おかげで彼を普通に見つめることすらままならない。

「ごめんなさい……私、貴方を傷つけて……。許さなくてもいいから死なないでほしいの……。エリアスのいない世界なんて……嫌よ……!」

 必死に言葉を紡ぐ。意味が分からないことを言ってしまっているかもしれないが、今の私にとってはそんなことどうでもよかった。

「簡単に死にはしません」

 エリアスは浅い呼吸をしながらも、しっかりとした口調で答える。口調とは裏腹に表情は柔らかい。

「貴女が望んで下さるのなら、私は必ず生き続けます」

 彼の顔には色が戻ってきていた。
 私は延々と流れ続ける涙を二の腕で拭いつつ、改めて彼の瞳を見つめる。瑠璃色の瞳はとても美しく澄んでいて、私の姿がくっきりと映っている。

「王女、一つだけ申し上げても構いませんか?」

 エリアスは横に寝た体勢のまま、じっと私を見つめた。こんなに真っ直ぐ見つめられては恥ずかしい。私は少し視線を逸らしながら彼の問いに頷く。

「……ようやく気づきました。私は貴女を愛しているのだと。護衛隊長としてではなく、一人の男として私は貴女を好きになっていたのです」

 ——え?
 ちょっと待って、何の話? いきなりすぎてついていけないわ。

「王女、好きです」

 エリアスは、傷つき汚れた顔に、何よりも純粋で綺麗な微笑みを浮かべる。
 こんなストレートに言われるとは予想しなかった。恥ずかしくて気まずくなり、私は少し言葉を詰まらせてしまう。心の整理がすぐにはできなかったのだ。

 ただ、とても嬉しかった。
 彼を失うかもしれないと思った時、私の心に生まれた想い。特別な感情。自覚してもなかなか伝えられないと思っていたけれど、そのチャンスは案外すぐにやって来た。

「ありがとう。嬉しい。あのね、私も気づいたことがあるの」

 今なら言える気がする。

「エリアス。大好きよ」

 もっと早く気づけば良かった。いや、本当は気づいていたのかもしれない。ただその感情から目を逸らしていただけで。

 だから、今ここで誓うわ。

 私は二度とこの温もりを離さない。永遠に——。
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