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99話 「生と死の狭間で」
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エリアスは気がつくと見知らぬ場所にいた。ルッツにやられたはずの体には傷一つない。
辺りを見回す。空も地面も、すべてが白い。だが足の裏には確かに地面を踏み締める感覚がある。彼は何も分からないまま歩き出した。
やがて目の前に一本の川が現れた。流れは速めだが深さはそれほどなく、エリアスの膝下くらいだろうか。歩いて渡れないこともない感じだ。水は澄んでいて、川底が目視できる。
ふと向こう岸に目をやると、一人の女性が立っているのが見えた。
女性が振り返った時、エリアスは衝撃を受けた。
その姿がラヴィーナだったから。
長い月日が立っているとしても、エリアスが彼女を見間違えるはずはない。綺麗な金の髪、燃えるような赤の瞳。すべてが彼女そのものだった。
「王妃……」
目の前にいる彼女は本物ではない。そう自分に言い聞かせながらも、エリアスは彼女を呼んでいた。半ば無意識に。
それに対してラヴィーナは、手を口に添えつつ笑う。笑う時、口に手を添えるのは、生前の彼女の癖だった。
「会うのは久しぶりね。アンナは元気にしている?」
「はい。貴女によく似て、とても綺麗な方です」
「それは良かったわ。ところで、貴方はアンナと仲良くしているの?」
エリアスは言葉を詰まらせた。ラヴィーナの問いに、自信を持って答えられない。
彼自身は良好な関係を築けていると思っていた。自分がアンナを慕っているのはもちろん、彼女も自分を頼りにしてくれているようだったから。
だが今はよく分からなくなった。護衛隊長を解任され、離れてしまったエリアスには、もはやアンナの思いなど知りようがない。
「……護衛隊長をさせていただいておりました」
今はもう護衛隊長ではない。口に出したことでエリアスはそれを改めて感じ、辛くなった。
「アンナを護ってくれていたのね。ありがとう」
「いえ、たいしたことではありません」
エリアスは嘘をついているようで悪い気がした。
ラヴィーナは信頼してくれている。しかし現実はというと、彼女の期待に添えている状態ではない。護るどころか危険な目に遭わせたりしてしまった。
だがそんなことは言えない。
「……不思議だわ」
ラヴィーナが唐突に呟く。
「王妃?」
「貴方、変わったわね。昔より雰囲気が柔らかくなったわ。きっと良い経験をしたのね」
ラヴィーナはエリアスを見つめながら、ふふっと控えめな笑みをこぼす。
「そうでしょうか」
エリアスは彼女の言うことがよく分からず首を傾げる。
するとラヴィーナは子どものような無邪気に言う。
「好きな天使でもできた?」
突然のことに戸惑い返答に困るエリアス。「もしかして王女のことだろうか」と思う。それは以前ツヴァイにも言われた。
ツヴァイに言われた時は、単にからかわれているのだと思っていた。しかし、ラヴィーナがもしそのことを言っているのだとすれば、純粋なからかいだけではないように思えてくる。
「……そう見えますか」
エリアスは迷いつつ、静かにそう返した。
「良かったわ。エリアス」
純粋な笑みを浮かべるラヴィーナは、ここまで言うと少し悲しげな表情になる。
「実はね、少し後悔していたの。無関係な貴方に重すぎるものを背負わせたのではないかなって。王女であるアンナを護れだなんて、いくら貴方でも重く感じるのではないかなって」
「そんなことはありません。王女には毎日楽しませていただきました。色々と学ぶことができましたし、有意義でした」
エリアスはアンナと出会い、数えきれないほど多くのことを知った。
面白い時に笑うこと、誰かと時間と共有すること。誰かを愛しいと思うこと、そして別れを寂しく感じること——。
彼女は未熟で不完全でも、エリアスが知らないものを知っていた。エリアスにはなかった、豊かな感情というものを。
「私は王女にいつも励まされ、たくさんの勇気をいただきました。ずっとお護りできるものと思って……いたのですが」
その続きはエリアスには言えなかった。もし口に出してしまえば、あれほど慕っていたアンナに別れを告げられたという悲しみが、一気に込み上げてきそうな気がしたから。
そして沈黙が訪れた。
微かな風にラヴィーナの金の髪が柔らかく揺れる。
話していたからか、状況に戸惑っていたからか分からないが、今まで気づかなかった川のせせらぎが耳に入ってくる。澄んだ水の流れる音がエリアスの心を癒やすみたいだ。
「……貴方はどうしたいの?」
ラヴィーナは今までより真剣な顔でエリアスに尋ねる。
エリアスはすぐには答えられなかった。なんせ彼は自分の道を選ぶのが苦手なのである。
「エリアスはどうしたいの?」
ラヴィーナは真剣な表情のままもう一度聞く。
「……戻りたいです」
エリアスは絞り出すような声で答えた。
「王女のところへ戻ってやり直したい……。もう無理かもしれないけれど。でもあの方は、私のただ一つの希望でした」
するとラヴィーナは笑う。その姿は美しく、それでいて幻影のように儚い。
「そうね。自分の望む道を歩みなさい。ひたすらしたいことをして、愛しい者にしがみつくの。そうすればきっと、幸せになれるわ」
まばたきして再び目を開けた時、ラヴィーナの姿はもうなかった。
ただ、川のせせらぎが聞こえるだけである。
辺りを見回す。空も地面も、すべてが白い。だが足の裏には確かに地面を踏み締める感覚がある。彼は何も分からないまま歩き出した。
やがて目の前に一本の川が現れた。流れは速めだが深さはそれほどなく、エリアスの膝下くらいだろうか。歩いて渡れないこともない感じだ。水は澄んでいて、川底が目視できる。
ふと向こう岸に目をやると、一人の女性が立っているのが見えた。
女性が振り返った時、エリアスは衝撃を受けた。
その姿がラヴィーナだったから。
長い月日が立っているとしても、エリアスが彼女を見間違えるはずはない。綺麗な金の髪、燃えるような赤の瞳。すべてが彼女そのものだった。
「王妃……」
目の前にいる彼女は本物ではない。そう自分に言い聞かせながらも、エリアスは彼女を呼んでいた。半ば無意識に。
それに対してラヴィーナは、手を口に添えつつ笑う。笑う時、口に手を添えるのは、生前の彼女の癖だった。
「会うのは久しぶりね。アンナは元気にしている?」
「はい。貴女によく似て、とても綺麗な方です」
「それは良かったわ。ところで、貴方はアンナと仲良くしているの?」
エリアスは言葉を詰まらせた。ラヴィーナの問いに、自信を持って答えられない。
彼自身は良好な関係を築けていると思っていた。自分がアンナを慕っているのはもちろん、彼女も自分を頼りにしてくれているようだったから。
だが今はよく分からなくなった。護衛隊長を解任され、離れてしまったエリアスには、もはやアンナの思いなど知りようがない。
「……護衛隊長をさせていただいておりました」
今はもう護衛隊長ではない。口に出したことでエリアスはそれを改めて感じ、辛くなった。
「アンナを護ってくれていたのね。ありがとう」
「いえ、たいしたことではありません」
エリアスは嘘をついているようで悪い気がした。
ラヴィーナは信頼してくれている。しかし現実はというと、彼女の期待に添えている状態ではない。護るどころか危険な目に遭わせたりしてしまった。
だがそんなことは言えない。
「……不思議だわ」
ラヴィーナが唐突に呟く。
「王妃?」
「貴方、変わったわね。昔より雰囲気が柔らかくなったわ。きっと良い経験をしたのね」
ラヴィーナはエリアスを見つめながら、ふふっと控えめな笑みをこぼす。
「そうでしょうか」
エリアスは彼女の言うことがよく分からず首を傾げる。
するとラヴィーナは子どものような無邪気に言う。
「好きな天使でもできた?」
突然のことに戸惑い返答に困るエリアス。「もしかして王女のことだろうか」と思う。それは以前ツヴァイにも言われた。
ツヴァイに言われた時は、単にからかわれているのだと思っていた。しかし、ラヴィーナがもしそのことを言っているのだとすれば、純粋なからかいだけではないように思えてくる。
「……そう見えますか」
エリアスは迷いつつ、静かにそう返した。
「良かったわ。エリアス」
純粋な笑みを浮かべるラヴィーナは、ここまで言うと少し悲しげな表情になる。
「実はね、少し後悔していたの。無関係な貴方に重すぎるものを背負わせたのではないかなって。王女であるアンナを護れだなんて、いくら貴方でも重く感じるのではないかなって」
「そんなことはありません。王女には毎日楽しませていただきました。色々と学ぶことができましたし、有意義でした」
エリアスはアンナと出会い、数えきれないほど多くのことを知った。
面白い時に笑うこと、誰かと時間と共有すること。誰かを愛しいと思うこと、そして別れを寂しく感じること——。
彼女は未熟で不完全でも、エリアスが知らないものを知っていた。エリアスにはなかった、豊かな感情というものを。
「私は王女にいつも励まされ、たくさんの勇気をいただきました。ずっとお護りできるものと思って……いたのですが」
その続きはエリアスには言えなかった。もし口に出してしまえば、あれほど慕っていたアンナに別れを告げられたという悲しみが、一気に込み上げてきそうな気がしたから。
そして沈黙が訪れた。
微かな風にラヴィーナの金の髪が柔らかく揺れる。
話していたからか、状況に戸惑っていたからか分からないが、今まで気づかなかった川のせせらぎが耳に入ってくる。澄んだ水の流れる音がエリアスの心を癒やすみたいだ。
「……貴方はどうしたいの?」
ラヴィーナは今までより真剣な顔でエリアスに尋ねる。
エリアスはすぐには答えられなかった。なんせ彼は自分の道を選ぶのが苦手なのである。
「エリアスはどうしたいの?」
ラヴィーナは真剣な表情のままもう一度聞く。
「……戻りたいです」
エリアスは絞り出すような声で答えた。
「王女のところへ戻ってやり直したい……。もう無理かもしれないけれど。でもあの方は、私のただ一つの希望でした」
するとラヴィーナは笑う。その姿は美しく、それでいて幻影のように儚い。
「そうね。自分の望む道を歩みなさい。ひたすらしたいことをして、愛しい者にしがみつくの。そうすればきっと、幸せになれるわ」
まばたきして再び目を開けた時、ラヴィーナの姿はもうなかった。
ただ、川のせせらぎが聞こえるだけである。
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