エンジェリカの王女

四季

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58話 「初めての魔界」

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 私とノアは大急ぎで魔界へ向かうことにした。とはいえ、どこから魔界へ行けるのかを知らなかった私は、漠然とした不安を抱いていた。しかしノアによればヴィッタの魔気で場所が分かるらしい。本当かどうか分からないが、ひとまずそれを信じてノアに案内してもらうことにした。

 ノアの案内で着いたのは路地裏だった。暗くて不気味な黒い穴が空いている。怖いがこんなところで挫けていてはこの先やっていけない。覚悟を決めると、勇気を出して黒い穴に飛び込んだ。


 闇を抜けると、薄暗い空へ出た。灰色の雲に覆われて薄暗いという感じに近い。時折稲妻が走り、物騒な雰囲気を高めている。

「魔界に入ったねー」

 同じく飛んでいたノアが声をかけてくる。

 下を向くと、黒い大地に不気味にそびえ立つ石造りの城塞が見えた。風が冷たい。

「ノアさんっ、どこへ降りるの?」

 羽を広げて飛びながら、ノアに尋ねる。

「あっちだよー」

 彼は指を差して答えた。
 声が届いているか不安だったが、どうやら届いていたようだ。

 私は進行方向を彼が指差した方に変え、羽を羽ばたかせる。

 ——と、その時。

 前方から大量の小さな悪魔が飛んできていることに気づく。黒いコウモリのような生き物だ。

「僕が前に出るよー」

 私はノアの片手を掴む。
 繋いでいないと、うっかりはぐれてしまいそうだから。

「降りるねー」

 彼はもう一方の手で前面にシールドを張る。そして、一気に急降下した。小さな悪魔たちはぷちぷちと消えた。

 そして急降下した私たちは一つの建物の前に着地する。城塞と同じような石造りの建物だが、城塞からは少し離れたところにある建物のようだ。

「いよいよね……」

 手のひらにジワリと汗が出てくる。どこか心地よく感じるくらいの緊張感。

「王女様はあまり力を使わないようにねー。切り札だからー」

 ノアはもはやお馴染みのまったりした口調で注意してくれる。

「でも少し経ったら聖気は回復するんでしょ?」
「うん。だけど、魔界では回復できないみたいだねー」

 私は驚いて目をパチパチしてしまった。回復できないならかなり不利ではないか。

「そんな! じゃあ聖気が切れたら……」
「僕はただのバカになるってことかなー」
「……そうじゃなくて」

 この期に及んでボケてくるとはなかなかの度胸だ。

「まぁそれは冗談だけど、でも、魔界の魔気がここまでだとは驚きだなー」

 言いながらノアは右サイドの髪に触れながらも何やら不快そうな表情をしている。

「ずっと針で刺されてるみたいな感じがするー。それに立っているだけで聖気が削られていく感じがするねー。王女様、大丈夫ー?」
「え、私は何も感じないわ」

 針で刺されているような痛みはないし、特に聖気が消耗していく感じもしない。

「……あ! もしかして、ノアは気に敏感だからじゃない?」
「あ。そうかもだねー」

 ノアは拳を手のひらにポンと打ち付ける。

「とにかく急ごっかー」
「えぇ、そうね。でも、もし辛くなったら言って」
「ふふっ。いつもだけど王女様は優しいねー」

 彼の態度を見ていると特に何も起こっていないように見えるが、無理しているかもしれないので要注意だなと考える。ノアは気に敏感な体質のせいで魔気の影響を受けやすい。そのせいで気分が悪くなることもあるかもしれない。

 歩き出したノアは先に建物へ入っていく。私も後を追った。


 建物の中に人影はなかった。床は石畳でどこかからひんやりした風が吹いてくる。明かりがなく視界が悪い。

「ジェシカさんの聖気は?」
「感じないなー。ヴィッタ一人の魔気だけだねー」

 小声で言葉を交わす。

 それにしても、ここまで誰もいないというのは不気味だ。

 静寂のせいか時が止まったような感覚に陥る。
 埃の匂いがかなり強い。少しでも気を許せば咳き込みそう。恐らくエンジェリカの地下牢よりも埃っぽいと思う。

 私はノアと共に暗い通路を歩いていく。


 やがて、視界に光が入る。ぼんやりとした赤っぽい光。
 ノアと顔を見合せる。

「……ああっ! うあああ!」

 ジェシカの悲鳴が聞こえてきた。

「どうして拒むの? ねぇねぇ、どうして素直に言えないの?」

 続けてヴィッタの甘ったるい声も聞こえてくる。どうやらまだ続けているようだ。

「嫌っ。もう止めてっ。……うっ、もう……ああっ!」
「ジェシカは一生ヴィッタのおもちゃだから。いっぱいいっぱい遊んであげる! キャハッ!」
「あっ……うぅっ、ああっ!」

 ジェシカの叫びを聞き、ノアは顔をしかめる。相棒が傷つけられているのを目の当たりにして、さすがのノアも怒りを覚えているようだ。

「王女様、ジェシカを頼んだよー。他は僕が相手するからー」
「任せて」

 大丈夫、何度も練習したのだから。絶対に大丈夫。
 私は自分に言い聞かせた。

 ノアは聖気を腕に集め、手を刃のようにする。
 そして、ヴィッタに背後から襲いかかった。

「キャハッ! 早かったねぇ!」

 ヴィッタはノアの急襲を軽々とかわした。

 その隙に私はジェシカに駆け寄り、「自由にしろ」を脳内で繰り返す。最後に心をジェシカに向けながら叫ぶ。

「自由にしろっ!」

 お願い、成功してっ!


 ——恐る恐る目を開けると、鎖がとれていた。倒れてくるジェシカを受け止める。

「ジェシカさん、大丈夫? 私が分かる?」

 彼女の体は私が思っていたより傷ついていた。

「……お、王女様?」

 声が震えている。

「正解。良かった、意識があるのね」

 ジェシカは自力で立ち上がろうとするが膝がカクンと折れ曲がってしまう。

「うん……大丈夫。聖気が切れて……あまり動けないけど」

 小さな羽も無惨に引きちぎられている。元の半分くらいしか量がなく、無理矢理ちぎったからかところどころ赤く濡れていた。

「……何で来たの?」

 彼女は苦しそうに呼吸しながら尋ねてくる。

「戦えなかったらあたしは……ただの……役立たずじゃん……。捨てられて普通なのに……」
「だって家族でしょ。助けるに決まってるわ」

 ジェシカの瞳は今にも溢れそうな涙で潤んでいる。

「あたし、戦うどころか……もう立てもしないのに……?」
「傷は治る。ちゃんと手当てすればよくなるわ。家族だもの、それぐらいするから」

 私は彼女の傷ついた体を強く抱き締める。

「……ありがと。ありがとね」

 彼女は泣いていた。今まで他に見たことがないぐらい泣いていた。

 でも私たちの本当の戦いはここから。ヴィッタは私たちを逃がしはしないだろう。それをどうやってこの場から逃げ帰るか。それが一番の問題だ。
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