エンジェリカの王女

四季

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29話 「二人の夜」

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「今日は星が綺麗ね」

 ヴァネッサが空気を読んで出ていってくれたおかげで、夜の自室でエリアスと二人きり。暗い空に瞬く星たちを眺めながら何げなく話す。些細なことだがお泊まりイベントみたいで心が弾む。不思議な感じだ。

「はい。王女と二人で夜空の星を見る日が訪れるなど考えてもみませんでした」

 エリアスは椅子に座ったまま覗き込むように窓の外を眺めている。
 まるで幸せな夢を見ているかのように。

「そういえば王女。もう貴女のお誕生日になっていますね」

 言われて壁に掛けられた時計に目をやると確かに夜中になっている。少し寝ただけで起きたのでそんな気はしないが、もう誕生日の日が始まっていた。

「王女、お誕生日おめでとうございます」

 エリアスは温かな声で静かに言う。そして優しく私の手を取ると、その手の甲に唇を当てて軽くキスをした。

「……っ!?」

 え、何? 一体何事?

 私は彼の突然の行動に戸惑い硬直する。恥ずかしさと気まずさで思わず視線を逸らす。
 エリアスがこんな積極的なことをするのは初めてだ。今までは近くにいても触れてくることはほとんどなかったのに。

「えっと、これは一体、どういうこと?」

 ようやく硬直状態が治り彼に視線を向けると、彼は頬を赤く染めて恥ずかしそうな顔をしていた。見たことのない表情をしている。

「……すみません。こういうことをするのは初めてなもので」

 確かにエリアスから女性の話を聞いたことはない。だからキスなんてし慣れていないのだろう。それは分かるが、彼が言ったことでは私が尋ねた質問の答えにはなっていない。

「それは分かるけど、どういう意味でこんなことを?」
「……はい。実はですね、王女に何か特別な誕生日プレゼントを、と考えていたのです。護衛隊長として可能な範囲で珍しいプレゼントをできればと思いまして。この方法なら忠誠を誓うという意味にもとれますから、咎められることもないかと」

 いやいや、二人きりの場所だとさすがにまずい気がするけど? だが確かに唇にキスをしたというよりかは言い逃れの余地がありそうな気もする。

「ですが……やはり恥ずかしさが拭えませんね」

 一体何言っているの? という感じだ。
 今日はエリアスは明らかにおかしい。いつもの彼ならこんなことはしない。

 まさか、二人きりになって箍が外れた?

「エリアス、今日は何だかちょっとおかしくない?」

 まだ初々しく赤面している。

「……はい。少しおかしいかもしれません。女性と二人になるのは初めてなもので……それも貴女と、ですから」
「一応言っておくけど、そういうことをする気はないわ」

 念のため言っておく。別にエリアスを信頼していないわけではないが本当に念のため。

「それはもちろん。確しかと承知しております」

 彼はその時ようやくいつものように微笑んだ。

「私は王女に必要としていただけたことが嬉しかったのです。それ以上は望みません」

 エリアスは護衛隊長で、いつも私を護ってくれる。大切にしてくれる。でもその関係は彼が護衛隊長でなくなった瞬間に失われるのではないかと心配していた。
 しかし私たちの関係はきっとそんなに寂しいものではない。今はそれが分かる。こうして傍にいて話しているだけで心が温かくなってくる。立場だけの関係なのならこんなに温かくはないと思う。

「そういえばエリアス。今更かもしれないんだけど、首の傷は完全に治ったの?」

 尋ねたのはライヴァンと初めて出会った時にエリアスが受けた傷のことだ。

「えっ?」

 彼は微かに驚いた顔をする。

「ほら、ライヴァンにナイフで斬られたところ。深くなかったって言ってたけど、あのまま治ったのかなって」

 本当に今たまたま思い出したので尋ねただけだ。
 数秒間があって、彼は優しく天使のように微笑む。……実際に天使だけど。

「はい。ほぼ完治しました。もう忘れていたぐらいです」

 答える直前ほんの数秒の沈黙が気になるが、恐らくそれに深い意味はないだろう。疑惑を抱く心はすぐに消えた。

「そっか。でも、良かったわ! 私のせいで傷が残ったりしたら一大事だものね」
「それは男が女性に対して言うことでは?」
「一般的にはそうかもね」

 私はエリアスの美しい容姿に傷がつくのは嫌だ。彼の魅力が容貌だけだと思っているわけではないが、その整った美しい容貌が彼の魅力をぐっと引き上げているのは確かである。

「でもエリアスはそこらの女性天使たちよりずっと綺麗だわ。例えば晩餐会に来るあの嫌な女! 女だけどエリアスよりずっと品がないし不細工でしょ!」

 エリアスは手を添えて口を隠すようにしつつ笑った。あの嫌な女のことはエリアスもよく知っている。

「ヴァネッサとかジェシカさんとかは綺麗だったり可愛かったりそれぞれの魅力があるけど、そこらの女性使用人たちなんてみんな同じ顔よ」
「私も見分けられません」
「やっぱり? でしょー!」

 なんだかんだで私たちは他愛のない会話に戻った。

 私の心の中にあったものが一つ消えた。それはいつかこの関係が終わってしまうのではないかという不安。しかし私たちには立場なんてものを越えた強い友情があった。私の不安は必要ないものだったのだ。

 だから二人はこの先もずっと、こんな風に笑いあっていけるはずね。
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