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4話
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基地はあれから不穏な空気のまま。
ナスカらを救助したいと希望したものの上に「すぐには対応できない」と言われたためにリリーが不満を爆発させ、騒ぎが起こって。
それももう数日前のこと。
けれども、ほんの少し時間が経過したくらいで解決する問題でもなく、基地内に流れている空気は今もじっとりとした重苦しいもののままである。
「リリーちゃん、落ち着いた?」
「……うん」
そんな日々の中、周りから頼まれて、トーレはリリーの面倒をみなくてはならないことになってしまった。
そういった事情もありトーレは今リリーと共に食堂にいる。
「美味しいねアイスティー」
「うん」
リリーは今日も先ほどまで怒っていた。
しかし現在は一旦落ち着いている。
「ナスカのことを心配する気持ちは皆持ってるよ」
「嘘つき」
「ええーっ……」
「心配してないよ! だからこんなこと平気でするの! すぐには動けない、とか!」
そういえばナスカは許可を取ることもせず自力で助けに行ったんだったなぁ、なんて、密かに過去を懐かしむトーレ。
かつてエアハルトが捕らえられた時、誰もが諦めの気持ちになっていたにもかかわらずナスカは立ち上がった。大切な人を救うために、大切な人を失わないために、ナスカは危険があると知っていてもなおエアハルト救出へと突き進んだのだ。
「……ナスカ、元気かなぁ」
紙製カップに注がれたアイスティーを飲み干して、リリーは呟く。
「こんなことになっちゃうなんて思わなかった……」
その瞳は潤んでいた。
「だ、大丈夫! 大丈夫だよ! あの二人ならきっと、上手くやってるって!」
泣かれたら大変だ、と焦ったトーレは、両手をぱたぱたさせながら「ナスカは強いし! アードラーさんも強いし!」とそこまで言って、数秒の間の後に「……心は」と小声で付け加える。
するとリリーは急にぶはっと息を吐き出した。
それから腹を抱えて大笑いし始める。
「あはははは!! 確かに!! 不謹慎かもだけど、確かに!!」
「え? ちょ、え? リリーちゃん?」
よく分からないけど、楽しそうだし元気そうになったから、まぁいいか――そんな風に思うトーレだった。
◆
朝は必ずやって来る。
どんなに辛い日でも。
「おはようナスカ」
「エアハルト……おはよう、でもまだ、眠いわ……」
冷たい床の上で目を覚ませば、既に起床していたエアハルトが声をかけてくれる。
「相変わらずだね」
「ううん……眠いの、まだ……」
「ナスカらしくてほっこりする」
「またそんな冗談」
「悪口じゃないよ? 褒めてるんだ。そういうところもナスカの可愛いところだからね」
呆れて、もう……、なんて返すけれど。
でも本当は嬉しくもある。
彼が傍にいてくれるだけで柔らかな気持ちになれるから。
ただ、彼は毎日のように敵に別室へ連れていかれているので、心身に問題が発生していないか心配になるところではある。
そこで何をされているのか、エアハルトは少しも話してくれない。
「そろそろ出るね」
「えっ……もう?」
「うん。早めに迎えが来ててさ。あまり話し相手になれなくてごめん」
「そんなことを言うつもりはないわ。ただ……どうか、気をつけて。必ず生きて帰ってきてちょうだいね」
言えば、エアハルトは「もちろん。必ず帰るよ」と軽く返してきた。
そうしてまた退屈な時間がやって来る。
エアハルトが別室に連れていかれている間、私は大抵この冷えた部屋の中で過ごす。埃臭さには慣れて、今ではもうそこまで不快な環境だとは感じない。
ただ一つ困ったところがあるとすれば、それは、何もすることがないというところ。
エアハルトが前に出て護ってくれているからこそ何もされずに済んでいることも事実。そういう意味では退屈と思ってしまうような時間を過ごせていることに感謝しなくてはならないのだ。
だが、一人部屋の中でじっとしているというのは、どうにもしっくりこない。
とはいえさすがにいきなり掃除なんかを始めるわけにもいかないし……。
一人で過ごす時間は長い。
クロレアの皆がどうしているかを想像するくらいしかすることがない。
そんな中でも、時折不安になることはある。
もし今夜エアハルトが帰ってこなかったら、と。
もしもその身に何かが起きて、万が一彼が倒れるようなことがあったら、私はどうなってしまうのだろう――そんなことを考える時、己の無力さを強く感じる。
……そうしてまた、夜が来る。
「おかえりなさい、エアハルト」
「ただいま」
部屋へ帰ってきた彼の口角には傷ができていて。
「唇の横、怪我したの?」
そう問ってみるけれど。
「ちょっとね」
彼は短くそう答えるだけで詳しいことなんて欠片ほども教えてはくれない。
どうして隠すの?
なぜすべてを一人で背負おうとするの?
言いたくても言えなくて、複雑な想いが降り積もってゆく。
「相変わらず何も話してくれないのね!」
本当ならそんなことを言うべきではないと分かっていた。
でもこの時は胸の内から湧き上がるものをどうしても抑えきれなくて。
「私、信頼されてないのかしら」
「そんなことないよ」
「ならどうして何も話してくれないの?」
「それは……君に話すようなことじゃないからだよ」
エアハルトは口角の赤いものを手の甲で拭うと息を吐き出す勢いに添うように地面に腰を下ろした。
「秘密にされてばかりだと不信感が募るわ」
「なら話すよ。取り調べ? みたいなのを受けてるんだ。話をしたり。ただそれだけ」
「取り調べを受けたり話をするだけでそんな風に口角を切ったりするものかしら」
するとエアハルトは、はは、と乾いた笑い声をこぼす。
「帰ってきたらまた取り調べ受けてるみたいで面白いな、この状況」
嫌みではないようだった。
声の色と表情がそれを表している。
「それより、ナスカは? 今日も暴力に晒されたりはしなかった?」
「ずっとここでぼんやりしていたわ」
「そっか。退屈させて悪いね。本当はもっと一緒にいられればいいんだけど」
本当に、それだけ?
そんな問いはさすがに放てなかった。
「それは……気にしないで、エアハルトは何も悪くないから」
取り敢えず今は彼が生きていてくれればそれだけでいい。
ナスカらを救助したいと希望したものの上に「すぐには対応できない」と言われたためにリリーが不満を爆発させ、騒ぎが起こって。
それももう数日前のこと。
けれども、ほんの少し時間が経過したくらいで解決する問題でもなく、基地内に流れている空気は今もじっとりとした重苦しいもののままである。
「リリーちゃん、落ち着いた?」
「……うん」
そんな日々の中、周りから頼まれて、トーレはリリーの面倒をみなくてはならないことになってしまった。
そういった事情もありトーレは今リリーと共に食堂にいる。
「美味しいねアイスティー」
「うん」
リリーは今日も先ほどまで怒っていた。
しかし現在は一旦落ち着いている。
「ナスカのことを心配する気持ちは皆持ってるよ」
「嘘つき」
「ええーっ……」
「心配してないよ! だからこんなこと平気でするの! すぐには動けない、とか!」
そういえばナスカは許可を取ることもせず自力で助けに行ったんだったなぁ、なんて、密かに過去を懐かしむトーレ。
かつてエアハルトが捕らえられた時、誰もが諦めの気持ちになっていたにもかかわらずナスカは立ち上がった。大切な人を救うために、大切な人を失わないために、ナスカは危険があると知っていてもなおエアハルト救出へと突き進んだのだ。
「……ナスカ、元気かなぁ」
紙製カップに注がれたアイスティーを飲み干して、リリーは呟く。
「こんなことになっちゃうなんて思わなかった……」
その瞳は潤んでいた。
「だ、大丈夫! 大丈夫だよ! あの二人ならきっと、上手くやってるって!」
泣かれたら大変だ、と焦ったトーレは、両手をぱたぱたさせながら「ナスカは強いし! アードラーさんも強いし!」とそこまで言って、数秒の間の後に「……心は」と小声で付け加える。
するとリリーは急にぶはっと息を吐き出した。
それから腹を抱えて大笑いし始める。
「あはははは!! 確かに!! 不謹慎かもだけど、確かに!!」
「え? ちょ、え? リリーちゃん?」
よく分からないけど、楽しそうだし元気そうになったから、まぁいいか――そんな風に思うトーレだった。
◆
朝は必ずやって来る。
どんなに辛い日でも。
「おはようナスカ」
「エアハルト……おはよう、でもまだ、眠いわ……」
冷たい床の上で目を覚ませば、既に起床していたエアハルトが声をかけてくれる。
「相変わらずだね」
「ううん……眠いの、まだ……」
「ナスカらしくてほっこりする」
「またそんな冗談」
「悪口じゃないよ? 褒めてるんだ。そういうところもナスカの可愛いところだからね」
呆れて、もう……、なんて返すけれど。
でも本当は嬉しくもある。
彼が傍にいてくれるだけで柔らかな気持ちになれるから。
ただ、彼は毎日のように敵に別室へ連れていかれているので、心身に問題が発生していないか心配になるところではある。
そこで何をされているのか、エアハルトは少しも話してくれない。
「そろそろ出るね」
「えっ……もう?」
「うん。早めに迎えが来ててさ。あまり話し相手になれなくてごめん」
「そんなことを言うつもりはないわ。ただ……どうか、気をつけて。必ず生きて帰ってきてちょうだいね」
言えば、エアハルトは「もちろん。必ず帰るよ」と軽く返してきた。
そうしてまた退屈な時間がやって来る。
エアハルトが別室に連れていかれている間、私は大抵この冷えた部屋の中で過ごす。埃臭さには慣れて、今ではもうそこまで不快な環境だとは感じない。
ただ一つ困ったところがあるとすれば、それは、何もすることがないというところ。
エアハルトが前に出て護ってくれているからこそ何もされずに済んでいることも事実。そういう意味では退屈と思ってしまうような時間を過ごせていることに感謝しなくてはならないのだ。
だが、一人部屋の中でじっとしているというのは、どうにもしっくりこない。
とはいえさすがにいきなり掃除なんかを始めるわけにもいかないし……。
一人で過ごす時間は長い。
クロレアの皆がどうしているかを想像するくらいしかすることがない。
そんな中でも、時折不安になることはある。
もし今夜エアハルトが帰ってこなかったら、と。
もしもその身に何かが起きて、万が一彼が倒れるようなことがあったら、私はどうなってしまうのだろう――そんなことを考える時、己の無力さを強く感じる。
……そうしてまた、夜が来る。
「おかえりなさい、エアハルト」
「ただいま」
部屋へ帰ってきた彼の口角には傷ができていて。
「唇の横、怪我したの?」
そう問ってみるけれど。
「ちょっとね」
彼は短くそう答えるだけで詳しいことなんて欠片ほども教えてはくれない。
どうして隠すの?
なぜすべてを一人で背負おうとするの?
言いたくても言えなくて、複雑な想いが降り積もってゆく。
「相変わらず何も話してくれないのね!」
本当ならそんなことを言うべきではないと分かっていた。
でもこの時は胸の内から湧き上がるものをどうしても抑えきれなくて。
「私、信頼されてないのかしら」
「そんなことないよ」
「ならどうして何も話してくれないの?」
「それは……君に話すようなことじゃないからだよ」
エアハルトは口角の赤いものを手の甲で拭うと息を吐き出す勢いに添うように地面に腰を下ろした。
「秘密にされてばかりだと不信感が募るわ」
「なら話すよ。取り調べ? みたいなのを受けてるんだ。話をしたり。ただそれだけ」
「取り調べを受けたり話をするだけでそんな風に口角を切ったりするものかしら」
するとエアハルトは、はは、と乾いた笑い声をこぼす。
「帰ってきたらまた取り調べ受けてるみたいで面白いな、この状況」
嫌みではないようだった。
声の色と表情がそれを表している。
「それより、ナスカは? 今日も暴力に晒されたりはしなかった?」
「ずっとここでぼんやりしていたわ」
「そっか。退屈させて悪いね。本当はもっと一緒にいられればいいんだけど」
本当に、それだけ?
そんな問いはさすがに放てなかった。
「それは……気にしないで、エアハルトは何も悪くないから」
取り敢えず今は彼が生きていてくれればそれだけでいい。
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