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3話

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 とても寒い日だった。
 暗闇で眠っていた私たちはまだ早朝だというのに起こされる。

「起きろ!!」

 あまりに唐突な起こされ方に戸惑う。が、まだ寝ていたい、なんて言えるわけもなくて。強制的に起床しなくてはならないこととなってしまった。硬い地面で寝ていたからか、背中から尻にかけての部分にはまだ鈍い冷えと痛みのような感覚が残っている。

「今日は町へ出掛ける」

 その日私たちを起こしに来たのはあの五十代くらいの男ではなかった。
 恐らくあの男の部下なのだろうが、二十代くらいと思われる、まだ微かに幼さの残るような男性である。
 ただ、その肉体は屈強であり、いかにも身体を使う仕事をしている人だなぁと見ていて思うような体型をしていた。軍人だからか、また別の理由があるのか、その辺りは分からないが。きっと熱心に鍛えているのだろう。

「町……どこへ行くのですか?」

 そんな男性に少しだけ質問してみたのだが。

「この近くの町だ」

 彼はあまり詳しくは話してくれない。

「そこは普通の町なの? あるいはあくまで町と呼ばれているだけで、とか……」
「しつこいな! 町は町、ただそれだけ!」

 どうやらあまり説明したくないようだ。
 これ以上聞かない方が良いのかもしれない――そう思ったので、私はもうそこには触れないでおくことにした。

「ついてこい!!」

 男性は怒鳴るけれど、今はそれほど恐怖は感じない。なぜって、エアハルトと共にあれているから。誰よりも信頼できる彼が傍にいてくれる、ただそれだけで、私の中にある恐怖の欠片はすべて溶けて消えてゆく。大丈夫、そう思えるのだ。根拠なんてなくても。

「大丈夫? ナスカ」
「ええ、もちろんよ」

 久々にあの埃臭い部屋から出ることができた。とはいえにっこりしてはいられない。扉を通過する時、廊下を歩く時、食堂のようなところを通りすぎる時、私とエアハルトは常に複数の男に囲まれ見張られていた。

 逃げたりしないわよ、そんな風に胸の内で呟いたことは秘密にしておこう。

 やがて施設から出る。久々に青い空を見た。建物の中の空気とはまったく異なる清らかな空気を吸えば生まれ変わるみたいな感覚が身体を駆け抜けてゆく。頑張って。誰でもない存在、自然に、そう励まされたような気がして。少しだけ心が柔らかくなった。

「なんだありゃ」
「珍しいわねぇ……罪人かしら……」
「けど男女だわな」
「結婚詐欺とか? ……いやそれはさすがにないか」
「あれって、もしかして……どこかで見たことがあるような……」

 屈強な男たちに囲まれて町中を歩いている時、人々は私とエアハルトに注目していた。

「クロレア人め!」

 突如声がして、そちらへ視線を向けかけた刹那。

「危ない!」

 右側を歩いていたエアハルトが急に声をあげた。
 それとほぼ同時に空き缶がぶつかるような音がする。

 どうやら先の声の主が私に向けて空き缶を投げつけてきたようである。

 もっとも、実際にそれを当てられたのはエアハルトとなったのだが。

「当てられたの!?」
「間に合って良かった」
「そうじゃなくて! 空き缶、当たったのでしょう!?」
「まぁね。……でも、大したことないよ」

 なんてことするのよ! と言ってやりたかったけれど、空き缶投げつけ犯はさっさと去っていってしまったので結局何も言ってやれなかった。

「酷い人もいたものね」

 不満を抱えつつこぼせば。

「元敵国、だからね」

 エアハルトは冷たい目をして小さくそう言った。】

 それからまた少し歩くと、広場のようなところへたどり着いた。

 二人して台の上に乗せられる。
 それほど高さはない、階段二段ほどの高さがあるかないかくらいの台だったけれど、実際登ってみれば辺りを見回すことができている感覚が強まった。
 背が伸びたらこんな感じなのかな、なんて、少し無意味なことを考えたりして。
 でもそんな意識もすぐに現実へ引き戻される――だって、台に上げられた私たちを待っていたのは、決して穏やかな時間ではなかったから。

「これより、悪しき者への処罰を開始する」

 男性がそう宣言するや否や、どこからともなく人が湧き出てきた。年齢や性別はばらばら。中には子ども連れの女性なんかも交ざっている。そんな一見何の関連もなさそうな人たちだが、その瞳には明確に私たちへの敵意が宿っていた。

 気味の悪さを感じた、直後。

 すぐ隣にいたエアハルトが近くの軍服姿の男性に腕をねじ曲げられ無理矢理座らされた。

「ちょ、ちょっと! 何するのよ!」

 思わず声を出してしまって。

「黙れ女」

 そう返されるけれど、耐えられなくて。

「違法行為よ! こんなの! 許されることじゃないわ!」

 感情的に叫んでしまった。

 そこへ飛んでくる、歳を重ねた女性の声。

「アンタらだっておんなじじゃないか!!」

 視線を向ければ、そこには鬼のごとき顔面の中年女性が胸を張るようにして立っていて、しかもこちらを睨んできていた。

「人殺しだよ!! アンタらは!!」

 彼女はヒステリックにそう続けた。

「聞かなくていい」
「エアハルト」
「言わせておけばいい」
「でも、でも、こんなのって……」
「無視するんだ」

 エアハルトがそう言うから大人しく従っておくことにしたけれど、それからも散々だった。

 暴言は吐かれる、侮辱はされる、さらには小石を投げられる。その場において私たち二人には人の尊厳なんてものはなかった。その場所での私たち二人は、明らかに、人として扱われていなかった。

 あまりにも理不尽。
 そう思わずにはいられない時間。

 ――だから、その日の晩はさすがに泣いた。

「だって酷いの、卑怯なのよあいつら! こっちが不利な立場だからって、あんな、あんな風にっ……何もそこまで言わなくていいじゃない! それも大勢でよってたかって……!」
「うん」
「それにエアハルトのことをあんな風に! 馬鹿にして! 侮辱して! 人としてどうなのって思ってしまうわよ、あんなことされたら……!」
「うん」

 泣きながら叫び不満をぶちまけているのを、エアハルトは静かに聞いてくれた。タイミングが来るたび「うん」とだけ発する、彼の反応は控えめかつ地味なもので。けれどもその声には真剣さが滲んでいたから、雑に聞き流されているわけではないのだと思うことができた。

「大丈夫、大丈夫だよ」

 空気はとても冷たいけれど、そっと抱き寄せてくれるエアハルトの身体は温かい。

「泣いてもいい、我慢しなくていい、けど――」
「……エアハルト?」
「絶対護る。だから、明日を恐れる必要はないよ」

 ありがとう。
 消えそうな小さな声でそう呟いて、身を委ねる。

「一人じゃないから」

 エアハルトはそう続けたけれど、その頃には既に眠りに落ちかけていて、まともな返事はできなかった。

 今はただ、この温かなゆりかごで眠りたい。

 痛みも、苦しみも、何もかもすべて忘れて――。
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