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十四話「二人の約束」
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雨粒が地面に打ち付ける音も、風雨によって視界が白く霞むことも、ここではまったくと言っていいほどない。ここは静寂。ただ、厳かな空気に包まれている。
「どうしたの? マリエ」
私が妙に改まって「聞きたいことがある」なんて言ったからか、ジェネは戸惑ったような顔をした。
「聞きづらいこと?」
「……分からない。けど、少し変かもしれないと思う問いだわ」
上手く表現できず、曖昧な言葉選びになってしまった。しかしジェネは、それによって嫌な顔をすることはなく。むしろ、心を解すように、穏やかに微笑みかけてきてくれる。
「何でも聞いてくれていいよ」
表情と同じく、声色も穏やかだった。
今のジェネなら、私の気持ちを受け入れてくれるような気さえする。何もかもを包み込んでくれそうな、そんな気がする。もっとも、それは私の都合の良い解釈かもしれないけれど。でも、この心を伝えた時、彼なら、それを乱雑に扱うことはしないだろう。
「その……私、貴方に想い人がいることは知っているわ。かつて救った女性を貴方が愛しているということは、十分理解しているつもりよ」
身も心も美しかったであろうその人に、ぱっとしない私が敵うとは思えない。そんなこと、天地がひっくり返りでもしない限り、起こりはしないだろう。
そのくらい、分かっている。
だから、大きすぎる期待はしない。
「……マリエ? いきなり何を言っているんだい?」
ただ、何もせずに終わるのは嫌だった。
この胸に芽生えたものを、少しも表に出すことなく消し去ってしまうというのは、どうも納得がいかなくて。
「でも。だけど。どうか、これだけは伝えさせてほしいの」
「伝えさせて、って……? 何だろう」
口から出して、彼に伝えて、断られてしまう。
きっとそれは変えられない定めで。
でも、私はそれで構わない。たとえ実らずとも、定めに抗えずとも、秘めた思いを口から出して彼に伝えることさえできたなら。きっと、もう後悔はない。
「……私、貴方のことが好きになっていたみたい」
上手くいかずとも。
これまでの日々が変わってしまったとしても。
思いを伝える。それが私の選んだ道。だから、悔やむことはない。
「だから、これからもずっと、私の傍にいて」
——私はただ、彼からの返事を待った。
それからというもの、長い沈黙が訪れた。
二人以外の生物の気配が一切ない空間で、両者が黙ったら、訪れるのは痛いほどの静寂。時が止まったかのような。
そんな中でも、私は何も発さなかった。
無音の空間は呼吸が止まってしまいそう。何か一言発してしまえば一気に楽になれそうな気がする。けれどもそれは、彼の返答を待つという神聖な時間を壊してしまう行為であって。それゆえ、私は口を動かさなかった。返ってくる言葉を、ただひたすらに待ち続けた。
やがて。
長い沈黙の果て、彼は口を開く。
「ありがとう。マリエ」
第一声では、彼の答えは分からなかった。
「君にそう言ってもらえたことは、とても嬉しく思うよ」
「……これからも傍にいてくれる?」
恐る恐る質問してみる。
それに対し、ジェネは逆に問いを重ねる。
「僕はそれでも構わないよ。けど、君はどうなのかな」
「え……」
「僕は完全な人にはなれない。どんなに頑張っても、あくまで人型。きっと困るのは君だよ。それでも……いいの?」
ジェネは伏せていた目を開き、改めて私に視線を注いだ。
「後から悔やんでも遅いよ?」
「え……あの、ちょっと待って」
そう言うと、彼は意地悪な笑みを浮かべる。
「今さら怖くなった?」
「違うの。ただ、貴方のあの人への思いはどうなったのか、そこが分からなくて」
「あの人への? ……あぁ、そういうこと。それなら、とうに終わっているよ」
ジェネはあっさりそう述べた。
未練など微塵もないような顔で。
「あれはあくまで、過去の僕の恋心。今でも彼女を愛し続けている、なんてことは、言った覚えはないけど」
「そ、そうだったの?」
拍子抜けだ。
だったら最初から、彼女の存在について気にすることはなかったのではないか。
そういうことなら、もっと早く、そう言っておいてほしかった。
「うん。僕、『今でも彼女を愛し続けている』なんて、言った?」
「い、いえ……言ってはいなかったわね……」
だが、あんな話を聞かされたら、そうだと思い込んでしまうのが普通だろう。
「だよね?」
「そうだわ……」
せっかく少しロマンチックな雰囲気になったかと思ったのだが、そんなことはなく。
「君は僕が人間じゃなくてもいいんだね?」
ジェネは口元に少しいじわるそうな笑みを湛えつつ、私にそう問いを投げかけた。
紅の瞳は、確かに、私をじっと捉えている。
「えぇ。それはもちろん、気になんてしないわ。むしろ、貴方が魔法みたいなものを使えるところには、興味があるの」
「そっか。そう言ってもらえると嬉しいよ。ま、僕は魔法使いではないけど」
「そうね……それは分かっているわ」
「ならいいよ。じゃあ、これからはずっと一緒にいよう」
その日、私たちは約束をした。
それは——『ずっと一緒に』というものだ。
こうしてまた始まってゆく。
マリエ・ルルーナの、新たな、恋の物語が。
◇ 本編 おわり ◇
「どうしたの? マリエ」
私が妙に改まって「聞きたいことがある」なんて言ったからか、ジェネは戸惑ったような顔をした。
「聞きづらいこと?」
「……分からない。けど、少し変かもしれないと思う問いだわ」
上手く表現できず、曖昧な言葉選びになってしまった。しかしジェネは、それによって嫌な顔をすることはなく。むしろ、心を解すように、穏やかに微笑みかけてきてくれる。
「何でも聞いてくれていいよ」
表情と同じく、声色も穏やかだった。
今のジェネなら、私の気持ちを受け入れてくれるような気さえする。何もかもを包み込んでくれそうな、そんな気がする。もっとも、それは私の都合の良い解釈かもしれないけれど。でも、この心を伝えた時、彼なら、それを乱雑に扱うことはしないだろう。
「その……私、貴方に想い人がいることは知っているわ。かつて救った女性を貴方が愛しているということは、十分理解しているつもりよ」
身も心も美しかったであろうその人に、ぱっとしない私が敵うとは思えない。そんなこと、天地がひっくり返りでもしない限り、起こりはしないだろう。
そのくらい、分かっている。
だから、大きすぎる期待はしない。
「……マリエ? いきなり何を言っているんだい?」
ただ、何もせずに終わるのは嫌だった。
この胸に芽生えたものを、少しも表に出すことなく消し去ってしまうというのは、どうも納得がいかなくて。
「でも。だけど。どうか、これだけは伝えさせてほしいの」
「伝えさせて、って……? 何だろう」
口から出して、彼に伝えて、断られてしまう。
きっとそれは変えられない定めで。
でも、私はそれで構わない。たとえ実らずとも、定めに抗えずとも、秘めた思いを口から出して彼に伝えることさえできたなら。きっと、もう後悔はない。
「……私、貴方のことが好きになっていたみたい」
上手くいかずとも。
これまでの日々が変わってしまったとしても。
思いを伝える。それが私の選んだ道。だから、悔やむことはない。
「だから、これからもずっと、私の傍にいて」
——私はただ、彼からの返事を待った。
それからというもの、長い沈黙が訪れた。
二人以外の生物の気配が一切ない空間で、両者が黙ったら、訪れるのは痛いほどの静寂。時が止まったかのような。
そんな中でも、私は何も発さなかった。
無音の空間は呼吸が止まってしまいそう。何か一言発してしまえば一気に楽になれそうな気がする。けれどもそれは、彼の返答を待つという神聖な時間を壊してしまう行為であって。それゆえ、私は口を動かさなかった。返ってくる言葉を、ただひたすらに待ち続けた。
やがて。
長い沈黙の果て、彼は口を開く。
「ありがとう。マリエ」
第一声では、彼の答えは分からなかった。
「君にそう言ってもらえたことは、とても嬉しく思うよ」
「……これからも傍にいてくれる?」
恐る恐る質問してみる。
それに対し、ジェネは逆に問いを重ねる。
「僕はそれでも構わないよ。けど、君はどうなのかな」
「え……」
「僕は完全な人にはなれない。どんなに頑張っても、あくまで人型。きっと困るのは君だよ。それでも……いいの?」
ジェネは伏せていた目を開き、改めて私に視線を注いだ。
「後から悔やんでも遅いよ?」
「え……あの、ちょっと待って」
そう言うと、彼は意地悪な笑みを浮かべる。
「今さら怖くなった?」
「違うの。ただ、貴方のあの人への思いはどうなったのか、そこが分からなくて」
「あの人への? ……あぁ、そういうこと。それなら、とうに終わっているよ」
ジェネはあっさりそう述べた。
未練など微塵もないような顔で。
「あれはあくまで、過去の僕の恋心。今でも彼女を愛し続けている、なんてことは、言った覚えはないけど」
「そ、そうだったの?」
拍子抜けだ。
だったら最初から、彼女の存在について気にすることはなかったのではないか。
そういうことなら、もっと早く、そう言っておいてほしかった。
「うん。僕、『今でも彼女を愛し続けている』なんて、言った?」
「い、いえ……言ってはいなかったわね……」
だが、あんな話を聞かされたら、そうだと思い込んでしまうのが普通だろう。
「だよね?」
「そうだわ……」
せっかく少しロマンチックな雰囲気になったかと思ったのだが、そんなことはなく。
「君は僕が人間じゃなくてもいいんだね?」
ジェネは口元に少しいじわるそうな笑みを湛えつつ、私にそう問いを投げかけた。
紅の瞳は、確かに、私をじっと捉えている。
「えぇ。それはもちろん、気になんてしないわ。むしろ、貴方が魔法みたいなものを使えるところには、興味があるの」
「そっか。そう言ってもらえると嬉しいよ。ま、僕は魔法使いではないけど」
「そうね……それは分かっているわ」
「ならいいよ。じゃあ、これからはずっと一緒にいよう」
その日、私たちは約束をした。
それは——『ずっと一緒に』というものだ。
こうしてまた始まってゆく。
マリエ・ルルーナの、新たな、恋の物語が。
◇ 本編 おわり ◇
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