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5.魔術師の薬指
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フィオーネへの魔法の指導という仕事を受けているリベルとそれに付き添っている緑が好きな男性アウピロス――レフィエリ出身者でない二人が運命の波に乗るようにレフィエリで暮らすようになって間もない、ある日のこと。
湯を浴びて部屋へ戻ったリベルにアウピロスが声をかける。
「リベルくん、爪、もう色が落ちてますよ」
「え? ああ、ほんとだー」
リベルとアウピロスに血の繋がりはない。どころか、恐らく同じ人種ですらなく、生まれた国も育った環境もまったく異なっている。それでも二人がこうして共に在るのは、過去、アウピロスがリベルを救ったからである。
「また塗らないとですね」
「そうだねー、じゃ、お願いしよっかなー?」
リベルは言いながら手の甲で頬の汗を拭う。
「準備しますね」
「うんうん頼むよー」
アウピロスは慣れた様子で近くの棚から小瓶を取り出す。
テーブルのすぐ傍にある椅子へ腰掛けたリベルが手袋を着けていない右手をテーブル上へ差し出せば、向かいの席に座ったアウピロスは薬指へ視線を向ける。その時のアウピロスはとても楽しそうな顔をしていた。
リベルの薬指の爪は緑に塗られている――けれどもそのことを知る者は二人以外には存在しない。
「塗りますから、乾くまでちゃんとじっとするんですよ?」
「うん」
どのみち、その緑が何者かの目に触れることはない。
彼がよそで手袋を外すことは滅多にないから。
たとえその手に触れていたとしても、たとえその手を握っていたとしても、誰もその色を知ることはできないのだ――もっとも、今や彼の手に触れる可能性がある者さえかなり限られているのだが。
「この前は服について大変だったんですから!」
「また言ってるー」
「笑い事じゃないです!」
「ごめんごめん」
かつて、このことを提案したのは、アウピロスだった。
二人で行動するようになった頃、彼は、リベルと共に戦いの道を行くことも考えた。職業柄銃は多少使えた。だから武装すればリベルの力になれるのではと考え、リベルに同行する道も模索した。けれどもリベルはそれを望まなかった。
『おじさん多分向いてないよー、来なくていいよ』
拒否ということもなく、しかし遠慮でもなく、ただ純粋に言葉のままの意味でリベルからそう言われた時――アウピロスは隣に立って戦うことは諦めた。
「塗れましたよ」
「わー」
「ちゃんと乾かしてくださいっ!」
「あ、そうだったね」
「もう……」
共に戦う道を選べなかったアウピロスの細やかな抗い。
それがこの爪に色を塗るというアイデアだった。
リベルはいつもアウピロスの心配などちっとも気にせず息をするように戦いの場へと出ていってしまう。
だからこそ。
そこに自分の居場所はなくても――せめて、心だけは、と。
「でもおじさん、どうしていつも薬指だけに塗るのー」
「たくさん塗ったらまた汚すでしょう? 乾くまで待てないでしょう!」
「あ、そっか。確かにねー」
とはいえ、レフィエリでフィオーネの師となったリベルには、もう命の危険はほとんどない。だから本当はもうやめてもいい。アウピロス自身、そのことは理解している。だがそれでも今さらやめようなどとは言えない。否、言わない。なぜって、爪に色を塗る時間リベルと向かい合っていられる何より大切な時間だからだ。
はじまりの意味とは変わったとしても。
それでも愛しい時を手放すことはしない。
「ありがとうおじさん、また塗ってね」
リベルはアウピロスの技術によって染められた薬指の爪を見上げるようにしながら乾くまでの時間を潰す。
「もう少しそのままでいてくださいよ」
「はーい」
湯を浴びて部屋へ戻ったリベルにアウピロスが声をかける。
「リベルくん、爪、もう色が落ちてますよ」
「え? ああ、ほんとだー」
リベルとアウピロスに血の繋がりはない。どころか、恐らく同じ人種ですらなく、生まれた国も育った環境もまったく異なっている。それでも二人がこうして共に在るのは、過去、アウピロスがリベルを救ったからである。
「また塗らないとですね」
「そうだねー、じゃ、お願いしよっかなー?」
リベルは言いながら手の甲で頬の汗を拭う。
「準備しますね」
「うんうん頼むよー」
アウピロスは慣れた様子で近くの棚から小瓶を取り出す。
テーブルのすぐ傍にある椅子へ腰掛けたリベルが手袋を着けていない右手をテーブル上へ差し出せば、向かいの席に座ったアウピロスは薬指へ視線を向ける。その時のアウピロスはとても楽しそうな顔をしていた。
リベルの薬指の爪は緑に塗られている――けれどもそのことを知る者は二人以外には存在しない。
「塗りますから、乾くまでちゃんとじっとするんですよ?」
「うん」
どのみち、その緑が何者かの目に触れることはない。
彼がよそで手袋を外すことは滅多にないから。
たとえその手に触れていたとしても、たとえその手を握っていたとしても、誰もその色を知ることはできないのだ――もっとも、今や彼の手に触れる可能性がある者さえかなり限られているのだが。
「この前は服について大変だったんですから!」
「また言ってるー」
「笑い事じゃないです!」
「ごめんごめん」
かつて、このことを提案したのは、アウピロスだった。
二人で行動するようになった頃、彼は、リベルと共に戦いの道を行くことも考えた。職業柄銃は多少使えた。だから武装すればリベルの力になれるのではと考え、リベルに同行する道も模索した。けれどもリベルはそれを望まなかった。
『おじさん多分向いてないよー、来なくていいよ』
拒否ということもなく、しかし遠慮でもなく、ただ純粋に言葉のままの意味でリベルからそう言われた時――アウピロスは隣に立って戦うことは諦めた。
「塗れましたよ」
「わー」
「ちゃんと乾かしてくださいっ!」
「あ、そうだったね」
「もう……」
共に戦う道を選べなかったアウピロスの細やかな抗い。
それがこの爪に色を塗るというアイデアだった。
リベルはいつもアウピロスの心配などちっとも気にせず息をするように戦いの場へと出ていってしまう。
だからこそ。
そこに自分の居場所はなくても――せめて、心だけは、と。
「でもおじさん、どうしていつも薬指だけに塗るのー」
「たくさん塗ったらまた汚すでしょう? 乾くまで待てないでしょう!」
「あ、そっか。確かにねー」
とはいえ、レフィエリでフィオーネの師となったリベルには、もう命の危険はほとんどない。だから本当はもうやめてもいい。アウピロス自身、そのことは理解している。だがそれでも今さらやめようなどとは言えない。否、言わない。なぜって、爪に色を塗る時間リベルと向かい合っていられる何より大切な時間だからだ。
はじまりの意味とは変わったとしても。
それでも愛しい時を手放すことはしない。
「ありがとうおじさん、また塗ってね」
リベルはアウピロスの技術によって染められた薬指の爪を見上げるようにしながら乾くまでの時間を潰す。
「もう少しそのままでいてくださいよ」
「はーい」
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