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episode.144 いつしか雨は止んで
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その心は、土砂降りだった。
家を、人を、大地を、ずぶ濡れにしてしまうほどの大雨が、彼の心の中では降り続けていた。
——トリスタンの心の中でのことだ。
彼は今、中庭を一望できるテラスにいる。三人ほど並んで座れるであろう木製のベンチに、一人で腰を掛け、明るい日差しによって華やいだ中庭を眺めていた。
基地内にある中庭は、中庭と聞いてぱっと思い浮かべるような、美しく素敵な場所ではない。無数に生える雑草は刈り取られこそしているものの、一応ある花壇は古ぼけてほったらかしにされ、一本の花さえ植わっていないのである。
眺めるには、あまりに殺風景な中庭。
だが、彼の青い双眸は、そんな風景をじっと見つめていた。
時折吹き抜ける柔らかな風が、トリスタンの長い金髪とふわりと揺らす。そんな中で、風に揺られて髪が乱れても、彼は直そうとすらしない。ただ、殺風景な中庭を見つめ続けるだけだ。
「はぁ」
何もない場所を眺めながら、トリスタンは小さな溜め息を漏らす。
そんな時だった。
「トリスタン! ここにいたんだねっ」
テラスを包み込む静寂を破ったのは、明るく晴れやかな女声。
フランシスカが姿を現したのだ。
「……どうしてここに」
「トリスタンいなかったから、探してたの。そしたら、ここに着いたんだよっ」
向日葵のように明るい笑みを浮かべるフランシスカを目にしてもなお、トリスタンの表情が晴れることはなかった。ほんの少し面倒臭そうな顔になっただけだ。
「どうしてそんなに暗い顔してるのっ?」
そんなことを言いながら、フランシスカはトリスタンの方へと歩み寄っていく。その足取りに、躊躇いなんてものは微塵も感じられない。
「もしかしてー」
そして彼女は、ついに、トリスタンの隣に座った。
「マレイちゃんのことで悩んでるっ?」
フランシスカは、躊躇なく接近し、トリスタンの暗い顔を覗き込む。
トリスタンはというと、突然近寄ってこられたことに戸惑っているようだった。だが、冷たい言葉を発する気力もないのか、何も言わず黙っている。
「フランでいいなら、お話聞くよっ」
「……要らない」
トリスタンがようやく発した言葉は、それだけだった。
「えー、何それー。さすがに強がりすぎじゃない?」
「君には関係ないことだから」
「関係ないことないよ! フラン、トリスタンが弱ってると心配だもんっ!」
「心配しなくていいよ。関係ないから」
「だーかーらー! フランは関係なくなんてないのっ!」
頬を膨らませ、口調を強めるフランシスカ。
だがトリスタンの表情は変わらない。彼は、眉一つ動かすことをしなかった。
「いい加減、意地張るのは止めてよっ!」
「君に何が分かる!!」
突如トリスタンが叫んだ。
これには、さすがのフランシスカも驚いたらしく、言葉を失ってしまう。
「君には分からない! 僕の気持ちなんて!」
彼は怒っているように見える。だが本当は泣いていたのかもしれない。他人にはそれを見せないけれど、心の中では嗚咽を漏らしていたのかもしれない。
「……もう放っておいてよ」
彼の心には、今も雨が降り続けている。
その雨は止むことを知らない。
「……ごめん。ごめんね、トリスタン」
今度はフランシスカまで暗い顔になってしまった。彼女はすっかり落ち込んでいるようで、肩を落としている。
テラスに再び静寂が戻った。
それから数分時間が経って、フランシスカが再び口を開く。
「トリスタン、あのね」
彼女らしからぬしっとりとした声に、トリスタンは戸惑いの色を浮かべつつ、フランシスカへ視線を向ける。
「フラン分かるよ。好きだったけど、もう叶わない気持ち」
「……分かるわけがない」
「ううん。分かるの。フランも昔、そういう経験したから」
フランシスカは控えめな声で言いながら、ミルクティー色の髪を指で触っている。
「だからこそ、トリスタンに寄り添えるよっ」
優しく語りかけるような調子で声をかけるフランシスカ。そんな彼女に対し、トリスタンは、またしても冷たい態度をとる。
「……君がいても何の意味もない」
だが、少し冷たくあしらわれたくらいでめげるフランシスカではない。
彼女は黙って、そっと、トリスタンの手を握った。
「嫌になるよね、何もかも。分かる。でもね、トリスタン。一つ辛いことがあったからって、全部を諦めていたら何の意味もないんだよっ」
テラスを吹き抜ける風は優しく、それでいて冷たい。
「辛いことはフランに話して? きっと楽になるから。一人で抱え込むのは一番良くないよっ」
「言いたくないよ、君なんかに」
「そっか……そうだよね。今じゃなくてもいいよ」
トリスタンは冷たい態度をとり続けているが、その一方で、手を握るフランシスカの手を払うことはしなかった。口では拒むようなことを言っているが、本当は、嫌がってはいなかったのかもしれない。
「話せるようになった時でいいからねっ」
そう言って微笑むフランシスカの顔は、天使のようだった。
柔らかく、優しげで、穏やかな笑み。向けられたのがトリスタンでなかったならば、きっと、すぐに恋に落ちていたことだろう。
「……言っておくけど、僕は話す気はないから」
トリスタンはやはり冷たい態度をとっている。だがしかし、真夜中のように暗かった彼の顔に、少し光が戻ってきていた。フランシスカが、冷淡に接されても挫けずに、頑張って声をかけ続けたからからだろうか。
「もー、どうしてそんなことばっかり言うの? まったく、素直じゃないなぁ!」
少し強い風が吹き抜ける。
そのせいで心なしか乱れた髪を、フランシスカは手で整えていた。
「騒がしい人は嫌いなんだ」
「何それ! 励ましてあげてるのにっ」
まったく感謝の色が見えないトリスタンに少々苛立ったのか、フランシスカは頬を膨らます。元々丸みを帯びている顔が、ますます丸くなる。例えるなら、風船みたいだ。
「そういう上から目線なところが好きじゃないんだよ」
「う。……ま、まぁ、ちょっと上から言いすぎたかもだけどっ……」
「僕は上から物を言われるのが嫌いなんだ」
「それはごめん……」
上から目線に聞こえる発言について厳しく突っ込まれると、さすがのフランシスカも言い返せなかったらしく、素直に謝った。
「まぁ分かればいいよ」
「ありがとうっ! トリスタン、優しいっ!」
謝罪に対し、許す発言をしたトリスタンに、フランシスカは抱きつく。体と体が密着するほどに、ぎゅっと抱きついている。
「ちょっと! いきなり何をするのかな!」
突然抱き締められたことに驚いたトリスタンは、鋭く言い放った。そして、フランシスカの体を振り払おうと試みる。だが、思いの外強く抱きつかれていたらしく、振り払えなかった。フランシスカの腕の力は、案外、強いのかもしれない。
「優しいトリスタン、好きっ!!」
「いきなり何!? 離してよ!」
「フラン、もう離さないもんっ!!」
状況についていけていないトリスタンは、目を大きく見開いている。
「止めてくれないかな!」
「止めないもん! 絶対離さないからっ!!」
いくら言葉を発しても、抱き締めることを止めてはもらえない。トリスタンは、苦虫を噛み潰したような顔になっている。とにかく不快感に満ちたような表情だ。
だが——彼の心に降る雨は、いつの間にか止んでいた。
家を、人を、大地を、ずぶ濡れにしてしまうほどの大雨が、彼の心の中では降り続けていた。
——トリスタンの心の中でのことだ。
彼は今、中庭を一望できるテラスにいる。三人ほど並んで座れるであろう木製のベンチに、一人で腰を掛け、明るい日差しによって華やいだ中庭を眺めていた。
基地内にある中庭は、中庭と聞いてぱっと思い浮かべるような、美しく素敵な場所ではない。無数に生える雑草は刈り取られこそしているものの、一応ある花壇は古ぼけてほったらかしにされ、一本の花さえ植わっていないのである。
眺めるには、あまりに殺風景な中庭。
だが、彼の青い双眸は、そんな風景をじっと見つめていた。
時折吹き抜ける柔らかな風が、トリスタンの長い金髪とふわりと揺らす。そんな中で、風に揺られて髪が乱れても、彼は直そうとすらしない。ただ、殺風景な中庭を見つめ続けるだけだ。
「はぁ」
何もない場所を眺めながら、トリスタンは小さな溜め息を漏らす。
そんな時だった。
「トリスタン! ここにいたんだねっ」
テラスを包み込む静寂を破ったのは、明るく晴れやかな女声。
フランシスカが姿を現したのだ。
「……どうしてここに」
「トリスタンいなかったから、探してたの。そしたら、ここに着いたんだよっ」
向日葵のように明るい笑みを浮かべるフランシスカを目にしてもなお、トリスタンの表情が晴れることはなかった。ほんの少し面倒臭そうな顔になっただけだ。
「どうしてそんなに暗い顔してるのっ?」
そんなことを言いながら、フランシスカはトリスタンの方へと歩み寄っていく。その足取りに、躊躇いなんてものは微塵も感じられない。
「もしかしてー」
そして彼女は、ついに、トリスタンの隣に座った。
「マレイちゃんのことで悩んでるっ?」
フランシスカは、躊躇なく接近し、トリスタンの暗い顔を覗き込む。
トリスタンはというと、突然近寄ってこられたことに戸惑っているようだった。だが、冷たい言葉を発する気力もないのか、何も言わず黙っている。
「フランでいいなら、お話聞くよっ」
「……要らない」
トリスタンがようやく発した言葉は、それだけだった。
「えー、何それー。さすがに強がりすぎじゃない?」
「君には関係ないことだから」
「関係ないことないよ! フラン、トリスタンが弱ってると心配だもんっ!」
「心配しなくていいよ。関係ないから」
「だーかーらー! フランは関係なくなんてないのっ!」
頬を膨らませ、口調を強めるフランシスカ。
だがトリスタンの表情は変わらない。彼は、眉一つ動かすことをしなかった。
「いい加減、意地張るのは止めてよっ!」
「君に何が分かる!!」
突如トリスタンが叫んだ。
これには、さすがのフランシスカも驚いたらしく、言葉を失ってしまう。
「君には分からない! 僕の気持ちなんて!」
彼は怒っているように見える。だが本当は泣いていたのかもしれない。他人にはそれを見せないけれど、心の中では嗚咽を漏らしていたのかもしれない。
「……もう放っておいてよ」
彼の心には、今も雨が降り続けている。
その雨は止むことを知らない。
「……ごめん。ごめんね、トリスタン」
今度はフランシスカまで暗い顔になってしまった。彼女はすっかり落ち込んでいるようで、肩を落としている。
テラスに再び静寂が戻った。
それから数分時間が経って、フランシスカが再び口を開く。
「トリスタン、あのね」
彼女らしからぬしっとりとした声に、トリスタンは戸惑いの色を浮かべつつ、フランシスカへ視線を向ける。
「フラン分かるよ。好きだったけど、もう叶わない気持ち」
「……分かるわけがない」
「ううん。分かるの。フランも昔、そういう経験したから」
フランシスカは控えめな声で言いながら、ミルクティー色の髪を指で触っている。
「だからこそ、トリスタンに寄り添えるよっ」
優しく語りかけるような調子で声をかけるフランシスカ。そんな彼女に対し、トリスタンは、またしても冷たい態度をとる。
「……君がいても何の意味もない」
だが、少し冷たくあしらわれたくらいでめげるフランシスカではない。
彼女は黙って、そっと、トリスタンの手を握った。
「嫌になるよね、何もかも。分かる。でもね、トリスタン。一つ辛いことがあったからって、全部を諦めていたら何の意味もないんだよっ」
テラスを吹き抜ける風は優しく、それでいて冷たい。
「辛いことはフランに話して? きっと楽になるから。一人で抱え込むのは一番良くないよっ」
「言いたくないよ、君なんかに」
「そっか……そうだよね。今じゃなくてもいいよ」
トリスタンは冷たい態度をとり続けているが、その一方で、手を握るフランシスカの手を払うことはしなかった。口では拒むようなことを言っているが、本当は、嫌がってはいなかったのかもしれない。
「話せるようになった時でいいからねっ」
そう言って微笑むフランシスカの顔は、天使のようだった。
柔らかく、優しげで、穏やかな笑み。向けられたのがトリスタンでなかったならば、きっと、すぐに恋に落ちていたことだろう。
「……言っておくけど、僕は話す気はないから」
トリスタンはやはり冷たい態度をとっている。だがしかし、真夜中のように暗かった彼の顔に、少し光が戻ってきていた。フランシスカが、冷淡に接されても挫けずに、頑張って声をかけ続けたからからだろうか。
「もー、どうしてそんなことばっかり言うの? まったく、素直じゃないなぁ!」
少し強い風が吹き抜ける。
そのせいで心なしか乱れた髪を、フランシスカは手で整えていた。
「騒がしい人は嫌いなんだ」
「何それ! 励ましてあげてるのにっ」
まったく感謝の色が見えないトリスタンに少々苛立ったのか、フランシスカは頬を膨らます。元々丸みを帯びている顔が、ますます丸くなる。例えるなら、風船みたいだ。
「そういう上から目線なところが好きじゃないんだよ」
「う。……ま、まぁ、ちょっと上から言いすぎたかもだけどっ……」
「僕は上から物を言われるのが嫌いなんだ」
「それはごめん……」
上から目線に聞こえる発言について厳しく突っ込まれると、さすがのフランシスカも言い返せなかったらしく、素直に謝った。
「まぁ分かればいいよ」
「ありがとうっ! トリスタン、優しいっ!」
謝罪に対し、許す発言をしたトリスタンに、フランシスカは抱きつく。体と体が密着するほどに、ぎゅっと抱きついている。
「ちょっと! いきなり何をするのかな!」
突然抱き締められたことに驚いたトリスタンは、鋭く言い放った。そして、フランシスカの体を振り払おうと試みる。だが、思いの外強く抱きつかれていたらしく、振り払えなかった。フランシスカの腕の力は、案外、強いのかもしれない。
「優しいトリスタン、好きっ!!」
「いきなり何!? 離してよ!」
「フラン、もう離さないもんっ!!」
状況についていけていないトリスタンは、目を大きく見開いている。
「止めてくれないかな!」
「止めないもん! 絶対離さないからっ!!」
いくら言葉を発しても、抱き締めることを止めてはもらえない。トリスタンは、苦虫を噛み潰したような顔になっている。とにかく不快感に満ちたような表情だ。
だが——彼の心に降る雨は、いつの間にか止んでいた。
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