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episode.143 私の理想の世界
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ゼーレお手製のカレーを堪能した後、食事会は終わり、解散になった。実にあっさりした、不思議な会だったが、結構楽しかったことは事実だ。美味しいカレーを食べることができて、満足である。
……ちなみに、念のため言っておくが、食い意地が張っているわけではない。
美味しいものを食べると嬉しいのは、人間の本能。老若男女問わず、本能には抗えないものだ。
だから、カレーに夢中になるのは、人間として当然のことである。
食後、私がまだ席でぼんやりしていると、グレイブが話しかけてくる。
「ゼーレと行く件、トリスタンに伝えない方が良かっただろうか」
伝えたのは、貴女だったのね!
そう叫びたい衝動をこらえつつ、私は返す。
「いえ、べつに大丈夫です」
まさかトリスタンが知っているとは思わなかったので、話を振られた時に驚いたのは事実だ。しかし、私自ら言い出すなんてことは、絶対にできなかっただろう。それを考えると、グレイブが伝えてくれていて良かったのかもしれない、と今は思う。
ただ、伝えたなら「伝えた」と言っておいてほしかったことは確かだが。
「急に驚いただろう? すまなかったな」
「いえ。いずれは話さなくてはならないことでしたから」
「そうか」
グレイブはいつも忙しく動き回っているのに、今は、食堂の片隅で寛いでいる。彼女が寛いでいるところを見るのは、とても珍しい。
今、私とグレイブは、向かい合わせの席に座っている。
それゆえ、顔と顔の距離が非常に近い。こんな近くで人の顔を見るなんて滅多にない、というくらいの至近距離だ。
ただ、彼女の顔立ちは、至近距離で見てもかなり整っている。
しゅっと高い鼻も、凛々しさのある目も、紅の塗られた唇も。そのすべてが、素直に「美しい」と言えるくらい整った形だ。もはやいちゃもんのつけようがない容貌である。
「本当は先にマレイに言っておかねばならなかったのだが、すまなかった」
「いえ。本当に、謝らないで下さい」
そんな美貌の持ち主に謝罪されると、何とも言えない不思議な気分になってしまう。それこそ、謝らせて申し訳ない、といった気分になるのだ。
「気にしていませんから。むしろ、ありがとうございます」
私がそんなことを言っていると、突如、大きな声が聞こえてくる。
「グレイブさぁぁぁーんっ!」
声に続き、ドカバタドカバタという足音。
信じられないくらいの騒々しさに、シンがやって来たのだとすぐに気づいた。
全力疾走してきていた彼は、グレイブの目の前で、急に止まる。
「少しよろしいでしょうかぁぁぁ!?」
「どうした、シン」
シンとグレイブの、声の温度差が、妙に笑えた。
さほど面白いことではないはずなのだが、今はなぜか笑えて仕方ない。
「あのぉぉ……書類のぉぉ中にぃぃぃ間違いがぁ……ありましてぇぇぇーっ!」
最初は小さく。後半「ありまして」の部分だけを急激に強める。
シンの言葉の発し方は、日頃滅多に聞かないような流れなので、ある意味新鮮な気持ちになれる。しばらく続くと、くどくて嫌になってきそうだが、少しだけなら悪くはない。
「修正を手伝ってぇぇぇ下さいませんかぁぁぁーっ!?」
やはりまた、「下さいませんか」の部分だけを急激に強めている。
先ほどと同じパターンだ。
「そうか。分かった、すぐに行こう」
「ありがとうぅぅぅ……ございぃぃますぅぅぅー……」
グレイブは立ち上がると、こちらへ視線を向けてくる。
「ではマレイ、少し失礼する。また後ほどな」
「あ、お疲れ様です」
「ゼーレの片付けもそろそろ終わるだろう。二人の時間を楽しむといい」
え。
グレイブがそんなことを言ってくるのは、何だかおかしな感じ。
「ではな」
「ありがとうございます。さようなら」
こうして、私はグレイブと別れた。
それにより、遂に一人になってしまった。人の少ない食堂で一人というのは、どうしても、寂しさを感じてしまう。戦いが続いていたころは食堂ももっと賑わっていた。それだけに、寂しさがあるのだ。
騒がしいくらいだったあの頃を思い出すと、わけもなくしんみりしてしまう。
だが、帝国が平和になったのだから、今の方がずっと良い。
もう化け物は現れない。もう戦い続けなくていい。もう誰も傷ついたり命を落としたりしない。
私が望み続けてきた世界が、今ここにある——それは、何より嬉しいことだ。
たとえ、少し寂しくなったとしても、これでいい。これがいい。
これこそが、私の理想の世界なのだから。
「カトレア」
寂しくなった食堂に一人残っていると、後片づけを終えたらしいゼーレが、声をかけてきた。私をカトレアと呼ぶのは彼しかいない。それゆえ、一言だけで、声の主が彼であると分かった。
顔を上げると、ゼーレの姿が視界に入る。
彼はまだ、帽子とマスクを着用している。もちろん、ひよこ柄のエプロンも。
「ゼーレ。片付け、終わったの?」
「えぇ。それにしても……浮かない顔をしていますねぇ」
「……そう?」
自分ではよく分からない。自分の顔面は、鏡でもないかぎり見えないから。
「えぇ。あまり楽しくなさそうな顔です」
「……ごめんなさい」
「カレー、実はあまり美味しくありませんでしたか?」
それには首を左右に動かす。
ゼーレのカレーは美味しかった。最高、と言っても過言ではないレベルの料理だったと思う。
「いえ、断じてそれはないわ」
「……本当のことを言って構わないのですよ?」
「本当に美味しかったわよ。これまで食べた食事の中で一位二位を争うくらいの美味しさだったわ」
良く言いすぎだろう、と思われるかもしれない。だが、食べてみれば誰だって、私の言葉の意味が分かるはずだ。きっと「同感」と言いたくなるに違いない。
「それなら……安心しました」
ゼーレは小さく安堵の溜め息を漏らす。
「……気を遣っているのでは、と思いましたよ」
「まさか。そんな気の遣い方はしないわ」
「……ま、そうでしょうねぇ。貴女は嘘をつけるような器用な人間ではない」
凄く不器用な人みたいに言わないでほしいわ。ちょっと心外よ。
「もっとも……」
ゼーレは呟くように言い、数秒間を空けてから続ける。
「そういうところが魅力でもあるわけですが」
素直でないゼーレの口から飛び出した、とびきり素直な言葉。
それは、私の胸に突き刺さった。
まるで矢が的を射抜いたかのように。
……ちなみに、念のため言っておくが、食い意地が張っているわけではない。
美味しいものを食べると嬉しいのは、人間の本能。老若男女問わず、本能には抗えないものだ。
だから、カレーに夢中になるのは、人間として当然のことである。
食後、私がまだ席でぼんやりしていると、グレイブが話しかけてくる。
「ゼーレと行く件、トリスタンに伝えない方が良かっただろうか」
伝えたのは、貴女だったのね!
そう叫びたい衝動をこらえつつ、私は返す。
「いえ、べつに大丈夫です」
まさかトリスタンが知っているとは思わなかったので、話を振られた時に驚いたのは事実だ。しかし、私自ら言い出すなんてことは、絶対にできなかっただろう。それを考えると、グレイブが伝えてくれていて良かったのかもしれない、と今は思う。
ただ、伝えたなら「伝えた」と言っておいてほしかったことは確かだが。
「急に驚いただろう? すまなかったな」
「いえ。いずれは話さなくてはならないことでしたから」
「そうか」
グレイブはいつも忙しく動き回っているのに、今は、食堂の片隅で寛いでいる。彼女が寛いでいるところを見るのは、とても珍しい。
今、私とグレイブは、向かい合わせの席に座っている。
それゆえ、顔と顔の距離が非常に近い。こんな近くで人の顔を見るなんて滅多にない、というくらいの至近距離だ。
ただ、彼女の顔立ちは、至近距離で見てもかなり整っている。
しゅっと高い鼻も、凛々しさのある目も、紅の塗られた唇も。そのすべてが、素直に「美しい」と言えるくらい整った形だ。もはやいちゃもんのつけようがない容貌である。
「本当は先にマレイに言っておかねばならなかったのだが、すまなかった」
「いえ。本当に、謝らないで下さい」
そんな美貌の持ち主に謝罪されると、何とも言えない不思議な気分になってしまう。それこそ、謝らせて申し訳ない、といった気分になるのだ。
「気にしていませんから。むしろ、ありがとうございます」
私がそんなことを言っていると、突如、大きな声が聞こえてくる。
「グレイブさぁぁぁーんっ!」
声に続き、ドカバタドカバタという足音。
信じられないくらいの騒々しさに、シンがやって来たのだとすぐに気づいた。
全力疾走してきていた彼は、グレイブの目の前で、急に止まる。
「少しよろしいでしょうかぁぁぁ!?」
「どうした、シン」
シンとグレイブの、声の温度差が、妙に笑えた。
さほど面白いことではないはずなのだが、今はなぜか笑えて仕方ない。
「あのぉぉ……書類のぉぉ中にぃぃぃ間違いがぁ……ありましてぇぇぇーっ!」
最初は小さく。後半「ありまして」の部分だけを急激に強める。
シンの言葉の発し方は、日頃滅多に聞かないような流れなので、ある意味新鮮な気持ちになれる。しばらく続くと、くどくて嫌になってきそうだが、少しだけなら悪くはない。
「修正を手伝ってぇぇぇ下さいませんかぁぁぁーっ!?」
やはりまた、「下さいませんか」の部分だけを急激に強めている。
先ほどと同じパターンだ。
「そうか。分かった、すぐに行こう」
「ありがとうぅぅぅ……ございぃぃますぅぅぅー……」
グレイブは立ち上がると、こちらへ視線を向けてくる。
「ではマレイ、少し失礼する。また後ほどな」
「あ、お疲れ様です」
「ゼーレの片付けもそろそろ終わるだろう。二人の時間を楽しむといい」
え。
グレイブがそんなことを言ってくるのは、何だかおかしな感じ。
「ではな」
「ありがとうございます。さようなら」
こうして、私はグレイブと別れた。
それにより、遂に一人になってしまった。人の少ない食堂で一人というのは、どうしても、寂しさを感じてしまう。戦いが続いていたころは食堂ももっと賑わっていた。それだけに、寂しさがあるのだ。
騒がしいくらいだったあの頃を思い出すと、わけもなくしんみりしてしまう。
だが、帝国が平和になったのだから、今の方がずっと良い。
もう化け物は現れない。もう戦い続けなくていい。もう誰も傷ついたり命を落としたりしない。
私が望み続けてきた世界が、今ここにある——それは、何より嬉しいことだ。
たとえ、少し寂しくなったとしても、これでいい。これがいい。
これこそが、私の理想の世界なのだから。
「カトレア」
寂しくなった食堂に一人残っていると、後片づけを終えたらしいゼーレが、声をかけてきた。私をカトレアと呼ぶのは彼しかいない。それゆえ、一言だけで、声の主が彼であると分かった。
顔を上げると、ゼーレの姿が視界に入る。
彼はまだ、帽子とマスクを着用している。もちろん、ひよこ柄のエプロンも。
「ゼーレ。片付け、終わったの?」
「えぇ。それにしても……浮かない顔をしていますねぇ」
「……そう?」
自分ではよく分からない。自分の顔面は、鏡でもないかぎり見えないから。
「えぇ。あまり楽しくなさそうな顔です」
「……ごめんなさい」
「カレー、実はあまり美味しくありませんでしたか?」
それには首を左右に動かす。
ゼーレのカレーは美味しかった。最高、と言っても過言ではないレベルの料理だったと思う。
「いえ、断じてそれはないわ」
「……本当のことを言って構わないのですよ?」
「本当に美味しかったわよ。これまで食べた食事の中で一位二位を争うくらいの美味しさだったわ」
良く言いすぎだろう、と思われるかもしれない。だが、食べてみれば誰だって、私の言葉の意味が分かるはずだ。きっと「同感」と言いたくなるに違いない。
「それなら……安心しました」
ゼーレは小さく安堵の溜め息を漏らす。
「……気を遣っているのでは、と思いましたよ」
「まさか。そんな気の遣い方はしないわ」
「……ま、そうでしょうねぇ。貴女は嘘をつけるような器用な人間ではない」
凄く不器用な人みたいに言わないでほしいわ。ちょっと心外よ。
「もっとも……」
ゼーレは呟くように言い、数秒間を空けてから続ける。
「そういうところが魅力でもあるわけですが」
素直でないゼーレの口から飛び出した、とびきり素直な言葉。
それは、私の胸に突き刺さった。
まるで矢が的を射抜いたかのように。
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