暁のカトレア

四季

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episode.127 もしも違ったら、なんて考えて

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 私は赤い光線を放った。
 一筋の光線は宙を駆ける。真っ直ぐ、ボスに向かって。

 それはまるで涙のよう。

 化け物により犠牲になった者。故郷や身近な人を失った者。彼らが流した血が涙に混ざり、頬を伝っていく——その光景を見ているかのように感じられた。

 だが、そんなことを考えたのも束の間。
 光線がボスの右上腕部へ突き刺さり、爆発が起きた。凄まじい爆風が辺りの空気を激しく揺らす。

「……凄っ」

 思わずそんな風に呟いてしまった。
 激しい風に見舞われ、赤いドレスの裾がこれでもかというほど揺れる。襟のビーズはいくつか弾け飛んだ。

 しばらくして爆風が止む。

 ようやく静かになって、私は細めていた目を開く。そうして視界に入ったのは、灰色の甲冑をほぼ失ったボスだった。
 どうやら、今の一撃でボスの甲冑を大破させることができたようである。

「トリスタン、これでいいの」

 確認のため尋ねると、トリスタンは頷く。そして、親指と人差し指で丸を作って見せてくれた。多分「これでいい」という意味なのだろう。

「お主ら……調子に乗るなよ」

 数秒して、ボスは低い声で言ってきた。
 地底から聞こえてくる声はこんな感じだろうな、と思うような声だ。

「マレイ・チャーム・カトレア……お主がここまでやる小娘だとは思わなかったぞ」
「私一人の力じゃないわ」
「ふん。随分余裕ありげな言い方だな」
「余裕なんてないわよ」

 いつ何を仕掛けてくるか分からないボスと戦っているのだ、余裕なんてあるわけがない。

「……でも、一人じゃないから。信頼できる人がいてくれるから。前を向いて戦える」

 こんな演劇みたいなことを言うなんて、正直、私らしくないと思う。私は他人に偉そうな物言いをできるほど立派な人間ではない。

 すると、ボスは突然笑い出した。はっはっはっ、と、腹の底から溢れてくるような笑いだ。

「そうかそうか。それは立派なことだな」

 ……馬鹿にされている気しかしない。

「一人じゃない。信頼できる人がいる。確かに聞こえはいい。だが、所詮は綺麗事よ! そんなものは理想論に過ぎぬ!」

 ボスは急に調子を強めた。脅すような強め方だ。

 だが、もう怖くはない。
 今の私が目の前の巨体に対し恐怖心を抱くことはなかった。

 むしろ、可哀想とすら思ってしまう。すべてを理想論と吐き捨て、誰の手も取ろうとしないなんて、憐れとしか思えない。

 彼にだって機会はあったはずなのだ。誰かの手を取り、幸福に満ちた人生を歩む機会は。
 すぐ傍に手を差し出している人がいたのだから、もしその手を取っていれば、彼も少しは変わっていたかもしれない。そんな風に考える時、私はほんの少しだけ、切なさに襲われる。

 ——あったかもしれなかった可能性に、思いを馳せてしまうから。

 もし彼が、襲撃を途中で止めていたならば。
 もし彼が、どこかで人の心を手に入れていたならば。

 こんな結末を迎えることはなかっただろう。私たちがボスを倒すなんて、しなくて良かったに違いない。

「マレイ・チャーム・カトレア。お主が信じているものも、所詮すべては幻想よ」
「いいえ……幻想などではないわ」
「今から我が証明してやろう! お主の信じているものを壊すことでな!」

 信じているもの。
 その言葉を聞き、私は咄嗟に叫ぶ。

「トリスタン!」

 ボスは先にトリスタンを潰すつもりだと気づいたのだ。

「……マレイちゃん?」
「逃げて!」

 ボスが全身の筋肉に力をこめるのが分かった。ボスは本気でトリスタンを潰しにかかる気なのだろう。

「早く!!」

 直後、ボスは両の手のひらをトリスタンへかざした。
 そして、力む。

「ふぅん!」

 ボスの手のひらから、波動のようなものが放たれる。
 トリスタンは咄嗟に白銀の剣を体の前へ出す。それにより、波動のようなものを辛くも防いだ。ずずず、と数メートルほど後ろへ下がらされてしまっていたものの、体がダメージを受けることはなかったようである。

 私は安堵した。

 ……けれど、それは間違いだった。

「終わらせてやろう」

 ボスはその巨体を低く屈め、握り拳で、トリスタンの腹部を突き上げる。対応しきれず打撃をもろに受けたトリスタンはふらつく。
 そこへ、もう一方の拳が迫る。

「ふぅん!」

 凄まじい鼻息と共に放たれたボスの二発目のパンチは、トリスタンの脇腹に命中。トリスタンの体は紙切れのように飛んでいってしまった。

「トリスタンッ!」

 成人男性をこうも容易く殴り飛ばすとは、想像するだけでも恐ろしい。もしあれを私が食らえば、再起不能になることは間違いないだろう。それだけは絶対に避けなくては。

「なんてことをするの!」

 私は思わず言い放った。

 ボスからしてみれば、トリスタンは敵。だから、ボスがトリスタンに攻撃するのは、当然ともいえるのだ。
 だがしかし、「何もここまでしなくても……」と思ってしまう部分はある。

「酷いわ!!」

 感情的になっても、良いことは何もない。それは分かっている。でも、それでも、沸き上がる感情を抑えることはできなかった。
 私は、大切な仲間が目の前で傷つけられて黙っていられるほど、大人ではなかったのだろう。

 だがボスはというと、私の言葉に対しては何も答えなかった。彼は倒れ込んだトリスタンへ近づくと、その背中を片足で踏む。

「止めて!」
「いいや、止めん」

 トリスタンの身を、ボスは、まるで道端のごみのように扱う。その行為はさすがに許せず、私は右腕をボスへと向けた。

「なら死んでもらうしかないわ!」

 こんなことを言うなんて、らしくないとは思う。でも、トリスタンを助けるには、私がボスを倒す外ない。

 言葉は時に夢を現実へと変化させる——。

 今は、そんな僅かな可能性にもすがりたいような気分だったのだ。

「ふん……小娘の分際で偉そうなことを。お主ごときに我が倒せるものか」

 誰だってそう思うだろう。
 巨体のボスと、ただの女の私。二人がぶつかり、そのどちらが勝つかと問われれば、多くの者がボスを選ぶに違いない。

 けれど、奇跡が起きることだってあるはずだ。
 だから私は諦めない。最後まで、諦めたくない。

「そう思われるのは当然だわ。でも……倒してみせる!」

 告げた瞬間、腕時計が再び赤く輝いた。
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