暁のカトレア

四季

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episode.122 誰もが笑っていられるような

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 目を覚ますと、懐かしい香り。
 そして、暖かな日差しを肌に感じた。

 私は記憶を辿る。

 そう、私は——飛行艇の中庭でボスと戦っていたはずだ。

 周囲を見回してみる。しかし、ボスもトリスタンたちも見当たらない。若草色の地面も、噴水も、視界には入らない。今私がいるのは、飛行艇の中庭ではなさそうである。

 そうだ、と思い立ち、自分の体を見下ろす。
 すると、赤いドレスを身にまとっていることが分かった。襟には華やかな刺繍と、飴玉のように輝くビーズ。やはりこれは、ボスに着せられた赤いドレスだ。

 服装は明らかに先ほどまでの続き。なのに場所は飛行艇の中庭ではない。

 私は夢でもみているのだろうか……。

 それから私は、再び、辺りを見回してみた。

 地面は舗装されていない。ほぼ土のままで、ところどころに小石が転がっている。周囲には様々な形の木々が生い茂っており、どこか懐かしさを感じさせる風景だ。暖かな太陽光が差し込む空は、青く、澄みきっている。

「綺麗な……ところ」

 私は半ば無意識で呟いていた。

 それと同時に、目から涙がはらりと落ちる。
 悲しいことがあったわけではない。にもかかわらず、自然と涙がこぼれたのは、視界に入る景色があまりに美しかったからだろう。

 ちょうど、そんな時だった。

「マレイ」

 どこからともなく聞こえてきた声に、私は驚き周囲を見回す。驚いたのは、その声が、聞き覚えのある声だったからである。

「……母さん?」

 涙を拭いて、キョロキョロと目を動かしてみた。だが、母の姿は見当たらない。
 ただ、再び声が聞こえた。

「マレイ。ここよ」
「……母さん? どこなの?」
「ここよ」

 その瞬間、手の甲に何かが優しく触れるのが分かった。温かな感触に、また涙がこぼれそうになる。

「後ろ。マレイの後ろにいるの」

 母の声が耳元で聞こえ、私は恐る恐る背後へ視線を向ける。するとそこには、あの夜と何も変わらない母の姿があった。

「母さん……なの?」
「大きくなったわね、マレイ」

 すべてが炎の餌食となったあの日。すべてが失われたあの夜。私の目の前で塵と化したはずの母が、今、目の前にいる。その事実を、私は、すぐには理解できなかった。

「そして、強くなったのね。昔は泣いてばかりだったのに」

 母はそう言って、私の瞳を見つめながら笑う。

「石ころにつまづいて、転んで、いつも泣いていたのが懐かしいわ」

 昔の私を知る者は、今やこの世にはいない。それだけに、母が昔の話をしてくれることは嬉しかった。もちろん、過去を思い出してしまうわけだから、切なくもあるけれど。

「母さん。私は……死んだの? だから、母さんのところへ来ることができたの?」

 それまでは少しも思わなかったけれど、母と言葉を交わした瞬間、急にそんなことを思ったのだ。私が死んだから、母のもとへ来れたのではないか、と。

 だが、母は首を縦には振らなかった。

「それは違うわ。マレイは死んでなんていない」
「じゃあ、私はどうして……こんなところにいるの? 死んでいないのに母さんに会えるなんて……変よ」

 母は死んだ。

 死人が生き返ることはない。
 それは、決して揺らぐことのない事実だ。

「それはね、マレイ。貴女がそれを望んでくれたからよ」
「私が……望んだから?」
「そうよ。貴女が望んでくれたから、今こうして、話すことができているの」

 そう言って、母は私をそっと抱き締めてくれる。体全体に、言葉にならないほど心地よい、温かな感触が広がった。

「待って。そんな非現実的なこと……理解が追いつかないわ。望んだら死人に会える、なんて聞いたことがないもの」

 すると母は、ゆったりと頷きながら言葉を発する。

「そうね。でも、世の中には非現実的なことだってあるのよ」

 ……そういうものなのだろうか。

 確かに世の中には、人間には到底理解できないような不可思議ことがたくさんある。私だって、それを知らないわけではない。

 だが、死んだはずの人とこうして話すというのは、どうも慣れない。

「こんなことを面と向かって言うのは少し恥ずかしいけれど……可愛い娘にまた会えて、幸せよ」
「……私も会いたかった」

 母の優しい言葉に、私は本心を返した。

 これまでずっと、忘れよう忘れようとしてきたけれど。でも、完全に忘れることはできなくて。心のどこかでは、母にもう一度会いたいと思っていた。その願いがこんな形で叶うとは夢にも思わなかったけれど——嬉しいことに変わりはない。

「母さんに会えて、嬉しい。ずっと寂しかった。いつかまた、どこかで会えたらって、本当はそう思っていたの」

 幼い日に感じた温もりを、こうしてまた感じられている。懐かしい香りに包まれながら、大切な人と言葉を交わせる。

 凄く幸せなことだ。
 この時間が永遠になればいいのに、と思った。


 ——でも。


 ふと、私の脳に、そんな言葉が浮かんだ。

 それと同時に、幸福に溺れていた私の脳は、現実へと引き戻される。

 そうだ、私は帰らなくてはならない。トリスタンやグレイブのいる、あの中庭へと。そして、すべての元凶であるボスを倒さねばならないのだ。

 だから私は、その身を母の胸から離した。

「ありがとう、母さん。また会えて、本当に嬉しかったわ」
「……マレイ?」
「でも私、いつまでもこうしてはいられない」

 やっと再会できたのにまた別れなくてはならないなんて、寂しいし、悲しいし、切ない。
 けれど、私は行かなくてはならないのだ。

「みんなのいるところへ、帰らなくちゃ」
「マレイ……ずっとここにいてもいいのよ? そうすれば、戦うことも傷つくこともなく、幸せに暮らせるわ」
「ううん。母さん、私は、みんなのところへ帰るわ。早く帰って、ボスを倒さなくちゃならないの」

 すると母は、切なげな眼差しでこちらを見つめながら、静かに微笑んだ。

「そう……いい仲間に出会えたのね」

 母の言葉に対し、私は強く大きく頷く。

「そうなの! みんないい人ばかり! 全部終わったら、母さんにも紹介したいわ」
「……良かった」
「え?」
「良かったわ。貴女が暗闇を歩き続けずに済んで」

 母が笑ってくれると、私も嬉しい気持ちになる。

「ありがとう、母さん」

 そう、笑っている方がいい。
 みんなが笑顔で過ごせる世界の方が、ずっと素晴らしい。

「またね」

 だからこそ、私は戦う。
 誰もが笑っていられるような、平和な世界を作るために。
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