暁のカトレア

四季

文字の大きさ
上 下
111 / 147

episode.110 ついていきたい、ついていかせて、ついていく

しおりを挟む
 マレイが連れていかれたのと同じ頃。化け物を片付け終えたばかりのグレイブのもとへ、様々な用事で走り回っていたシンがやって来る。

「グレイブさぁぁーん!!」
「シンか。どうした」

 長槍を構えていたグレイブは、漆黒のロングヘアをふわりとなびかせて、シンの方へと目を向ける。

「ついにーっ! マレイさんがぁぁぁーっ!」
「そうか」

 淡々とした調子で返し、片手でシンの口を塞ぐグレイブ。

「上出来だな」
「で……ですねぇぇぇ……」

 シンの四方八方に跳ねた柿渋色の髪は、汗によって、額や頬にぺったり張り付いている。いかにも汗臭そうな見た目だ。しかし、グレイブが不快な顔をしていないことを思えば、汗臭さはさほどないのだろう。

「よし。順調だな」
「けどぉぉ……マレイさんについていた隊員のお二人がぁぁぁー……」
「何?」

 シンの発言に眉をひそめるグレイブ。
 彼女が発した言葉に対し、シンは言いにくそうな顔で答える。

「男性隊員がぁ……やられてしまったみたいでぇぇ……」

 シンが言った瞬間、グレイブの美しい顔が強張る。

「何だと!?」

 紅の唇から飛び出したのは、はっきりとした声だった。そこには、彼女の驚きやら何やらが詰まっている。シンから男性隊員がやられた報告を受け、彼女がどれほど動揺しているのか。それがはっきりと分かるような声色だった。

「もう一人はどうなったんだ」
「女性隊員の方ですかぁぁぁー?」
「あぁ。そうだ」
「彼女は、毒を受けたようでしたよぉぉぉ……一応、既に救護班によってぇぇー処置が施されてぇぇーいると思いますぅぅぅ」

 グレイブは静かに、そうか、とだけ返した。

 それから数秒空けて、シンに向かって述べる。

「では私は、トリスタンたちの方へ向かう。シン、お前はここを頼む」
「…………」

 しかしシンは返事をしない。俯き、黙り込んでしまっていた。

 いつもは迷惑なくらい騒がしいシン。大きな声が凄まじいシン。そんな彼が、今、黙り込んでしまっている。何一つとして言葉を発さない。

 その様には、グレイブもさすがに違和感を感じたようで、彼女は首を傾げつつ尋ねる。

「どうかしたのか?」

 シンは答えなかった。
 俯き黙るという、先ほどの様子のまま、制止している。まるで、彼だけの時間が止まってしまったかのような、そんな雰囲気だ。

 そんな彼の様子に、グレイブはますます怪訝な顔になる。

「何を黙っている。言いたいことがあるのなら、さっさと言え」

 それでもシンは黙っていた。

 ただ、唇が震えている。何か言いたいことがある、と主張したそうに。

 けれど、グレイブがそんな小さなことに気づくはずもない。当然だ、俯いている者の唇にまで注目するような人間なんて、滅多にいないのだから。

「おい、シン。もういいのか?」
「…………」
「そうか。言いたいことがあるわけではなかったのだな。では私は」

 言いながら、グレイブがシンに背を向けた——その瞬間。

 それまで何一つ動きを見せなかったシンが、突如、グレイブの上衣の裾を掴んだ。声は発さず、片手でそっと。
 そのことに驚いたらしいグレイブは、顔面に戸惑いの色を浮かべながら、体を再びシンの方へ向ける。

「何だ」

 グレイブが低い声を発した。
 それに対し、シンはようやく面を持ち上げた。

「……グレイブさん」

 瞳は潤み、目の周囲はほんのりと赤みを帯びている。鼻からは心なしか鼻水が垂れており、鼻から口までの間を濡らしていた。また、口角は下がり、お世辞にも明るいとは言い難い顔つきだ。

 そんなシンの顔の状態に、グレイブは、暫し困惑した表情のままだった。

 ——直後。

「嫌ですよぉぉぉーっ!!」

 それまでずっと黙っていたシンが、急に、大声をあげた。

 獣の咆哮にも負けぬほど凄まじい叫び声が、辺りの空気を派手に揺らす。

 突如放たれた、人の叫びとは信じられぬような叫びには、グレイブも驚きを隠せていない。目を見開き、言葉を失ってしまっている。彼女は、シンの奇妙な言動には慣れている。が、予告もなしにここまで巨大な声を出されては、さすがに、すぐに言葉を返すことはできないようだ。

「グレイブさん! ボクを残して戦いになんてぇぇぇー! 行かないで下さいぃぃぃーっ!!」

 シンは叫びながら、グレイブの両肩を手で掴み、彼女を激しく前後に振る。

「ま、待て! 止めろ!」

 あまりに激しく動かされるものだから、グレイブは、肩を掴むシンの手を鋭く払った。

「いきなりそんなことをするな! 首を痛めたらどうしてくれる!」
「あ……うぅ……」

 グレイブが言い放った厳しい言葉に、シンは身を縮めた。彼女に叱られると畏縮してしまうのは、いまだに変わらないようである。

「言いたいことがあるのなら、暴れずに言え! 普通に言ってくれ!」

 するとシンは、ついに、泣き出してしまった。

「ず……ずびばぜん……ぼぶばだだ……」

 涙ながらに話すシンだが、何を言っているのかまったく聞き取れない状態だ。

「ぐれびぶざんでぃ……ぶりじでぼじぐなぐで……」
「おい、まったく聞き取れん」
「ぼんどうでぃ……だだぞれだげでぇぇぇー……」

 まったく意味が理解できない状態に呆れたグレイブは、その白色の上衣についたポケットからハンカチを取り出す。そして、シンの顔へガッと押し当てる。

「貸してやるから、まずは拭け。いいな。それから話すんだ。でなくては、何を言っているのかまったく分からん」
「ば……ばびぃぃ……ありばどう……ござびばず……」

 それからシンは、グレイブに命ぜられた通りに、ハンカチで顔を拭いた。涙やら鼻水やらで濡れた凄まじい状態の顔を、彼女に借りたハンカチで、丁寧に拭っていく。

 やがて、ようやく落ち着いてくると、彼は言った。

「ボクもグレイブさんとぉぉぉ……一緒にぃぃ……戦いたいですよぉぉぉー……」

 彼はただ、そう言いたかっただけのようだ。それだけのためにこんなに時間をかけるとは、さすがはシン、としか言い様がない。

「戦場へ同行したい、ということか」
「はいぃぃぃー……」
「なるほど。だが、今回は特に、お前には向いていない任務だと思うが」

 シンはそこで口調を強める。

「でもぉぉぉー! 一緒にぃぃぃーっ! 行きたいんですよぉぉぉーっ!」

 まるで、おもちゃ屋へ行きたいとごねる子どものようだ。
 グレイブはすっかり呆れ顔。ただただ呆れる外ない、といった表情をしてつつ述べる。

「分かった分かった。いいだろう、そんなに行きたいなら、連れていってやる」
「え。……い、いいんですかぁぁぁーっ!?」
「時間がないからだからな、勘違いするなよ」
「やっ……やったぁぁぁーっ! ああぁぁぁぁーっ!!」
「叫ぶな、耳が痛い」

 そんなこんなで、グレイブについていく許可を何とか得た、シンであった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私が死ねば楽になれるのでしょう?~愛妻家の後悔~

希猫 ゆうみ
恋愛
伯爵令嬢オリヴィアは伯爵令息ダーフィトと婚約中。 しかし結婚準備中オリヴィアは熱病に罹り冷酷にも婚約破棄されてしまう。 それを知った幼馴染の伯爵令息リカードがオリヴィアへの愛を伝えるが…  【 ⚠ 】 ・前半は夫婦の闘病記です。合わない方は自衛のほどお願いいたします。 ・架空の猛毒です。作中の症状は抗生物質の発明以前に猛威を奮った複数の症例を参考にしています。尚、R15はこの為です。

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

貴方といると、お茶が不味い

わらびもち
恋愛
貴方の婚約者は私。 なのに貴方は私との逢瀬に別の女性を同伴する。 王太子殿下の婚約者である令嬢を―――。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

父が死んだのでようやく邪魔な女とその息子を処分できる

兎屋亀吉
恋愛
伯爵家の当主だった父が亡くなりました。これでようやく、父の愛妾として我が物顔で屋敷内をうろつくばい菌のような女とその息子を処分することができます。父が死ねば息子が当主になれるとでも思ったのかもしれませんが、父がいなくなった今となっては思う通りになることなど何一つありませんよ。今まで父の威を借りてさんざんいびってくれた仕返しといきましょうか。根に持つタイプの陰険女主人公。

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

【完結】王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは要らないですか?

曽根原ツタ
恋愛
「クラウス様、あなたのことがお嫌いなんですって」 エルヴィアナと婚約者クラウスの仲はうまくいっていない。 最近、王女が一緒にいるのをよく見かけるようになったと思えば、とあるパーティーで王女から婚約者の本音を告げ口され、別れを決意する。更に、彼女とクラウスは想い合っているとか。 (王女様がお好きなら、邪魔者のわたしは身を引くとしましょう。クラウス様) しかし。破局寸前で想定外の事件が起き、エルヴィアナのことが嫌いなはずの彼の態度が豹変して……? 小説家になろう様でも更新中

処理中です...