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episode.101 わだかまりを消すには
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すぐ近くではトリスタンらが化け物と戦っている。それゆえ、辺りを包む空気は、針が肌を刺すようなぴりぴりとしたものだ。そんな中、今私はゼーレに問いを放っている。私にとっては重要な問いを。
「本当の気持ち……ですか」
「えぇ」
「難しいことを聞きますねぇ……」
私の問いに対してゼーレは、すぐには答えられない、というような顔をしている。本当の気持ち、なんて、こんなに気軽に尋ねていいものではなかったのかもしれない。
だがこれは、この胸に存在するわだかまりを消すために必要な問いなのだ。
ゼーレの本心を、彼自身の口から聞く。それが、今の私に一番必要なことだ。それさえ済めば、もしその答えが悪いものであったとしても、少しはすっきりするはずである。
「いきなりこんなことを聞くなんて悪いとは思っているわ。でも、知りたいの」
私は正直に言った。
ゼーレは少しの間黙っていたが、しばらくしてから、ようやく口を開く。
「こんな質なので……上手くは言えませんが」
翡翠のような瞳が、私の顔をじっと見つめてくる。
彼の愁いを帯びた双眸から放たれる視線は、私の胸をぎゅっと締めつけた。もちろん理由は分からない。ただ、何とも言えない切なさが、泉のように湧いてくる。
「私は、この道を選んだことを後悔してはいません」
ゼーレの声ははっきりとしたものだった。
そこからは、ほんの僅かな後悔さえ感じられない。まるで、真っ直ぐ伸びる一本道のようだ。
「本当……に?」
「当然です」
「でも、私が余計なことをしなければ、貴方がこんな目に遭うことはなかったわ。私が貴方を巻き込んでしまったのよ」
すると、彼はきっぱり言い放つ。
「カトレアは関係ありません。この道を選んだのは私です」
淡々とした調子で放たれる言葉。そこには、得体の知れない、凛とした強さがあった。その強さとは、恐らく、幸福とはとても言えない人生を歩んできたからこそ生まれたものなのだろう。
「ですから、貴女が悔やむ必要などありはしないのです」
そう言って、ゼーレはほんの少し微笑んだ。
微笑むことに慣れていないからか、やや強張った感じの笑みになってしまっている。口角も、目じりも、ぎこちない。
だが、彼が笑おうと頑張っていることはひしひしと伝わってくる。
「……何を黙っているのですか、カトレア。私は間違っていましたかねぇ」
「あっ……、いいえ。間違っているとは思わないわ」
「でしょうね。私は間違ってなどいませんから」
間違っていないと分かっているのなら、間違っていたか、なんて聞く必要はなかっただろうに。
何とも言えない微妙な気分になる発言だと思った。
「もう分かりましたかねぇ」
「どういうこと?」
念のため尋ねてみると、彼は呆れたように溜め息を漏らす。
「はぁ……やはり物分かりが悪いですねぇ」
つまり、と彼は続ける。
「私のことで貴女が悩む必要など、ありはしない。そういうことです」
その瞬間、胸の奥にずっと存在していたわだかまりは消えた。
熱湯に投げ込んだ氷がみるみるうちに溶けるのと似た感覚である。
色々考えてみるならば、ゼーレが私に気を遣ってこんなことを言っているという可能性だってゼロではない。
だが、そんなものは表情を見れば分かる。
今のゼーレは、明らかに、気を遣ってなどいない顔つきだ。だから、私に気を遣って、という可能性は、ほぼないと思って間違いないだろう。
「ゼーレ……ありがとう」
私はいつの間にか、そんなことを言っていた。
別段意識してはいなかった。にもかかわらず感謝の言葉がするりと出たのは、それが、まぎれもない本心だったからだと思う。
「優しいのね」
「……っ」
ゼーレは唐突に、目を細め、視線を逸らす。それに加え、気まずそうな表情になってしまった。割れた仮面の隙間から露出する頬は、ほんのりと赤みを帯びている。
「ごめんなさい、ゼーレ。私、もしかして、何か失礼なことを言ってしまった?」
視線を合わせてくれない彼の顔面を覗き込む。
「嫌なことは嫌と言ってくれて構わないのよ?」
すると、数秒経ってから、彼は答える。
「……いえ。嫌なのではありません。ただ……」
「ただ?」
「カトレアにそんなことを言われると……胸が痛いです」
視線をほんの少しだけこちらへ向け、数回まばたきするゼーレ。その雰囲気といえば、まるで初々しい乙女のようである。
「愛している人から『優しい』だなんて……」
何それ? 本当に乙女なの?
ゼーレの発言を耳にし、私は内心、そんな風に言いたくなった。無論、口から出しはしなかったが。
その時、トリスタンとフランシスカがやって来た。どうやら、アザラシ型化け物との戦いを終えたようだ。
「マレイちゃん、大丈夫だった?」
先に声をかけてきたのはトリスタン。
整った美しい顔の至る所に、汗の粒が浮かんでいた。また、前髪が額に張り付いている。長時間の戦闘だったため、結構汗を掻いているようだ。
「えぇ、無事よ。ありがとう」
「僕の剣捌き、見てくれた?」
あっ……。
ゼーレと話していて、見逃していた……。
けれども、そんなことは絶対に言えない。
もし私がそんなこと言ったら、トリスタンは嫉妬の塊になってしまうかもしれないから、である。
「え、えぇ。じっくりではないけれど、見たわよ」
苦しい答えを返す。
するとトリスタンは、ぱあっと明るい顔になる。
「本当!? 嬉しいよ!!」
さらに突っ込んだ質問をしてこられたらまずい、と思っていたのだが、何とかセーフのようだ。
「戦いをマレイちゃんに見てもらえるなんて、嬉しいよ!」
トリスタンの瞳は希望に満ち、キラキラと輝いている。何がそんなに嬉しかったのかは分からないが、嬉しくて嬉しくて仕方がない、というような表情だ。
——と思っていると、彼は急に抱き締めてきた。
「頑張ったかいがあったな」
瞬間、隣のゼーレが鋭く叫ぶ。
「カトレアを抱き締めないで下さいよ!」
しかしトリスタンは怯まない。私を抱き締めたまま、ゼーレをジロリと睨む。
「いきなり何かな」
「……女性をいきなり抱き締めるなど、問題です」
「ふぅん。嫉妬してるんだ?」
トリスタンは勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
極めて彼らしくない笑い方だ。
「なっ……! まったく、不躾な男です。私は嫉妬など——」
「してるよね」
淡々とした声で返されたゼーレは、暫し唇を閉ざした。
だが、十数秒ほど経ってから、詰まり詰まり述べる。
「まぁ……構いませんよ、そういうことでも」
「本当の気持ち……ですか」
「えぇ」
「難しいことを聞きますねぇ……」
私の問いに対してゼーレは、すぐには答えられない、というような顔をしている。本当の気持ち、なんて、こんなに気軽に尋ねていいものではなかったのかもしれない。
だがこれは、この胸に存在するわだかまりを消すために必要な問いなのだ。
ゼーレの本心を、彼自身の口から聞く。それが、今の私に一番必要なことだ。それさえ済めば、もしその答えが悪いものであったとしても、少しはすっきりするはずである。
「いきなりこんなことを聞くなんて悪いとは思っているわ。でも、知りたいの」
私は正直に言った。
ゼーレは少しの間黙っていたが、しばらくしてから、ようやく口を開く。
「こんな質なので……上手くは言えませんが」
翡翠のような瞳が、私の顔をじっと見つめてくる。
彼の愁いを帯びた双眸から放たれる視線は、私の胸をぎゅっと締めつけた。もちろん理由は分からない。ただ、何とも言えない切なさが、泉のように湧いてくる。
「私は、この道を選んだことを後悔してはいません」
ゼーレの声ははっきりとしたものだった。
そこからは、ほんの僅かな後悔さえ感じられない。まるで、真っ直ぐ伸びる一本道のようだ。
「本当……に?」
「当然です」
「でも、私が余計なことをしなければ、貴方がこんな目に遭うことはなかったわ。私が貴方を巻き込んでしまったのよ」
すると、彼はきっぱり言い放つ。
「カトレアは関係ありません。この道を選んだのは私です」
淡々とした調子で放たれる言葉。そこには、得体の知れない、凛とした強さがあった。その強さとは、恐らく、幸福とはとても言えない人生を歩んできたからこそ生まれたものなのだろう。
「ですから、貴女が悔やむ必要などありはしないのです」
そう言って、ゼーレはほんの少し微笑んだ。
微笑むことに慣れていないからか、やや強張った感じの笑みになってしまっている。口角も、目じりも、ぎこちない。
だが、彼が笑おうと頑張っていることはひしひしと伝わってくる。
「……何を黙っているのですか、カトレア。私は間違っていましたかねぇ」
「あっ……、いいえ。間違っているとは思わないわ」
「でしょうね。私は間違ってなどいませんから」
間違っていないと分かっているのなら、間違っていたか、なんて聞く必要はなかっただろうに。
何とも言えない微妙な気分になる発言だと思った。
「もう分かりましたかねぇ」
「どういうこと?」
念のため尋ねてみると、彼は呆れたように溜め息を漏らす。
「はぁ……やはり物分かりが悪いですねぇ」
つまり、と彼は続ける。
「私のことで貴女が悩む必要など、ありはしない。そういうことです」
その瞬間、胸の奥にずっと存在していたわだかまりは消えた。
熱湯に投げ込んだ氷がみるみるうちに溶けるのと似た感覚である。
色々考えてみるならば、ゼーレが私に気を遣ってこんなことを言っているという可能性だってゼロではない。
だが、そんなものは表情を見れば分かる。
今のゼーレは、明らかに、気を遣ってなどいない顔つきだ。だから、私に気を遣って、という可能性は、ほぼないと思って間違いないだろう。
「ゼーレ……ありがとう」
私はいつの間にか、そんなことを言っていた。
別段意識してはいなかった。にもかかわらず感謝の言葉がするりと出たのは、それが、まぎれもない本心だったからだと思う。
「優しいのね」
「……っ」
ゼーレは唐突に、目を細め、視線を逸らす。それに加え、気まずそうな表情になってしまった。割れた仮面の隙間から露出する頬は、ほんのりと赤みを帯びている。
「ごめんなさい、ゼーレ。私、もしかして、何か失礼なことを言ってしまった?」
視線を合わせてくれない彼の顔面を覗き込む。
「嫌なことは嫌と言ってくれて構わないのよ?」
すると、数秒経ってから、彼は答える。
「……いえ。嫌なのではありません。ただ……」
「ただ?」
「カトレアにそんなことを言われると……胸が痛いです」
視線をほんの少しだけこちらへ向け、数回まばたきするゼーレ。その雰囲気といえば、まるで初々しい乙女のようである。
「愛している人から『優しい』だなんて……」
何それ? 本当に乙女なの?
ゼーレの発言を耳にし、私は内心、そんな風に言いたくなった。無論、口から出しはしなかったが。
その時、トリスタンとフランシスカがやって来た。どうやら、アザラシ型化け物との戦いを終えたようだ。
「マレイちゃん、大丈夫だった?」
先に声をかけてきたのはトリスタン。
整った美しい顔の至る所に、汗の粒が浮かんでいた。また、前髪が額に張り付いている。長時間の戦闘だったため、結構汗を掻いているようだ。
「えぇ、無事よ。ありがとう」
「僕の剣捌き、見てくれた?」
あっ……。
ゼーレと話していて、見逃していた……。
けれども、そんなことは絶対に言えない。
もし私がそんなこと言ったら、トリスタンは嫉妬の塊になってしまうかもしれないから、である。
「え、えぇ。じっくりではないけれど、見たわよ」
苦しい答えを返す。
するとトリスタンは、ぱあっと明るい顔になる。
「本当!? 嬉しいよ!!」
さらに突っ込んだ質問をしてこられたらまずい、と思っていたのだが、何とかセーフのようだ。
「戦いをマレイちゃんに見てもらえるなんて、嬉しいよ!」
トリスタンの瞳は希望に満ち、キラキラと輝いている。何がそんなに嬉しかったのかは分からないが、嬉しくて嬉しくて仕方がない、というような表情だ。
——と思っていると、彼は急に抱き締めてきた。
「頑張ったかいがあったな」
瞬間、隣のゼーレが鋭く叫ぶ。
「カトレアを抱き締めないで下さいよ!」
しかしトリスタンは怯まない。私を抱き締めたまま、ゼーレをジロリと睨む。
「いきなり何かな」
「……女性をいきなり抱き締めるなど、問題です」
「ふぅん。嫉妬してるんだ?」
トリスタンは勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
極めて彼らしくない笑い方だ。
「なっ……! まったく、不躾な男です。私は嫉妬など——」
「してるよね」
淡々とした声で返されたゼーレは、暫し唇を閉ざした。
だが、十数秒ほど経ってから、詰まり詰まり述べる。
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