暁のカトレア

四季

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episode.62 一触即発?ややこしい

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 一週間ほど経った、ある昼下がり。

 私はグレイブから呼び出しを受けた。指定の部屋へ行くと、フランシスカやトリスタン、そしてなぜかゼーレまでもが、既にそこにいた。もちろん、その他の隊員も数名いる。

 部屋に入るなり、ゼーレがこちらを向いた。酷いことを言ってしまった一件以来、私とゼーレは気まずいままだ。

「あ……ゼーレも来ていたのね」
「何か問題でも?」
「い、いいえ。珍しいなと思っただけよ」

 それは嘘ではない。本当に、珍しいと思ったのである。

「この前は……ごめんなさい」
「べつに。気にしていません」

 ゼーレはそっけなくそれだけ言った。彼は、それ以上言及してはこなかった。

「マレイちゃん、こっちこっち」

 そう言って手招きするのはトリスタン。
 一歩室内に入った辺りで動きを止めていた私に、彼は、ジェスチャーで席につくように言ってくる。私は彼がジェスチャーで指示する通り、彼とフランシスカの間の席へ座った。

「マレイちゃん、遅かったねっ」

 私が椅子に腰掛けるや否や、フランシスカは明るい声で言ってきた。

「すみません」
「大丈夫だよっ。だって、まだ始まってないし!」

 それなら「遅かったね」なんて言う必要はなかったのではないだろうか。そんな思いが湧き上がってきたが、敢えて口から出す必要もないと判断したため、胸に秘めたままにしておく。

 そのうちに、グレイブが現れた。
 顔に近づく髪の毛を払い除けるたび、黒く長い髪はするんと流れる。捕まりそうで捕まらない小動物のようだ。

「待たせてすまない」

 書類を胸元に持ったグレイブは、さらりと謝りつつ、みんなの前へ立つ。

「では今回の件について」

 なぜゼーレもいるのかが、微妙に気になる。

「今回の任務の主な内容は、近頃ダリアに発生しているというカニ型化け物の殲滅だ」

 ——ダリア。

 私の中で、言葉が響いた。
 ダリアは私がここへ来る前に暮らしていた場所だ。私が暮らしていた頃は、化け物の被害はほとんどない土地だった。
 それなのに、今は化け物が発生している。少々ショックだ。

「証言によれば、群れをつくり、一斉に砂浜に上がってくるらしい」
「気持ち悪いですねっ」

 フランシスカは言う。快晴の空のようにすきっとした声で。

 ……カニ型化け物が聞いたら、傷ついただろうな。

「攻撃性はそこまで高くないそうだが、観光客が減りつつあるという話だ」

 淡々と述べるグレイブに、トリスタンが返す。

「確かに、それは帝国にとっても問題ですね。景気が悪くなったら困りますし」

 気にすべきは、そこなのだろうか?
 心なしか疑問だ。

「そういうわけで、ダリアに出向いてカニ型化け物の群れを殲滅する。それが今回の任務なわけだが……」

 グレイブは一度言葉を切った。それから、軽く瞼を閉じ、ひと呼吸おいてから目を開ける。漆黒の瞳が湛える色は、真剣そのものだ。

「トリスタンは外す」

 瞬間、室内がざわめく。

 当たり前だ。実力者ポジションのトリスタンが外されたのだから、みんなが驚くのも無理はない。
 事実、私だって驚いている。

「僕はパスですか」
「あぁ。トリスタン、最近のお前は調子が悪そうだ。ゆっくり休め」
「……分かりました」

 意外にも、トリスタンはあっさり引いた。

「代わりにゼーレを連れていく」

 グレイブが告げた瞬間、室内の空気が凍りつく。

 隊員たちからの刺々しい視線が、一斉にゼーレへ向いた。

 それらの視線は、私に向けられたものではない。それは分かっている。にもかかわらず突き刺さるような感覚が肌を駆けるのは、隊員たちの視線の刺々しさゆえだろう。

「グレイブさん……どうしてですかっ?」

 氷河期のような沈黙を破り、口を開いたのは、フランシスカだった。彼女はゼーレを睨んではいない。しかし、その愛らしい顔には、困惑の色が浮かんでいる。

「グレイブさんはゼーレを嫌って……」
「そうだ。だが、利用することにした」

 ますます困惑した表情になるフランシスカ。

「本人によれば、ゼーレは向こうに捨てられたそうだ」

 それを聞いてふと思い出した。トリスタンを助けた夜、ゼーレが、『やはり使い捨てだったのですねぇ』などと言っていたことを。

 あの時は、私が言ってしまった言葉に対して言っているのだと、そう思っていた。
 だが、もしかしたら、あちらに見捨てられたこととも関係があるのかもしれない……もっとも、ただの都合のいい想像かもしれないが。

「そこで、こちらへ力を貸してもらうことに決めた。間違いないな? ゼーレ」
「……間違いありません」

 ゼーレは静かな低い声で答えた。それにより、場の緊張感がさらに高まる。

「分かったな、そういうことだ。化け物と縁を持つ者を仲間に加えるのは不愉快極まりないが、この際、利用できるものは利用する」
「酷い扱いですねぇ」
「黙れ、ゼーレ。私は貴様を甘やかしはしない」
「勘違いしないで下さい。貴女のために助力するわけではありません」

 ゼーレは、今日も変わらず、口が悪かった。相変わらずな言葉選びである。

「ちょっと、グレイブさん! やっぱり駄目ですよっ。こんな偉そうなのを仲間に加えるなんてっ!」
「フラン、そう言いたくなる気持ちは分かるが堪えてくれ」

 室内は何とも言えない空気だ。フランシスカ以外の隊員たちは言葉を発しはしないが、ゼーレへ刺々しい視線を向けていることに変わりはない。彼らの中にも、ゼーレへの強い不信感があるということだろう。

「もし仮に裏切るような素振りをすれば、私が責任を持って彼を始末する。それで問題はないはずだ」

 グレイブは淡々とした調子で言いきった。はっきりと、きっぱりと。

 フランシスカはそれからは発言しなかったが、その顔には不安の色だけが浮かんでいた。丸みを帯びた愛らしい瞳が揺れる様は、こちらの心まで揺さぶる。

 けれども負けてはいられない。この程度の不安で弱っているようでは駄目だ。
 もっと強くならなくてはいけない。私も今は一人の隊員なのだから。


 説明会終了後、珍しく、ゼーレが自らトリスタンに声をかける。

「ついに外されてしまいましたねぇ、トリスタン。しかし、良いタイミングです」

 いきなり失礼なこと言われ、トリスタンはむっとした顔をする。それでも顔立ちは美しい。

「……喧嘩を売っているのかな?」
「まさか。私はただ、『ゆっくり休んでほしい』と思っているだけですよ」

 いやいや。さすがにそれは汲み取れないだろう。

「ともかく、カトレアのことは任せて下さい。これからは……私が彼女を護ります」

 ゼーレは、なぜか、勝ち誇った声色だった。

「君は相変わらず性格が悪いね」
「そうですねぇ。しかし、貴方のような無能よりはましです」

 不快感を露わにするトリスタン。
 挑発的な発言ばかりするゼーレ。

 二人の間に漂う空気は、これまで経験したことがないほどに最悪だ。

 そんな最悪の空気の中にいると、私は、胃がキリキリと痛むのを感じた。一触即発というようなこの状況は、私には厳しすぎるようである。
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