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episode.61 散らかったカレー
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「とぼけないでちょうだい! どうやってたぶらかしたのかって聞いているのよ!」
パサついた茶髪の女性は、やはり、まだ絡んでくるつもりのようだ。
何やら面倒事に巻き込まれた感じがする。
しかも、よりによってグレイブもシンもいないタイミング。恐らく、私が一人になるタイミングを狙っていたのだろう……実に鬱陶しい。
「あの、なぜそのような誤解が生まれたのか分かりませんが、私はたぶらかしてなんてないです」
そんな必死じゃないわ。
心の中でそう吐き捨てるように言ってやった。もちろん、口からは出さないが。
すると、茶髪の女性の背後に控えている女性の片方が、急に叫ぶ。
「嘘ついてんじゃねーよ!」
つけ睫毛が睫毛のラインからずれているその女性は、女性らしいとは到底言い難いような荒々しい声色を発した。唾を飛ばしながら叫ぶ彼女に、品なんてものはひと欠片も存在しない。
「若いからって、ちょーしに乗ってんじゃねーよ!」
「調子に乗ってなんていません」
念のため、はっきりと言っておく。
それを聞き、つけ睫毛がずれた女性は、さらに荒々しい声を出す。
「どー見ても乗ってんだろが! トリスタン様に世話になってながら、他の男にも手ぇ出すとか、調子に乗ってるとしか思えねーんだよ!」
嫉妬しているのがまる出しだ。
恥ずかしくはないのだろうか……。
「そうよ。二股する女なんて、帝国軍の淑女として認められないわ」
今度は茶髪の女性が言ってきた。
この人たちは、なぜこうも厄介なのか。べつに害を与えるわけではないのだから、放っておいてくれればいいのに。
「してません」
「あの程度は普通だと言うの!? 嫌みな尻軽ね!!」
「一方的に尻軽だなんて、他人の名誉を汚す問題発言ですよ。いい年して恥ずかしくないんですか」
すると茶髪の女性は、ついに、掴みかかってくる。
彼女の握力は信じられないくらい強く、私が抵抗できるような力ではなかった。
だが、怖くはない。
恐怖など、これまで嫌というほど体験してきた。大切な存在と引き離される怖さも、化け物と戦わねばならない怖さも、経験済みだ。だから、女性に襟を掴まれる程度、怖いの『こ』の字もない。
「離して下さい」
取り乱してはいけない。
そう思い、私は冷静に言った。
「離せ言われて離すんなら、最初からしないっつーの!」
返してきたのは、掴みかかってきている茶髪の女性ではなく、その後ろにいるつけ睫毛がずれた女性の方。品の欠片もない声色と言葉遣いで、すぐに判断できた。
やはり簡単に離してもらえそうにはない。
ならば別の作戦を——と思った瞬間。
「何様のつもりで騒いでいる」
聞こえてきたのは、よく研がれたナイフの刃のような、冷ややかで鋭い声。耳を通過し胸にグサッと突き刺さるような声色だ。
「あぁー? そっちこそ、何様の……」
つけ睫毛がずれている女性は、相変わらずの品のない言葉を吐きつつ振り返る。そして、視界に入った人物に、顔を真っ青にした。
「ぐっ……! グレイブ!!」
艶やかな長髪、漆黒の瞳。そして、色気漂う鮮やかさが印象的な、紅の唇。カレーライスの乗ったお盆を二つ持っているが、美麗な容姿は健在だ。
「またお前たちか」
グレイブの後ろにはシンの姿もある。
「耳障りだ。とっとと立ち去れ」
グレイブの声からはただならぬ威圧感を感じる。
面倒な女性たちも、さすがにグレイブに逆らいはしないだろう——そう思っていたのだが、それは間違いだった。
「うぜーよ、アンタは! 遠征部隊の死にぞこないが!」
それにはシンが黙っていない。
「グレイブさんにぃぃぃ、何言ってくれるんですかぁぁぁー!!」
シンは、今にも飛びかかりそうな顔つきで、女性たちを睨んでいる。普段のシンからは想像し難い、獰猛な獣のような顔つきだ。パンチのある巨大な眼鏡をかけているのもあいまって、かなりの迫力である。
「落ち着け、シン。相手にするな」
冷静そのもののグレイブが制止しようとしても、シンは止まらない。
完全に怒ってしまっているようで、今度は歯茎を剥き出しにしている。この前戦った狼型化け物を彷彿とさせる、驚きの、豪快な表情だ。
「グレイブさんを侮辱はさせませんよぉぉぉーっ!!」
「いいから落ち着け」
「無理ですよぉぉぉ!」
はぁ、と呆れた溜め息を漏らすグレイブ。
「黙れと言っているんだ」
「だってだって、死にぞこないなんて言うんですよぉぉぉ!?」
怒りに震えるあまり、シンは、手に持ったお盆の上のカレーライスをこぼしてしまっていた。後々、掃除が大変そうだ。
「とにかく」
グレイブはお盆を近くのテーブルに置き、目線をシンから女性たちへと変える。
「マレイから手を離せ。……まだ従わないというのなら」
手首に装着した腕時計から、グレイブは長槍を取り出した。
かっこよく構える。
「強制的にいかせてもらうが」
漆黒の瞳が怪しく煌めく。
その様には、さすがの女性たちも、恐怖を抱いたようだ。
女性たちは口々に「覚えてろ」といった趣旨の発言をし、一斉にこの場から逃げていった。
厄介な女性三人組が逃げた後、グレイブは長槍をしまう。そして、床に転んでいる私に手を差し出してくれる。
「大丈夫か」
「あ……ありがとうございます」
その時のグレイブは、いつになくかっこよく見えた。そのかっこよさといえば、一瞬「トリスタンよりもかっこいいのでは?」と思ってしまったほどである。
「ああいう柄の悪い連中は、大概、ずっと訓練生をしている輩だ。大きい顔をしているがさほど強くはない」
「そうだったんですか」
「だからああやって群れている。だが、それでも今のマレイで勝てる程度の相手だ」
そういうことらしい。
もっとも、仕組みを理解しきっていない私には少々難しいが。
「それゆえ心配しすぎる必要はない。だが、目をつけられると厄介だからな。気をつけた方がいい」
「分かりました」
「何かあれば早めに言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
それから、「さて」と、グレイブはシンへ視線を移す。
「その散らかったカレーをどうしたものか……」
パサついた茶髪の女性は、やはり、まだ絡んでくるつもりのようだ。
何やら面倒事に巻き込まれた感じがする。
しかも、よりによってグレイブもシンもいないタイミング。恐らく、私が一人になるタイミングを狙っていたのだろう……実に鬱陶しい。
「あの、なぜそのような誤解が生まれたのか分かりませんが、私はたぶらかしてなんてないです」
そんな必死じゃないわ。
心の中でそう吐き捨てるように言ってやった。もちろん、口からは出さないが。
すると、茶髪の女性の背後に控えている女性の片方が、急に叫ぶ。
「嘘ついてんじゃねーよ!」
つけ睫毛が睫毛のラインからずれているその女性は、女性らしいとは到底言い難いような荒々しい声色を発した。唾を飛ばしながら叫ぶ彼女に、品なんてものはひと欠片も存在しない。
「若いからって、ちょーしに乗ってんじゃねーよ!」
「調子に乗ってなんていません」
念のため、はっきりと言っておく。
それを聞き、つけ睫毛がずれた女性は、さらに荒々しい声を出す。
「どー見ても乗ってんだろが! トリスタン様に世話になってながら、他の男にも手ぇ出すとか、調子に乗ってるとしか思えねーんだよ!」
嫉妬しているのがまる出しだ。
恥ずかしくはないのだろうか……。
「そうよ。二股する女なんて、帝国軍の淑女として認められないわ」
今度は茶髪の女性が言ってきた。
この人たちは、なぜこうも厄介なのか。べつに害を与えるわけではないのだから、放っておいてくれればいいのに。
「してません」
「あの程度は普通だと言うの!? 嫌みな尻軽ね!!」
「一方的に尻軽だなんて、他人の名誉を汚す問題発言ですよ。いい年して恥ずかしくないんですか」
すると茶髪の女性は、ついに、掴みかかってくる。
彼女の握力は信じられないくらい強く、私が抵抗できるような力ではなかった。
だが、怖くはない。
恐怖など、これまで嫌というほど体験してきた。大切な存在と引き離される怖さも、化け物と戦わねばならない怖さも、経験済みだ。だから、女性に襟を掴まれる程度、怖いの『こ』の字もない。
「離して下さい」
取り乱してはいけない。
そう思い、私は冷静に言った。
「離せ言われて離すんなら、最初からしないっつーの!」
返してきたのは、掴みかかってきている茶髪の女性ではなく、その後ろにいるつけ睫毛がずれた女性の方。品の欠片もない声色と言葉遣いで、すぐに判断できた。
やはり簡単に離してもらえそうにはない。
ならば別の作戦を——と思った瞬間。
「何様のつもりで騒いでいる」
聞こえてきたのは、よく研がれたナイフの刃のような、冷ややかで鋭い声。耳を通過し胸にグサッと突き刺さるような声色だ。
「あぁー? そっちこそ、何様の……」
つけ睫毛がずれている女性は、相変わらずの品のない言葉を吐きつつ振り返る。そして、視界に入った人物に、顔を真っ青にした。
「ぐっ……! グレイブ!!」
艶やかな長髪、漆黒の瞳。そして、色気漂う鮮やかさが印象的な、紅の唇。カレーライスの乗ったお盆を二つ持っているが、美麗な容姿は健在だ。
「またお前たちか」
グレイブの後ろにはシンの姿もある。
「耳障りだ。とっとと立ち去れ」
グレイブの声からはただならぬ威圧感を感じる。
面倒な女性たちも、さすがにグレイブに逆らいはしないだろう——そう思っていたのだが、それは間違いだった。
「うぜーよ、アンタは! 遠征部隊の死にぞこないが!」
それにはシンが黙っていない。
「グレイブさんにぃぃぃ、何言ってくれるんですかぁぁぁー!!」
シンは、今にも飛びかかりそうな顔つきで、女性たちを睨んでいる。普段のシンからは想像し難い、獰猛な獣のような顔つきだ。パンチのある巨大な眼鏡をかけているのもあいまって、かなりの迫力である。
「落ち着け、シン。相手にするな」
冷静そのもののグレイブが制止しようとしても、シンは止まらない。
完全に怒ってしまっているようで、今度は歯茎を剥き出しにしている。この前戦った狼型化け物を彷彿とさせる、驚きの、豪快な表情だ。
「グレイブさんを侮辱はさせませんよぉぉぉーっ!!」
「いいから落ち着け」
「無理ですよぉぉぉ!」
はぁ、と呆れた溜め息を漏らすグレイブ。
「黙れと言っているんだ」
「だってだって、死にぞこないなんて言うんですよぉぉぉ!?」
怒りに震えるあまり、シンは、手に持ったお盆の上のカレーライスをこぼしてしまっていた。後々、掃除が大変そうだ。
「とにかく」
グレイブはお盆を近くのテーブルに置き、目線をシンから女性たちへと変える。
「マレイから手を離せ。……まだ従わないというのなら」
手首に装着した腕時計から、グレイブは長槍を取り出した。
かっこよく構える。
「強制的にいかせてもらうが」
漆黒の瞳が怪しく煌めく。
その様には、さすがの女性たちも、恐怖を抱いたようだ。
女性たちは口々に「覚えてろ」といった趣旨の発言をし、一斉にこの場から逃げていった。
厄介な女性三人組が逃げた後、グレイブは長槍をしまう。そして、床に転んでいる私に手を差し出してくれる。
「大丈夫か」
「あ……ありがとうございます」
その時のグレイブは、いつになくかっこよく見えた。そのかっこよさといえば、一瞬「トリスタンよりもかっこいいのでは?」と思ってしまったほどである。
「ああいう柄の悪い連中は、大概、ずっと訓練生をしている輩だ。大きい顔をしているがさほど強くはない」
「そうだったんですか」
「だからああやって群れている。だが、それでも今のマレイで勝てる程度の相手だ」
そういうことらしい。
もっとも、仕組みを理解しきっていない私には少々難しいが。
「それゆえ心配しすぎる必要はない。だが、目をつけられると厄介だからな。気をつけた方がいい」
「分かりました」
「何かあれば早めに言ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
それから、「さて」と、グレイブはシンへ視線を移す。
「その散らかったカレーをどうしたものか……」
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