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episode.50 なぜ好きなようにしないのです?
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暫し、沈黙。
私は何とも言えない思いを抱いたまま、ゼーレの返答を待つ。
せっかくここまで築いてきた関係が崩れてしまうことを、私は、何よりも恐れていた。
けれど、彼がこれ以上傷つかないためにはこの道しかない。この道を選ばなくては、ゼーレがまた痛い目に遭う。だから、たとえ私たち二人の関係が壊れたとしても、これしかない。
一分くらい経ち、やがて、ゼーレは口を開く。
「構いませんよ」
仮面に隠された彼の口から出たのは、意外な言葉だった。
状況を理解しきれず、ただ彼の顔を見つめる。
「……なぜそんなに見つめるのです」
ゼーレは座り姿勢のまま、少し気まずそうな顔をした。
もっとも、顔は仮面に隠れているため、顔といっても雰囲気なのだが。
「あっ、ごめんなさい。でも、いいの? 本当に教えてくれるの?」
彼の口が金庫のように固く閉ざされたものであることは、これまでの様子で分かっている。そんな彼が、こんなにもすんなり「構わない」など、明らかに不自然だ。疑いたくはないが、裏があるとしか思えない。
「リュビエがレヴィアス人を連れていくところなど、一つしかありませんからねぇ。貴女になら教えて差し上げても構いません」
「本当!?」
「嘘などつきません」
ゼーレは音もなくそっと頷いた。
妙に上手くいく。スムーズに事が運ぶのは、私としてもありがたいことだ。しかし、ここまでスムーズだと、さすがに少し戸惑ってしまう。
「ただ、二つだけ条件があります。それを飲んでいただけるのであれば、教えて差し上げましょう」
「条件? どんな?」
とんでもない条件を突きつけられたらどうしよう。そんな不安を抱きつつも、一応聞いてみた。何事も、聞いてみなくては始まらないからだ。
するとゼーレは述べる。
「一つは……私を自由の身にすること」
「拘束を解け、ということ?」
「そうです。いい加減、この暗闇にも飽きてきましたからねぇ。散歩でもしたいです」
ゼーレがここへ繋がれてから数週間が経過している。一日のほとんどの時間を拘束されたまま過ごしているのだから、退屈になるのも無理はないだろう。むしろ、よく今まで耐えたな、という感じである。
だが、拘束を解くなど、私の独断でできることではない。
相談もせずゼーレを解放したとなれば、グレイブに怒られるだろう。悪ければ帝国軍を追い出されるかもしれない。
「それは……グレイブさんに聞いてみないと」
「マレイ・チャーム・カトレア——貴女は、トリスタンよりもあの女が大切なのですか?」
「トリスタンの方が大切に決まっているじゃない。だって、何度も助けてもらった恩があるもの」
グレイブにお世話になっていないと言いたいわけではない。トリスタンにお世話になったことの方が多い、という意味だ。なんせトリスタンには、今まで何度も命を救われている。八年前のあの夜だって、そう。
「では彼を優先すべきではないですか」
「本当はそうしたいわ。でも、できないの」
「なぜです?」
「居場所がなくなるのが怖いの……」
狡い女だと思うわ、自分でも。
トリスタンはその身を痛めてでも私を護ろうとしてくれた。
それなのに私は、自分のことばかり考えて、トリスタン救出への一歩を踏み出せずにいる。
「笑いたければ笑えばいいわ」
私は勢いのままに吐き捨てた。
するとゼーレは、淡々とした声で話しかけてくる。
「らしくありませんねぇ、カトレア。板挟みでストレスが溜まっている、といったところですか」
「どうすればいいか分からないのよ……」
ゼーレに対して弱音を吐くなんて、今日の私は本当にどうかしている。ゼーレは、私から大切な者を奪い、禍々しい記憶を植え付けた張本人。そんな憎むべき相手に弱さを見せるなんて、普通は考えられないことだ。
重い気持ちになっていると、ゼーレは唐突に言う。
「なぜ好きなようにしないのです?」
胸に突き刺さる言葉だった。
私だって好きなようにしたいわよ! と言いたくなるが、それはこらえる。上手くいかないからといって他人に当たるのは良くない。
「これまで貴女は好き放題してきたではありませんか。なぜ今になって迷うのですかねぇ」
「好き放題なんて……!」
「いいや。貴女は好き放題していました」
ゼーレは重ねてくる。
「貴女の好き放題があったから、今私はここにいるのだと思いますが?」
その言葉には何も言い返せなかった。
真実だったからだ。
「……悪かったと思っているわ。あの時は、こんなことになるなんて考えてもみなかったのよ。私はただ、話し合って理解できればと……」
はめてやろう、なんて気は微塵もなかった。あわよくば捕虜にしてやろうなんて気も。私はただ純粋に、落ち着いて話し合えればと思っていただけだったのだ。
私が言い終えて数秒後。
ゼーレは座った体勢のまま、呆れ顔になる。
「まったく、馬鹿らしい。そんな話ではありません」
「えっ?」
「好き放題できるのが貴女の良いところだと、そう言っているのです」
……意味不明。
分かりにくすぎる。この流れで「褒められている」と思える者など、存在するわけがない。
「そんなの分からないわよ!」
「すぐに怒らないでいただきたいものですねぇ」
冷静な声色で言われるから、余計に腹が立つ。
「ゼーレはいちいち分かりにくいの!」
「落ち着きなさい。近くで騒がれると耳が痛いです。うるささのあまり、耳が外れて、ポロリと落ちそうです」
何それ、怖い。
ゼーレが言うと笑えない。
「……もう。分かったわよ!」
灰色の大きな雨雲が風に流されていくような感覚。
馬鹿みたいなやり取りをしているうちに、心は段々軽くなっていった。そして、リラックスしてくると同時に、心は決まってくる。
「拘束を解くわ。その代わり、もし誰かに『なぜ』と聞かれたら、『脅されたから』と答えることにするから。それでいい?」
するとゼーレは、くくく、と笑う。
「構いませんよ」
私は何とも言えない思いを抱いたまま、ゼーレの返答を待つ。
せっかくここまで築いてきた関係が崩れてしまうことを、私は、何よりも恐れていた。
けれど、彼がこれ以上傷つかないためにはこの道しかない。この道を選ばなくては、ゼーレがまた痛い目に遭う。だから、たとえ私たち二人の関係が壊れたとしても、これしかない。
一分くらい経ち、やがて、ゼーレは口を開く。
「構いませんよ」
仮面に隠された彼の口から出たのは、意外な言葉だった。
状況を理解しきれず、ただ彼の顔を見つめる。
「……なぜそんなに見つめるのです」
ゼーレは座り姿勢のまま、少し気まずそうな顔をした。
もっとも、顔は仮面に隠れているため、顔といっても雰囲気なのだが。
「あっ、ごめんなさい。でも、いいの? 本当に教えてくれるの?」
彼の口が金庫のように固く閉ざされたものであることは、これまでの様子で分かっている。そんな彼が、こんなにもすんなり「構わない」など、明らかに不自然だ。疑いたくはないが、裏があるとしか思えない。
「リュビエがレヴィアス人を連れていくところなど、一つしかありませんからねぇ。貴女になら教えて差し上げても構いません」
「本当!?」
「嘘などつきません」
ゼーレは音もなくそっと頷いた。
妙に上手くいく。スムーズに事が運ぶのは、私としてもありがたいことだ。しかし、ここまでスムーズだと、さすがに少し戸惑ってしまう。
「ただ、二つだけ条件があります。それを飲んでいただけるのであれば、教えて差し上げましょう」
「条件? どんな?」
とんでもない条件を突きつけられたらどうしよう。そんな不安を抱きつつも、一応聞いてみた。何事も、聞いてみなくては始まらないからだ。
するとゼーレは述べる。
「一つは……私を自由の身にすること」
「拘束を解け、ということ?」
「そうです。いい加減、この暗闇にも飽きてきましたからねぇ。散歩でもしたいです」
ゼーレがここへ繋がれてから数週間が経過している。一日のほとんどの時間を拘束されたまま過ごしているのだから、退屈になるのも無理はないだろう。むしろ、よく今まで耐えたな、という感じである。
だが、拘束を解くなど、私の独断でできることではない。
相談もせずゼーレを解放したとなれば、グレイブに怒られるだろう。悪ければ帝国軍を追い出されるかもしれない。
「それは……グレイブさんに聞いてみないと」
「マレイ・チャーム・カトレア——貴女は、トリスタンよりもあの女が大切なのですか?」
「トリスタンの方が大切に決まっているじゃない。だって、何度も助けてもらった恩があるもの」
グレイブにお世話になっていないと言いたいわけではない。トリスタンにお世話になったことの方が多い、という意味だ。なんせトリスタンには、今まで何度も命を救われている。八年前のあの夜だって、そう。
「では彼を優先すべきではないですか」
「本当はそうしたいわ。でも、できないの」
「なぜです?」
「居場所がなくなるのが怖いの……」
狡い女だと思うわ、自分でも。
トリスタンはその身を痛めてでも私を護ろうとしてくれた。
それなのに私は、自分のことばかり考えて、トリスタン救出への一歩を踏み出せずにいる。
「笑いたければ笑えばいいわ」
私は勢いのままに吐き捨てた。
するとゼーレは、淡々とした声で話しかけてくる。
「らしくありませんねぇ、カトレア。板挟みでストレスが溜まっている、といったところですか」
「どうすればいいか分からないのよ……」
ゼーレに対して弱音を吐くなんて、今日の私は本当にどうかしている。ゼーレは、私から大切な者を奪い、禍々しい記憶を植え付けた張本人。そんな憎むべき相手に弱さを見せるなんて、普通は考えられないことだ。
重い気持ちになっていると、ゼーレは唐突に言う。
「なぜ好きなようにしないのです?」
胸に突き刺さる言葉だった。
私だって好きなようにしたいわよ! と言いたくなるが、それはこらえる。上手くいかないからといって他人に当たるのは良くない。
「これまで貴女は好き放題してきたではありませんか。なぜ今になって迷うのですかねぇ」
「好き放題なんて……!」
「いいや。貴女は好き放題していました」
ゼーレは重ねてくる。
「貴女の好き放題があったから、今私はここにいるのだと思いますが?」
その言葉には何も言い返せなかった。
真実だったからだ。
「……悪かったと思っているわ。あの時は、こんなことになるなんて考えてもみなかったのよ。私はただ、話し合って理解できればと……」
はめてやろう、なんて気は微塵もなかった。あわよくば捕虜にしてやろうなんて気も。私はただ純粋に、落ち着いて話し合えればと思っていただけだったのだ。
私が言い終えて数秒後。
ゼーレは座った体勢のまま、呆れ顔になる。
「まったく、馬鹿らしい。そんな話ではありません」
「えっ?」
「好き放題できるのが貴女の良いところだと、そう言っているのです」
……意味不明。
分かりにくすぎる。この流れで「褒められている」と思える者など、存在するわけがない。
「そんなの分からないわよ!」
「すぐに怒らないでいただきたいものですねぇ」
冷静な声色で言われるから、余計に腹が立つ。
「ゼーレはいちいち分かりにくいの!」
「落ち着きなさい。近くで騒がれると耳が痛いです。うるささのあまり、耳が外れて、ポロリと落ちそうです」
何それ、怖い。
ゼーレが言うと笑えない。
「……もう。分かったわよ!」
灰色の大きな雨雲が風に流されていくような感覚。
馬鹿みたいなやり取りをしているうちに、心は段々軽くなっていった。そして、リラックスしてくると同時に、心は決まってくる。
「拘束を解くわ。その代わり、もし誰かに『なぜ』と聞かれたら、『脅されたから』と答えることにするから。それでいい?」
するとゼーレは、くくく、と笑う。
「構いませんよ」
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