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episode.20「光と闇」
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ナスカはリリーと一緒に建物の外へ出た。
ところどころにある雲の隙間から太陽の光が漏れて、海辺特有の強風が冷たさを助長している。そんな日だった。
「今日は空が綺麗だね! それにしても平和だなぁ」
リリーが両腕を大きく広げて深呼吸をしながら言った後、楽しそうにその場でくるくると回転する。
「確かに最近はここは攻撃されることが減ったわね。でも平和になったわけじゃない」
ナスカは独り言のように小さく呟いた。
リリーは一度ナスカを見てぱちぱちまばたきしてから、再び空を見上げる。
「……そだね。いつか、本当に平和になるといいなぁ」
どこか寂しげな声色だった。
「なるわ」
ナスカは静かだが強い声で言った。
「必ずその時は来るわ」
リリーは視線をナスカに移して笑う。
「そうだね!」
そして続ける。
「ねぇ、ナスカ。もし平和になったらさ、リリーを戦闘機に乗せてよ!」
「……え?」
あまりの唐突さに、ナスカはしばらくついていけなかった。
「そしたら、リリーも空を飛べるでしょ!」
「えと……リリーもパイロットになるってこと?」
するとリリーは明るく返す。
「それは無理だよ! ナスカの戦闘機に乗せてほしいなって! 空から海とか見たいなぁ」
自分がパイロットになる可能性はきっぱり否定するリリー。そんなリリーを見て、ナスカは彼女らしいと思うと同時に、どこか可笑しくて笑ってしまった。
でもその方がいい。そんな可能性はいらない。リリーみたいな可愛い女の子が戦闘機に乗って殺し合いをするような時代は来てほしくない。
「それは……素敵な話ね」
ちょうどそこへ、飛行服を着たトーレがばたばたと走ってくる。
「頑張ってね、トーレ!」
ナスカが声をかけると、トーレはその緊張した顔にほんの少しだけ笑みを浮かべ頷いた。
それからトーレが乗り込んだのは実戦用の機体だった。
「え、訓練機じゃないの?」
ナスカは無意識に漏らしていた。
「えぇ。訓練機ではありませんよ」
気がつくとナスカの真横にベルデがいた。いつの間に。気配は全然感じなかった。
「アードラーさんが愛機に乗るというのにトーレくんが訓練機では不平等でしょう」
ナスカは返す。
「確かにそうですね」
「それにしても、なぜトーレくんを相手に選んだのか分かりません。彼ではアードラーさんの相手にはならない……」
ベルデはそんなことを不満げに漏らしていた。
エアハルトが飛ぶことを皆が許さなかったからだろう、とナスカは思ったが、口には出さなかった。
「見て! 飛ぶよ!」
リリーが瞳を輝かせながら大きく叫んだ。
それとほぼ同時に、黒い機体が滑走路を駆け抜け空へ舞い上がった。続けてトーレの乗る平凡な戦闘機も離陸する。気の弱いトーレがとても心配だ。
「アードラーさんの飛行は相変わらず美しい……」
いつも淡々としているベルデは彼らしくなく、綺麗な弧を描く黒い戦闘機をうっとりとした目付きで見つめている。
「エアハルトさんの飛行が、お好きなんですか?」
ナスカがそう尋ねると、ベルデは語り出す。
「はい! 安定感がありながらも公式に縛られない飛行! 彼は航空隊の宝です! 航空学校時代から常にトップを走り続けてきたのですよ。凄いとは思いませんか?」
最終的には同意まで求めてくる始末だ。
その時、黒い機体からレーザーミサイルが発射される。
「トーレ、危ない!」
彼に届かないことは分かりながらもナスカは叫んでいた。
「ナスカさん、大丈夫ですよ。あれは訓練用のペイントレーザーミサイル。当たっても機体に絵の具で描いたような丸い印がつくだけです」
ベルデが説明口調で言った。
「へぇ、面白い」
ナスカは大声を出したことを恥ずかしく思い、少しばかり赤面し、苦笑いしながら返した。
トーレの搭乗機は降り注ぐレーザーミサイルの雨を回避するのに必死で、反撃の余裕はなさそうだ。当然のことだが、そう簡単に反撃の隙など与えるエアハルトではない。
「ここまでアードラーさんの攻撃から逃げ回るとは、トーレくんも意外とやりますね。しかし……そろそろ決着ですかね」
ベルデが言い終わらないうちに、レーザーミサイルがトーレの乗っている機体に当たる。たったの数発によって、機体がペンキのようなもので赤く染まった。
「見てくれたかな? ナスカ」
「エアハルトさん、さすがの腕前でした」
模擬戦闘を終えた二人はナスカと合流し、食堂へ行った。
朝食は終わり昼食にはまだ早いという絶妙の時間のせいもあってか、周囲にはあまり人がいない。テーブルには紅茶の入った三つの紙コップだけが置かれている。
「やはり空は僕の世界だなって思ったよ。スピード、重力、それに命の奪いあい」
嬉しそうに語るエアハルトの真横で、トーレは青い顔をして縮こまっている。
「トーレ、顔色悪いけど大丈夫? 体調悪いなら休んだら?」
ナスカが心配になって声をかけると、トーレは真っ青な顔を上げる。
「体調悪いとかじゃないんだ。その……大丈夫だから」
「そう? ならいいけど……」
畏縮したトーレの様子を見ていたエアハルトが、唐突に真面目な顔で言う。
「トーレ、どうして逃げ回ってばかりいた?」
怒っているようには見えないが、どこか冷たさを感じる声だった。
「君は最初から戦う気がなかっただろう。なぜだ」
トーレは暗い表情を浮かべながらうつむき小さく呟く。
「……怖くて」
エアハルトは黙っていた。
「……反撃しようとしました。でも、僕は引き金を引けなかったんです。訓練だし、それで誰かが死ぬわけじゃないと分かっていました。だけど、一度引き金を引けば……戻れなくなる気がして怖いんです」
目の前のエアハルトに怯えながらも必死に言葉を紡ぐトーレの唇は震えていた。
「そんなものは戦闘機乗りの宿命だ。宿命に逃げ道などない。つまりは、進むしかないということだ。くよくよ悩んでも時間の無駄。そんな暇があるなら引き金を引け。すぐ慣れる」
「僕は貴方とは違う!!」
トーレが反論した。
ナスカはその様子を信じられない思いで見つめた。
「アードラーさんはすぐ慣れたかもしれない。でも僕は……」
エアハルトも驚き顔だった。
「僕は、人殺しにはなれない」
トーレは更に続ける。
「敵にだって、家族がいて仲間がいて、大切な人がいるでしょう! 僕に人は殺せません。帰りを待っている人がいるのに。いくら敵でも……そんなのはあまりに残酷です!」
ナスカは何も言えなかった。頷くことも、それは違うと否定することも、どちらもできなかった。トーレの言うことは分かるのだが、大切な人を守るためには敵に情けをかけている余裕はない。
「足手まといだと思うなら、才能のある人間だけで戦えばいいじゃないですか。僕がいなくても何も困らない……そうでしょう!」
エアハルトはしばらく悲しそうな目をしていた。
「君は……優しいんだ。人より少し優しく生まれた。だから、人より少し多くのことに罪悪感を抱く」
胸を締め付けられる思いで二人を見つめるナスカ。
「トーレ、僕は君を足手まといだと思ったことはない。君は僕を助けてくれたし、今日も付き合ってくれた。僕もタイミングがあればきっと君を助けただろう。……だが、本当は違う世界にいる人間だったのかもしれないな」
エアハルトは立ち上がる。
「君は幸せだ。家族も友人も、何一つとして欠けていない。僕もそんな風に生きたかったよ」
彼はどこか寂しそうにそう言いナスカに小さく手を振ると、自分の紙コップを持ってどこかへ歩いていった。
静寂に取り残されたトーレがやがて小さく言う。
「ナスカ……僕さ、憧れていたんだ。アードラーさんのこと、尊敬してた。ナスカのことを尊敬しているのと同じぐらいに」
「……そう」
ナスカはトーレの話を聞きながら、静かに紙コップの紅茶を飲んだ。
「いつか僕もあんな風になれるかもしれないって、本当はちょっとだけ期待していたんだ」
「……そっか」
「僕、ずっと地味で目立たない人生だった。優秀でもないし、かっこいいわけでもない。嫌だった。アードラーさんはさ、人気だしいつも人に囲まれてちやほやされて、光って感じ。だから、ナスカと仲良くなって、アードラーさんとも知り合いになって、初めて話せた時は緊張したけど、自分も光に当たれたような気がして嬉しかったんだ」
トーレはナスカに視線を合わせて切なそうに微笑む。
「でも今日、本当に幸せなのかなって思った。アードラーさんは期待に答えるために戦い続けてる。人の心を捨てて無理するぐらいなら、平凡な人生のほうがある意味楽かなって。でも、そうしたら僕が今までしてきたこと、全部無駄だった気がして……ちょっとだけ辛いよ」
「無駄じゃないわ」
ナスカはきっぱり告げた。
「もし今すぐ役に立たなくとも、いつかきっとトーレ自身を救うことになる。意味のないことなんてあるはずないわ」
「ナスカ。僕はこれから、誰を目指せばいいんだろう」
トーレはすがるような目でナスカを見てくる。
「エアハルトさん以外で?」
「……うん。僕はあんな風にはなれない。悪魔だよ、彼は」
「どうして?」
「実弾でないとはいえ、あそこまで本気で攻撃してくるなんて……それに、殺しあいで生き生きしてる。そんなブラックな人とは知らなかったんだ。それがちょっとショックでさ」
「光が強ければ強いほど、闇は深くなるものよ」
「それはどういう意味?」
「誰かを照らす光になろうとすれば必ず闇も生まれるってこと。私は大切な人を二度と失わないためにこの道を選んだわ。この道を行けばいつかこの手を穢すことになると分かっていながらね。私の場合なら数人のため。でも、もしそれが、航空隊やこの国であったなら?」
トーレは真剣な顔だ。
「生まれる闇の深さはきっと、私とは比べものにならないでしょう」
「じゃあ僕は何も守らなければいいのかな」
「今はまだ、それでいいんじゃない。守るものなんて自分で探すものじゃないわ。気がついたら勝手にできてるものよ」
不安げなトーレにむかってナスカは笑いかける。
「紅茶冷めたんじゃない? 新しいのもらってこようか」
「そんな、いいよ。冷めたほうが飲みやすいぐらいだし、全然気にしないで……」
トーレは遠慮がちに答えた。
「そう? ならいいけど」
「ありがとう。ナスカに励ましてもらって元気が出たよ。色々迷惑かけてごめんね」
そう言ってトーレはようやく純粋に笑った。ナスカは嬉しく思う。
だが、それからというもの、トーレがエアハルトと話すことはしばらくなかった。
ところどころにある雲の隙間から太陽の光が漏れて、海辺特有の強風が冷たさを助長している。そんな日だった。
「今日は空が綺麗だね! それにしても平和だなぁ」
リリーが両腕を大きく広げて深呼吸をしながら言った後、楽しそうにその場でくるくると回転する。
「確かに最近はここは攻撃されることが減ったわね。でも平和になったわけじゃない」
ナスカは独り言のように小さく呟いた。
リリーは一度ナスカを見てぱちぱちまばたきしてから、再び空を見上げる。
「……そだね。いつか、本当に平和になるといいなぁ」
どこか寂しげな声色だった。
「なるわ」
ナスカは静かだが強い声で言った。
「必ずその時は来るわ」
リリーは視線をナスカに移して笑う。
「そうだね!」
そして続ける。
「ねぇ、ナスカ。もし平和になったらさ、リリーを戦闘機に乗せてよ!」
「……え?」
あまりの唐突さに、ナスカはしばらくついていけなかった。
「そしたら、リリーも空を飛べるでしょ!」
「えと……リリーもパイロットになるってこと?」
するとリリーは明るく返す。
「それは無理だよ! ナスカの戦闘機に乗せてほしいなって! 空から海とか見たいなぁ」
自分がパイロットになる可能性はきっぱり否定するリリー。そんなリリーを見て、ナスカは彼女らしいと思うと同時に、どこか可笑しくて笑ってしまった。
でもその方がいい。そんな可能性はいらない。リリーみたいな可愛い女の子が戦闘機に乗って殺し合いをするような時代は来てほしくない。
「それは……素敵な話ね」
ちょうどそこへ、飛行服を着たトーレがばたばたと走ってくる。
「頑張ってね、トーレ!」
ナスカが声をかけると、トーレはその緊張した顔にほんの少しだけ笑みを浮かべ頷いた。
それからトーレが乗り込んだのは実戦用の機体だった。
「え、訓練機じゃないの?」
ナスカは無意識に漏らしていた。
「えぇ。訓練機ではありませんよ」
気がつくとナスカの真横にベルデがいた。いつの間に。気配は全然感じなかった。
「アードラーさんが愛機に乗るというのにトーレくんが訓練機では不平等でしょう」
ナスカは返す。
「確かにそうですね」
「それにしても、なぜトーレくんを相手に選んだのか分かりません。彼ではアードラーさんの相手にはならない……」
ベルデはそんなことを不満げに漏らしていた。
エアハルトが飛ぶことを皆が許さなかったからだろう、とナスカは思ったが、口には出さなかった。
「見て! 飛ぶよ!」
リリーが瞳を輝かせながら大きく叫んだ。
それとほぼ同時に、黒い機体が滑走路を駆け抜け空へ舞い上がった。続けてトーレの乗る平凡な戦闘機も離陸する。気の弱いトーレがとても心配だ。
「アードラーさんの飛行は相変わらず美しい……」
いつも淡々としているベルデは彼らしくなく、綺麗な弧を描く黒い戦闘機をうっとりとした目付きで見つめている。
「エアハルトさんの飛行が、お好きなんですか?」
ナスカがそう尋ねると、ベルデは語り出す。
「はい! 安定感がありながらも公式に縛られない飛行! 彼は航空隊の宝です! 航空学校時代から常にトップを走り続けてきたのですよ。凄いとは思いませんか?」
最終的には同意まで求めてくる始末だ。
その時、黒い機体からレーザーミサイルが発射される。
「トーレ、危ない!」
彼に届かないことは分かりながらもナスカは叫んでいた。
「ナスカさん、大丈夫ですよ。あれは訓練用のペイントレーザーミサイル。当たっても機体に絵の具で描いたような丸い印がつくだけです」
ベルデが説明口調で言った。
「へぇ、面白い」
ナスカは大声を出したことを恥ずかしく思い、少しばかり赤面し、苦笑いしながら返した。
トーレの搭乗機は降り注ぐレーザーミサイルの雨を回避するのに必死で、反撃の余裕はなさそうだ。当然のことだが、そう簡単に反撃の隙など与えるエアハルトではない。
「ここまでアードラーさんの攻撃から逃げ回るとは、トーレくんも意外とやりますね。しかし……そろそろ決着ですかね」
ベルデが言い終わらないうちに、レーザーミサイルがトーレの乗っている機体に当たる。たったの数発によって、機体がペンキのようなもので赤く染まった。
「見てくれたかな? ナスカ」
「エアハルトさん、さすがの腕前でした」
模擬戦闘を終えた二人はナスカと合流し、食堂へ行った。
朝食は終わり昼食にはまだ早いという絶妙の時間のせいもあってか、周囲にはあまり人がいない。テーブルには紅茶の入った三つの紙コップだけが置かれている。
「やはり空は僕の世界だなって思ったよ。スピード、重力、それに命の奪いあい」
嬉しそうに語るエアハルトの真横で、トーレは青い顔をして縮こまっている。
「トーレ、顔色悪いけど大丈夫? 体調悪いなら休んだら?」
ナスカが心配になって声をかけると、トーレは真っ青な顔を上げる。
「体調悪いとかじゃないんだ。その……大丈夫だから」
「そう? ならいいけど……」
畏縮したトーレの様子を見ていたエアハルトが、唐突に真面目な顔で言う。
「トーレ、どうして逃げ回ってばかりいた?」
怒っているようには見えないが、どこか冷たさを感じる声だった。
「君は最初から戦う気がなかっただろう。なぜだ」
トーレは暗い表情を浮かべながらうつむき小さく呟く。
「……怖くて」
エアハルトは黙っていた。
「……反撃しようとしました。でも、僕は引き金を引けなかったんです。訓練だし、それで誰かが死ぬわけじゃないと分かっていました。だけど、一度引き金を引けば……戻れなくなる気がして怖いんです」
目の前のエアハルトに怯えながらも必死に言葉を紡ぐトーレの唇は震えていた。
「そんなものは戦闘機乗りの宿命だ。宿命に逃げ道などない。つまりは、進むしかないということだ。くよくよ悩んでも時間の無駄。そんな暇があるなら引き金を引け。すぐ慣れる」
「僕は貴方とは違う!!」
トーレが反論した。
ナスカはその様子を信じられない思いで見つめた。
「アードラーさんはすぐ慣れたかもしれない。でも僕は……」
エアハルトも驚き顔だった。
「僕は、人殺しにはなれない」
トーレは更に続ける。
「敵にだって、家族がいて仲間がいて、大切な人がいるでしょう! 僕に人は殺せません。帰りを待っている人がいるのに。いくら敵でも……そんなのはあまりに残酷です!」
ナスカは何も言えなかった。頷くことも、それは違うと否定することも、どちらもできなかった。トーレの言うことは分かるのだが、大切な人を守るためには敵に情けをかけている余裕はない。
「足手まといだと思うなら、才能のある人間だけで戦えばいいじゃないですか。僕がいなくても何も困らない……そうでしょう!」
エアハルトはしばらく悲しそうな目をしていた。
「君は……優しいんだ。人より少し優しく生まれた。だから、人より少し多くのことに罪悪感を抱く」
胸を締め付けられる思いで二人を見つめるナスカ。
「トーレ、僕は君を足手まといだと思ったことはない。君は僕を助けてくれたし、今日も付き合ってくれた。僕もタイミングがあればきっと君を助けただろう。……だが、本当は違う世界にいる人間だったのかもしれないな」
エアハルトは立ち上がる。
「君は幸せだ。家族も友人も、何一つとして欠けていない。僕もそんな風に生きたかったよ」
彼はどこか寂しそうにそう言いナスカに小さく手を振ると、自分の紙コップを持ってどこかへ歩いていった。
静寂に取り残されたトーレがやがて小さく言う。
「ナスカ……僕さ、憧れていたんだ。アードラーさんのこと、尊敬してた。ナスカのことを尊敬しているのと同じぐらいに」
「……そう」
ナスカはトーレの話を聞きながら、静かに紙コップの紅茶を飲んだ。
「いつか僕もあんな風になれるかもしれないって、本当はちょっとだけ期待していたんだ」
「……そっか」
「僕、ずっと地味で目立たない人生だった。優秀でもないし、かっこいいわけでもない。嫌だった。アードラーさんはさ、人気だしいつも人に囲まれてちやほやされて、光って感じ。だから、ナスカと仲良くなって、アードラーさんとも知り合いになって、初めて話せた時は緊張したけど、自分も光に当たれたような気がして嬉しかったんだ」
トーレはナスカに視線を合わせて切なそうに微笑む。
「でも今日、本当に幸せなのかなって思った。アードラーさんは期待に答えるために戦い続けてる。人の心を捨てて無理するぐらいなら、平凡な人生のほうがある意味楽かなって。でも、そうしたら僕が今までしてきたこと、全部無駄だった気がして……ちょっとだけ辛いよ」
「無駄じゃないわ」
ナスカはきっぱり告げた。
「もし今すぐ役に立たなくとも、いつかきっとトーレ自身を救うことになる。意味のないことなんてあるはずないわ」
「ナスカ。僕はこれから、誰を目指せばいいんだろう」
トーレはすがるような目でナスカを見てくる。
「エアハルトさん以外で?」
「……うん。僕はあんな風にはなれない。悪魔だよ、彼は」
「どうして?」
「実弾でないとはいえ、あそこまで本気で攻撃してくるなんて……それに、殺しあいで生き生きしてる。そんなブラックな人とは知らなかったんだ。それがちょっとショックでさ」
「光が強ければ強いほど、闇は深くなるものよ」
「それはどういう意味?」
「誰かを照らす光になろうとすれば必ず闇も生まれるってこと。私は大切な人を二度と失わないためにこの道を選んだわ。この道を行けばいつかこの手を穢すことになると分かっていながらね。私の場合なら数人のため。でも、もしそれが、航空隊やこの国であったなら?」
トーレは真剣な顔だ。
「生まれる闇の深さはきっと、私とは比べものにならないでしょう」
「じゃあ僕は何も守らなければいいのかな」
「今はまだ、それでいいんじゃない。守るものなんて自分で探すものじゃないわ。気がついたら勝手にできてるものよ」
不安げなトーレにむかってナスカは笑いかける。
「紅茶冷めたんじゃない? 新しいのもらってこようか」
「そんな、いいよ。冷めたほうが飲みやすいぐらいだし、全然気にしないで……」
トーレは遠慮がちに答えた。
「そう? ならいいけど」
「ありがとう。ナスカに励ましてもらって元気が出たよ。色々迷惑かけてごめんね」
そう言ってトーレはようやく純粋に笑った。ナスカは嬉しく思う。
だが、それからというもの、トーレがエアハルトと話すことはしばらくなかった。
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