9 / 53
9話 小さな決意が芽吹くまで
しおりを挟む
それからも私は、リンツと直接関わることはしなかった。
いや、できなかった。
勇気がなかったのである。
彼は私を、いつも気にかけてくれていた。
話さないかと会いに来てくれたり、食事に誘ってくれたり、色々な物を贈ってくれたり。とにかく色々な方法で、構ってくれたのだ。
けれど、私はそれを拒否してばかりだった。
申し訳ないとは思うのだ。それに、悪いことをしているなと思いもする。けれど、彼と同じ時間を過ごす気にはどうもなれなくて。
私がもっと器用な人間であったなら、すべては上手くいっただろう。こんな風にややこしいことになることもなく、ただひたすら穏やかに、夫婦として暮らせただろうに。
「キャシィ様、なぜリンツ王子を拒まれるのです?」
午後三時、部屋へ紅茶を持ってきてくれていたローザが、唐突にそんなことを言った。
「ちゃんと関わる自信がないからです」
「なぜそう思われるのです? キャシィ様はきちんとした教育を受けておいででしょうに」
「……両親のこともありますし」
私はベッドに腰掛けたまま、ローザと話す。
「ご両親のこと、ですか?」
「私は第二王女だから、そんなに大切にされていないことは知っていました。けど、勝手に隣国に売られるなんて思っていなくて……」
私の言葉に、ローザは暫し黙り込む。何か考えているような顔だ。悪いことを言ってしまったかも、と思いつつ、私はローザの返事を待つ。
五秒、十秒、十五秒。
沈黙は長引く。
形のない不安を抱きつつ、私は、彼女が何か発するのを待った。
「……確かに」
一分ほどが経っただろうか、ローザがようやく口を開く。
「確かに、キャシィ様が衝撃を受けていらっしゃることも理解できます」
「ローザさん」
「肝心なところを伝えられずに結婚、しかもその相手の国から出られないというのは、少々酷ですよね」
ローザはゆっくりと述べる。
どうやら彼女は、今の私が陥っている状態を理解しようとしてくれているようだ。
私の心のすべてが正しく伝わる可能性は、かなり低いだろう。
けれど、それでも構わない。
私だって「すべて理解してほしい」なんて言うような贅沢はしない。理解しようとしてくれている、寄り添おうと努力してくれている。ただそれだけでいい。それだけで十分。私は満足だ。
「ご両親ともう一度話し合うというのも悪くはないかもしれませんね」
「もう会いたくないです」
「そうですか。ですよね、それも分かります」
ローザはポットを持ち上げ、ティーカップに紅茶を注ぐ。白い湯気が宙をふわりと舞っていた。
「これをお飲みになって下さい」
言いながら、ローザは、熱い紅茶を注いだティーカップを渡してくれる。
「これは?」
「紅茶です。心が落ち着きますよ」
そう述べながら微笑むローザは、まるで母親のようだ。私は内心「こんな人が母だったら良かったな」と思ってしまった。
「ありがとうございます」
ローザからティーカップを受け取り、口へ流し込んでみる。
熱と共に口内に広がる、甘みのある芳香が心地よい。
「キャシィ様、お一人で悩まれるのは体に毒ですよ。どなたかに相談してみられてはいかがでしょう」
「そう……ですね。考えてみます」
ティーカップの中の紅茶に映る自分の顔を見つめながら、私はそう返した。
しばらく鏡を見ていなかったから気づいていなかったのだが、私は酷い顔をしていた。口角は下がっているし、目の周囲は血色が悪い。美しいとはとても言えないような顔だ。
私、これでいいのかしら。
こんな状態で生きていて、後悔しないのかな。
——いや。
今のままでは駄目だ。こんな憂鬱な顔のまま年だけとるなんて、絶対にごめんである。
嫌なことはあるけれど、それに負けて萎れている場合ではない。
前を向いて、歩かなければ!
まさに今この瞬間、私の中では、小さな決意が芽吹いていた。
いや、できなかった。
勇気がなかったのである。
彼は私を、いつも気にかけてくれていた。
話さないかと会いに来てくれたり、食事に誘ってくれたり、色々な物を贈ってくれたり。とにかく色々な方法で、構ってくれたのだ。
けれど、私はそれを拒否してばかりだった。
申し訳ないとは思うのだ。それに、悪いことをしているなと思いもする。けれど、彼と同じ時間を過ごす気にはどうもなれなくて。
私がもっと器用な人間であったなら、すべては上手くいっただろう。こんな風にややこしいことになることもなく、ただひたすら穏やかに、夫婦として暮らせただろうに。
「キャシィ様、なぜリンツ王子を拒まれるのです?」
午後三時、部屋へ紅茶を持ってきてくれていたローザが、唐突にそんなことを言った。
「ちゃんと関わる自信がないからです」
「なぜそう思われるのです? キャシィ様はきちんとした教育を受けておいででしょうに」
「……両親のこともありますし」
私はベッドに腰掛けたまま、ローザと話す。
「ご両親のこと、ですか?」
「私は第二王女だから、そんなに大切にされていないことは知っていました。けど、勝手に隣国に売られるなんて思っていなくて……」
私の言葉に、ローザは暫し黙り込む。何か考えているような顔だ。悪いことを言ってしまったかも、と思いつつ、私はローザの返事を待つ。
五秒、十秒、十五秒。
沈黙は長引く。
形のない不安を抱きつつ、私は、彼女が何か発するのを待った。
「……確かに」
一分ほどが経っただろうか、ローザがようやく口を開く。
「確かに、キャシィ様が衝撃を受けていらっしゃることも理解できます」
「ローザさん」
「肝心なところを伝えられずに結婚、しかもその相手の国から出られないというのは、少々酷ですよね」
ローザはゆっくりと述べる。
どうやら彼女は、今の私が陥っている状態を理解しようとしてくれているようだ。
私の心のすべてが正しく伝わる可能性は、かなり低いだろう。
けれど、それでも構わない。
私だって「すべて理解してほしい」なんて言うような贅沢はしない。理解しようとしてくれている、寄り添おうと努力してくれている。ただそれだけでいい。それだけで十分。私は満足だ。
「ご両親ともう一度話し合うというのも悪くはないかもしれませんね」
「もう会いたくないです」
「そうですか。ですよね、それも分かります」
ローザはポットを持ち上げ、ティーカップに紅茶を注ぐ。白い湯気が宙をふわりと舞っていた。
「これをお飲みになって下さい」
言いながら、ローザは、熱い紅茶を注いだティーカップを渡してくれる。
「これは?」
「紅茶です。心が落ち着きますよ」
そう述べながら微笑むローザは、まるで母親のようだ。私は内心「こんな人が母だったら良かったな」と思ってしまった。
「ありがとうございます」
ローザからティーカップを受け取り、口へ流し込んでみる。
熱と共に口内に広がる、甘みのある芳香が心地よい。
「キャシィ様、お一人で悩まれるのは体に毒ですよ。どなたかに相談してみられてはいかがでしょう」
「そう……ですね。考えてみます」
ティーカップの中の紅茶に映る自分の顔を見つめながら、私はそう返した。
しばらく鏡を見ていなかったから気づいていなかったのだが、私は酷い顔をしていた。口角は下がっているし、目の周囲は血色が悪い。美しいとはとても言えないような顔だ。
私、これでいいのかしら。
こんな状態で生きていて、後悔しないのかな。
——いや。
今のままでは駄目だ。こんな憂鬱な顔のまま年だけとるなんて、絶対にごめんである。
嫌なことはあるけれど、それに負けて萎れている場合ではない。
前を向いて、歩かなければ!
まさに今この瞬間、私の中では、小さな決意が芽吹いていた。
0
お気に入りに追加
59
あなたにおすすめの小説
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
私が愛する王子様は、幼馴染を側妃に迎えるそうです
こことっと
恋愛
それは奇跡のような告白でした。
まさか王子様が、社交会から逃げ出した私を探しだし妃に選んでくれたのです。
幸せな結婚生活を迎え3年、私は幸せなのに不安から逃れられずにいました。
「子供が欲しいの」
「ごめんね。 もう少しだけ待って。 今は仕事が凄く楽しいんだ」
それから間もなく……彼は、彼の幼馴染を側妃に迎えると告げたのです。
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
貴方もヒロインのところに行くのね? [完]
風龍佳乃
恋愛
元気で活発だったマデリーンは
アカデミーに入学すると生活が一変し
てしまった
友人となったサブリナはマデリーンと
仲良くなった男性を次々と奪っていき
そしてマデリーンに愛を告白した
バーレンまでもがサブリナと一緒に居た
マデリーンは過去に決別して
隣国へと旅立ち新しい生活を送る。
そして帰国したマデリーンは
目を引く美しい蝶になっていた
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話
ラララキヲ
恋愛
長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。
初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。
しかし寝室に居た妻は……
希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──
一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……──
<【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました>
◇テンプレ浮気クソ男女。
◇軽い触れ合い表現があるのでR15に
◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。
◇ご都合展開。矛盾は察して下さい…
◇なろうにも上げてます。
※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)
私はただ一度の暴言が許せない
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。
花婿が花嫁のベールを上げるまでは。
ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。
「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。
そして花嫁の父に向かって怒鳴った。
「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは!
この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。
そこから始まる物語。
作者独自の世界観です。
短編予定。
のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。
話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。
楽しんでいただけると嬉しいです。
※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。
※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です!
※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。
ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。
今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、
ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。
よろしくお願いします。
※9/27 番外編を公開させていただきました。
※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。
※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。
※10/25 完結しました。
ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。
たくさんの方から感想をいただきました。
ありがとうございます。
様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、
今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。
申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。
もちろん、私は全て読ませていただきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる