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ショート・ショート
まんまるリトル
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「帰ってたなら『ただいま』って言わなくちゃダメじゃない、ゆうじ」
まるめた背中に掛かる声に、彼は、白鷺邑治は、更に背をまあるくまんまるく丸めた。気だるげに片手だけを上げ、ヒラヒラ揺らしながら応える。
「なんでいちいちおまえに挨拶しなきゃなんねーんだよ、昇華」
「もう」
望まぬ応えに昇華は頬を膨らませた。
「ゆうじ、態度わるい」
【まんまるリトル】
短めの髪とショート丈のスカートのフリルを揺らし、彼女は彼に歩み寄る。カツ、カツ、カツと、絨毯が敷かれた床に高く響くローヒール音。
「おい、あんまし靴の音立てんな昇華、俺の部屋だぞココ!」
振り返って諌める。
と、細腕が邑治の頭に伸びた。小さな手は彼の額に触れ、そこにかかる黒髪にも触れて撫でる。
「文句はダメ! 挨拶をしなよ、ゆうじ!」
「…………」
踵をいっぱいに伸ばし、背伸びて彼女は頭を撫でてくる。
邑治は脱力しながら、されるままに頭を預けた。
「拍子抜けしちまうよ、まったく。なぁ昇華ぁ、これ(ナデナデ)、いい加減にやめてくんね?」
「なんでよー? ゆうじが帰って来たら必ず『いい子ね』ってお迎えするの。昔からそうしてたでしょ?」
「いや、だからその習慣いい加減やめにしようぜ。俺がいくつになったと思ってんだ」
ようやく手を離した昇華は、ぼやく邑治をつぶらな瞳で見上げる。
「うーん。微妙ね。いくつなんだろ?」
「おい! たったひとりの可愛い弟のトシ、忘れたのかよ!!」
「違う違う、年齢はもちろん知ってるよ。来月でハタチだよね。じゃなくて、私が言ってんのは身長!」
「……ああ」
成る程ね、と邑治は片手を己の目線の高さに翳す。
「ガッコ行ってないから測ってねーもんなぁ。いま、185は超えてる……かな? 総長と同じくらいみたいだし俺」
「『そうちょう』?」
昇華は困り眉を寄せた。いや、白鷺の人間は何故だかみな、眉間に気難しく皺を寄せた顔の造りになるようであるが。
「それ、あんじゅが言ってた。ゆうじが騙されて入ってる、悪いグループのドンの事だね」
すると今度は邑治が表情を厳しくする。
「悪いグループってなんだよ。よく知りもしねークセに勝手こと言うな!」
「だって、あんじゅが」
甘鶴杏珠。彼は白鷺家の執事頭だ。邑治の高校時代のクラスメートでもあり、年齢が重なる昇華の友でもある。彼は、規律を乱すものを嫌う潔癖な男であり、身内を思いやり救うために動く漢(おとこ)だ。
「あんじゅは心配でしょうがないんだよ、ゆうじがこの屋敷を出て行ってから、いつも疲れた顔をしてるんだよ?」
「ケッ、アイツは前からダルそ~な面構えじゃんかよ。心配されるいわれは無ぇ、この通り俺は元気ハツラツと頑張ってら」
「頑張ってる、って何を頑張ってるのよ。夜ごとバイクをやかましく集団で走らせて人様に迷惑かけたり、いろんな人に暴力ふるうのが偉いお仕事なの!?」
この凄んでくる相手が長姉の久遠ならば畏縮する邑治であるが。
「ウルセーよ!」
ここはしっかり、怒鳴り返す。4人いる姉の中でも白鷺昇華は邑治の驚異の対象ではない。彼女は。対等にやり合える喧嘩友達。そんな存在だ。
「いろんな人、って。聞きかじり程度の知識で勝手な答を吐くな昇華! 一般人を乱暴狼藉に遭わせたこたぁ、『雷砲党』結成から1度だってありゃしねーんだ!!」
「じゃあ、誰とケンカになっちゃうのよ」
「他のライダーやらチンピラとかだよ。雷砲党は闘うライダー集団だからな、仕方ねぇ。でも、俺たちから乱暴を働くよーなことは無い」
やや美化した解説だ。雷砲党は、メンバー総数が150人からなる大所帯。中には自ら不貞を働く輩もいなくはない。しかして、そういった輩については
(そーいうバカ野郎には、キサト総長が脱退命令を下してる。金の鉄傘を構えて『出て行かなければ突きますよ』だぜ? みーんな恐怖してサヨナラすっから、雷砲党の名が穢れるこたぁ無いんだ)
やっぱキサトさんスゲーよなぁ、カッコいいなぁ、雷砲党バンザイ!! と心で万歳三唱。
「そーいうのカッコよくないと思うよ、私は」
万歳の腰を折る昇華。
邑治は「なんだよ、人が良い気分になりかけてんのに水差すな!」と突っ返す。
「だって、そういうのは集団で、仲間といるから気が大きくなって出来るケンカでしょ。ライダーはライダーでも、仮面ライダーみたいな孤高のヒーローじゃない。卑怯な人間たちだよ」
「ひとりひとりになったなら誰とも喧嘩出来ねぇチキン野郎ばっかしだ、って?」
あながち的を得ている。なので押し黙る邑治。
「でも、ゆうじはちょこっとは仮面ライダーだよ。そのチームに入らない内から、あなたはひとりで大勢と殴り合いしてた」
「当たり前だ、俺は自分の意に沿わねぇ道理とは遠慮も容赦なく殴り合う主義だかんな!」
昇華と邑治は同時に過去を思い浮かべていた。過去、小学校に通う頃から中学、高校と成る過程で、邑治は数多くの暴力沙汰を起こした。主に、たったひとりで。
「たいていは理に叶う、男の中の男らしい理由でぶっちゃけたバトルだったんだ。俺、チョーカッコ良かったんだぜ!」
悦に入る弟、の、今度は本当に腰を叩く昇華。
「いたたっ!」
「自分でカッコ良かったとか言うのカッコ悪い! ゆうじは相変わらず自己中ナルシストね!」
そして彼の着姿を眺めて溜め息。
「服のセンスはますます酷くなっちゃってるし」
「なんだそれ! いきなし関係がねーハナシに突入すんな!!」
ムキにもなる。着こんだ上着、紫と黄色のストライプ模様のそれは、彼のお気に入り配色。特注品なのだ。
「昇華こそ、会うたびハデな服になってってね?」
「えー? そうかなあ」
目線を下げて昇華はクルリとその場をひと回る。赤とピンクのドット柄のスカートのフリルが揺らいだ。
「これ、最近好きになったブランドの服なのよ。ルビエス」
「ふーん」
興味浅げに返事を投げ、邑治はストライプの上着を脱いだ。
「ま、親父やアネキあたりじゃ、更に俺の斬新なセンスがわかんねーだろうから」
着替えるつもりらしい。ベルトのバックルの戒めを解き、ジーンズのファスナーを下げて開襟シャツのボタンにも指を掛け。
「……なに突っ立ってんだよ。出てけ。着替えだ」
「どーしてよ。お話を続けようよ、ゆうじ」
「女が見てる前で着替えれっか! 気が散る!!」
「私は気になんないよ。ゆうじの裸なんか何回も見てるもん」
「そりゃ何年前のハナシだよ! ああもう!!」
ぶつくさと愚痴りながらジーンズを膝から脱ぎ、持ち歩くとクローゼットの中に放り込む。
「さあてと。脚と胴体のどっちが伸びたのか知らねーが、こん中の服、俺の身体に合うのかねー」
数本を履き試して、床はスラックスだらけになった。
「伸びたの、脚だ」
「どれも短くなっちゃったんだ?」
昇華は様子を見ていたが、邑治が下町帰りで持ち込んだ鞄を示す。
「あの中に着替えは?」
「んー。まぁいっか、アンジュに親父に久遠アネキ……身内とメシを食うだけなんだもんな」
鞄から細身の黒いジーンズを出して脚を通す。
「上は……」
顎髭に手をやり、黄緑のワイシャツを手に取る。
「緑色って、難しいよな」
「なんで?」
「だって、これに合う色、ピンクしか思いつかねーんだもん。難しいな」
どうやら彼は、ひとつの色を見ると反対色のみが脳裏に浮かぶらしい。
「他の上着、白や藍色やブラウンしかねぇ。特にブラウンは緑に合わないからイヤだなー」
昇華は彼の後ろ頭を撫で撫で撫でた。
「なにを言ってんのよ、茶色と緑は自然界の色! アースカラーじゃない。いいよ、ブラウンにしなよ。似合うよ」
「そっかー?」
いぶかしみつつ従う。手鋤きで髪を、セミロングの髪を崩した。額と瞼に落ちる髪に瞳をうっとうしげに瞬く。
「目にジャマだからオールバック派なんだけど。これも仕方ねぇ、髪の毛おろしてねーとアネキに睨まれる」
「ヒゲは剃らないの?」
「ダメ。これだけは俺の譲れねープライドだ」
「せつなくてショボいプライドだね。ゆうじらしいからいいけど」
「ルセーわ、水玉!」
「そうだ、ゆうじ、ゆうじに言われて思い出した。見て、みて。わたしのアクセサリー。新しくしたの」
首に下げた飾りをアピールすると邑治は「気づいてたよ」と笑った。
「ペンダントにしちゃ、妙に大きめだなって思ってた。それ、えーと、携帯電話?」
躊躇いがちに問う。何故なら邑治は、下町に下りて行動する内に理解してしまったから。
「昇華ぁ、下町のケータイ、見たことあるか?」
開いた鞄を閉じる。
「カバンみたいにデッカいんだぜ。肩から下げるんだと。爆笑だよな」
「ふうん、そうなんだ」
ネックレス――否、ストラップを指に玩ぶ姉。
「うち(白鷺)は、ここの会社にたくさん資金提供してるもんね。だからケータイもタダで貰えちゃう」
ストラップに下がるコンパクトな携帯電話を見つめる。そこにはスペルが記されていた。電話の製造元であろうか。
「スゲーな、白鷺財閥。ほんと俺らは、つくづくオソロシイ星の元に生まれてる、そう思わねぇ? 昇華」
「別に?」
「は……、『別に』、か。やれやれ、生まれつきのプリンセスは俺と感覚が違って当然か」
なにか含みを残した台詞だが、昇華はそこの異質には気づかなかった。
「ゆうじは携帯どうしたの? 久遠お姉ちゃんがあげたでしょ、真っ白で細ーい携帯」
「ああ、まあな」
邑治の眼差しは、虚ろに移ろう。確かに、貰った。賜った。白鷺の当主・実國と双璧をなす君主、女王。長姉・白鷺久遠。彼女は3人の妹と、ただひとりの弟――白鷺財閥の次期当主たる邑治に。白鷺の絆を与え、託した。
『邑治。これは、わたしからの最後の忠告です。証です。月に、翼。この白鷺の家紋を、常にいだきなさい』
が、ーー
「あれね。ウゼーし、下町のアパート。押し入れん中に置いてきた」
次期当主の王子は、証を重荷としか受け止めれない様子だ。
「どーして!? あれには白鷺の家紋も入ってる。中のデータは身分証明書にもなるんだよ? そんなぞんざいに扱うなんて」
「ウルセーよ。俺はこの家がイヤで出たんだ、証なんか持ち歩けるか、バカ水玉」
「水玉言わないでよぉ。ゆうじのバカしましま」
「シマシマ言うな!」
「わかんないなぁ。ケータイって凄く便利なのに。着信音とか変えれるんだよ? あ、着信音の意味わかる?」
「着信んときのベル音階を組み換えしてメロディアスに出来んだろ」
サラリと応えた。
「プッシュ音も設定次第でピアノ風に出来るらしいな。『1』が『ド』で『2』が『レ』、とかナントカ」
片手指を空中で動かす。携帯電話を弄る動作だ。それは親指だけを滑らせるパントマイム。ボタンを押しているのだ、むろん架空の電話相手。音など誰にも聴こえはしないが。
「ゆうじ」
が、その指先を見つめる昇華の丸い瞳は、よりまあるくなった。
「ゆうじ、それ、なんて『弾いた』の?」
「……“The Platters”………」
「あははっ。ゆうじならケータイでも名曲が弾けちゃうんだね」
「よせよ。厭味か」
握る動作をやめ、空いた手で彼は頭を掻く。
「弾くのは、やめたんだ」
「ギターも? ピアノやバイオリンはお姉ちゃんが無理矢理やらせてたけど、ギターは。ゆうじ、好きだったよね?」
「いいんだ。聴く専門でいい。だって、音楽って創造だろ。クリエイティブ、ってやつだろう?」
自嘲を込めて、薄く笑う。
「誰かを感動させたり、自分の感動を伝えるために創造をするんだろ? 誰しもが……」
挫折感だ。大学入試に失敗して以降から本格的に付きまとう挫折感と空虚感が、かれの前向きな『なにか』を壊した。故に、それなりに好きであった筈の演奏も、彼は棄てた。
「もったいないな。私、ゆうじは音楽の才能があるって思ってたのに」
「気のせい、気のせい。誉めてもなんもやれねーよ、もう黙れ」
ばらついた前髪が、伏し目た貌に、鼻先に掛かる。こんな瞬間には。ああ、髪を下ろしていて良かった、と思う。
(八方塞がりだ。くそ。チクショー。俺の目指すものは、なんなんだ、考えちまう。凹みたくなる、そんな、情けない表情を、)
誰にも見られたくない。悟られたくなどない。
「さ来月だよ。久遠お姉ちゃんがイギリスに行くのは。ゆうじ、付いてきたいから、今日、帰って来たんだよね?」
「ん……。ああ。大女優ジェニファーは、俺のマドンナだからよ」
愛車の名にまで付けたほど、その女優に心酔中だ。彼女が主催するイベントに白鷺久遠が招かれた。自分は、そこに便乗を図るつもりだ。
「サインと握手して貰えたら、チョー幸せ!!」
その光景を予想して彼は萌えた。消沈から直ぐ様に回復する部分は、根の単純……もとい、純粋さの表れか。
「都合よ過ぎ、ゆうじ。そんなミーハーな理由で実家に戻ってくるだなんて、ヒドいお調子もの。あんじゅに蹴りをお願いしなくちゃ」
最後の一節に肩を竦める。
「よせよ昇華!! アイツのケリの破壊力はマジにハンパねーんだぞ!?」
クローゼット扉を閉め、部屋の入り口へと爪先を向けた。長い脚を踏み出すと、羽織るブラウンの上着から緑色のワイシャツから、締めきれなかったネクタイが滑り靡く。
「タイはちゃんと締めなよ、ゆうじ」
猫背で受けた声に
「窮屈なんだよ。タイも、この屋敷も」投げやりに答を返す。
「こんなに大きなおうちなのに。高い天井なのに。窮屈なんだ。ゆうじ」
やわらかなイントネーションで、ただ、そう彼女は言った。押し付けでも、同情でもなく。
「だからあなたは、そんなに背中をまあるくしていなきゃ苦しいのかなぁ……」
「…………。」
問いかけるような響きに、邑治は立ち止まる。
(昇華……)
目線でだけ、彼女の姿を捉えた。彼女の表情に、特には変化など無い。純粋培養されてきたプリンセスらしく。きょとんとした顔で邑治を見つめているだけだ。
「ゆうじは凄く身体が大きくなっちゃったのに。窮屈だから、窮屈な世界に合わせて丸くならないといけないのね」
「……………」
「合わせようとしてくれてるんだよね」
「それは……」
そんなつもりは、と言いかけたが留まる。
(そんなつもりは無い? いや、俺は……)
白鷺が窮屈だとは思っているが、窮屈だと感じてしまう己の今の有り様が苦しいだけなのだ。
(俺は、『白鷺』が嫌いなんじゃない)
小さな姉の、持て余したかのように遊ぶ手のひらを眺め、首を傾斜し
「ジョーダンだよ、昇華。単に、ネクタイの締め方を忘れただけだ」答を、訂正した。
昇華は「ふうん」とだけ反応し、「大丈夫だよ。ディナーまでまだ時間あるから、私が縛ってあげるよ」と、朗らかに笑った。
「じゃあ、ゆうじの背中がまあるいのは単に姿勢が悪いだけなんだね。あんじゅみたいに瞑想をシュミにしたら治るよ、きっと」
「途中で寝ちまわ。俺は飽き性なの」
ブラウンの上着の裾を、小さな手が掴む。互いの歩幅の差は歴然であるけれど、邑治は足を擦り気味にしてゆっくりと進む。彼女に。合わせて。
(中学の頃にグンと背が伸びて、俺は背中を縮めるよーになったんだ)
その理由については自分自身、さしたる答は考えてもいなかった。だが漠然と、いま理解をした。『合わせて』いたのだ。合わせたくなっていたのだ、無意識の内に。
(昇華の。ウゼーほどに撫でてくる、指し伸ばしてくる『手』が)
手が、俺の頭に。届くようにと。
(なんだそれ。そんなシオらしい理由、クチが裂けてもコイツにゃ言えねぇ、言いたかねえ!!)
俺は硬派なカミナリ族の闘うライダーなんだぞ、コンチクショー。愚痴愚痴る彼の心中などは察せぬ昇華は、無邪気に微笑って彼の後ろ頭に続く。時折、ク、と上着の裾を引っ張り。
「ゆうじは歩くのも遅いのね。あっ、そうかー、これが下町の不良の流行りなんでしょ!」
的外れなボケに、邑治は「そー思うなら思ってろ、バカ水玉」と溢した。
広がる想いが込められたその『手』を、その手が在るこの白鷺の城を。わたしは私の力の限り衛りたい。私は、おまえたちという名の都を衛る王なのだから。
(馬鹿馬鹿しい)
一瞬だけ脳の内に閃いた君主の言葉を彼は否定し、脳の隅に追いやった。いまは、まだ。脳の隅に。
閃きは、やがて本物の閃光となりて彼の内の皇者の魂を揺り起こす。遠くはなき、未来に……
了.
まるめた背中に掛かる声に、彼は、白鷺邑治は、更に背をまあるくまんまるく丸めた。気だるげに片手だけを上げ、ヒラヒラ揺らしながら応える。
「なんでいちいちおまえに挨拶しなきゃなんねーんだよ、昇華」
「もう」
望まぬ応えに昇華は頬を膨らませた。
「ゆうじ、態度わるい」
【まんまるリトル】
短めの髪とショート丈のスカートのフリルを揺らし、彼女は彼に歩み寄る。カツ、カツ、カツと、絨毯が敷かれた床に高く響くローヒール音。
「おい、あんまし靴の音立てんな昇華、俺の部屋だぞココ!」
振り返って諌める。
と、細腕が邑治の頭に伸びた。小さな手は彼の額に触れ、そこにかかる黒髪にも触れて撫でる。
「文句はダメ! 挨拶をしなよ、ゆうじ!」
「…………」
踵をいっぱいに伸ばし、背伸びて彼女は頭を撫でてくる。
邑治は脱力しながら、されるままに頭を預けた。
「拍子抜けしちまうよ、まったく。なぁ昇華ぁ、これ(ナデナデ)、いい加減にやめてくんね?」
「なんでよー? ゆうじが帰って来たら必ず『いい子ね』ってお迎えするの。昔からそうしてたでしょ?」
「いや、だからその習慣いい加減やめにしようぜ。俺がいくつになったと思ってんだ」
ようやく手を離した昇華は、ぼやく邑治をつぶらな瞳で見上げる。
「うーん。微妙ね。いくつなんだろ?」
「おい! たったひとりの可愛い弟のトシ、忘れたのかよ!!」
「違う違う、年齢はもちろん知ってるよ。来月でハタチだよね。じゃなくて、私が言ってんのは身長!」
「……ああ」
成る程ね、と邑治は片手を己の目線の高さに翳す。
「ガッコ行ってないから測ってねーもんなぁ。いま、185は超えてる……かな? 総長と同じくらいみたいだし俺」
「『そうちょう』?」
昇華は困り眉を寄せた。いや、白鷺の人間は何故だかみな、眉間に気難しく皺を寄せた顔の造りになるようであるが。
「それ、あんじゅが言ってた。ゆうじが騙されて入ってる、悪いグループのドンの事だね」
すると今度は邑治が表情を厳しくする。
「悪いグループってなんだよ。よく知りもしねークセに勝手こと言うな!」
「だって、あんじゅが」
甘鶴杏珠。彼は白鷺家の執事頭だ。邑治の高校時代のクラスメートでもあり、年齢が重なる昇華の友でもある。彼は、規律を乱すものを嫌う潔癖な男であり、身内を思いやり救うために動く漢(おとこ)だ。
「あんじゅは心配でしょうがないんだよ、ゆうじがこの屋敷を出て行ってから、いつも疲れた顔をしてるんだよ?」
「ケッ、アイツは前からダルそ~な面構えじゃんかよ。心配されるいわれは無ぇ、この通り俺は元気ハツラツと頑張ってら」
「頑張ってる、って何を頑張ってるのよ。夜ごとバイクをやかましく集団で走らせて人様に迷惑かけたり、いろんな人に暴力ふるうのが偉いお仕事なの!?」
この凄んでくる相手が長姉の久遠ならば畏縮する邑治であるが。
「ウルセーよ!」
ここはしっかり、怒鳴り返す。4人いる姉の中でも白鷺昇華は邑治の驚異の対象ではない。彼女は。対等にやり合える喧嘩友達。そんな存在だ。
「いろんな人、って。聞きかじり程度の知識で勝手な答を吐くな昇華! 一般人を乱暴狼藉に遭わせたこたぁ、『雷砲党』結成から1度だってありゃしねーんだ!!」
「じゃあ、誰とケンカになっちゃうのよ」
「他のライダーやらチンピラとかだよ。雷砲党は闘うライダー集団だからな、仕方ねぇ。でも、俺たちから乱暴を働くよーなことは無い」
やや美化した解説だ。雷砲党は、メンバー総数が150人からなる大所帯。中には自ら不貞を働く輩もいなくはない。しかして、そういった輩については
(そーいうバカ野郎には、キサト総長が脱退命令を下してる。金の鉄傘を構えて『出て行かなければ突きますよ』だぜ? みーんな恐怖してサヨナラすっから、雷砲党の名が穢れるこたぁ無いんだ)
やっぱキサトさんスゲーよなぁ、カッコいいなぁ、雷砲党バンザイ!! と心で万歳三唱。
「そーいうのカッコよくないと思うよ、私は」
万歳の腰を折る昇華。
邑治は「なんだよ、人が良い気分になりかけてんのに水差すな!」と突っ返す。
「だって、そういうのは集団で、仲間といるから気が大きくなって出来るケンカでしょ。ライダーはライダーでも、仮面ライダーみたいな孤高のヒーローじゃない。卑怯な人間たちだよ」
「ひとりひとりになったなら誰とも喧嘩出来ねぇチキン野郎ばっかしだ、って?」
あながち的を得ている。なので押し黙る邑治。
「でも、ゆうじはちょこっとは仮面ライダーだよ。そのチームに入らない内から、あなたはひとりで大勢と殴り合いしてた」
「当たり前だ、俺は自分の意に沿わねぇ道理とは遠慮も容赦なく殴り合う主義だかんな!」
昇華と邑治は同時に過去を思い浮かべていた。過去、小学校に通う頃から中学、高校と成る過程で、邑治は数多くの暴力沙汰を起こした。主に、たったひとりで。
「たいていは理に叶う、男の中の男らしい理由でぶっちゃけたバトルだったんだ。俺、チョーカッコ良かったんだぜ!」
悦に入る弟、の、今度は本当に腰を叩く昇華。
「いたたっ!」
「自分でカッコ良かったとか言うのカッコ悪い! ゆうじは相変わらず自己中ナルシストね!」
そして彼の着姿を眺めて溜め息。
「服のセンスはますます酷くなっちゃってるし」
「なんだそれ! いきなし関係がねーハナシに突入すんな!!」
ムキにもなる。着こんだ上着、紫と黄色のストライプ模様のそれは、彼のお気に入り配色。特注品なのだ。
「昇華こそ、会うたびハデな服になってってね?」
「えー? そうかなあ」
目線を下げて昇華はクルリとその場をひと回る。赤とピンクのドット柄のスカートのフリルが揺らいだ。
「これ、最近好きになったブランドの服なのよ。ルビエス」
「ふーん」
興味浅げに返事を投げ、邑治はストライプの上着を脱いだ。
「ま、親父やアネキあたりじゃ、更に俺の斬新なセンスがわかんねーだろうから」
着替えるつもりらしい。ベルトのバックルの戒めを解き、ジーンズのファスナーを下げて開襟シャツのボタンにも指を掛け。
「……なに突っ立ってんだよ。出てけ。着替えだ」
「どーしてよ。お話を続けようよ、ゆうじ」
「女が見てる前で着替えれっか! 気が散る!!」
「私は気になんないよ。ゆうじの裸なんか何回も見てるもん」
「そりゃ何年前のハナシだよ! ああもう!!」
ぶつくさと愚痴りながらジーンズを膝から脱ぎ、持ち歩くとクローゼットの中に放り込む。
「さあてと。脚と胴体のどっちが伸びたのか知らねーが、こん中の服、俺の身体に合うのかねー」
数本を履き試して、床はスラックスだらけになった。
「伸びたの、脚だ」
「どれも短くなっちゃったんだ?」
昇華は様子を見ていたが、邑治が下町帰りで持ち込んだ鞄を示す。
「あの中に着替えは?」
「んー。まぁいっか、アンジュに親父に久遠アネキ……身内とメシを食うだけなんだもんな」
鞄から細身の黒いジーンズを出して脚を通す。
「上は……」
顎髭に手をやり、黄緑のワイシャツを手に取る。
「緑色って、難しいよな」
「なんで?」
「だって、これに合う色、ピンクしか思いつかねーんだもん。難しいな」
どうやら彼は、ひとつの色を見ると反対色のみが脳裏に浮かぶらしい。
「他の上着、白や藍色やブラウンしかねぇ。特にブラウンは緑に合わないからイヤだなー」
昇華は彼の後ろ頭を撫で撫で撫でた。
「なにを言ってんのよ、茶色と緑は自然界の色! アースカラーじゃない。いいよ、ブラウンにしなよ。似合うよ」
「そっかー?」
いぶかしみつつ従う。手鋤きで髪を、セミロングの髪を崩した。額と瞼に落ちる髪に瞳をうっとうしげに瞬く。
「目にジャマだからオールバック派なんだけど。これも仕方ねぇ、髪の毛おろしてねーとアネキに睨まれる」
「ヒゲは剃らないの?」
「ダメ。これだけは俺の譲れねープライドだ」
「せつなくてショボいプライドだね。ゆうじらしいからいいけど」
「ルセーわ、水玉!」
「そうだ、ゆうじ、ゆうじに言われて思い出した。見て、みて。わたしのアクセサリー。新しくしたの」
首に下げた飾りをアピールすると邑治は「気づいてたよ」と笑った。
「ペンダントにしちゃ、妙に大きめだなって思ってた。それ、えーと、携帯電話?」
躊躇いがちに問う。何故なら邑治は、下町に下りて行動する内に理解してしまったから。
「昇華ぁ、下町のケータイ、見たことあるか?」
開いた鞄を閉じる。
「カバンみたいにデッカいんだぜ。肩から下げるんだと。爆笑だよな」
「ふうん、そうなんだ」
ネックレス――否、ストラップを指に玩ぶ姉。
「うち(白鷺)は、ここの会社にたくさん資金提供してるもんね。だからケータイもタダで貰えちゃう」
ストラップに下がるコンパクトな携帯電話を見つめる。そこにはスペルが記されていた。電話の製造元であろうか。
「スゲーな、白鷺財閥。ほんと俺らは、つくづくオソロシイ星の元に生まれてる、そう思わねぇ? 昇華」
「別に?」
「は……、『別に』、か。やれやれ、生まれつきのプリンセスは俺と感覚が違って当然か」
なにか含みを残した台詞だが、昇華はそこの異質には気づかなかった。
「ゆうじは携帯どうしたの? 久遠お姉ちゃんがあげたでしょ、真っ白で細ーい携帯」
「ああ、まあな」
邑治の眼差しは、虚ろに移ろう。確かに、貰った。賜った。白鷺の当主・実國と双璧をなす君主、女王。長姉・白鷺久遠。彼女は3人の妹と、ただひとりの弟――白鷺財閥の次期当主たる邑治に。白鷺の絆を与え、託した。
『邑治。これは、わたしからの最後の忠告です。証です。月に、翼。この白鷺の家紋を、常にいだきなさい』
が、ーー
「あれね。ウゼーし、下町のアパート。押し入れん中に置いてきた」
次期当主の王子は、証を重荷としか受け止めれない様子だ。
「どーして!? あれには白鷺の家紋も入ってる。中のデータは身分証明書にもなるんだよ? そんなぞんざいに扱うなんて」
「ウルセーよ。俺はこの家がイヤで出たんだ、証なんか持ち歩けるか、バカ水玉」
「水玉言わないでよぉ。ゆうじのバカしましま」
「シマシマ言うな!」
「わかんないなぁ。ケータイって凄く便利なのに。着信音とか変えれるんだよ? あ、着信音の意味わかる?」
「着信んときのベル音階を組み換えしてメロディアスに出来んだろ」
サラリと応えた。
「プッシュ音も設定次第でピアノ風に出来るらしいな。『1』が『ド』で『2』が『レ』、とかナントカ」
片手指を空中で動かす。携帯電話を弄る動作だ。それは親指だけを滑らせるパントマイム。ボタンを押しているのだ、むろん架空の電話相手。音など誰にも聴こえはしないが。
「ゆうじ」
が、その指先を見つめる昇華の丸い瞳は、よりまあるくなった。
「ゆうじ、それ、なんて『弾いた』の?」
「……“The Platters”………」
「あははっ。ゆうじならケータイでも名曲が弾けちゃうんだね」
「よせよ。厭味か」
握る動作をやめ、空いた手で彼は頭を掻く。
「弾くのは、やめたんだ」
「ギターも? ピアノやバイオリンはお姉ちゃんが無理矢理やらせてたけど、ギターは。ゆうじ、好きだったよね?」
「いいんだ。聴く専門でいい。だって、音楽って創造だろ。クリエイティブ、ってやつだろう?」
自嘲を込めて、薄く笑う。
「誰かを感動させたり、自分の感動を伝えるために創造をするんだろ? 誰しもが……」
挫折感だ。大学入試に失敗して以降から本格的に付きまとう挫折感と空虚感が、かれの前向きな『なにか』を壊した。故に、それなりに好きであった筈の演奏も、彼は棄てた。
「もったいないな。私、ゆうじは音楽の才能があるって思ってたのに」
「気のせい、気のせい。誉めてもなんもやれねーよ、もう黙れ」
ばらついた前髪が、伏し目た貌に、鼻先に掛かる。こんな瞬間には。ああ、髪を下ろしていて良かった、と思う。
(八方塞がりだ。くそ。チクショー。俺の目指すものは、なんなんだ、考えちまう。凹みたくなる、そんな、情けない表情を、)
誰にも見られたくない。悟られたくなどない。
「さ来月だよ。久遠お姉ちゃんがイギリスに行くのは。ゆうじ、付いてきたいから、今日、帰って来たんだよね?」
「ん……。ああ。大女優ジェニファーは、俺のマドンナだからよ」
愛車の名にまで付けたほど、その女優に心酔中だ。彼女が主催するイベントに白鷺久遠が招かれた。自分は、そこに便乗を図るつもりだ。
「サインと握手して貰えたら、チョー幸せ!!」
その光景を予想して彼は萌えた。消沈から直ぐ様に回復する部分は、根の単純……もとい、純粋さの表れか。
「都合よ過ぎ、ゆうじ。そんなミーハーな理由で実家に戻ってくるだなんて、ヒドいお調子もの。あんじゅに蹴りをお願いしなくちゃ」
最後の一節に肩を竦める。
「よせよ昇華!! アイツのケリの破壊力はマジにハンパねーんだぞ!?」
クローゼット扉を閉め、部屋の入り口へと爪先を向けた。長い脚を踏み出すと、羽織るブラウンの上着から緑色のワイシャツから、締めきれなかったネクタイが滑り靡く。
「タイはちゃんと締めなよ、ゆうじ」
猫背で受けた声に
「窮屈なんだよ。タイも、この屋敷も」投げやりに答を返す。
「こんなに大きなおうちなのに。高い天井なのに。窮屈なんだ。ゆうじ」
やわらかなイントネーションで、ただ、そう彼女は言った。押し付けでも、同情でもなく。
「だからあなたは、そんなに背中をまあるくしていなきゃ苦しいのかなぁ……」
「…………。」
問いかけるような響きに、邑治は立ち止まる。
(昇華……)
目線でだけ、彼女の姿を捉えた。彼女の表情に、特には変化など無い。純粋培養されてきたプリンセスらしく。きょとんとした顔で邑治を見つめているだけだ。
「ゆうじは凄く身体が大きくなっちゃったのに。窮屈だから、窮屈な世界に合わせて丸くならないといけないのね」
「……………」
「合わせようとしてくれてるんだよね」
「それは……」
そんなつもりは、と言いかけたが留まる。
(そんなつもりは無い? いや、俺は……)
白鷺が窮屈だとは思っているが、窮屈だと感じてしまう己の今の有り様が苦しいだけなのだ。
(俺は、『白鷺』が嫌いなんじゃない)
小さな姉の、持て余したかのように遊ぶ手のひらを眺め、首を傾斜し
「ジョーダンだよ、昇華。単に、ネクタイの締め方を忘れただけだ」答を、訂正した。
昇華は「ふうん」とだけ反応し、「大丈夫だよ。ディナーまでまだ時間あるから、私が縛ってあげるよ」と、朗らかに笑った。
「じゃあ、ゆうじの背中がまあるいのは単に姿勢が悪いだけなんだね。あんじゅみたいに瞑想をシュミにしたら治るよ、きっと」
「途中で寝ちまわ。俺は飽き性なの」
ブラウンの上着の裾を、小さな手が掴む。互いの歩幅の差は歴然であるけれど、邑治は足を擦り気味にしてゆっくりと進む。彼女に。合わせて。
(中学の頃にグンと背が伸びて、俺は背中を縮めるよーになったんだ)
その理由については自分自身、さしたる答は考えてもいなかった。だが漠然と、いま理解をした。『合わせて』いたのだ。合わせたくなっていたのだ、無意識の内に。
(昇華の。ウゼーほどに撫でてくる、指し伸ばしてくる『手』が)
手が、俺の頭に。届くようにと。
(なんだそれ。そんなシオらしい理由、クチが裂けてもコイツにゃ言えねぇ、言いたかねえ!!)
俺は硬派なカミナリ族の闘うライダーなんだぞ、コンチクショー。愚痴愚痴る彼の心中などは察せぬ昇華は、無邪気に微笑って彼の後ろ頭に続く。時折、ク、と上着の裾を引っ張り。
「ゆうじは歩くのも遅いのね。あっ、そうかー、これが下町の不良の流行りなんでしょ!」
的外れなボケに、邑治は「そー思うなら思ってろ、バカ水玉」と溢した。
広がる想いが込められたその『手』を、その手が在るこの白鷺の城を。わたしは私の力の限り衛りたい。私は、おまえたちという名の都を衛る王なのだから。
(馬鹿馬鹿しい)
一瞬だけ脳の内に閃いた君主の言葉を彼は否定し、脳の隅に追いやった。いまは、まだ。脳の隅に。
閃きは、やがて本物の閃光となりて彼の内の皇者の魂を揺り起こす。遠くはなき、未来に……
了.
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