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第15話 前妻の影

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「どうしたんです? ロザリンド様!? お顔が真っ青ですよ?」

小走りで部屋に飛び込んで来たロザリンドを見て、ハンナは驚いた声を発した。散歩に出ると言って出て行った主人が慌てた様子で戻って来たのを見て思わずびっくりしたのだ。

「ハンナ! 陛下はいつお戻りになるの?」

「へ? 今日ご出発されたばかりじゃないですか。一週間くらいはお戻りにならないですよ? しばらく会えないからと昨夜ここにいらしたでしょう?」

そうだった。レグルスと最後に会ってからまだ一日も経過していない。それなのに今すぐ会って彼を確かめたい。ロザリンドは、自分が子供じみたわがままを言っていることに気付いて頬を赤らめた。

「ごめんなさい……、取り乱してしまって。つい寂しくなったものだから」

「きっと陛下はお喜びになりますよ。ロザリンド様にこんなに愛されているのですから」

ハンナは含み笑いをしながら言ったが、そんな生易しいものではない。自分とレグルスの関係にノイズが入るような、嫌な予感がしたのだ。

(リゲル様はやはりどこか危険なにおいがする。ううん、私の気のせいかもしれないけど)

部屋に戻って一人、ロザリンドは先ほどの出来事を思い返していた。リゲルの言葉以上に見た目に惑わされていなかったか? もし彼がアルビノではなくそれ程容姿も優れてなければ、もっと冷静に彼の言葉を受け止めていたのではないか? 色々な可能性を考えてみたが、もう一度あの場所に戻って確かめようとは思えなかった。もし戻ったらまた同じ状況に陥ることは想像に難くないからだ。

しばらく二人きりでリゲルに会うのはやめよう。彼のイメージが悪くなったわけではないが、自分の心がふらふらしているうちは距離を置いた方が双方にとっていいような気がする。

一人反省したロザリンドは、しばらくおとなしくすることにした。折しも、彼女も忙しくなって来ている。様々な場所に顔を出す機会が増え、徐々に顔と名前が知られるようになった。アシモフ夫人の影響もあるのか、前のように、露骨に失礼な態度を取られることはなくなった。

数日後も、婦人たちの社交の場にお呼ばれした。そこでレジーナ・サザーランドに再会した。レジーナは、今日も輝くばかりに美しく、曲線美を強調するマゼンダ色のドレスに身を包んでいる。溢れんばかりの生命力に目もくらむばかりだ。

「ロザリンド様、先日は失礼をしました。一度謝りたくて再会できる機会を伺っていたのです」

レジーナの第一声を聞いて、ロザリンドは目を丸くした。謝るって何を? まるで心当たりがない。

「謝るようなことがありました? あなたは何もしませんでしたよね?」

「何もしなかったからです。ロザリンド様が失礼な扱いを受けていたにも関わらず、助けもせずに静観してました。子供じみた振る舞いだったと反省してます」

この顛末を後にハンナに話した時、彼女はこう分析した。

「きっとアシモフ夫人が裏で手を回したに決まってますよ。夫人がバックに付いたことを知って形勢不利になったと判断したのでしょう」

そうだとしても、自ら直接謝りに来てくれたことは、ロザリンドにとっても嬉しいことだ。前のことは水に流して交友関係を深められれば。そう思ったのだが——。

「でも、私やっぱり納得できません。どうしてあなたなのか。前の奥様はとても素敵な方だったのに」

それを聞いたロザリンドは愕然として息を飲んだ。レジーナは、硬い表情のままロザリンドをじっと見つめている。その顔は、決して冷やかしではなく確固とした意思が浮かんでいた。

「当時私はまだ子供でしたが、前の奥様のカッサンドラ様に大層かわいがっていただきました。見た目だけでなく心も美しい、永遠の憧れです。彼女こそ、レグルス陛下にふさわしい真の皇后でした。私に婚約者の話が来た時、彼女のようにはできないけれど、少しでも恩返しができればと思い了承しました。あなたに決まったと聞いた時も、無事にお務めを果たせる方ならばと納得したつもりです。なのに、あなたと来たら、自信がなさそうに常におどおどしてて、気の利いた言い回しもできやしない。正直言って彼女の足元にも及びません! カッサンドラ様は、もっとこう、神々しくて、気高くて、女神のようでした。あなたにその代わりが務まるとは思えない……」

レジーナは、美しく整った顔をぐしゃっと歪ませて、今にも泣きだしそうになっている。ロザリンドは、そんな彼女を見て何もできなかった。常におどおどして自信がなさそうというのは、正にその通りとしか言いようがない。やはり外からもそう見えていたのか。レグルスの妻には吊り合わないと考えているのは、何より自分自身である。

「それで、ロザリンド様は何と言い返したのですか?」

宮殿に戻り、事の顛末を聞いたハンナはこう質問した。彼女もまた、目を剥いて怒っているが、それはロザリンドに向けてではなかった。

「何も。だって、私も同じことを思ったもの。どうして自分が皇妃になるんだろう? って。他にふさわしい人はごまんといるのに。レジーナ様には却って申し訳ないと……」

「とんでもない! これじゃ始めに謝った意味なんてないですよ! 何も言わない方がマシでしたわ! 早速アシモフ夫人に言いましょう! ロザリンド様がこんな形で侮辱されるなんて許されません!」

「アシモフ夫人に言いつけるのは違うと思うの。これは私の問題だもの、私が解決しなくちゃ。でも、どうすれば解決するのか分からない……。至極もっともと納得してしまったんだもの。私じゃ吊りあわない……」

それを聞いたハンナが悲しそうな顔になったのを見て、ロザリンドはまた失敗してしまったと思った。いつもこうだ。他人の期待に答えられたかどうか、反応をうかがっていつもびくびくしている。こんな自分が皇妃だなんてどう考えてもおかしい。

「ねえ、カッサンドラ様はどんな方だったの? 御姿は知ってるわ。大階段の目立つ場所にある肖像画を見たことがあるから」

「確かに素晴らしい方だったとはうかがっています。誰に対しても分け隔てなく接して、使用人にも優しかったと……しかし当時、私はまだ宮殿で働いていなかったので、直接お会いしたことはないんです。人づてで噂を聞くくらいです」

「誰なら詳しく教えてくれるかしら? 陛下以外で?」

「聞いて回っても意味はありませんよ! もっと自信を持ってください! 陛下だって、前の奥様の話は一切しません! それが答えです!」

確かに、レグルスはカッサンドラの名前すら出したことがない。しかし、それはロザリンドの前では遠慮しているだけかもしれない。優しい人だからそう言う配慮も万全だ。それに、前の妻が忘れられずに5年間も再婚しなかったと前の侍女も言っていた。ロザリンドの中で不安がむくむくと膨れ上がった。

(カッサンドラ様を知っている人、一人知っている。あの人ならきっと教えてくれる)

その人は、前に何でも聞きたいことがおいでと言ってくれた。しかし、しばらく会わないでおこうと決めたばかりだ。会えば会ったでまた心がかき乱される。かと言って、レグルス自身にはおいそれと聞くことができない。どうすればいいのだろう。ロザリンドの心は千々に乱れた。


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