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第6話 唐突な求婚
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ロザリンドは、余りの急展開に文字通り腰を抜かしてへたり込んでしまった。確かに普通のライオンと違って人間の意思が読めるようだったし、無闇に襲ってくることもなかった。しかし、獣人の国ならば、特別に賢い獣がいても何ら不思議ではないと漠然と考えていた。それがまさか、皇帝陛下だったなんて。
「あの……レグルス皇帝陛下、ですか?」
何か言わなければと思い、頭を振り絞った末に発した一言は余りにも当たり前の内容で、我ながら何を言ってるんだと呆れてしまう。
「長いこと留守にした上に、正体を隠してすまなかった。ロザリンド王女」
ロザリンド王女、という聞きなれない言葉の響きも相まって、へ? という間抜けた声しか出ない。今まで、部下から王女らしい敬意を払われることすらなかったのに。
「言葉を尽くしても私の非は到底許されるものではない。でもどうか話を聞いて欲しい。説明をしたいから部屋に来てくれぬだろうか?」
そう言ってへたりこんだロザリンドの手を取って立たせる。その所作が余りにも完璧だったため、ロザリンドは催眠術にかかったようにレグルスの申し出をすんなり受けてしまった。威圧的なところは一つもなく、むしろどこまでも紳士的な態度で、従わずにはいられない。これが王者の風格というものだろうか。
「侍女たちはまとめてどこかの部屋にでも閉じ込めておけ、沙汰は後で言い渡す」
レグルスは、後から駆け付けてきた家臣にそう告げると、ロザリンドを連れて別室へと向かった。
二人が入った部屋は客間の一つだろうか。ロザリンドの部屋と同様、木目を生かした家具が置かれ、初冬にも関わらずきれいな花が大きな花瓶に生けられている。カルランスで好まれる意匠とは異なるが、もっと余裕がある状況ならば文化の違いを楽しめただろう。でも、今は頭がぼうっとして何も考えられない。
相対する形で二人はソファに座ったが、レグルスの圧倒的優位感は、座ってもなお変わらなかった。ロザリンドは女性の中でも小柄な方なので、体格差がより際立ってしまう。彼と向き合っても目をまっすぐ見ることができず、余計に身が縮む思いだった。
「何を言っても言い訳になってしまうが——」
「ごめんなさい!!」
「は……?」
「侍女の不始末は、私にも責任があります! 私がもっと彼女たちを適切に指導していれば防げたかもしれないのに! どうか、外交問題だけにはしないでください! 少年にも自ら謝りますので!」
ロザリンドは、テーブルにぶつかりそうなくらい頭を下げて一気にまくしたてた。カルランス人がタルホディア人に差別的な眼差しを送っているのは、元々知られていたことである。それが一気に顕在化してしまったのがさっきの事件だ。これは、侍女たちを束ねる立場のロザリンドの責任も問われかねない。そう考えていの一番に謝罪したのだ。
「……何を言っている? そんな話をしているのではない。面を上げて下さい」
「でも到底許されるものでは——」
「それについては何も怒っていない。何よりあなたは彼を庇ってくれたではないか。この話は終わりにしよう。頼むからこちらを見て」
そう言われ、恐る恐る顔を上げると、レグルスのアイスブルーの目と視線がぶつかった。真正面から見られていることに気付いて、思わず「ひいっ」という叫び声と共に飛びのいた。
「ごめんなさい。見つめられるのが恥ずかしくて、どうしたらいいか分からないんです。どうかお気になさらないでください」
耳まで真っ赤になって消え入りそうな声で弁解するロザリンドに、レグルスはクスクスと笑いながら言った。
「深窓の令嬢でもここまで恥ずかしがらないものだが。カルランスの王女は余程大事に育てられたのかな?」
大事に育てられたどころか、王女の身分すらはく奪されて平民に身をやつしていたというのに。しかし、それを打ち明けるのは憚られた。本当の王女を守るために、自分のような取るに足らない人間が来たという事実は、タルホディア側を大層傷つけただろう。ロザリンドの特別な事情は既に調査済みだとは思うが、怖くて触れることはできなかった。
「そろそろこちらからも話をさせてくれ。あなたに謝らなければならないのは私の方だ。ずっとあなたを騙して悪かった」
今度は、レグルスの方が頭を下げた。自分のような人間に、大きな帝国を統べる皇帝がどうして頭なんか下げるんだろう? ロザリンドは、信じられないものを見るような気分でいた。
「何を言っても言い訳になってしまうのは分かっている。災害現場の視察に行ったのは本当だが、数日で戻って来た」
レグルスが口火を切った。やはりそうだったのか。では、しばらく姿を見せなかった理由は、やはり自分に会いたくなかったからなのか。
「すぐに会うつもりだった。だが、視察から戻ってから少しリラックスしたくなって元の姿であの庭園を散歩していたら、そこであなたと出くわした。本当の姿を見たら怯えて逃げるだろうと思っていたのに、あなたは逃げないどころかフレンドリーに接してくれた。ずっと打ち明けられなかったのは、あの時間を壊したくなかったからだ」
「そんな、最初見た時は怖かったですよ。恐怖の余り動けなかっただけです」
「本当にすまない。でも、あの姿だったからあなたも心を開いてくれたのでは? 今の姿では警戒してしまうのでは?」
ロザリンドは、惨めな身の上話や侍女にたいする不満、果てには皇帝が会ってくれない愚痴まで洗いざらい打ち明けていたことを思い出し、顔がかーっと熱くなった。なんだ、向こうは既に全部お見通しではないか。まさか、皇帝直々に愚痴を言っていたとは。余りの失態に気が遠くなりそうになる。
「ごめんなさい……あの時言ったことは忘れてください! 私は本当にバカです。申し訳なさでどうにかなってしまいそうです……!」
ロザリンドは、いたたまれなさの余り両手で顔を覆った。もこの場から消え去ってしまいたい。
「怒ってなんかいない、それどころかとても楽しかった。素のあなたが見られた。できればあの時間が終わって欲しくなかった。」
面白そうに言う一方で、どこか悲しげな様子を見せるのはなぜなのか。ロザリンドは、指の隙間からレグルスの顔を垣間見て、不思議な心地がした。
「私たちは普段は人型をとっている。リラックスした状態か、危機的状況で本来の力を出す時のみに、本来の姿に変化する。あの庭園は、王宮の中でもかなり奥まった場所にあり、限られた人物しか足を踏み入れることができない。私はあの場所でしか獣の姿を解かないんだ」
「本当に申し訳ありません……そんな場所に入ってしまったなんて」
「だから謝る必要はないと言うのに。むしろ謝罪が必要なのは私の方だ。許してもらえるだろうか、ロザリンド王女」
またロザリンド王女と言われ、彼女の心臓はびくんと跳ねた。かつて、そう呼ばれた時代があったが、久しぶりに聞くその響きはまだ慣れない。ぶっきらぼうに言われる「ウィザースプーン!」の方がずっとなじみがあった。
「私の方は許すも何も……では、この国にとどまってもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。よければ私の妻になって欲しいのだが?」
え? 今何て? 目の前の、この立派なお方は一体何を言い出すの? ロザリンドは、余りのことに頭が真っ白になった。
「あの……レグルス皇帝陛下、ですか?」
何か言わなければと思い、頭を振り絞った末に発した一言は余りにも当たり前の内容で、我ながら何を言ってるんだと呆れてしまう。
「長いこと留守にした上に、正体を隠してすまなかった。ロザリンド王女」
ロザリンド王女、という聞きなれない言葉の響きも相まって、へ? という間抜けた声しか出ない。今まで、部下から王女らしい敬意を払われることすらなかったのに。
「言葉を尽くしても私の非は到底許されるものではない。でもどうか話を聞いて欲しい。説明をしたいから部屋に来てくれぬだろうか?」
そう言ってへたりこんだロザリンドの手を取って立たせる。その所作が余りにも完璧だったため、ロザリンドは催眠術にかかったようにレグルスの申し出をすんなり受けてしまった。威圧的なところは一つもなく、むしろどこまでも紳士的な態度で、従わずにはいられない。これが王者の風格というものだろうか。
「侍女たちはまとめてどこかの部屋にでも閉じ込めておけ、沙汰は後で言い渡す」
レグルスは、後から駆け付けてきた家臣にそう告げると、ロザリンドを連れて別室へと向かった。
二人が入った部屋は客間の一つだろうか。ロザリンドの部屋と同様、木目を生かした家具が置かれ、初冬にも関わらずきれいな花が大きな花瓶に生けられている。カルランスで好まれる意匠とは異なるが、もっと余裕がある状況ならば文化の違いを楽しめただろう。でも、今は頭がぼうっとして何も考えられない。
相対する形で二人はソファに座ったが、レグルスの圧倒的優位感は、座ってもなお変わらなかった。ロザリンドは女性の中でも小柄な方なので、体格差がより際立ってしまう。彼と向き合っても目をまっすぐ見ることができず、余計に身が縮む思いだった。
「何を言っても言い訳になってしまうが——」
「ごめんなさい!!」
「は……?」
「侍女の不始末は、私にも責任があります! 私がもっと彼女たちを適切に指導していれば防げたかもしれないのに! どうか、外交問題だけにはしないでください! 少年にも自ら謝りますので!」
ロザリンドは、テーブルにぶつかりそうなくらい頭を下げて一気にまくしたてた。カルランス人がタルホディア人に差別的な眼差しを送っているのは、元々知られていたことである。それが一気に顕在化してしまったのがさっきの事件だ。これは、侍女たちを束ねる立場のロザリンドの責任も問われかねない。そう考えていの一番に謝罪したのだ。
「……何を言っている? そんな話をしているのではない。面を上げて下さい」
「でも到底許されるものでは——」
「それについては何も怒っていない。何よりあなたは彼を庇ってくれたではないか。この話は終わりにしよう。頼むからこちらを見て」
そう言われ、恐る恐る顔を上げると、レグルスのアイスブルーの目と視線がぶつかった。真正面から見られていることに気付いて、思わず「ひいっ」という叫び声と共に飛びのいた。
「ごめんなさい。見つめられるのが恥ずかしくて、どうしたらいいか分からないんです。どうかお気になさらないでください」
耳まで真っ赤になって消え入りそうな声で弁解するロザリンドに、レグルスはクスクスと笑いながら言った。
「深窓の令嬢でもここまで恥ずかしがらないものだが。カルランスの王女は余程大事に育てられたのかな?」
大事に育てられたどころか、王女の身分すらはく奪されて平民に身をやつしていたというのに。しかし、それを打ち明けるのは憚られた。本当の王女を守るために、自分のような取るに足らない人間が来たという事実は、タルホディア側を大層傷つけただろう。ロザリンドの特別な事情は既に調査済みだとは思うが、怖くて触れることはできなかった。
「そろそろこちらからも話をさせてくれ。あなたに謝らなければならないのは私の方だ。ずっとあなたを騙して悪かった」
今度は、レグルスの方が頭を下げた。自分のような人間に、大きな帝国を統べる皇帝がどうして頭なんか下げるんだろう? ロザリンドは、信じられないものを見るような気分でいた。
「何を言っても言い訳になってしまうのは分かっている。災害現場の視察に行ったのは本当だが、数日で戻って来た」
レグルスが口火を切った。やはりそうだったのか。では、しばらく姿を見せなかった理由は、やはり自分に会いたくなかったからなのか。
「すぐに会うつもりだった。だが、視察から戻ってから少しリラックスしたくなって元の姿であの庭園を散歩していたら、そこであなたと出くわした。本当の姿を見たら怯えて逃げるだろうと思っていたのに、あなたは逃げないどころかフレンドリーに接してくれた。ずっと打ち明けられなかったのは、あの時間を壊したくなかったからだ」
「そんな、最初見た時は怖かったですよ。恐怖の余り動けなかっただけです」
「本当にすまない。でも、あの姿だったからあなたも心を開いてくれたのでは? 今の姿では警戒してしまうのでは?」
ロザリンドは、惨めな身の上話や侍女にたいする不満、果てには皇帝が会ってくれない愚痴まで洗いざらい打ち明けていたことを思い出し、顔がかーっと熱くなった。なんだ、向こうは既に全部お見通しではないか。まさか、皇帝直々に愚痴を言っていたとは。余りの失態に気が遠くなりそうになる。
「ごめんなさい……あの時言ったことは忘れてください! 私は本当にバカです。申し訳なさでどうにかなってしまいそうです……!」
ロザリンドは、いたたまれなさの余り両手で顔を覆った。もこの場から消え去ってしまいたい。
「怒ってなんかいない、それどころかとても楽しかった。素のあなたが見られた。できればあの時間が終わって欲しくなかった。」
面白そうに言う一方で、どこか悲しげな様子を見せるのはなぜなのか。ロザリンドは、指の隙間からレグルスの顔を垣間見て、不思議な心地がした。
「私たちは普段は人型をとっている。リラックスした状態か、危機的状況で本来の力を出す時のみに、本来の姿に変化する。あの庭園は、王宮の中でもかなり奥まった場所にあり、限られた人物しか足を踏み入れることができない。私はあの場所でしか獣の姿を解かないんだ」
「本当に申し訳ありません……そんな場所に入ってしまったなんて」
「だから謝る必要はないと言うのに。むしろ謝罪が必要なのは私の方だ。許してもらえるだろうか、ロザリンド王女」
またロザリンド王女と言われ、彼女の心臓はびくんと跳ねた。かつて、そう呼ばれた時代があったが、久しぶりに聞くその響きはまだ慣れない。ぶっきらぼうに言われる「ウィザースプーン!」の方がずっとなじみがあった。
「私の方は許すも何も……では、この国にとどまってもよろしいのでしょうか?」
「もちろん。よければ私の妻になって欲しいのだが?」
え? 今何て? 目の前の、この立派なお方は一体何を言い出すの? ロザリンドは、余りのことに頭が真っ白になった。
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