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本編

2.要するにガム

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 パチパチ。焚き火が揺らめき、静かな夜の森に薪の爆ぜる音が響く。

 ひとまず夜を明かすために手頃な場所を見つけ、手際よく野営を張ったシンシアだったが、早くも別の問題に直面していた。

「お姉さん、すごい。こういうの慣れてるんだね。」
「別に…。たまに使いで遠出することがあるから覚えただけ。」
「ふ~ん。」
「……。」
「……。」
「……。」

「…ねえ、お使いってどんなことするの?僕、普段はあんまり遠くに行かないから、お話聞かせてほしいな。」
「…ちょっとした届け物だったり、色々。…子供が聞いて面白いような話じゃないよ。」
「…そっか。ごめんね。」
「別に…。」
「……。」
「……。」

(いや、別にじゃなくて!もっとあるでしょ!子供が気を遣って話を振ってきてるのに、年上の私がこんな…。)

 自らの受け答えの不味さに頭を抱える。
 シンシアは決して子供嫌いではないものの、得意な方ではなく…率直に言えば不慣れなのだった。

 貧しい農民の末娘として生まれ、幼いうちに奉公に出たシンシアには、年下の子供の相手をした経験がほとんどない。
 間を持たせるための話題など思い付かず、会話を繋げて盛り上げる技量もない。
 加えてこの少年は相当の訳ありなのだろうし、迂闊に立ち入ったことを聞くのも憚られ、何を話して良いかも分からなかった。

 それ以前に、そもそもの性質として、口調も態度も淡白なほうだと自覚している。
 心細い思いをしているだろう少年に対して、突き放すような言い方をしてしまったかもしれない。

 シンシアは密かに消沈した。


 ともあれ、晩飯時である。

 明日のために、自分も少年も何かしら腹に入れておかなくてはならない。
 シンシアは手持ちの食糧のいくらかを少年の分として取り分けて差し出した。

「…晩ごはん。硬いから浸して食べなさい。」

 そうして両手に受け取った「晩ごはん」を見て、少年は一瞬ポカンとしたあと、傷ついたようにうつむいた。

「…これだけ?」

 ポツリと呟かれた言葉。

 普通ならば施しを受ける身で図々しいなどと憤るところだろうが、シンシアはまあ無理もない、と納得した。

 少年に手渡したのは小さく切られた粗末なパンひと欠片と、コップ一杯のワイン。

 見る限り少年の身なりは悪くない。恐らくだが家はそれなりに裕福なのだろう。であるなら食生活も恵まれているはずで、このような粗食には馴染みが無いに違いない。
 わざと酷い扱いをしていると思われても仕方がなかった。

 だがシンシアにとってはこれこそが日常的な食事であり、せいぜい豆か野菜のスープでも付けば運が良いというくらいだ。

 「末端の使用人の食事なんてこんなものだよ。明日もう少し食糧を探してみるから、今夜はこれで我慢して。」

「……。」

(…とは言ったものの…。)

 あまりに暗い顔でパンを見つめる少年に、多少の居心地の悪さを感じてしまう。

 日暮れまでに時間がなく、ろくに採集もできなかった以上やむを得ないとはいえ、成長途上の子供にこの食事量を強いるのは酷なことだとは理解していた。

(私も、きつかったしな。…仕方がない。) 

「どうしても足りないなら、これもあげる。」

 そう言って、シンシアはもうひと欠片のパンを少年に差し出した。これで少しでも気持ちが上向けば良いと、そう思いながら。

 しかし、少年は僅かに顔を上げたものの、その表情は暗いまま。
 二つめのパンをじっと見つめて、ぽつり。

「…どうして最初から全部くれなかったの…?」

 シンシアが面食らっていると、また、ぽつり。

「ねえ、…僕がなにも言わなかったら…。」

(随分とほの暗い声が出るものだ。)

 金持ちの子供というのはこういうものなのか、 それともこの少年が普通ではないのか、シンシアには分かりかねた。

「…さあ。とにかく、食事はもうそれだけだから。」

「僕はコレ…なら…お姉さんは、なに食べるの…?」

「私は君と会う前に食事を摂ってる。君も早く食べなさい。でないと、私が寝られない。」

「…そう。…そっか。」

 少年がまた目を伏せる。

(ああもう、本当に上手くいかないな。)

 明日は早いし、疲れているだろう少年を早々に寝かせた方が良さそうだと、シンシアはただそう思っただけだ。

 それなのに、口を開けば出てくるのは冷淡な台詞ばかり。酷い大人だと思われているだろうな、と頭痛すら覚える。

 しかし、悔やんでいても吐き出してしまった言葉は戻るわけでもなし、今はただできることをするしかない。荷物の中から毛布を取り出そうと、少年に背を向けた。

 その時。

 シンシアの背後で何かがずるり、と音を立てた。…ような気がした。

「?何か…。」
 不思議に思い、振り向こうとした瞬間。


 きゅるるるるるる~~~ぅ。


 盛大に鳴き声を上げた…のは、空腹に耐えかねたシンシアの腹の虫だった。

(あっ、まずい…。聞こえ…っ!?)

 慌てて腹を押さえたが、時すでに遅し。

 反射的にチラリと後ろを盗み見る。

 先ほどの物音も気のせいだったのか、少年は無事なようで、特に変わった様子もない。

 改めて毛布を取り出して(二度目が鳴らないように腹部に力を入れながら)、恐る恐る振り返ってみても、空腹の音も気づいたような反応はみられないことにシンシアは安堵した。

 むしろ先ほどの不満気な様子はどこへやら、モリモリと食事を進めている。
 思いの外美味しそうに食べている上、心なしか上機嫌にも見えた。

 子供というのは分からないと、つくづく思うのだった。


* * * * *


 食事を終えた少年がうつらうつらと船を漕ぎ始めたので、横にして毛布をかけてやる。

「さて、…と。」
 自分のパンは少年にやってしまったけれど、明日の分の食糧に手をつけるわけにはいかないし、少年を残して採集に行くわけにもいかない。

 それでも、この耐え難い空腹を誤魔化せる物が欲しいところだ。

 既におあつらえ向きのものは見つけてある。

 シンシアは先ほどから目を付けていた樹木に近づくと、その幹にナイフで軽く傷を付けた。
 じわりと垂れてきた樹液を指先で摘まみ取り、そのまま口に入れる。

 強い弾力と粘度を持ったそれを飲み込むことなくむぐむぐと噛み続けると、 全く味はしないし腹は膨れないものの、次第に空腹感は収まっていった。

 チクルと呼ばれるこの物体は、本来なら異国の樹木から採った樹脂を煮詰め固めて作るものだが、この樹木は、この森にのみ生育する特殊な植物の1つで、一切加工を必要とせずに同等の物を得ることができるのだ。

(…運が良かった。その場しのぎにしかならないけど、何も無いよりずっとマシだ。)

 ひとしきり噛んだあと、人心地がついたシンシアはふと足元を見る。

「ん…?」

 地面に無造作に転がる倒木の後ろ側、その一角。

 草地であったはずのそこは、まるで生命を吸い取られたかのように全てが枯れ果てて、所々に黒い粘液がドロリと纏わり付いていた。

 突然視界に入った異様な光景に、背筋がゾッとする。

(なに…!?さっき野営を張ったときには、こんなもの、どこにも…!)

 知らないうちに魔物でも通ったのだろうか。

(いや、この倒木には先ほどまであの子が座っていたはず。)

 子供とはいえ、背後をこんな物騒な魔物が通ったらさすがに気づくだろう。もし気づかないまま忍び寄られたのなら、無事でいられるわけがない。

 単に自分が見落としていただけなのか。

 信じられない気持ちで、一度、二度、瞬きをする。

 すると。

 全ての痕跡が、跡形もなく消えていた。

「!?」

 つい先程までおぞましい状態であったはずの足元には、元通りの草地がただ広がっている。

(見間違い!?…そんなわけない、だって確かに…。でも…。)

「なんっ………。はあ、……疲れてるんだ、もう…。」

 あまりのことに、口元を押さえて身震いする。

(でも…こんなの、どうしたって気味が悪い。)

 できるなら、今すぐにでも身を翻して逃げ出したかった。
 けれどシンシアは確かにあの子と約束した。
 真剣に交わした約束を一方的に破るだなんて、年上として絶対にしてはいけないことだとシンシアは思っている。

(どのみち、夜の森で下手に動く方が危ないんだ。…明日も早い。もう寝よう。)

 そうして少年の近くに寄り、適当に横になっる。毛布は無いので、そのまま腕を枕にして目を閉じた。


* * * * *


 しばらくしてシンシアは眠りについた。
 
 だから、ついに気づかなかった。

 暗闇の中で煌々と光るあどけない双眼が、自分をじいっと見つめていたことに。
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