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1.宣言、ガーデンパーティーにて
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「キャスリン・アクミナータ!お前の浪費癖にはもううんざりだ。おまけに自らの不出来を誤魔化そうと不正に手を染め学園の理念を汚した行為、また醜い嫉妬により他の令嬢を虐めぬく底意地の悪さも我慢ならない!
よって今このときをもってお前との婚約は破棄させてもらう!
そして新たに、未来の国母に相応しく優秀な、コンチュ・エレファンス侯爵令嬢との婚約を宣言する!」
貴族の子息子女が通う王立学園。
その創立記念日のガーデンパーティー会場で、わたくしの婚約者であるジェフリー第一王子が、突然、高らかにそう言い放ちました。
彼は金髪碧眼のかんばせに溢れるほどの正義感を滲ませて、わたくしを射殺さんばかりに睨みつけてこられます。
そんな彼の腕に絡み付いている、艶やかなワインレッドの髪がご自慢のご令嬢。
先ほどまでしおらしい態度を心がけていたようですが、ついにわたくしを追い落とせる喜びが隠しきれないようで、口元がいやらしく歪んでいるのが見て取れました。
殿下や一部の殿方に「愛らしい」と評されたつぶらな瞳を愉しげにキョロキョロとさせる様は、まるで害虫のようにしか思えません。
……そのご令嬢は殿下の悪癖を助長してしまう傾向があるから、お側に置かないようにと何度も進言してまいりましたのに。
「ふん、驚いて言葉も出ないか?言っておくが、彼女はそれは優秀で賢い女性だ。いつも派手に着飾って茶会を開くことしか頭にないお前が勝るところなど何もない。ゆえに、この決定を覆すことは不可能だと知れ。」
「……。」
「ねえ、キャスリン様。こんなことになって本当に残念ですけれど、私たちは何も貴女から全てを奪おうというほど鬼ではありませんの。ですから、あなたが私にしたこと、あなたの罪、今ここで全てを認めて謝ってください。そうすればきっと殿下はお許しくださいますわ。……私のような女をいつも気遣い可愛がってくださる、優しいお方ですもの。」
正義に酔った傲慢な物言いと、粘りつくように甘ったるい猫なで声……それも殿下の寵愛のアピールというおまけ付き。
どちらも同じくらい耳障りですが、なぜかそれに呼応するように周りの生徒たちも騒ぎ出しました。
「そうだ謝れ、贅沢女!」
「コンチュ様、なんてお可哀想……謝ってください!」
「高尚な本学で不正など、許されるものではない!謝罪しろ!」
「謝れ!謝れ!」
周りの生徒、といっても彼らの周りの一部の生徒にすぎませんが。
ただ、同調する者たちの剣幕はもはや恫喝といっていいほど威圧的で、一身に浴びせられれば反射的に恐怖を感じるものでした。
(本当に、品性に欠ける方たちですわ。)
恐ろしさと緊張で体が震えますが、このような張りぼての恐怖に負けてはいられません。
わたくしは、ふう、とため息をつくと、そっと片手を挙げました。
「ジェフリー殿下。どうか考え直してはいただけませんか?わたくしもあなた様もまだ十五歳。今ならまだ若さゆえの勇み足として、笑い話にもできましょう。」
「……何だと?」
(あら、殿下の眉がピクリと上がってしまいましたわ。)
これは相当に機嫌を損ねてしまった証拠。
どうやらわたくしの言葉は、欠片も心に響かなかったようです。
(では激昂して喚き散らされる前に、会話の主導権を握ってしまうとしましょう。)
「……聞き入れてはもらえませんのね。でしたら、せめて殿下のお考えを教えていただきとうございます。まず、わたくしの浪費癖、でしたね。お言葉ですが、殿下は何をもって浪費と仰るのですか?」
「ハッ、何を分かりきったことを!お前のその装いこそがその証明だろう!たかが学園行事で、そのように派手に着飾る必要がどこにある。このコンチュを見よ、すっきりとした伝統的なドレスながら自らの魅力を余すところなく引き立てているではないか。」
わたくしの美的感覚を全否定する言葉を吐かれて、つい扇を握りしめる手にグッと力が入ってしまいます。
(自らの魅力……ね。確かにコンチュ様によく似合う、彼女の強みを活かすデザインではありますわ。 ……言いようによっては、ですけれど。)
まあ伝統的なものと言えなくもない、腰や胸のラインが身体にぴったりと添うドレス。ただ随分とその……豊満なお胸や滑らかな背中を強調なさりたいようで、些か、そう些か露出が過ぎるように思われます。
なるほど、小悪魔のように愛らしい顔立ちの彼女が少し背伸びをしてみたかのごとき装いは、殿下の好みど真ん中に違いありません。
薔薇の季節に学園の敷地内で行われる、爽やかなガーデンパーティーに相応しいかどうかは、甚だ疑問でございますが。
対してわたくしの今日のドレスは、薄い緑のパステルカラーに、スカートには慎ましくもカラフルな小花の飾りを散りばめた作り。さながらカラースプレーをまぶした可愛らしいチョコバナナといったところでしょうか。
薔薇を始めとした色とりどりの花が咲き誇る庭園に合わせて、ポップなデザインでありながら上品さを損なわないよう、こだわって仕立てていただいた一着です。
このように可愛らしく、ときに美しく着飾ることが、わたくしにとってどんな意味を持つのか。
(何も知らないくせに。……そう思ってしまいますわね。)
もちろん彼が知り得るはずはないことですが、私の気持ちになんて全く興味を持たない彼は、知ろうとすらしていないわけですから。
(仮にも婚約者たる相手だというのに、寂しいこと。)
それにしても、仮にも王子という立場でありながら、王立学園の行事を「たかが」とは、さすがに暴論が過ぎるでしょう。
将来のために生徒間の交流を深める、大切な機会という位置付けですのに。
その辺りの思い違いが殿下の欠点の一つと認識しておりますが、とはいえこの衆人環視で直接指摘するわけにもいきません。
とりあえずは、自分にかけられた嫌疑の件を詰めていくしかないわけで。
色々と腹立たしいことこの上ないですが、落ち着いて話をしなければなりません。
「……左様でございますか。では、また何をもって私がそこの……ええと……まるでセニョリータバナナのようにふくよかなご令嬢を虐げたなどと仰るのですか? 」
「セニョ……?いや、ふくよかだと!?何と無粋な、彼女は出るところが出ているだけで……あ、い、いや、何でもない!」
殿下の発言が一番無粋ですわ、と口に出して言えたならどんなに良いでしょう。
全く、仮にも第一王子殿下に、どなたがそのように下世話な言葉を教えたのだか。
「とにかく!俺の寵愛を受けるコンチュに嫉妬して、酷い嫌がらせをしたそうではないか!」
「ジェフ様……、私、とても怖かった……ううっ。」
「ああすまない、辛いことを思い出させてしまったね。」
煮崩れたジャムのようにぐずぐずに甘えてみせるコンチュ様を、慌てて労る殿下。
そんなお二人の姿を見て、わたくしに非難や嘲笑の眼差しを向ける生徒はもちろんいらっしゃいますが。
ひそひそと、別の種類の囁きも聞こえてきます。
「キャスリン様が嫉妬?まさか、逆ですわ。」
「コンチュ様こそ、王子殿下の婚約者であるキャスリン様を羨んでおられますのに。」
「多くのご令嬢がキャスリン様のファッションに憧れていることを、苦々しく思っていらっしゃるのも有名ですものね。」
(大丈夫……大丈夫です、きっと。)
殿下達にはこれまで色々と振り回されてきましたが、わたくしが密かに積み上げてきたものも、確かに形を成してここにあるのです。
ですからわたくしは、ここで退くことなど決していたしません。
攻めあるのみ、です。
「あら失礼、そちらの女性はエレファンス侯爵令嬢でしたのね。あまりに奔放なドレスをお召しになっているせいで、全く気がつきませんでしたわ。」
「なっ!おのれ、この上まだ彼女を愚弄するか……!」
「愚弄ではなく釈明ですわ。つまり、そのような方に嫉妬する理由など無いと申し上げたつもりでしたの。おわかりになりませんでした?」
──ですから、彼女への嫌がらせなど全く心当たりはございません。
そう付け足せば、殿下のお顔が怒りでかみるみるうちに真っ赤に染まります。
(ええ、心中お察しいたしますわ。下に見ていたはずのわたくしに、逆に見下すような言い方をされたら、当然冷静ではいられませんわよね。)
それはコンチュ様も同じのようで、わなわなと身体を震わせて憤っていらっしゃるご様子でした。
* * * *
(さて、彼らが怒りで言葉を失っているうちに、周囲の反応を観察しておきましょうか。)
こっそりと、できるだけ自然な風を装って、会場中に目を走らせます。
勝ちを確信しているのか、わたくしを怖がらせたいのか、ニヤニヤと嘲るような薄ら笑いを浮かべているのは、殿下の「ご学友」……つまり側近候補である令息達。
彼らを取り巻く生徒たちは、未だに品のない野次を飛ばしています。
遠巻きに見ている他の生徒たちの反応は、殿下達に心を寄せて義憤に駆られる者、事態がどう転ぶか見定めようと静観している者、突然の出来事に戸惑い不安を浮かべる者など様々です。
中にはわたくしを案じてくださる方もいるのでしょうが、加勢を期待するべきではないでしょう。
当事者であるわたくしを置いて、今この場に、王子殿下の言に真っ向から対立できるほど力のあるものはいないのですから。
絶望的な権力の差によりどうせ場を引っくり返すことは叶わない上、学生の身で王族に逆らえば将来にかかわる瑕疵になりかねないため、不用意に手出しさせてはいけない場面です。
(わたくしとて、ここで必死に反論したところで、殿下に押し切られてしまえばそれまでですし。)
つまり、現状は八方塞がりに等しいということ。
元々王子殿下を相手取っている時点で圧倒的に不利なのですから、分が悪いのは仕方ありません。
……今は、まだ。
(手は尽くしてあります。「賭け」が成功することを、祈るしかありませんね。)
反撃を試みるにはまだ早い。
機が熟すまでは適当に彼らを挑発しつつ、時間稼ぎに徹しましょう。
幸い、プライドが高く挑発に乗りやすい殿下と、見下されるのが何よりお嫌いなコンチュ様が相手なら、そう難しいことではありません。
* * * *
「貴様っ……、言わせておけば……もう許さないぞ!こちらが甘い顔を見せれば付け上がって……!」
そうこう考えているうちに、ようやく殿下も復活されたようです。
「甘い顔?どこがです?先ほどから糖分の欠片も見当たりませんが。全く、調理用品種のプランテインの方がまだ甘味があるというものですわ。」
「なっ……!?」
「プラ……?待ってジェフ様、私が悪いの!キャスリン様は元々伝統ある私の家を良く思っていらっしゃらなかったのに、私が貴方の愛まで奪ってしまったから……!きっと嫉妬して、寂しくって、強がっていらっしゃるのだわ。だから……だからせめて、謝ってもらえれば私はそれで良いの。」
同じく復活したコンチュ様は、舞台役者もかくやという仕草で殿下に訴えたあと、これまた芝居がかった調子でわたくしに向き直りました。
うるうると目に涙まで浮かべる徹底ぶりには、閉口するしかありません。
「あの、お願いです、キャスリン様。こんな悲しいことはもう止めてくださいまし!誠意を持って謝ってくだされば私は許します、から……!」
「コンチュ!ああ、泣かないでおくれ。……キャスリン・アクミナータ!やはりお前は我が婚約者に相応しくなどなかったのだ!あれだけ迫害した令嬢に対して、未だ謝罪の一つもできないとはな!」
「謝罪、ですか?わたくしがやってもいないことを?ご冗談はよしてくださいませ。」
「この期に及んでまだそのようなことを!」
ぎらぎらと怒りに燃える碧眼は中々に迫力があります。
殿方の剥き出しの怒気を向けられるのは心底恐怖でしかありませんが、ここで嘗められてはいけません。
わたくしも、すっ、と目を細め、負けじと睨みつけました。
「おあいにくさま、あなた方を甘やかすためのシュガースポットなんて一切持ち合わせていませんでしてよ。わたくしもまだ学生の身、熟成途上の青い果実にすぎませんので。」
「シュガ……?熟成……?一体何の話をしてるのよ!?」
「ええい、先ほどから訳の分からないことを!そうやって煙に巻いて逃れるつもりなのだろう!」
(あらいけない、ついつい語彙がバナナになってしまいますわ。)
未だ「バナナ」という存在が広く普及していないこの国……いえ、この世界では通じようがない言葉ですのに。
この場を乗り切るために感情的になることは避けるべきであるとはいえ、わたくしも少なからず動揺しておりますのね。
まあ、うっかり昔の言葉が出てしまうのは仕方がありません。
だってわたくしは……バナナから人間の貴族に生まれ変わった、言うなれば「元バナナ令嬢」なんですもの!
(先ほどは勢いでセニョリータバナナにも失礼なことを言ってしまいましたわ。あれは甘くて美味しいだけでなく、その小ぶりな形状から子供にも親しまれやすい品種だと、かつて植物園のスタッフさんも言っていたというのに。)
いくら対策を講じていても、結果が出るまでは落ち着かないもの。
浮き足立った気持ちを表に出さないよう、取り繕うので精一杯です。
(やはりわたくしには、こういった立ち回りは向いていませんわ。……それにしても。)
「ジェフ様ぁ……。」
「大丈夫だコンチェッタ、この俺が付いている。必ずあの女から謝罪の言葉を引き出してみせよう。」
時間稼ぎに好都合とはいえ、ああも自分たちの世界に浸られるのはあまり気分の良いものではありません。
(……あの時のように、わたくしはいつだって除け者、ということなのでしょうか。)
目の前で繰り広げられる茶番のせいで、忘れてしまいたくてずっと蓋をしてきた、焦げた砂糖のような苦い記憶を思い出してしまいます。
なおも騒ぎ立てる殿下達をよそに、わたくしはここに至るまでの生涯にそっと思いを馳せました。
よって今このときをもってお前との婚約は破棄させてもらう!
そして新たに、未来の国母に相応しく優秀な、コンチュ・エレファンス侯爵令嬢との婚約を宣言する!」
貴族の子息子女が通う王立学園。
その創立記念日のガーデンパーティー会場で、わたくしの婚約者であるジェフリー第一王子が、突然、高らかにそう言い放ちました。
彼は金髪碧眼のかんばせに溢れるほどの正義感を滲ませて、わたくしを射殺さんばかりに睨みつけてこられます。
そんな彼の腕に絡み付いている、艶やかなワインレッドの髪がご自慢のご令嬢。
先ほどまでしおらしい態度を心がけていたようですが、ついにわたくしを追い落とせる喜びが隠しきれないようで、口元がいやらしく歪んでいるのが見て取れました。
殿下や一部の殿方に「愛らしい」と評されたつぶらな瞳を愉しげにキョロキョロとさせる様は、まるで害虫のようにしか思えません。
……そのご令嬢は殿下の悪癖を助長してしまう傾向があるから、お側に置かないようにと何度も進言してまいりましたのに。
「ふん、驚いて言葉も出ないか?言っておくが、彼女はそれは優秀で賢い女性だ。いつも派手に着飾って茶会を開くことしか頭にないお前が勝るところなど何もない。ゆえに、この決定を覆すことは不可能だと知れ。」
「……。」
「ねえ、キャスリン様。こんなことになって本当に残念ですけれど、私たちは何も貴女から全てを奪おうというほど鬼ではありませんの。ですから、あなたが私にしたこと、あなたの罪、今ここで全てを認めて謝ってください。そうすればきっと殿下はお許しくださいますわ。……私のような女をいつも気遣い可愛がってくださる、優しいお方ですもの。」
正義に酔った傲慢な物言いと、粘りつくように甘ったるい猫なで声……それも殿下の寵愛のアピールというおまけ付き。
どちらも同じくらい耳障りですが、なぜかそれに呼応するように周りの生徒たちも騒ぎ出しました。
「そうだ謝れ、贅沢女!」
「コンチュ様、なんてお可哀想……謝ってください!」
「高尚な本学で不正など、許されるものではない!謝罪しろ!」
「謝れ!謝れ!」
周りの生徒、といっても彼らの周りの一部の生徒にすぎませんが。
ただ、同調する者たちの剣幕はもはや恫喝といっていいほど威圧的で、一身に浴びせられれば反射的に恐怖を感じるものでした。
(本当に、品性に欠ける方たちですわ。)
恐ろしさと緊張で体が震えますが、このような張りぼての恐怖に負けてはいられません。
わたくしは、ふう、とため息をつくと、そっと片手を挙げました。
「ジェフリー殿下。どうか考え直してはいただけませんか?わたくしもあなた様もまだ十五歳。今ならまだ若さゆえの勇み足として、笑い話にもできましょう。」
「……何だと?」
(あら、殿下の眉がピクリと上がってしまいましたわ。)
これは相当に機嫌を損ねてしまった証拠。
どうやらわたくしの言葉は、欠片も心に響かなかったようです。
(では激昂して喚き散らされる前に、会話の主導権を握ってしまうとしましょう。)
「……聞き入れてはもらえませんのね。でしたら、せめて殿下のお考えを教えていただきとうございます。まず、わたくしの浪費癖、でしたね。お言葉ですが、殿下は何をもって浪費と仰るのですか?」
「ハッ、何を分かりきったことを!お前のその装いこそがその証明だろう!たかが学園行事で、そのように派手に着飾る必要がどこにある。このコンチュを見よ、すっきりとした伝統的なドレスながら自らの魅力を余すところなく引き立てているではないか。」
わたくしの美的感覚を全否定する言葉を吐かれて、つい扇を握りしめる手にグッと力が入ってしまいます。
(自らの魅力……ね。確かにコンチュ様によく似合う、彼女の強みを活かすデザインではありますわ。 ……言いようによっては、ですけれど。)
まあ伝統的なものと言えなくもない、腰や胸のラインが身体にぴったりと添うドレス。ただ随分とその……豊満なお胸や滑らかな背中を強調なさりたいようで、些か、そう些か露出が過ぎるように思われます。
なるほど、小悪魔のように愛らしい顔立ちの彼女が少し背伸びをしてみたかのごとき装いは、殿下の好みど真ん中に違いありません。
薔薇の季節に学園の敷地内で行われる、爽やかなガーデンパーティーに相応しいかどうかは、甚だ疑問でございますが。
対してわたくしの今日のドレスは、薄い緑のパステルカラーに、スカートには慎ましくもカラフルな小花の飾りを散りばめた作り。さながらカラースプレーをまぶした可愛らしいチョコバナナといったところでしょうか。
薔薇を始めとした色とりどりの花が咲き誇る庭園に合わせて、ポップなデザインでありながら上品さを損なわないよう、こだわって仕立てていただいた一着です。
このように可愛らしく、ときに美しく着飾ることが、わたくしにとってどんな意味を持つのか。
(何も知らないくせに。……そう思ってしまいますわね。)
もちろん彼が知り得るはずはないことですが、私の気持ちになんて全く興味を持たない彼は、知ろうとすらしていないわけですから。
(仮にも婚約者たる相手だというのに、寂しいこと。)
それにしても、仮にも王子という立場でありながら、王立学園の行事を「たかが」とは、さすがに暴論が過ぎるでしょう。
将来のために生徒間の交流を深める、大切な機会という位置付けですのに。
その辺りの思い違いが殿下の欠点の一つと認識しておりますが、とはいえこの衆人環視で直接指摘するわけにもいきません。
とりあえずは、自分にかけられた嫌疑の件を詰めていくしかないわけで。
色々と腹立たしいことこの上ないですが、落ち着いて話をしなければなりません。
「……左様でございますか。では、また何をもって私がそこの……ええと……まるでセニョリータバナナのようにふくよかなご令嬢を虐げたなどと仰るのですか? 」
「セニョ……?いや、ふくよかだと!?何と無粋な、彼女は出るところが出ているだけで……あ、い、いや、何でもない!」
殿下の発言が一番無粋ですわ、と口に出して言えたならどんなに良いでしょう。
全く、仮にも第一王子殿下に、どなたがそのように下世話な言葉を教えたのだか。
「とにかく!俺の寵愛を受けるコンチュに嫉妬して、酷い嫌がらせをしたそうではないか!」
「ジェフ様……、私、とても怖かった……ううっ。」
「ああすまない、辛いことを思い出させてしまったね。」
煮崩れたジャムのようにぐずぐずに甘えてみせるコンチュ様を、慌てて労る殿下。
そんなお二人の姿を見て、わたくしに非難や嘲笑の眼差しを向ける生徒はもちろんいらっしゃいますが。
ひそひそと、別の種類の囁きも聞こえてきます。
「キャスリン様が嫉妬?まさか、逆ですわ。」
「コンチュ様こそ、王子殿下の婚約者であるキャスリン様を羨んでおられますのに。」
「多くのご令嬢がキャスリン様のファッションに憧れていることを、苦々しく思っていらっしゃるのも有名ですものね。」
(大丈夫……大丈夫です、きっと。)
殿下達にはこれまで色々と振り回されてきましたが、わたくしが密かに積み上げてきたものも、確かに形を成してここにあるのです。
ですからわたくしは、ここで退くことなど決していたしません。
攻めあるのみ、です。
「あら失礼、そちらの女性はエレファンス侯爵令嬢でしたのね。あまりに奔放なドレスをお召しになっているせいで、全く気がつきませんでしたわ。」
「なっ!おのれ、この上まだ彼女を愚弄するか……!」
「愚弄ではなく釈明ですわ。つまり、そのような方に嫉妬する理由など無いと申し上げたつもりでしたの。おわかりになりませんでした?」
──ですから、彼女への嫌がらせなど全く心当たりはございません。
そう付け足せば、殿下のお顔が怒りでかみるみるうちに真っ赤に染まります。
(ええ、心中お察しいたしますわ。下に見ていたはずのわたくしに、逆に見下すような言い方をされたら、当然冷静ではいられませんわよね。)
それはコンチュ様も同じのようで、わなわなと身体を震わせて憤っていらっしゃるご様子でした。
* * * *
(さて、彼らが怒りで言葉を失っているうちに、周囲の反応を観察しておきましょうか。)
こっそりと、できるだけ自然な風を装って、会場中に目を走らせます。
勝ちを確信しているのか、わたくしを怖がらせたいのか、ニヤニヤと嘲るような薄ら笑いを浮かべているのは、殿下の「ご学友」……つまり側近候補である令息達。
彼らを取り巻く生徒たちは、未だに品のない野次を飛ばしています。
遠巻きに見ている他の生徒たちの反応は、殿下達に心を寄せて義憤に駆られる者、事態がどう転ぶか見定めようと静観している者、突然の出来事に戸惑い不安を浮かべる者など様々です。
中にはわたくしを案じてくださる方もいるのでしょうが、加勢を期待するべきではないでしょう。
当事者であるわたくしを置いて、今この場に、王子殿下の言に真っ向から対立できるほど力のあるものはいないのですから。
絶望的な権力の差によりどうせ場を引っくり返すことは叶わない上、学生の身で王族に逆らえば将来にかかわる瑕疵になりかねないため、不用意に手出しさせてはいけない場面です。
(わたくしとて、ここで必死に反論したところで、殿下に押し切られてしまえばそれまでですし。)
つまり、現状は八方塞がりに等しいということ。
元々王子殿下を相手取っている時点で圧倒的に不利なのですから、分が悪いのは仕方ありません。
……今は、まだ。
(手は尽くしてあります。「賭け」が成功することを、祈るしかありませんね。)
反撃を試みるにはまだ早い。
機が熟すまでは適当に彼らを挑発しつつ、時間稼ぎに徹しましょう。
幸い、プライドが高く挑発に乗りやすい殿下と、見下されるのが何よりお嫌いなコンチュ様が相手なら、そう難しいことではありません。
* * * *
「貴様っ……、言わせておけば……もう許さないぞ!こちらが甘い顔を見せれば付け上がって……!」
そうこう考えているうちに、ようやく殿下も復活されたようです。
「甘い顔?どこがです?先ほどから糖分の欠片も見当たりませんが。全く、調理用品種のプランテインの方がまだ甘味があるというものですわ。」
「なっ……!?」
「プラ……?待ってジェフ様、私が悪いの!キャスリン様は元々伝統ある私の家を良く思っていらっしゃらなかったのに、私が貴方の愛まで奪ってしまったから……!きっと嫉妬して、寂しくって、強がっていらっしゃるのだわ。だから……だからせめて、謝ってもらえれば私はそれで良いの。」
同じく復活したコンチュ様は、舞台役者もかくやという仕草で殿下に訴えたあと、これまた芝居がかった調子でわたくしに向き直りました。
うるうると目に涙まで浮かべる徹底ぶりには、閉口するしかありません。
「あの、お願いです、キャスリン様。こんな悲しいことはもう止めてくださいまし!誠意を持って謝ってくだされば私は許します、から……!」
「コンチュ!ああ、泣かないでおくれ。……キャスリン・アクミナータ!やはりお前は我が婚約者に相応しくなどなかったのだ!あれだけ迫害した令嬢に対して、未だ謝罪の一つもできないとはな!」
「謝罪、ですか?わたくしがやってもいないことを?ご冗談はよしてくださいませ。」
「この期に及んでまだそのようなことを!」
ぎらぎらと怒りに燃える碧眼は中々に迫力があります。
殿方の剥き出しの怒気を向けられるのは心底恐怖でしかありませんが、ここで嘗められてはいけません。
わたくしも、すっ、と目を細め、負けじと睨みつけました。
「おあいにくさま、あなた方を甘やかすためのシュガースポットなんて一切持ち合わせていませんでしてよ。わたくしもまだ学生の身、熟成途上の青い果実にすぎませんので。」
「シュガ……?熟成……?一体何の話をしてるのよ!?」
「ええい、先ほどから訳の分からないことを!そうやって煙に巻いて逃れるつもりなのだろう!」
(あらいけない、ついつい語彙がバナナになってしまいますわ。)
未だ「バナナ」という存在が広く普及していないこの国……いえ、この世界では通じようがない言葉ですのに。
この場を乗り切るために感情的になることは避けるべきであるとはいえ、わたくしも少なからず動揺しておりますのね。
まあ、うっかり昔の言葉が出てしまうのは仕方がありません。
だってわたくしは……バナナから人間の貴族に生まれ変わった、言うなれば「元バナナ令嬢」なんですもの!
(先ほどは勢いでセニョリータバナナにも失礼なことを言ってしまいましたわ。あれは甘くて美味しいだけでなく、その小ぶりな形状から子供にも親しまれやすい品種だと、かつて植物園のスタッフさんも言っていたというのに。)
いくら対策を講じていても、結果が出るまでは落ち着かないもの。
浮き足立った気持ちを表に出さないよう、取り繕うので精一杯です。
(やはりわたくしには、こういった立ち回りは向いていませんわ。……それにしても。)
「ジェフ様ぁ……。」
「大丈夫だコンチェッタ、この俺が付いている。必ずあの女から謝罪の言葉を引き出してみせよう。」
時間稼ぎに好都合とはいえ、ああも自分たちの世界に浸られるのはあまり気分の良いものではありません。
(……あの時のように、わたくしはいつだって除け者、ということなのでしょうか。)
目の前で繰り広げられる茶番のせいで、忘れてしまいたくてずっと蓋をしてきた、焦げた砂糖のような苦い記憶を思い出してしまいます。
なおも騒ぎ立てる殿下達をよそに、わたくしはここに至るまでの生涯にそっと思いを馳せました。
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