王太子殿下の執事様

萩 葵

文字の大きさ
上 下
22 / 24
曙光 -しょこう-

7

しおりを挟む

「ルーカス!大丈夫か!……その恰好は…………」

切羽詰まったアルベルトの声に、ルーカスはホッとして、持っていた剣を落とした。
そして、自分の足元に転がるノアの頭を、そっと持ち上げ膝に寝かせる。
ノアの顔は、青を通り越し、紫色にはれ上がっていた。

「ぼ、僕は大丈夫です。……それより、ノアが……ノアが……ごめん、ごめんね、ノア……」

ルーカスは、ノアの顔をそっと抱え、涙を流す。
ルーカスの涙が、ノアの顔にポトポトと落ちていく。

「ルーカス。ノアは大丈夫です。まずは、貴方を手当てしなくては……頬が腫れているではないですか。……そこをどきなさい」

「オリバー兄様……でも、僕の所為で、ノアが……」

すると、ルーカスに蹴られ唸っていた男を、捕縛し終えたハイアットが、ルーカスの後ろに回り、両脇に手を入れ、猫のようにヒョイと持ち上げた。
ブランと空中で体が揺れ、ルーカスはキョトンとする。

「え?ハイアット様?」

ルーカスの膝から強制的に落とされたノアの頭は、ゴチッという音と共に地面に落ちた。

「痛てっ!」

それと同時に、オリバーがノアを踏もうとする。
今まで浅く息をし、力なく寝ころんでいたノアが、素早い動きでオリバーの足を回避する。

「え?ええっ!?」

そっと地面に下ろされた事にも気づかず、ルーカスはその光景に目を丸くした。
何度もノアを踏もうとするオリバーの足を回避し、ノアは石畳をゴロゴロと転がり回っている。

「ちょっ!オリバー様!や、止めてくださいよ!肋骨1本やってるんですって!」

「黙りなさい!2本目は、私が折ってやります!ルーカスの顔に傷をつけたんです!肋骨の1本や2本、折ってもどうってことないでしょう!」

「そんな!一発だけですって!後は全部、回避しましたよ!」

「当たり前です!!」

ゴロゴロ転がるノアを、追いかけて踏もうとするオリバーを呆然と見ていれば、ふわりと暖かいものが体にかけられた。

「アルベルト殿下……」

ルーカスの肩にかけられた、アルベルトの上着に気を取られていると、アルベルトは触れるか触れないかの、優しい手つきでルーカスの頬を包み込んだ。

「ルーカス。すまない。お前を守れなかった……」

痛ましそうに見てくるアルベルトに、ルーカスはまだ少し痛む頬を、笑みの形に作った。

「このくらい、平気です。もう殆ど痛みは無いので……」

そこでふと、ルーカスは気が付いた。

(あれ?本当に、痛みが引いている……)

切れていた筈の口の中は、舌で探っても傷口さえ見つからない。
まだ頬は痛むが、痛みは殴られた当初に比べ、格段に引いている。

(普通、もっと腫れあがるよな?)

いつもなら、時間経過と共に腫れ上がり、痛みも強く感じ始めるのに、今回は不思議なほどに腫れも痛みも引いている。

(俺、祈ってないのに……)

ルーカスの狼狽に気が付いたのだろう、アルベルトが気づかわしそうに見ているが、ここでこの話をする事は出来ない。

「ほ、本当に平気です。それより、舞踏会は……殿下が主役なのに、こんな場所にいて大丈夫なんですか?」

頬に当たられたアルベルトの手を、そっと外してルーカスは聞いた。

「ああ……陛下の許しがあるから、大丈夫だ」

(本当に?それにしても、こんなに人が多いって、どういう事だ)

周りを見渡せば、小屋の中に所狭しと居る近衛騎士達を筆頭に、色々な制服を着た使用人たちが、小屋の外から顔を覗かせている。さらに外にも、多数の人の気配もしていた。

「ルーカス様!助けて!」

転がって来たノアが、ルーカスの足に当たって止まる。

「ルーカス!どきなさい!そいつを護衛騎士から外し、扱き直します!」

縋り付くノアを見下ろしたルーカスは、腹のそこからムカムカと怒りが湧いてきた。

(俺の悩んだ時間と、あの気持ち悪い時間を、返せっ!)

「あ、あの?ルーカス様?え?なんで笑って……ぐえっ」

ノアの腹を思いっきり踏んで、ルーカスはほほ笑んだ。

「オリバー兄様、しごき直した後は、もう一度、僕の護衛騎士に戻してください。万が一の時には、なら心置きなく捨てられるので」

「ぐっ……あ、新しい扉が開きそう……」

「黙れ、駄犬」

「は、はい……」

ノアの腹を踏んでいたのを止めて、ルーカスが冷たく見下ろすと、ノアは頬を赤らめて見上げてくる。

「ルーカス、本当にでいいんですか?」

「だ、大丈夫です!ルーカス様は、俺が命に代えても守ります!男を蹴り上げたのといい、あのセリフといい、痺れました!そして、腹を踏む優しさに、蔑んだその目!俺のご主人様になって下さい!」

「うるさい駄犬。断る。オリバー兄様、とにかく一度、を死なない程度に扱いてくださいね」

「……ワカリマシタ」

冷たくほほ笑むルーカスに、オリバーは眼鏡のブリッジをグイと上げ、片言に返事をしてきた。

その間アルベルトが、ルーカスを憂いの目で見ていたのに、ルーカスはついぞ気が付くことは無かった。





いつの間にか用意された風呂に、ルーカスは入れられ、多数のメイドにあっという間に着替えさせられ、傷を隠す化粧をし、舞踏会の扉前にルーカスは立っていた。

アルベルトは、またの機会にすればいいと言ったが、ルーカスがこの舞踏会に出ると強行したのだ。
ルーカスが連れ去られた事は、すでにもう舞踏会に出ている者たちに、知れ渡っているだろう。
その中で、舞踏会に出ないという事は、出られない重大な事があったと、勘繰られるに違いない。

アルベルトは、ルーカスの傍から離れたがらなかったが、ルーカスは、どうしてもと言って、会場へ戻ってもらっていた。

(約束したでしょう)

今回の事で、ルーカスは思ったのだ。
連れ去られた時、自分にとって一番気になったのは、アルベルトとの約束だった。

いつも懇願するように、傍に居て欲しいと囁くアルベルトの姿が、最後の最後までルーカスを支えていた。
選択肢が無いからではない。自分から、アルベルトの元に戻りたいと、願ったのだ。

(自分から、アルベルト殿下の元に行きます。貴方との約束を、守ったと胸を張ります)

名を呼ばれ、扉が開く。
目がくらむ程、煌びやかな会場に居る、多くの人々の間に、一本の赤い道が出来ていた。

道の先には、アルベルトがまだ心配そうに、こちらを見ている。
その顔に、ルーカスは微笑みかけた。

会場が騒めき、あちこちから感嘆のため息が聞こえてくる。
だがルーカスは、ひたすらアルベルトを見つめ、その赤い絨毯の一本道を、胸を張り、ゆっくりと歩み始めた。

「アルベルト殿下」

「ルーカス……」

アルベルトの前で、頭を垂れる。

「お待たせしました」

「……ああ、待っていた」

小声で会話を交わし、アルベルトは国王を振り向く。
そして、2人で国王にひざまつき頭を垂れた。

「ルーカス・フォン・ランセント。今日より、この国の王太子であるアルベルト・ロム・シュザイナーの、専属執事に任命する」

国王の専属執事が、金のスタンドボードにアルベルトとルーカスを先導する。
羽ペンを持ち、そこに置いてあった羊皮紙にサインを交互にした。

サインをし終え、ルーカスは少しホッとする。

盛大な拍手の中、絞殺さんばかりにアルベルトを見つめる、リッカルドが横目に見え、ルーカスはギョッとした。

やっと周りを見る余裕が出来たルーカスは、殺気を感じるリッカルドを抑えている、ラベンダー色のドレスを着た美女を見た。
きっとまだ、正式に会った事のない、公爵夫人だろう。
2人揃って紫を着ているとは、とても仲の良い夫婦なのだと、ルーカスはホッとした。

ルーカスが公爵家に居る時、一度も顔を合わせたことが無かったので、秘かに夫婦仲を心配していたのだ。
公爵夫人と共に、まだ会った事のない次男は、ここには居ないようだ。

(いつか、ちゃんと会えるだろうか……)

しばしランセント公爵家に思いを馳せていると、アルベルトがルーカスにほほ笑んだ。

「ルーカス。約束を守ってくれて、ありがとう」

バタバタと周りで倒れる音がしたが、ルーカスはそれに気づかず、息を飲んでアルベルトの顔を見つめていた。

(うわーうわぁー。なんて嬉しそうに……)

薔薇の蕾が綻ぶようにほほ笑む、鮮やかなアルベルトの笑みに、ルーカスは魅了される。

「これからも、よろしく頼む」

今度は少年のように明るく笑うアルベルトの顔を、顔が熱くなるのを感じながら、ルーカスは見つめていた。
しおりを挟む
感想 11

あなたにおすすめの小説

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました

まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。 性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。 (ムーンライトノベルにも掲載しています)

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました

SEKISUI
BL
 ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた  見た目は勝ち組  中身は社畜  斜めな思考の持ち主  なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う  そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される    

俺が総受けって何かの間違いですよね?

彩ノ華
BL
生まれた時から体が弱く病院生活を送っていた俺。 17歳で死んだ俺だが女神様のおかげで男同志が恋愛をするのが普通だという世界に転生した。 ここで俺は青春と愛情を感じてみたい! ひっそりと平和な日常を送ります。 待って!俺ってモブだよね…?? 女神様が言ってた話では… このゲームってヒロインが総受けにされるんでしょっ!? 俺ヒロインじゃないから!ヒロインあっちだよ!俺モブだから…!! 平和に日常を過ごさせて〜〜〜!!!(泣) 女神様…俺が総受けって何かの間違いですよね? モブ(無自覚ヒロイン)がみんなから総愛されるお話です。

転生したら弟がブラコン重傷者でした!!!

Lynne
BL
俺の名前は佐々木塁、元高校生だ。俺は、ある日学校に行く途中、トラックに轢かれて死んでしまった...。 pixivの方でも、作品投稿始めました! 名前やアイコンは変わりません 主にアルファポリスで投稿するため、更新はアルファポリスのほうが早いと思います!

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

メインキャラ達の様子がおかしい件について

白鳩 唯斗
BL
 前世で遊んでいた乙女ゲームの世界に転生した。  サポートキャラとして、攻略対象キャラたちと過ごしていたフィンレーだが・・・・・・。  どうも攻略対象キャラ達の様子がおかしい。  ヒロインが登場しても、興味を示されないのだ。  世界を救うためにも、僕としては皆さん仲良くされて欲しいのですが・・・。  どうして僕の周りにメインキャラ達が集まるんですかっ!!  主人公が老若男女問わず好かれる話です。  登場キャラは全員闇を抱えています。  精神的に重めの描写、残酷な描写などがあります。  BL作品ですが、舞台が乙女ゲームなので、女性キャラも登場します。  恋愛というよりも、執着や依存といった重めの感情を主人公が向けられる作品となっております。

悪役令息に転生したけど…俺…嫌われすぎ?

「ARIA」
BL
階段から落ちた衝撃であっけなく死んでしまった主人公はとある乙女ゲームの悪役令息に転生したが...主人公は乙女ゲームの家族から甘やかされて育ったというのを無視して存在を抹消されていた。 王道じゃないですけど王道です(何言ってんだ?)どちらかと言うとファンタジー寄り 更新頻度=適当

処理中です...