王太子殿下の執事様

萩 葵

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やっぱり、現実は小説よりも奇なり

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ルーカスが仮眠室を出ると、そこは、一つ一つの作りが丁寧で高級だという事が分かる、濃いブラウンを基調とした、趣味の良い部屋であった。
その部屋に、光沢を放つ木目調の大きいローテーブルがあり、その周りにベンチソファーや一人掛けソファーが並んでいる。
向こう側が見える木製の仕切りがあり、そこに花や植物がさりげなく飾られて、重厚感のある部屋の息苦しさを緩和していた。

そしてその仕切りの向こうには、どっしりとした執務机が、壁に背を向け、堂々と鎮座している。

縦抱きされたライナーの腕から、部屋をキョロキョロと見渡していたルーカスに、バンバンと音が聞こえてきた。

「ルーカスは、ここに、ここに座りなさい」

座っているベンチソファーの自分の横を、バンバンと叩くランセント公爵家当主に、ルーカスは遠い目になる。
前世の自分を慕ってくれた、従兄妹の小さい時を思い出す。

(この人、本当に公爵様?え?貴族ってこんなのだっけ?)

意識が前世へと遠のいている間に、ライナーにリッカルドの横まで連れてこられた。

「ルーカス様、どうぞ」

(え?下ろさないで!)

縋るようにライナーを見つめても、にこやかにライナーは、ルーカスをリッカルドの隣に座らせる。

「ルーカスた…ごほん…ルーカスは、あんずジャムが好きだとか?オリバーから話は、きいているからね。ほら、沢山用意させたから、好きなのを食べなさい」

艶やかな木製のテーブルには、ほんのり黄色がかったムース、豪奢ごうしゃなガラス瓶に入ったジャムとふかふかのパン、あんずの乗ったタルト、そしてスープやスクランブルエッグ、ソーセージやキッシュ、瑞々しいサラダなどの軽食が、所狭しと並んでいた。

「ほら?何がいい?」

突然現れたご馳走に、目を白黒しているルーカスの横から、スッと皿が差し出される。
上品に小さく切られた、ふかふかのパンに、黄金色のジャムがたっぷり乗っている。

思わずその皿にルーカスが釘付けになると、リッカルドが皿のパンを取り上げ、ルーカスの口元に持ってきた。
マフィアのボスが、今から敵陣に行くような相貌である。

思わずルーカスが自分でパンを持とうとすると、ヒョイとパンを避けられ、またルーカスの口先に付けられる。
それを2度ほど繰り返し、ルーカスは観念して、口を開けた。

ジワリと口に広がる、甘酸っぱいジャムの甘みと香り。

(あぁ、懐かしい)

まだ男爵家がそれほど貧乏ではなかった頃、兄姉きょうだいで集めた杏を、母がジャムにしてくれた、ルーカスにとっては初夏を告げる味である。
こんなにジャムが甘くも無いし、ふかふかのパンに付けたことも、無かったけれど。
喉奥がキュッと締まり、鼻の奥がツンとする。

「美味しいか?まだまだ、あるぞ?ほら、ジェームス、お前もブランチを取りなさい」

目の前の一人掛けソファーで、二人を見守っていたジェームスにも、リッカルドは声をかけた。

「いえ、懐かしいと思って、見ておりました」

そんなやり取りを、静かに見守っていたジェームスがそう口を開き、ライナーに目で合図をすると、綺麗な動作でライナーは、大皿に料理を美しく盛りだした。

ルーカスがパンと一緒に、泣きそうになる思いを飲み込むと、また横からスッと、ティーソーサーに乗った紅茶が差し出される。

「あ、ありがとうございます」

誰だろう、と紅茶の持ち主を振り返る。
専属執事の姿をした、昔の美貌がうかがえる、すらりとした中年の男性が、ベンチソファーの後ろに立っていた。

「ああ、私の専属執事、セバスティアンだ」

ルーカスは、心の中で興奮する。
執事といえばこの名前、という名にやっと会えた。

「坊ちゃま、こちらの紅茶は干した杏で香り付けされており、少々酸味がございます。先ほどのジャムと、相性がよろしいかと思います。どうぞ私の事はお気になさらず、お召し上がり下さい」

ニコリと笑われ、思わず愛想笑いを返す。

(なんだろう…あくまで執事って感じで、かっこいい…職人だな)

そうして、リッカルドに餌付けされるよう、しばらく穏やかに食事を3人で楽しんだ。
食後のお茶を、改めて飲んでいると、リッカルドが今後の事だが、とルーカスに話し始めた。

「実は、3ヵ月ほど王都にある我が家に、ルーカスを滞在させる予定をしていたのだが、あの融通がきかないクソガ…王太子殿下が、すぐにでもルーカスを従僕にと言うのでね。本当に不本意ではあるが、ルーカスを2週間だけしか、帰せない事になった。その間も、クソガキがルーカスを連れて来いと言っているので、私と一緒に登城してもらう」

ルーカスが飲んでいた紅茶の水面が、チャプンと揺れる。

(言い直したの、台無しになってるし…もうクソガキ、って呼んじゃってるよ…大丈夫なの?)


ジェームスは、父の言葉をサラリと流して、低い声を出した。

「父上…2週間は短期すぎます」

「仕方ないだろう…王太子殿下が専属執事をご指名されるまで、あと数か月しかない。それまでに、王太子殿下の従僕として違和感なく、ルーカスは振舞ふるまわねばならない。まあ、ルーカスは従僕としての下地があるから、王太子殿下のお好みをどれだけ把握できるかが、要になるだろう」

ジェームスに責められるように見られて、リッカルドの眉間の皺が、益々、深くなった。

「…仕立て屋に、早急に準備させましょう」

「金に糸目を付けぬ。ルーカスたんを、飾り付けるのは、このわたしだ!」

メラメラとリッカルドが、気負う。
お気に入りの従僕は、主人から沢山の装飾品や服を贈られる。だが、基本は実家から送られてくるものを着る。
リアム時代、実家からの仕送りが無かった為、従僕たちのお下がりを調達して着ていて、よく笑われていた。
レイモンドと一緒に行動する時は、たまに側室様から贈られるものを着て、従僕の体裁を取り繕っていたのだ。

(あの服、ダメになっちゃったんだろうなぁ)

まだ、3回しか着てなかった豪華な服を思い出して、ルーカスは悲しい気持ちになった。
しかし、そのルーカスは知らなかったのである。

本当の豪華、というものを。
そして、公爵家の本気というものも。


******



食事後、仕立て屋が来たからと、部屋を変えたルーカスに、リッカルドは当たり前のように付いてきた。
そして、店の者に、寸法を測られる。
色んな服を見せられるが、ルーカスには、自分に何が似合うのかの判断がつかなかった。
しかしリッカルドは、一目見ひとめみただけで、善し悪しの判断をして、どんどんと買っていく。
装飾品から、靴まで、手当たり次第である。

「とりあえず、すぐに着るものは、セバスが準備しているだろうから、こんなものか」

仕立て服10着が超え始めてから、ルーカスは数えるのを止めた。
服の至る所に、複雑な刺繍や宝石がついているのは、見なかったことにする。

「王太子殿下の瞳の色が多くなったことは、致し方ないか…病み上がりで無かったら、ルーカスにちゃんと着せて、合う服をもっと決められたものを、残念なことだ」

これまでに注文した書類の束を、ペラペラと確認しながらリッカルドは頷く。
その間に、セバスティアンが仕上がる日などの段取りを、取り決めていた。

「これで、王太子殿下も服装を改めるだろう!ルーカスたんに、恥はかかせぬ!」

そういえば、と初めて会った王太子殿下の服装を思い出す。
素材自体は良さそうだが、とてもシンプルなものだった。
前世の自分には違和感なかったが、この世界では質素と言われてしまうだろう。

主人が質素な服を着ていれば、従僕としての能力を疑われる。
服装を管理するのも、従僕として大事な仕事なのだ。

(たしかに、従僕より質素な主人なんて見たこと無いし…)

それにしても遣り過ぎだろうと、ルーカスはぐったりと椅子に座りこんだ。
見ていただけなのに、頭がクラクラする。
これで着せられた日には…と想像して、ルーカスはゾッとするのだった。




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ここまでお読み頂き、ありがとうございます。現代に合わせ、登場人物の年齢を修正いたしました。
詳しくは近況ボードに書いてありますので、よろしくお願いいたします。
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