王太子殿下の執事様

萩 葵

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小説は現実よりも奇なり

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オリバーは、深い緑色の生地に、銀の刺繍が複雑に施されたズボンと、コート、そして揃いのジレを着ている。
首元には、新緑色のクラヴァットをしていた。

思い描く貴族そのもののオリバーに、リアムは何を言われるのかと、ゴクリと唾を飲み込んだ。

「体の痛みは、全て消えましたか?どこか、今までと違うところは?」

「…痛みは全て消えました。目も今までと同様、ちゃんと見えます」

オリバーは、ふむ、と顎に手を当てる。

「なるほど…好きな食べ物は何ですか?」

(ん?好きな食べ物?)

思わずリアムは目を瞬かせた。
何だか、想像していた質問と違っていたからだ。
しばし逡巡しゅんじゅんしたのち、リアムは恐る恐る答えた。

「あんずジャムが好きです」

また、オリバーはふむ、と頷く。

「では、嫌いな食べ物は?」

「好き嫌いはありませんが、あえて言うなら、タンポポの根です」

黙って二人を見ていたアルベルトが、そこで声を上げた。

「タンポポ?タンポポって、あのタンポポか?その辺に生えている?」

そちらを見ると、アルベルトは驚きいぶかしんでいる。
そんなアルベルトの後ろの椅子に、座っていたはずのベオルグ医師は、いつの間にか消えていた。
ベオルグ医師の行方に気を取られていたリアムの上から、オリバーの補足する声が降って来た。

「食べるものが無くなる冬などは、地下に眠っているタンポポの根を掘り返し、食べることもあると、聞いたことがあります。そして、マドヴォワ男爵領は6年前、冷夏と水害でかなりの被害に遭われたようです。マドヴォワ男爵領は元から、あまり農業に適したと言えない場所だったと記憶しています。…そしてその1年後、彼は王都にやって来ていますからね」

嫌いな食べ物から、スラスラと今までの経緯をオリバーに説明され、リアムは黙って下を向き、柔らかな布団をグッと握りこんだ。

「…そうか…」

アルベルトは悲しそうに呟くと、再びリアムのベッド脇に座るなり、ギュッとリアムを抱きしめきた。

「だから、こんなに小さいのか」

抱きしめたまま、グリグリとリアムの頭を撫でまわすアルベルトに、オリバーは鋭く諫めた。

「アルベルト、辞めてください。彼は私の弟です」

「私の従僕でもある」

「まだ、従僕ではありません」

「それなら、まだ弟でもないだろう?」

現在進行形で、アルベルトに抱きしめられ、グリグリと頭を撫でまわされている、混乱の真っただ中にいるリアムに、オリバーは鋭く声をかける。

「ルーカス、兄様と呼びなさい。」

ルーカス?と一瞬、誰の名前なのか分からなかったが、自分の事だと気が付いたリアムは、恐る恐るオリバーに従った。

「…オリバー兄様?」

「よろしい。これから貴方は、ルーカス・フォン・ランセント。ランセント公爵家の4男であり、私の弟です」

(そうか。もうリアム・フォン・マドヴォワは死んだんだ。これからは、ルーカスとして生きて行くしかないんだ)

そう思い、リアム…いや、ルーカスは、家族だった人たちの影を振り払うように、頷いた。

決意したように頷くルーカスを見て、オリバーは満足そうに頷いた。
するとアルベルトは、ルーカスの耳元で、フフフと笑い、体を離した。

「良かったな、弟が出来て。それがお前の研究対象である、聖ならば尚更だろう?」

「研究対象などではありません。私は癒しの力を持つ方を敬愛し、愛染あいぜんを感じているだけです」

そう言って、オリバーは冷たい目でアルベルトを見つめた。

「そんな愛のない言い方は、辞めてください」

そんなオリバーを見て、前世のとある人を、ルーカスは思い出した。

(あ、この人、あれだ…オタク?マニア?…多分だ)

前世の友人を思い出して、ルーカスの頬が引きつった。
普段、温厚で冷静な彼の地雷が、彼の好きなアイドルだった。
彼がアイドルを汚けがされた時の目の鋭さと、今のオリバーの目が一緒なのだ。

そんなオリバーを見て、アルベルトはルーカスの両肩を掴み、目を合わせた。

「いいか、ルーカス。お前の兄上は…いや、お前の家は、ばかりだ。300年前の聖女は、本来、ランセント公爵家に嫁入りする予定だった人物だ。だが戦乱の最中、聖女として世に出た彼女を、神殿は放っておいてくれなかった。ランセント公爵家、ひいては貴族だけ聖女を独占するつもりだ、と世論を操作して、まんまと神殿に彼女を閉じ込めてしまった。…それからランセント公爵家と月華教は天敵になったんだ。そして、ランセント公爵家は聖女や聖に異常な…んん、執拗な…」

そこで、さらに冷えていくオリバーの目に気が付き、アルベルトは大げさに咳払いした。

「ええっと…ランセント公爵家は“敬愛と愛染”だったか?それを元に、聖女や聖がいつ現れてもいいよう、体制を整えているんだ。…300年前からずっとな」

(あ、思った以上だったかも…)

ランセント公爵家の入れ込みように、ルーカスは遠い目をした。
ルーカスの肩に、300年分の“敬愛と愛染”が圧し掛かる気がした。

「大丈夫だ、私の従僕になれば、お前の重責を軽減してやることが出来る。だから、私の従僕になれ」

ルーカスは思わず、縋るような目でアルベルトを見つめ、コクコクと頷いた。

「殿下、重責とは心外です」

そう言うと、オリバーはルーカスに向かい合い、顔を引き締めた。
その表情に、座っているルーカスの背筋も、ピンと伸びる。

「改めまして、私はオリバー・フォン・ランセント。ランセント公爵家の3男になります。現在、アルベルト殿下の幼馴染として、傍付きをしております。我がランセント公爵家は、殿下が仰ったように、癒しの力を持つ方に、並々ならぬ思いを抱いてはいますが、それを貴方に押し付けるつもりは、ありません。貴方が生きやすいよう、お手伝いさせて頂きます。…ようこそランセント公爵家へ。これからよろしくお願いしますね、ルーカス」

静かな冬の森の印象だったオリバーが、柔らかな笑みを浮かべた。
とたんに、春に花咲き乱れる華やかな森の印象になる。
後ろから光芒こうぼうが放たれたかのように、キラキラと光が落ちて来ているようだ。

ルーカスは、思わずその笑顔に見ほれた。
そんなルーカスの肩を、アルベルトが軽く叩き苦笑する。

「私でも、こんなオリバーの笑みは滅多に見ないから、気分は分かるが…」

そう言って、片方の眉を上げて見せる。
我に返ったルーカスは、慌ててオリバーに向かい、頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。…オリバー兄様」

よくできました、とばかりに、アルベルトがルーカスの頭を撫でる。

「さて、私の時間も限界だろう。それに、ルーカスの身なりを整える準備もできた頃だろうしな。三日間、何も食べていないから、体に負担が無い軽食を用意させている。目に薬を塗っていたから、顔も拭かなくてはな」

そう言って、アルベルトはルーカスの瞼にそっと触れる。
薄い緑色が、アルベルトの親指についた。

「ルーカス、お前が生きていてくれて、私は嬉しい。これから長い付き合いなるだろう。今は、ゆっくりと休め」

そう微笑むと、ルーカスの額に軽いキスを落とし、アルベルトは立ち上がった。
その行動に、ルーカスは動揺して挙動不審になる。

「明日にでも、ゆっくりと話をしましょう、ルーカス」

挙動不審のルーカスの頭に、オリバーも柔らかなキスを落とし、頭を優しく撫でた。

そして2人は、動揺しているルーカスをそのままに、そっと部屋から立ち去って行った。
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