民法第五部

吉野楢雄

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民法第五部

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上本とも大津さんとも長い付き合いだ。
なにしろ模試の成績優秀者一覧を、しげしげ眺めていた高校三年生からの付き合いだ。
二人とも優秀だった。上本は下の名前が珍しくて、大津さんはそんなに多くない女子の優秀者一覧の常連だったから、よく覚えている。
僕は結局一覧には一度も載らないまま二人と大学の同級生になった。
僕たちは同じクラスになった。
上本は兵庫の名門私学の出身で、大津さんは大阪を代表する名門公立高校の出身だった。
僕は奈良の新設私学の出身で気おくれがしたことを覚えている。

「おい、このピザうまいな」と上本。
「はりこんだからだよ」と僕。
僕の下宿で二人で飲んでいた。
そのあてがピザで、車で取りに行ってもよかったが、宅配を頼んだ。
普段は2枚で3千円か何かのピザを、今日は4千円近くのを頼んだからだ。
「うまいうまい」
上本は感心しながらピザをほおばり、そうして缶のハイボールを飲んだ。
僕は9%のチューハイを専門にしていた。
「今度のバイト代が入ったら、車の頭金にしようと思っているんだ」と上本。
「何を買うんだ?」
「中古のスープラ。型落ちしたばっかりの」
「そりゃあいい」
「お前の車がうらやましくて」
「俺のはファミリーカーだ」
僕の愛車はカローラⅡだった。
愛着はあって、“カローラⅡに乗って”と題する曲を初日に買って聞いたりした。
「うまいうまい」
上本は繰り返した。
上本のバイトは河原町のホテルの清掃で、“洗っても汚れが落ちないというのは、おおかた洗剤をケチっているからだ”という持論を今日も繰り返した。
「将来は何になりたいんだ?」
僕は思い切って訊いた。
「俺? なんでもいいよ。でも車が好きだからあんまり安月給じゃあな。お前は何になりたいんだ?」
隠しておくつもりだったが答えた。
「小説家。あんまりパッとしない、平凡な」
「そりゃあいい」
「そうか?」
「なんで文学部にしなかったんだ?」
「世間が狭いだろう」
「それもそうだ」
上本は、最後のピザのかけらを平らげると多めに割り勘を支払い、バイクで帰っていった。

僕のバイトは、病院の夜間宿直員だった。
上本と違って、車はたまたま貰ってあったので、あまり多く稼ぐ必要もなかったが、車検やらガソリン代やらで維持費もかかるので、週に二日はシフトを組んでもらっていた。
たまに夜中に急患が来たり、そうでなくとも宿直室のベッドでは寝れなかったりして、今から思えばあまり割のいいバイトではなかった。
時折上本が飲んだ帰りなどに遊びに来た。病院の受付で僕たちはいろいろと話し込んだ。バイトのこと、車のこと、そうして女の子のこと。
バイクのことは時折話した。上本が250㏄のバイクに乗っているのを常々うらやましく思っていたが、上本は、まったく本意ではないと話した。
「本当はトライアンフかドゥカティの大型バイクに乗りたかったが金銭上の理由で」
「今ので十分かっこいいじゃないか」
「恥ずかしい限りだ」
僕は次のバイト代が入ったら、二輪の免許を取って、250㏄の中古のバイクを買おうと思っていた。
「勤め人になったら外車を買うよ。もしかしたらハーレー」と上本。
「やめとけ」

女子の少ない僕の大学では講義の合間、少数の女子学生に、多くのクラスメートの男子学生がぞろぞろとついて回る悪習がある。僕はそれが嫌で、授業には一人で出席することにしていた。ただしこれには弊害があって、欠席した時のノートの分かちに預かれないことだった。
「大津さん、俺授業欠席してしまって」バイト明けで寝過ごすことがあった。
「それじゃあノート、貸すよ。コピーして」
「助かるよ、ありがとう」
生協のコピー機に走る。
終わると大津さんに駆け戻り、お礼のコーヒー牛乳を渡し、もう一度礼を言う。
「恩に着るよ。いずれは大きく返すから」
「大きくなって大きく返して」
大津さんは答える。そうして次の授業に向かう。僕は帰路に就く。
入学時からだんだん授業の出席が悪くなっていた。部屋に帰ってテレビを見たり昼寝をしたりしていた。大津さんとは履修科目を合わせていたので、まったく授業に出ない課目を大津さんのノートを頼みにクリアーしたりしていた。

「おいおーちゃんってなかなか可愛いよな」と上本。
「まあな」と僕。大津さんのことだ。
二人しておーちゃんの部屋に招かれた帰り道のことだった。
僕のカローラⅡのなかで、上本は大声を上げた。缶ビールとかチューハイとかハイボールを多少空けただけだったが、酒に弱い上本は赤い顔をしていた。
「俺、行こうかな」と上本。
「やめとけ、社会に出るともっといい女がいる」と僕。
「そうかな?」
「そうだよ、今でもテニスサークルのよその女子大生ってもっとかわいいだろう」
「そうかな」
上本は口をつぐんだ。
そうして車で上本を下宿に送り届けると、自分の下宿に戻って風呂に入って寝た。


ある夜、三人で僕の車で滋賀にドライブに行くことになった。おーちゃんも上本も上機嫌で、車内で会話が弾んだ。
途中の道で左側にラブホテルが現れたので、僕は左折のウィンカーを出してスピードを落とし、おーちゃんは固まった。そのまま通り過ぎ、僕はウィンカーを切った。
おーちゃんは怒り出し、ぷりぷりした。
僕は謝り、車を滋賀に走らせた。

僕のカローラⅡは、義兄から譲られたものだった。総合商社に勤める義兄はBMWに買い替えた。姉は、好きに乗り回したらいいじゃないとアドバイスし、母は義兄にもらったものなのだから大切にしなさいと話した。実際はその中間のような扱いをしていた。

ある朝いつものように、おいビリヤード行くぞと夜勤明けの上本に電話をかけた。上本は眠そうだったが、シャワーを浴びてすぐに行くといった。上本はバイト代で中古のレビンを買っていた。
「いい朝だな」
「ああ」
堀川通は空いており、宝ヶ池の行きつけのビリヤード場への道は快適だった。
1時間ほど遊んで車に戻った。
「そろそろ就職活動だな」と上本。
「ああ」
覚悟していたが、とうとうその時が来た。
「俺、忙しくなるんだ」
「ああ」
「これまでみたいに遊んでいられない」
「そりゃあそうだ」
上本はそう言って僕を下宿まで送り、去っていった。

明日の民法第5部の学期末試験には危急時遺言が出題されるらしいと、上本から連絡があった。
僕も上本も授業には出ていなかったが、出ていた大津さんの言うには、最後の授業で教授が仄めかしたらしい。
僕は慌てて買い置いてあったテキストを開き、遺言のページを開いた。
遺言には普通方式遺言と特別方式遺言があるとあった。全部読んでいたら時間が到底足りない。
僕は特別方式遺言の一つである危急時遺言のページを開き、ひたすら読んだ。
翌朝、ほとんど寝ずに出かけた民法の試験には
“遺言の方式の一つである危急時遺言について述べよ”
とあった。
僕はしめたと思い、一気に書き上げた。
“危急時遺言には一般危急時遺言と難船危急時遺言の2種類がある。一般危急時遺言とは、疾病や負傷で死亡の危急が迫った人の遺言形式である。証人3人以上の立会いが必要で… 
難船危急時遺言とは、… “ 

試験のあと、僕は上本に会って情報提供の礼を言った。
卒業が近づいていた。
彼は公社に就職が決まっていて、僕は小説家を目指す予定だった。
「四年間いろいろと世話になったな」と僕。
「こちらこそ」
「今日も助かったよ」
「俺じゃなく、大津さんに礼を言わなきゃあ」
「今晩電話しておく」
「それがよかろう」
そうしてしばらく沈黙した。
大津さんは院に進学する予定だった。京都にとどまる予定の僕とは、これからもしばらく交流があるはずだった。
僕は大津さんとの以前のちょっとした恋愛沙汰のことを思い出して気が重くなったが、上本は構わず言った。
「大津さんを幸せにしてやれ」
「気が向いたらな」
僕はぶっきらぼうに話した。
大津さんは開業医の娘で、僕の父親は平凡なサラリーマンだった。別にそれを気にしたわけではないが、
「ところでさ」
「なんだ」
「親の遺産ってどれくらいあるんだろうな」
「知らないよ。あっても俺はそんなこと気にしないよ」
ぶっきらぼうに上本は答えると、コーヒーを飲んでいた生協を出ようと言った。
出たところで上本は、
「お前とは4年間楽しい時間を過ごせたよ」
「俺の方こそ」
「もう会うこともないだろうが、幸せにやれよ」
「ああ」
そういうと彼はバイクを発進させ、テールライトが赤く染まった。
僕は自転車で、下宿に戻った。
彼とは結局それっきりになった。

そのあと下宿で書き上げた小説が認められ、中程度の小説家としてやっていくことができることになった。
大津さんとは結局結ばれなかった。今は実家に戻り、両親と暮らしている。
たまに大学のロゴが入ったボールペンを回しながら、彼の最後の言葉を思い出す。
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