彼女がのぞむ月の向こう

内山恭一

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翌日、ゴールデンウィーク後半の始まりの日。
海の方角には街の影にわずかに頭を出した数本の煙突が見え、えんえんと白い煙をたなびかせている。
音楽が静かに流れる店内、想定していなかった出来事に戸惑うあかさは、何から話そうかと困り顔で待っていた。
甘い香りが漂い色とりどりの空間にあって、目が落ち着かないのは理解できるし、女子たるものケーキの一つや二つは食べられそうだが、あかさのケーキはフォークでまさぐられただけで皿の上にたたずんでいた。
一方、テーブルの向かい側で、三個目をどれにするか落ち着かないのはちかやの方で、あかさは声を掛けづらかった。
想定外なのは実はそこではない。
まだ名前しか紹介されていない少女が斜向かいに座っていて、苦笑と愛想笑いの応酬に終始していたからだった。
ちかやのわくわくする気持ちが素直に伝わってくる、その人間性が話を切り出しにくくさせる。
チョコレート系のケーキ二種が今し方まで乗っていたはずの皿は、ちかやの見事な食べっぷりに呼応して美しく光を放つ。
さんざん迷ったあげく、
「やっぱ、もう止めとこう」
まだ目移りしているその顔でティーカップを口に付け、再び現したのは一転満足げな笑顔だった。
三人は視線を交わしあって笑った。
「よく食べたね」
「体動かしてるとすぐお腹空いちゃう」
スポーツする姿がよく似合いそうだが…。
「何かスポーツやってるの?」
「バスケ。バスケットボール。今日も午前中びっちり練習」
「部活?」
「うん、中学からずっと。兄貴がやってたんだけど、おもしろそうで、やってみたらやっぱりおもしろくて」
昼食後に集まる約束をしてここにいるのに、これだけ食べれらるのは、別腹と言うより、スポーツ選手ならではなのかも知れない。
あかさとちかやの会話に笑顔で耳を傾けるも、話に入ることのない小さくかわいい少女の名前は、しおん。
少し幼そうに見えるのは、小顔なうえに童顔だからだろう。
ちなみに、それ以外にあかさは何も聞かされていない。
昨晩の電話では肌が合うのか、結構仲良くなれた気がしていたが、せめて他に誰か来るならそうだと言ってくれればいいのに。
取り留めもない夢の話を、全く関係のないしおんに聞かせるのは彼女にとっておもしろくないのでは?
この状況では夢の話を切り出すのはためらわれた。
しおんは何と言って呼び出されたのだろう。
夢の話を聞かせるために呼んだわけではないだろうし、そもそも端から見たら夢の話を本気で論じるなんて馬鹿馬鹿しい話である。
あるいは興味本位で楽しんでくれるかも知れないが、それはそれで恥ずかしい。
ちかやは昨日の電話口でも、
「あー、見た。ケーキの夢。最近ずっとチョコケーキ食べたくて。そういえばあかさも居たよ」
とあっけらかんと言ってのけた位だ。
純粋に夢と思っているに違いなかった。
「ねぇ、ちかや。しおんさんは…」
と、視線を向ける。
目があって気まずく思ったのか、目を背けたしおんだったが、ためらいがちに顔を上げた。
「近くに住んでるから、一緒しようと」
と、ちかやが見当違いも甚だしい答えをするので、またあかさとしおんは苦笑した。
その流れで互いに自分のことを教えあう。
相嶋しおん。
ちかやの中学時代の同級生で、今は違う高校。
別に驚くことではないのだが、二人ともかつてひさきと同級生だった。
というのも、このケーキショップのある校区に皆住んでいて、しおんに至ってはこの店のすぐ隣が自宅という、ちかやにとっては垂涎の好立地。
あかさも多少はうらやましい気もしたが、しおんはそうでもないらしく、嗅いでいる匂いが四六時中漂っているのはあるいは少々考え物なのかもしれない。
こうして話を切り込んでいくあかさだったが、話す感じからしてあまり話し好きという風には見えなかった。
とにかくおとなしい人という印象だ。
しかし、あかさが一番気になっていたのは、しおんの持つ雰囲気である。
どこか、美月と似た何かを感じる。
何か気に障ることをしたという記憶はないし、それはもちろん美月に対してでもあったが、しおんにあっては出会ってまだ十分かそこら。
何も特に思い当たらない。
ひさきが居てくれたら良かったのに、と呼ばなかったことを悔やんだが、加織もひさきもすでに今日は予定が入っていると言っていたし、致し方ない。
「でね。部活してると、すごい甘いのが食べたくなるの」
話の流れを無視するような、唐突な話の入りである。
「最近はチョコレートケーキ。しかもちょっと洋酒が効いているやつ」
とかっこよくウィンクして、ケタケタ笑うちかや。
話していてすがすがしいが、ギャップがとにかく凄い女子である。
「昨日のケーキは今までで最高だったぁ」
ドキリとするあかさ。
「夢の話だけどね」
やはりあの世界を夢ととらえている様子で、あかさはそれならばと便乗することにした。
「どんな味?ここのケーキみたい?」
答えはすでに出ていたのに、と直後に後悔したがすでに遅かった。
「ここのよりももっと、ずっとすごい。味わったことないおいしさ」
若気の至りとして許して欲しいとあかさは店内を見回したが、幸運にも店内はちょうど賑わしかった。
「食べても食べても、まだ食べられる。でもずっとおいしい」
ちかやの話を聞きながら、時折しおんの表情を探ってみるが、真顔だったり笑顔だったり、少なくとも呆れているような素振りは見られなかった。
もちろん話を聞いている相手が昔なじみで見知ったちかやだから、という点を考慮してである。
「あかさも居た。うちの学校の制服着てたけど」
ちかやが女子校だったらと想像していたのだが、まさかそれが本当に女子校通いとは…。
そう驚いたのはほんの数分前の出来事で、一方で、本当にあの進学校に通う学生なのだろうかと疑問に思いもする。
文武両道を地でいく才能の持ち主。
そんな彼女は確かに夢ではちかやと同じ制服を着ていたはずだ。
それなのに、彼女は自分の高校の制服を着ていたという。
しかし、一向にどんな服なのか思い出せない。
きっと一度くらいは見たことはあると思うのだが。
「どんな制服なの?」
休日なので制服を着ているわけでもなく、説明するちかやにあかさは耳をそばだてた。
ブレザーにチェックのスカート。
あの高校かな?
いや違う、あれは中学だ。
見ることくらいあると思っていたのだが、まったくピンと来ない。
たぶん見たことない。
上下同じ色、素材の制服であるあかさの学校とはともかく全然異なる。
霧が出ていたからと言って、見誤ることはあり得ない。
自分の学校の制服と断言しているのだから。
ということは、互いに自分の高校の制服を身につけていた姿を見ていたことになる。
話は合うし、夢の世界は似通って、出ているキャストも同じなのに、服だけ違うなんて。
夢であるにもほどがある。
おかしな世界。
しおんがどう思うかためらわれたが、
「私が見たちかやはうちの制服着てた」
案の定怪訝な表情を見せたしおんだが、それは一瞬でわからなくなった。
「じゃぁ、あのケーキ食べた?ここのよりずっとおいしい、あれ?」
全員が聞き耳を立てたかのように静まりかえる店内に、あかさとしおんはそそくさと店を出る準備を始めた。
「何?どうした」
ちかやは唯一人にこやかである。
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