彼女をぬらす月の滴

内山恭一

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練習中だろうに、ちかやの返信のおかげでひさきの家は知れた。
表札はないもののそれ以外は整った綺麗な家で、しかし返事はなかった。
せめてインターホン越しにでもひさきと話せればと思っていただけに、落胆するのは致し方なかった。
電話を掛けることなく郵便受けにプリントを入れひさき宅をあとにしたあかさの行動は、寝込んだひさきのことを思った故のことであり、たまたま外出しているからかもしれない友達を想ってのことだった。
さっきのコンビニが近いし、何か買い物にでも行っているのかも。
でも、もしそうならさっきひさきに渡そうと思って買っておいたお菓子もプリントと一緒に置いて来れば良かったかもと、それが入っている鞄と、遠くなってしまったひさきの家方を交互に見ては後悔もした。
だが、ひさきの病状も気になるが、今はとにかく加織のことが頭から離れない。
結局こうして見失った場所付近をキョロキョロ見回しながら歩いている。
電話もしたし、メッセージも送信した。
相変わらずなしの礫である。
携帯を持ち歩いていないのかも、と思えなくもない。
むしろあさかはそう思いたかった。
いつもつながっていることに安心を得て、繋がれない事実に直面したとき不安の根源と化してしまう。
あかさは苦々しく携帯を見つめたが、良くも悪くもあるそれを使って今度は母に電話をかけた。
「今日テスト勉強で友達の所に寄って帰るから、ちょっと遅くなるかも」
プリントもひさきの家も、その言葉を嘘としないのだと、あかさは言い訳を深く考えることをやめた。
夕焼けが終わろうと、濃紺の空に星が煌めく。
街灯がポツリポツリと灯っていて、もう遠くまで見通せない状況に、あかさは半ば諦めかけていた。
どこなの?加織。
たった一人を、街の中、一人で歩いて探すのだ。
不可能と言っていい。
会おうとしないときは不思議と遭遇するのにね、とひとまず大通りを目指すことにして夜道を進む。
あまり知らない場所を、闇にまぎれて歩くのは気持ちの良いものではないからだ。
それにバス停を探して、ちょうどバスが来たならそれで帰ってしまおうとも考えていた。
今日はもうこれで良い、足の疲れがあかさにそう思わせていた。
期末テストまでもう間もないのだ。
加織も帰ってテスト対策をしているに違いない。
そう、私もやらないといけないんだから。
担任の顔が不意に頭をよぎる。
やっぱり見透かされてるよね、などと苦笑するあかさ。
その時、照明の光で滲んで浮かぶ加織の姿を見つけた。
ドキッとするあかさ。
見つけるはずのない場所で、それこそ意図しないで遭遇した気分だった。
喜ぶはずが、立ち止まって目を細め、目を疑っていた。
異様な光景にあかさは驚いてしまう。
加織は座ったまま、寝ているようだった。
公園のベンチで人が寝ていること自体そうそう多くはないが、そもそも女子がこんなに暗くなっているのに警戒心を見せず眠っているなど無防備すぎる。
しかも昼寝にはあまりに遅すぎ、寝るには早すぎるだろう時刻である。
小走りで加織に近づく。
やはり寝ている様子で、軽く肩をゆすったくらいでは起きる気配がなかった。
とりあえず加織を見つけ安心して、力の抜けたあかさは加織の斜め前に屈んで、彼女の寝顔を覗き込む。
表情は当然無いのに、穏やかな顔をしていて、心地よさそうである。
きっと眠たかったんだ。
昼間、彼女の目の下のクマを思い出す。
それにしたって、こんなところで寝なくても…。
すぐ目の前に公園を貫く遊歩道があって、散歩をしている人たちも割とたくさんいる。
街灯はあるが並んでいるそのちょうど中間くらいであるためこの場所は暗がりの中にあり、背後に照明がポツンと浮いているように輝く。
通行人の視線を感じる。
恥ずかしい。
起こそうと再度肩を揺さぶるものの、殊更強くゆすったにも関わらず深く眠って目を覚まさない。
「もう、加織ってば」
つぶやいて、何か異音に気づく。
じーっという機械音がごくわずか聞こえる。
何だろう?
あかさは聞いたことのあるその音の発生源を服の上から探して、触れた形でそれが加織の携帯であることに気が付いた。
加織は携帯を持っていたのだ。
加織のハーフパンツのポケットに触れると、震動が伝わって来た。
マナーモードで携帯が震えているが、それでも起きそうにない。
その時、携帯が音を発した。
今度はあかさの携帯電話らしく、ガサガサと鞄の中から探し出し表示を見る。
佐村からだった。
何だろう?こんなときに。
「もしもし」
「霧村。勉強中か?」
「うん、まぁそんなところ。そっちは?」
別に隠すことでもないだろうが、何故だかそう言ってしまう。
通行人の話声が耳に届き、その音でばれそうなものだが、佐村は気づいていないようだ。「今部活の終わり。来週は部活ないからな、今日は練習終わるの遅かった」
「そうだね、確かに遅いね」
やや間があって、
「あいつ、一緒なのか?」
「加織のこと?」
「あぁ、そう」
加織、加織って…。
あかさはじっくり眠ったままの加織を見上げ、
「勉強中」
とまた訳も分からず嘘をついてしまう。
何の意味があるの?
自分でもわからないあかさは、足が痺れる感覚に嫌な予感を覚え、加織の隣に腰掛けた。
「俺は今…」
佐村の言葉はプッツリと途切れて、あかさは代わりにやってきたある感覚にすっかり慣れてしまっていることに気づかされる。
これってもしかして、あれなの?
「フジ?」
ベンチを照らす間接照明の光が何のためにあったのか、ベンチを暗がりから引き離すためではない。
答えは背後に威風堂々と鎮座していたのだ。
オブジェがあったことに今頃気が付くあかさ。
確かに目に入っていたはずなのに、加織のことに気を取られて認識できていなかった。
それは夢の世界の入り口だったのだ。
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