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起[転]承乱結Λ

31話 ベネディクトゥスの光。

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「五十年だ」

 ウルリヒ・ベルツは、様変わりした執務室の中で父の面影を追う。
 ふと口許が緩みかけるが、二人の兄が残像に混じると気付き、首をひと振りして払った。

 帝国に奪われ、総督府として使われてきた屋敷を取り戻したのである。
 不吉な思い出など捨て去るべきだ、とウルリヒは考えた。

「よくぞ、耐え抜かれました」
「ウルリヒ様の御威光が、ベネディクトゥスを光に包みましょう」
「まさに、ベネディクトゥスの光ですな!」

 ウルリヒに続いて後ろを歩く老人達が、口々に追従めいた事を言う。
 
 皆、衣装棚の奥に仕舞われていたであろう、かつて要職に在った時代の衣服や徽章を身に着けていた。

 居合わせた第三者に詩心があれば、そこに滑稽さと物哀しさの絶妙なコントラストを視たかもしれない。
 
 だが、生憎と居合わせた第三者には、全く詩心というものが無かった。

「さあさ、皆さま」

 ひとりの女が明るい声を上げ、手を打ちながら入って来た。

 過去に囚われ続ける人々の中にあって、一輪の花――というより、些か徒花あだばなめいた雰囲気の女である。

 胸元と、腰回りが大きくカットアウトされたドレスを纏い、肩には金色こんじきのストールを掛けていた。
 ふた振りの山に穿うがたれた深い谷間は、ストールで隠されてはいない。

「本番は、これからですわぁ」
「イヴァンナか」

 まことの名であるか否か分かったものでない、という思いを抱きつつウルリヒが応える。

「かように、総督府は制圧した。公領撫民艦隊も潰走中との報がある」

 ウルリヒと老人達は、長年に渡り反政府系組織フレタニティを隠れ蓑として、ベルツ家再興という大願を追い求めて来たのだ。
 
 汚れ仕事で資金を得ながら、やがてつ日に備え、命の価値を知らぬ愚か者達を飼いならしてきた。

 だが、反政府、反体制などという下らぬイデオロギーで、異端として廃された家の復興など叶わぬとの諦念ていねんが浮かび始めた時――、

 幸運の女神、あるいは悪魔が彼らを訪れた。
 
 目の前に立つ女――イヴァンナと出会う。
 正確に言うならば、先方からウルリヒ達に接近してきたのだ。

「とはいえ、誤算があったようだな」

 出会って三十年来、必要なものは全て、イヴァンナが用立てしてきた。
 金、拠点、兵卒、武器、そして、信じ難い事に艦隊までが提供されている。

 後は、つ時機だけであったが、千載一遇の好機が訪れる。

 コンクラーヴェにて諸侯が帝都に集う為、領邦軍は容易に動けない。
 帝都から押し寄せようにも、艦隊編成などを鑑みれば二カ月は猶予があろう。

 帝国全土に広がるフレタニティに属する馬鹿共を使い、騒ぎを起こし後方から引っ掻き回す――。

 そのような見込みでった訳であるが、予想に反し帝国軍の動きは早かった。
 大規模演習が予定されていたせいもあり、既にこちらに向かっているとの報道は、ウルリヒ達も知るところである。

「一週間ほどで到着するとは聞いた。だが、帝都や各地でも乱が起きている。寡兵となろうし、慌てて来た艦隊など討てるのではないか?」

 帝都や、各地で叛乱が起きている仔細は、ウルリヒの預かり知らぬ事である。

 ウルリヒ自身は、叛乱は帝国の失政が生んだ結果に過ぎず、転じてベルツ家にとって幸いとなろう、と至極単純に考えていた。

「EPRネットワークをご覧に――あらぁん、私としたことが失礼致しましたわ。皆さま方は、易々とご覧になれませんものねぇ。うふふっ」

 イヴァンナが口元に手を当てて嗤う。
 出会った当初は、そそる仕草と感じたが、今となっては、ウルリヒの苛立ちを募らせるだけであった。

 ベルツ家残党は、とうの昔にニューロデバイスを切除している。
 帝国と天秤衆の追っ手から逃れるため、トラッキングシステムに検知されないよう苦渋の決断を下したのだ。

 不便極まりない生活となり、彼らの劣等感を育む一因ともなっている。

「こちらに向かっているのは、帝国の弱兵だけではありませんの」
「領邦軍か?いや、九条は発動せぬと色男が言っていたであろう」

 宰相エヴァンは、帝国軍のみで討つと語ったのである。

「愉快な――ああん違う、不遜な賊が現れましてよ」
「賊ならば――」

 ここに居るではないか、とウルリヒは言いかけるが、我はベネディクトゥスの光であると思い直し言葉を飲み込んだ。

「まず」

 言いながら、なぜかイヴァンナは、乙女のかお付きとなる。

「イリアム宮から陛下をさらいましたの~。もう最ッ高、ですわ」
「さ、さらう?」
「ロマンティックでございましょう?」
「――う、うむ」

 ウルリヒには理解できぬ女の感性であったが、容易ならざる事態である事は分かった。

「で、その賊はどうしたのだ?」
「ベルニクの艦隊を率いて、こちらに向かっておりますわ」
「べ、ベルニクだと!?」

 整理すべき情報が多すぎた。
 ベルニクの艦隊が帝都に在った理由もさることながら、その賊というのは――、

「賊とは、まさか、あのアホ領主なのか?」

 面識は無いが遠縁にあたる男であり、何より無能な領主という逸話を数多く聞いている。最近では蛮族を払い、その評価が変わりつつあるようであるが――。

 だが、ウルリヒにとって、ベルニクの名は「アホ領主」以外の意味も持っている。

 イヴァンナからの、さらなる支援と引き換えに、兄とウルリヒは許されざる裏切り行為を働いた。
 それ以来、兄ルーカスは徐々に精神を病み、ベルツ領邦軍を率いた若き時代の面影を失っていく。

 ――ベネディクトゥスが光に満ちる日は近いッ。そのためにはベルニクの死が必要なのだあああ。

 すぐに興奮し、訳の分からない事を叫んで、周囲に当たり散らす。
 加減を知らぬ暴力も日常茶飯事となった。

 気狂いが組織のリーダーでは、大願成就の妨げになると判断し、ウルリヒは実の兄を放逐ほうちくした。

 風の噂によれば、ベルニクに在るフレタニティの支部組織に転がり込んだそうだが――。 
 気狂いなど放っておけば良いと考え、特に調べてはいない。

「ベルニクが来るのか――」

 どうにも因縁めいたものを感じる。

いずれにせよ、暫しの猶予はある。帝都からならば一週間だ。公領撫民艦隊を蹴散らした勢いのまま、フェリクスポータルを守れば良かろう」

 フェリクスポータルは、太陽系の木星ポータルと繋がっていた。
 それが、帝都から至る場合の最短ルートとなる。

「帝国の弱兵と、アホ領主の兵など恐れる必要は無い」

 予め布陣して守る側が有利となるのだ。

「それに、いざとなれば――」
「ウルリヒ様」

 ウルリヒが、何かを言いかけたところで、老人の一人が口を挟んだ。
 その様子を見るイヴァンナの瞳が、妖しく煌めいたが気付いた者はいない。

「うむ、ともあれ――ベネディクトゥスの光がこの地を照らすだろう」

 ◇

「ケヴィン准将、本当にご苦労様でした」

 トールにしっかりと頭を下げられたケヴィンは、五体投地をすべきなのか悩んだ後、普通の敬礼をした。
 と、同時に肩の猫が跳ね、トールの肩に飛び移る。

 ――や、やっと解放されたぞ。

 ホッとしたのもつかの間、よく考えれば女帝の御前であった事を思い起こす。
 そのうえ、敵であったはずのロスチスラフ侯まで居合わせているのだ。

「なんじゃ、それは?」

 乗馬服姿のウルドが、トールに尋ねた。

「何よぉ、トオル。この性格悪そうな女は?」

 みゆうは、艦内にあっても、猫型オートマタを通して話す事にしたらしい。

「アハハ。初対面で良くそれを見抜きましたね。ウルド陛下といって、帝国で一番偉い人ですよ」

 誰にも理解出来ぬ言葉であるのを良い事に、言いたい放題の二人である。

「ふうん?」
「ほう?」

 肩の猫と、ウルドが見合った。
 不思議と互いに気が合わぬと通じあったらしく、ウルドはぷいと顔を反らす。

「まあ――良い。余は休む。部屋へ案内致せ」

 ケヴィンは、これ幸いとばかり、部下たちに指示を出しウルドを居室へと案内させた。

 巨大な艦艇には十分な居室スペースがあり、ロベニカやマリ、そしてジャンヌとテルミナも既に暫しの休息をとっている。
 補足するならば、負傷兵と骨折したシモンは医務室に運ばれた。

 ウルドだけは、ブリッジを見せよと言ったため、トールが連れて来た次第である。
 イリアム宮と内裏だいり以外の場所に興味が湧いたのかもしれない。

「――で、トール殿」

 ロスチスラフが、油断のならぬ目付きでブリッジを見回しながら言った。

「いま一つの種明かしもしてくれる約であったな?」

 二人で密議を交わした夜、ロスチスラフには腑に落ちない点があったのだ。

 女帝を救うという体裁を取ってさらい、庇護下に置く。
 その後、領邦から呼びよせた艦隊に乗り込み、帝国軍より先にベネディクトゥスを討つ――。

 ポータルの接続状況からすれば、不可能事に思われた。

「大した種じゃないですよ」

 トールが頭を掻いた。

「グノーシス異端船団国が使うポータルですよ。このふねの航宙ログに残ってましたので」

 航宙ログから、帝国地図には無い未知のポータルを使い、帝都への最短ルートを割り出したのだ。
 ケヴィンと乗組員達が、検証の為、昼夜を徹して飛び回った成果でもある。

「でも、ロスチスラフ侯は、ご承知なのかと思ってたんですけど――」

 邪気は無い。本当に無いのだ。

「だって、太陽系で、やった事じゃないですか?」
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