上 下
5 / 9

あの小説を書いたのは

しおりを挟む


「先程は、ありがとうございました」

注文をし終えて、一息ついたところで、ロベルハイム様に感謝の言葉を口にする。

彼氏だなんて嘘までついて、カールから助けてくれた彼には感謝してもしきれない。


「別にいいよ。俺が見てて気分悪かっただけだから」

彼はなんでもないと言った様に首を横に振って言葉を続けた。


「社交界で流れている噂は、君の元夫の話だったんだね」

「…知らなかったんですか」


その噂話と共に、私の名前だって大々的に囁かれていたのだから当然知っているものだと思っていた。

だとしたら、頭が硬いなんて言われたことも少しは理解できる。


失礼なことには変わりないが、私の年代の女性ならばあの小説に好意的な人の方が圧倒的に多いのだ。



「悪かったよ」

「…?」


「あの夜会で、君に無神経なことを言った。君があの小説を嫌うのも無理はない」


ロベルハイム様は罰の悪い表情でそんなことを言う。

その顔には、反省や後悔の色が滲んでいた。



「謝られることではありません。私がカールに捨てられて気分が滅入ってなければ、人前であの小説を悪く言ったりなんてしませんでした。あなたはあの小説のファンなのでしょう?好きなものを馬鹿にされたら誰だって怒ります」

よく考えたらわかることだった。

あの日彼が私に不躾なことを言ったのも、あの小説のファンだったのなら頷ける。


「…いや、謝ることだよ。俺が君に無礼を働いたことと、俺があの小説を大切に思っていることは全く関係のない話だ。本当にすまなかった」

「…貴方も少し、頭が硬いのでは?」


眉を下げて謝罪を続ける彼に困ってしまう。


私は小さく息を吐いて、口を開いた。



「もう気にしていません。でも、そうですね…それでも気が済まないのなら、ここのお家計をお願いしても?」

「そんな、コーヒーいっぱいなんて…」


「コーヒーいっぱいも奢ってくださらないの?」


無理やりこの場を収めようとする私に、彼は呆れたように苦笑を浮かべる。



「わかった、もう謝るのはやめるよ」

「はい、そうしてください」



少し複雑そうに肩をすくめる彼に、手元にあったコーヒーに口をつける。

あら、美味しい。



「どう?ここのコーヒー」

「すごく美味しいです。気に入りました」

「それは良かった」


思わず通ってしまいたくなるくらいだ。



「…現実は、物語のように綺麗なものばかりじゃないな。噂話では、カールという男は清廉潔白で一途にリリィを思っていた。君とだって、結婚はしていたものの、関係を持ったことなんて一度もないという風だったよ」


「噂話なんてあてになりませんね」

「あの男がまるで『永遠の恋を、君と。』の主人公であるかのように扱われるなんて忌々しいよ」


「…あの小説に、ひどく思い入れがおありなのですね」


並々ならぬ様子が少し気になった。

いくら小説のファンだからといって、そこまでカールを気にするだろうか。



「あの小説は、俺が書いた」

「……え?」


「『永遠の恋を、君と。』の作者は俺だよ。あれは俺が初めて書いた小説だから思い入れも深いんだ。話題になったのは最近だけど、書いたのはもう随分と前だよ」


真面目な顔でそんなことを言うロベルハイム様。



「…嘘、ですよね」

「嘘じゃない。ペンネームはヨハネス。ヨハンを少し文字っただけだ」


「…っ、あの小説はてっきり市民階級の方が書いたのかと思っていました」


自惚れるようだが、市民階級の人間が貴族との恋愛に憧れて書いたものだとばかり…



「ははっ、俺結構夢見がちだから。公爵家の四男として自由に生きてきたからね…自由な物語が書けるのもそこがルーツなのかも」

「…だったら、やはり貴方が謝罪する必要なんてありません。謝るのは私の方だわ」


自分の作品を嫌いだと言われて、怒らない人間なんていない。



「申し訳ございません、ロベルハイム様」

「謝らないでよ。せっかく仲直りしたのにさ」


困ったように笑う彼に、いたたまれない気持ちになる。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【本編完結】若き公爵の子を授かった夫人は、愛する夫のために逃げ出した。 一方公爵様は、妻死亡説が流れようとも諦めません!

はづも
恋愛
本編完結済み。番外編がたまに投稿されたりされなかったりします。 伯爵家に生まれたカレン・アーネストは、20歳のとき、幼馴染でもある若き公爵、ジョンズワート・デュライトの妻となった。 しかし、ジョンズワートはカレンを愛しているわけではない。 当時12歳だったカレンの額に傷を負わせた彼は、その責任を取るためにカレンと結婚したのである。 ……本当に好きな人を、諦めてまで。 幼い頃からずっと好きだった彼のために、早く身を引かなければ。 そう思っていたのに、初夜の一度でカレンは懐妊。 このままでは、ジョンズワートが一生自分に縛られてしまう。 夫を想うが故に、カレンは妊娠したことを隠して姿を消した。 愛する人を縛りたくないヒロインと、死亡説が流れても好きな人を諦めることができないヒーローの、両片想い・幼馴染・すれ違い・ハッピーエンドなお話です。

婚約者が他の女性に興味がある様なので旅に出たら彼が豹変しました

Karamimi
恋愛
9歳の時お互いの両親が仲良しという理由から、幼馴染で同じ年の侯爵令息、オスカーと婚約した伯爵令嬢のアメリア。容姿端麗、強くて優しいオスカーが大好きなアメリアは、この婚約を心から喜んだ。 順風満帆に見えた2人だったが、婚約から5年後、貴族学院に入学してから状況は少しずつ変化する。元々容姿端麗、騎士団でも一目置かれ勉学にも優れたオスカーを他の令嬢たちが放っておく訳もなく、毎日たくさんの令嬢に囲まれるオスカー。 特に最近は、侯爵令嬢のミアと一緒に居る事も多くなった。自分より身分が高く美しいミアと幸せそうに微笑むオスカーの姿を見たアメリアは、ある決意をする。 そんなアメリアに対し、オスカーは… とても残念なヒーローと、行動派だが周りに流されやすいヒロインのお話です。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

元妃は多くを望まない

つくも茄子
恋愛
シャーロット・カールストン侯爵令嬢は、元上級妃。 このたび、めでたく(?)国王陛下の信頼厚い側近に下賜された。 花嫁は下賜された翌日に一人の侍女を伴って郵便局に赴いたのだ。理由はお世話になった人達にある書類を郵送するために。 その足で実家に出戻ったシャーロット。 実はこの下賜、王命でのものだった。 それもシャーロットを公の場で断罪したうえでの下賜。 断罪理由は「寵妃の悪質な嫌がらせ」だった。 シャーロットには全く覚えのないモノ。当然、これは冤罪。 私は、あなたたちに「誠意」を求めます。 誠意ある対応。 彼女が求めるのは微々たるもの。 果たしてその結果は如何に!?

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

夫に離縁が切り出せません

えんどう
恋愛
 初めて会った時から無口で無愛想な上に、夫婦となってからもまともな会話は無く身体を重ねてもそれは変わらない。挙げ句の果てに外に女までいるらしい。  妊娠した日にお腹の子供が産まれたら離縁して好きなことをしようと思っていたのだが──。

処理中です...