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怖いものなし

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レイは執事の職を解かれ、馬小屋の番をする下級使用人に降格した。


住み込みのレイにとって、待遇の変化で暮らしぶりが悪くなるとかそういうことは無いだろうけど、執事職から馬の世話に‍回される彼に胸が痛まないわけじゃなかった。




何より、ずっとそばにいたレイがいない日常に私の方がダメージを食らっているような気がする。



動物好きのレイからすると、面倒な主人よりも可愛い馬のお世話の方がよっぽど気楽なのかもしれないけど。




「…アリシア、今いいかしら?」



ノックの音が聞こえ、扉の外からそんな声がかけられる。

母だった。



正直今は誰とも会いたくない気分だったけれど、このまま拒絶しても心配をかけてしまうだけだ。




「どうぞ」


軽く身なりを整えて扉を開けると、穏やかな笑みをたたえた母が立っていた。




ソファに座りお茶の用意を促す。



温かい紅茶を一口口にすると、少しだけほっとした。






「アリシア、新婚生活はどう?」



「…難しい、です」



その一言に尽きる。



「好きな人と結ばれることって、もっと楽しくて幸せなことだと思っていました…母様たちみたいに」


仲の良い両親の姿を思い浮かべながら、ぽつりとそんなことを零す。

素敵な関係を築く彼らに憧れていたのだ。




「ふふ、それは好きな人とじゃなくて、好きな人同士で結ばれることでしょう?」


「…そうですね」


痛いところを突かれる。

だったら私は、きっともう幸せな結婚なんて望めないのだろう。




「それに、母様と父様は恋愛結婚じゃないわよ?家同士の結び付きのための、初めから決められていた結婚だったわ」


「え?」



「私たちは貴族ではなかったけれど、有力な豪商の家に生まれたから、貴族程ではないけれど、いろんなしがらみに縛られていたの」




両親が政略的な結婚だったなんて、初めて耳にする話だった。




「では、母様たちは愛し合ってなどいないのですか??そうは見えませんが…父様はああ見えて結構な野心家だったり?一代で貴族に成り上がった方ですもの、私が知らないだけでそのような面も…」


「ふふ、好き同士ではなかったけれど、あの人は私を好きになる努力をしてくれたの」


「好きになる努力…?」




「たくさんお茶に誘ってくれて、私のこと知ろうとしてくれた。知ってる?なんでもない日のプレゼントって結構嬉しいものなのよ。歩み寄ろうとしてくれたあの人に、先に恋に落ちたのはきっと私だったわ」



母はどこか懐かしそうに瞳を細める。




「あの人は言わないけれど、貴族になったのだって、私のためなの。私が命に関わるとある病にかかった時、特効薬が貴族社会にしか出回っていなかったの。お医者様が気難しい方でね、貴族にしか薬を売ってくれなかったのよ」

「ひどいです…」



「いろんな方がいるから。だけど、事業で実績を上げて、国から領地と爵位を買ってまで私を生かそうとしてくれたあの人には心から感謝しているわ。始まりは恋愛結婚ではなかったけれど、私と父様は深い愛情で結ばれることができた」



素敵な話だと思った。

並大抵の努力ではなかっただろうに、母様のために諦めなかった父様を心底尊敬する。




「だからね、アリシア。母様はどんな始まりだって関係ないと思うの。あなたが心からフィリップ様を愛しているなら、諦めちゃだめよ」


「だけど、あの方はきっともう私のことを嫌いになってしまったはずです」



「ふふ、大丈夫。私も初めは父様のこと嫌いだったから」


悪戯っぽく笑う母がおかしくって少しだけ笑みが零れる。




「アリシア、ベッドの上から人の心を動かすことなんてできないわ」


「ええ、そうですね」



このまま部屋に引き篭っていたって状況は何も変わらない。


どうせ嫌われてしまっているのだから、最早何も怖くないのではないか。




「それに、今馬小屋に行ってきたんだけど」



母がにこにことした表情で話を続ける。




「仏頂面のレイがひたすら呪いのような言葉を口にしていたから、あなた達が早く結ばれないとフィリップ様の明日が心配だわ」



「…だからドレスの裾に藁がついていたんですね」


「ええ、あなたに叱られたレイをからかいに行ってきたの」



本当に母は悪戯好きで可愛らしい人だ。

父が溺愛しているのも頷ける。





「ありがとうございます、母様」

「あら、母様は父様との惚気を娘に語っちゃっただけよ?」



「それでも、随分と励まされたので」




向き合って来たつもりだった。


嫌われない範囲で。




控えめに控えめに、私と結婚してくれたフィリップ様の気分を害さない程度に。






だけど、そんな考えではダメだったのね。



夫婦は対等。




既に嫌われてしまった私に、怖いものは無い。





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