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向き合う心
しおりを挟む「私がハンナを虐めてるって、どういうことなんだろう」
「…決まってるでしょ、あの女がアリシア様の悪評垂れ流してるんですよ」
苛立ちを孕んだ表情で告げるのは、この家の執事であるレイだった。
見習いのほんの幼い頃からずっとそばにいる彼は、私にとって、きっとフィリップ様が気心を許すハンナと同じような存在なのだろう。
物心つく頃から一緒だったレイといるのは他のどんな使用人のそばよりも安心できて、そんな気持ちがわかるからこそ、フィリップ様とハンナの関係に私が口を挟むのは違う。
ずっとそう思っていたけれど…
「何もしていないのに言われのない非難を受けるのは…苦しい」
「当たり前ですよ。つーかあの男本当に見る目無いですね。こんなに性根が綺麗で他人を思いやれるアリシア様が嫌がらせなんてやるわけないってのに」
無条件に私を信じてくれるレイには少しだけ救われた。
レイだけでなく、この家の者はフィリップ様とハンナを除いて私の味方ばかりだけど。
「…レイ、フィリップ様たちにみんなの当たりが強くなってしまわないように配慮してくれる?」
私のことを大切にしてくれる彼らがフィリップ様たちに抱く感情は、今回のことで決して良いものとは言えなくなってしまった。
「はあ、こんな時まであんな奴らのこと考えてどうするんですか…やりますけど」
「あんな奴らなんて言わないで…?最愛の旦那様と旦那様の大切な方なのよ」
少なくとも、抱いた恋心は未だ冷めることなく燻ったままなのだ。
「俺も努力はしますけど、このままアリシア様ばかり傷つき続けるのを黙って見てるほど、うちの使用人は薄情じゃありませんよ」
「ええ、もう一度フィリップ様とお話ししてみるわ。ありがとう、レイ」
心配そうにこちらを見つめるレイに笑みを返して、その場を後にした。
フィリップ様を探して庭園に向かうと、彼はどこか仄暗い表情で真っ白なスツールに座り物思いに耽っているようだった。
「ご一緒してもよろしいですか?」
向かい合うように置かれた椅子にゆっくりと腰を下ろす。
彼のそばにハンナの姿がないことを少し珍しく思った。
「今日は、おひとりなんですね」
「ハンナは心労で寝込んでいるよ」
やけに刺々しい物言いは、まるで私を責めているようだった。
いや、事実責めているのだろう。
フィリップ様の思う私は、きっと彼の大切なハンナを虐める悪女でしかないのだ。
もっと言えば、大金を叩いて彼の人生を根こそぎ奪い取った大悪党。
胸が張り裂けそうで苦しくて、だけど、それでも彼に対する恋心を消してしまうことなんてできなくて…
こんなに辛いことばかりなら、以前フィリップ様が言ったように、彼がまるで私を愛しているかのように振る舞うことをお願いしてみようかしら。
そうして、彼の本心なんて見て見ぬふりして、まやかしの幸福に縋ってみてもいいのかもしれない。
だけどきっと、そんなのは、今よりもずっとずっと自身の心を痛めつけるだけなのだ。
「私は、ハンナを虐めてなんていません」
結局のところ、向き合うしかない。
だって私たちは、肩書き上夫婦であるにも関わらず、あまりにもお互いのことを知らなすぎるのだから。
「悪いけど、信じられない」
「わかっています。貴方にとって、私はついこの間まで赤の他人だった存在ですから」
それでも、これが真実なのだから。
私はフィリップ様に嘘なんてつかない。
「私は、フィリップ様が好きです。我が家の両親は富や名声になんて興味がありません。貴方との結婚を決めたのは、ひとえに私の恋心故です」
「…じゃあ君は、僕が好きだから、僕と関係の近いハンナを傷つけたのか?」
「いいえ、貴方が好きだから、貴方が大切にするハンナを私も尊重したいと思ったんです」
「だけどハンナが言ったんだ。君や他の使用人に酷い扱いを受けていると」
「酷い扱いというのが、オルティス家の使用人としての役割を果たすよう苦言を呈することだとするなら、彼女の言葉通りですが…我が家に来たのだから、この家での仕事を全うするのは当然のことだと思います」
それができないのならば、彼女がこの家にいる意味がない。
勿論、不当な仕事や辛い役割を与えたことなんて一度もなかった。
「…当家に雇われている以上、幼馴染の延長のようにフィリップ様のお傍にのみ付き添うなんてことはできません」
「そうか…」
「これが貴方に好意を寄せる私の意地悪と捉えられるのならば、それまでですが…」
現に彼女が四六時中フィリップ様のそばにいることを私個人の感情として厭っているのは確かなのだから。
判断は彼に任せようと思う。
「いや、当然のことだ。ハンナの働きぶりについては、僕もきちんと指摘するべきだった」
そんな彼の言葉にほっと息を吐く。
「ハンナのご飯を抜いたり暴言を吐いたりというのは…?」
「ご飯を抜いたり、ですか…そもそも我が家の使用人は共有のホールで朝食をとります。食べたい時に自分で皿に装って食べるという仕組みなので、ご飯を抜いたりということにはならないはずです。暴言と言うのは、正直身に覚えがありません。証明する術がないのが心苦しいですが…」
「…そうか。僕ももう少しハンナに話を聞いてみる必要があるのかもしれない。一方的に責め立てて悪かったね」
フィリップ様は眉を下げてそんなことを口にした。
「耳を傾けていただいて、ありがとうございます。お話しできてよかったです」
「ああ、それなんだけど…僕らはもっと対話の機会を持つべきじゃないかな、なんて、時間を作らなかった張本人の僕が言う台詞ではないけれど」
フィリップ様にも、ハンナとばかり時間を過ごしていた自覚があったのかもしれない。
前向きな変化に少しだけ戸惑ってしまう。
……それでも、嬉しい。
「貴方と話したかったことが、たくさんあるんです」
「うん、聞かせてほしい。改めて、よろしくアリシア」
この日初めて、私は心からフィリップ様と向き合えたのだった。
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