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俺と一緒に幸せになってよ
しおりを挟む朝の出来事で、お姫様は随分と鬱憤が溜まってしまっていたようだ。
午後の移動教室のあと、机の横にかけていたはずの通学鞄が消えていることに気がついた。
些細な嫌がらせだろうと学園を探していると、校舎裏の芝生の上に投げ捨てられた鞄が目に入る。
拾い上げると特に傷も汚れもなく首を傾げた時だった。
ばしゃり、そんな音が耳に届き、気がついた時には頭からつま先まで水浸し状態。
「…クソ女」
咄嗟に上を見ると校舎の二階、窓の奥に急いでかけていく見慣れた後ろ姿を見つける。
私がここに辿り着くまでずっと窓に張り付いていたのだろうか。
恐ろしい執念に薄ら寒さなのか、物理的な寒さなのかよくわからなかった。
ポケットのハンカチまで濡れてしまって使い物にならない。
濡れて張り付いた制服が気持ち悪くて、風が冷たくて…とにかく早く着替えたい。
「あのバカを野放しにしてるって正気?うちの庭師が飼ってる子犬のペペの方がまだ知性があるわよ」
この言い方だと、ぺぺに失礼かしら。
濡れ鼠状態で歩く廊下がいつも以上に長く感じる。
好奇の視線や下らない囁きが鬱陶しい。
崩れた化粧に額に張り付いた髪、今の私は随分と間抜けで滑稽なはずだ。
背筋を伸ばして前だけ見つめて歩くのは、せめてもの強がりだった。
「リリス?」
聞きなれた声が耳に入った時、ようやく肩の力が抜けた。
クロードは焦ったような表情でこちらに駆け寄ってくる。
「お前、それっ、全身ずぶ濡れで…震えてんじゃねえか」
「上から降ってきたから、雨かも」
「んな時にふざけてんじゃねえよ。身体冷てぇし、意味わかんねぇ」
眉間に皺を寄せるクロードがここまで怒りを露わにするのも珍しい。
ぶつぶつと呟きながらも着ていたブレザーをそっとかけてくれる。
そうして彼は私の手を引いて歩き始めた。
「先生、女子の制服の替えある?」
たどり着いたのは保健室で、てきぱきと動き始める彼をぼうっと見つめていた。
寒さもあってか、少しだけ疲れてきたのだ。
カーテンを閉めて渡された制服に着替え終わる頃にはなんだか身体が気だるかった。
「…お前、多分熱出すだろ」
「ん~、わかんないけど、ちょっとだけだるい、かも?」
「目が潤んでるし、ぼんやりしてる」
元々身体が強い方でもない分、クロードや身近な人は私の体調の変化に目敏い。
目の前のいとこがそう言うからにはそうなのだろう。
「……眠い」
「帰るぞ。あとはホームルームだけだし、保健医が担任に伝えとくってよ」
「クロード」
「あ?」
「………つかれた」
私の言葉に、彼はへなりと眉を下げて呆れたように笑みを浮かべる。
しゃがみこんだクロードの背中は懐かしくて、触れるとやはり温かかった。
「リリス、太った?」
「…いつの頃と比べてんのよ」
「冗談。軽いよ、お前。ほら、眠いなら寝てていいから」
あやすように揺れる背中が心地よくて、私は微睡みの中に落ちていくのだった。
■□▪▫■□▫▪■□▪▫
クロードの予想通り、夕方から上がり始めた熱はなかなか引いてはくれず、三日程ベッドで寝たきりの日々だった。
ようやく落ち着いた頃には週も終わり、学園が休日の今日は部屋で大人しくしている。
昼頃にやってきたクロードはいつも通りの表情でいつも通りの軽口を叩いているはずなのに、どこかいつもと違った。
纏っている雰囲気が歪つなのだ。
「…怒ってる?」
「なんでそう思うの?」
「だって、イライラしてるから」
普段のクロードなら、こんなにも温度のない笑い方はしない。
今回ばかりは迷惑をかけた自覚があるから何も言えなかった。
「迷惑かけて、悪かったわ」
ぽつりと呟いた私に、彼は大きく表情を歪めた。
「……お前、うっざ!!!」
「は?」
「俺、お前に怒ってねえから!」
「いや、怒ってるじゃん」
思いっきり顔を顰めて怒鳴っているくせに何を言っているのか。
「俺が怒ってるのは、お前に水かけたやつに決まってんだろ!迷惑かけたとか、お前が謝ってんじゃねえよ、バカ女!!」
「……バカじゃない」
「バカだろ、バカすぎるくらいバカ」
イライラのためかクロードの語彙力が下がっている気がする。
どうやら彼は私のために怒ってくれているらしい。
「…メローナなんだろ」
「それ以外ないでしょ」
「ぶっ殺していい?」
「フランツ発狂するわよ」
王太子が壊れちゃったらこの国もお終いなんだから我慢して欲しいところだ。
「お前、口ではあの女に色々言っても、なんだかんだちっとも反撃しようとしねぇよな」
「…そう?」
「何遠慮してんだよ。ビンタの一つでもかましてやればいいだろ」
そんな言葉に小さく吹き出す。
「仮を付けるなら未来の王太子妃よ?極刑だわ」
「まだ違うだろ。極刑になったらうちの国に逃げて来いよ。俺がもらってやるし」
「その時はよろしく」
きっとそんなことが起こり得ないことを私もクロードもわかっていたのだろう。
彼はひどく凪いだ声で口を開いた。
「俺が、あの女引き受けてやろうか」
「…は?」
「フランツと結婚したって、あの女はきっとお前に付き纏う。変な執着を感じるんだよ。お前が幸せになる度に、邪魔しにくるあの女が容易に想像できちまう」
苦虫を噛み潰したような顔でそんなことを言うクロード。
「だからさ、俺があの女を連れていく」
「…何言ってるの?」
「幸いあの女も俺の事気に入ってるみたいだし?さすがにあれを王太子妃に迎えるなんて有り得ねえけど、側妃か妾くらいなら…何とかできる」
「…やめて」
淡々と話す彼がひどく危うく見えた。
「だからリリスは、俺の知らないところで、めいっぱい幸せになったらいいよ」
「やめろって言ってる!!」
泣きそうな顔で笑うクロードを心の底からバカだと思った。
意味がわからない。
未開の地に住む部族とだってもう少し意思の疎通が図れるのではないだろうか。
「私は私の力で幸せになるの…あんたの手助けなんかいらない。勝手なことしたら許さないから!」
じっと睨みつけながらそう言った私に、目の前の彼はへにょりとした情けない笑みを浮かべた。
「俺がリリスのこと幸せにするのが許せないならさ」
泣きそうな、怯えたような、それでいてどこか吹っ切れたような変な笑顔。
「俺と一緒に幸せになってよ」
気がついた時には、彼の胸の中にいて、激しい熱と伝わる鼓動にひどく心がざわついた。
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