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御芳にて

ばいばい

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リョウは洗い物をすませて、ネズミに8時頃一度ミルクを与え、めずらしく居間のコタツの上に勉強道具を広げていた。ネズミの箱は自分のすぐそばに置いて。

お風呂から上がってきたマキノはリョウの横に座り込んでかぶせてあったバスタオルを開けて箱の中を覗いてみた。小さくて透き通ったピンク色の手足には、ちゃんと指があって、こちょこちょ動かして、そばにあるティッシュや紙のきれはしにつかまったりひっくりかえったりしていた。
「よく動いてるねぇ。」
「うん。」
しばらく観察したあと「勉強はいいけど、夜は早く寝たほうがいいよ。」と声をかけた。
「うん。わかってる。寝る前にもう一度ミルクあげるつもりなんだ。」
「そう。じゃあ私は、今日も早めに寝るから。」
「うん。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」



◇ ◇ ◇ ◇ ◇

ふすまがすこし開いた音が聞こえて目が覚めた。
普通ならそれくらいでは目が覚めたりしないのに、いやな予感がした。
ふすまの隙間から漏れる灯りで時計を見ると12時過ぎだった。
布団の中から「どしたの?」と声をかけると、5cmほどの隙間からリョウの小さな声が聞こえた。

「死んだ。」
暗闇ににじむような声だった。
マキノも、のそのそと布団から這い出てきて箱の中を覗いた。
ネズミは寝ていた時と同じようにコロンところがっていた。
しかし、指でそっとさわっても、生きているものの暖かさはなかった。

名前も付けなかったのに。
愛着はもたないようにしようと思ったのに。
長く生きるのは無理だろうと最初から思っていたのに。
世話しているうちに、この命を守れるかもしれないと思いはじめていた。

守りたかったのに。

ごめん。
力が足りなくて、ごめん。

この小さなモノの死は、鼻の奥をつんとさせた。
「・・・。」
リョウが何も言わずにただポロポロと涙をこぼしていた。
「仕方ないね。」
「・・・。」
「リョウは、せいいっぱいのことしたよ。」
「・・・。」
「明日、埋めてあげなよ。」
「・・うん。」
「手は洗うんですよ。」
「わかってるって。」

2人で泣きながら洗面所で手を洗った。
ハンドソープの香りのする手で、マキノはリョウの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


翌朝、マキノが起きてくると、コタツの上にはネズミの箱とミルクを溶いたお皿とスポイドが、昨夜のまま放置されていた。箱には、いつもかぶせてあったバスタオルではなくリョウのタオルハンカチがかぶせられていて、それがなんとなく痛々しかった。
 
今日は、土曜日。そろそろ体調も戻って来たので、朝食を普通に作った。
トマト入りのスクランブルエッグと、クロワッサン。千切りキャベツとハム。コーヒーも飲みたかったけど、カフェオレにした。リョウの分も一緒に。もうすぐ8時だ。
「リョウ、おはよう。」
「・・うん。」

リョウはのっそりと起きてきたが、コタツの上を力のない目で見た後、ふいっと目をそらし、食卓に座って朝食を食べ始めた。
「朝市、行ってくれるの?」
「うん。行く。」
リョウの口調は少し、から元気を含んでいるようだった。
食事を終えると、コタツの上はそのままにして、朝市の空き地までパウンドケーキをカゴに並べて二人で歩いていった。


「今日はそれだけ?」
おばちゃんのひとりがカゴの中を見て声をかけてきた。
「うん。私、風邪ひいてたから、昨日は寝てたんですよ。」
「あらあら、今時分は、気候の変化も激しいからね。お大事にね。」
「ありがとう。今日は、この子が私の代わりに売り子するんですよ。」
「あら、看板娘?がんばってね。」

リョウが店番して、ケーキは早々に売り切れ、そのまま昼過ぎまでおばちゃん達のみたらし売りのお手伝いもしてもらった。マキノもできないわけではなかったが、リョウとおばちゃん達の会話も横で聞いているとおもしろくて、それを横で座って傍観していた。

朝市から戻ると、冷蔵庫の中が寂しいなと思ったので、マキノは食材の買いだしにリョウを誘った。リョウは素直にうなずいた。
明日は、朝市に復帰してもよいが、4月からなんだかんだでノンストップでやってきたから、この際、朝市は休んで英気を養っておくのもよいかもしれないと思った。月曜からバイトも復帰しなければいけないし、来週中には工務店が入るだろう。


助手席に座っているリョウの様子をそっとうかがうと、口を一文字に引き結んでいた。
やはり少し元気がないな。あんなにネズミに入れ込んでいたから仕方ない。
・・でも、その場に立ち止っちゃいけないっていう事は、自分でわかっているように思う。
リョウはリョウなりに、闘っているのだ。

「今日のお昼は、おうどん屋さん・・と、フライドチキンとどっちがいい?」
「今日は、おうどんがいい。そういう気分。」
「わかった。んで、サクラにはリョウが電話したの?」
「ううん。マキノが熱だして寝てる時にサクラからかかってきてた。日曜に帰るって言っといた。」
「ありゃ・・・保護者失格がバレた?」
「バレた。」


買い物を済ませて帰ってくるなり、リョウはキンモクセイの根元に穴を掘りはじめた。
キンモクセイの根元は、固く根が詰まっていて掘りにくそうだった。すこし土を取り除くと、にぎりこぶしほどの石が埋まっていて、それを除けるととすっぽり穴ができた。小さいネズミの亡骸はティッシュで包んであったが、それでは土に返らないと思って赤いツタの葉っぱで包みなおすことにした。
ティッシュをそっと広げると、昨日見たときと同じ姿でネズミは小さく固くなっていた。

小さい命の入れ物だった亡骸に、守ってやれなかった者が触れていいのか・・というためらいがあったけれど、リョウとマキノは順番に小さなネズミを指先でなでた。
リョウの声にならない声が「ばいばい・・」と口の動きで読み取れた。うつむいた目から涙が土の上にこぼれた。穴の中にきれいな落ち葉を敷いて、その上にネズミを包んだツタの葉っぱと、もといた場所のサツマイモっできたケーキを置いて、また上から落ち葉を乗せ土をかぶせた。
埋まっていた石ころを洗って、少し盛り上がった土の上に置き、お線香もないけれど、二人で手を合わせた。

本来なら、生まれたてのネズミの赤ちゃんが、巣から出て1日も生きられることはなかっただろうと思う。寒さで死ぬか、天敵にやられるか。リョウが世話したから3日間生きたのかもしれないのだ。
でも今は何を言ってもリョウのなぐさめにはならない。名前もないネズミは、自分が守ろうとして守れなかった命として、これからずっとリョウの心に残るのだろう。

・・リョウ。
力が足りなかったことを嘆いて悔しがっても、自分を責めたりしないでほしい。命が消えたことを悲しいと思えるリョウの感性は、人間として正しく尊い。
「リョウ。強い大人になろうね。」
と、マキノはささやいた。
いつか大切なものが現れたとき、ちゃんと守れるように・・。


3時間おきにネズミの世話する必要がなくなって、リョウは少しホッとしているようにも見えた。わずかな期間だったけど朝起きが悪いのに、リョウなりに大変だっただろう。
コタツの上に置きっぱなしになっていたものも、リョウはようやくかたづけた。
「イズミさんにシリンジ返さなくちゃね。」
「そのうち返しとくよ。」
「・・うん。」
「リョウ。・・今日の夕ご飯はね。」
「?」
「まず、ベシャメルソースを作ります。」
マキノが唐突に話題を変えた。
「ええと、・・ええと、それは・・こないだ作った、牛乳のだね。」
「そう。」
「メインに使うのは、シーフードミックスです。」
「あぁ・・んーと・・。」
「マカロニも使います。」
「わかった。グラタン。」
「あたり。えーとねー、ブロッコリーとゆで卵ののサラダと、コンソメスープでいっかな。今日は私の好きなデザート作るよ。杏仁豆腐。牛乳ばっかりだけど、まあいいか。サクラは明日くるんだっけ?」
「うん。明日くる。」
「わかった。」

いつもどおり、二人で台所に立つ。順番はデザートからだ。
杏仁豆腐は、簡単にアーモンドエッセンスとゼラチンで作ってしまう。生クリームと牛乳を半々にするととてもクリーミー。マキノは杏仁の独特な香りが好きだった。固まったら切り込みを入れてバラバラにして、フルーツ缶をシロップごとまぜて冷蔵庫に入れた。赤いクコの実を入れたかったけれど、いつものスーパーでは見つけられなかった。
ベシャメルソースはシチューの時と同じように、小麦粉をバターで炒めて丁寧に作る。別のフライパンで炒めてあった薄切りのたまねぎとシーフードミックスと、ゆでたマカロニと冷凍コーンを、全部ベシャメルソースに入れまぜて、グラタン皿に入れ、その上からチーズとパン粉を散らしてオーブンで焼く。・・思えば手間のかかる料理だ。
 卵とブロッコリーを時間差で茹でて、冷めるのを待ってハムと一緒にマヨネーズで和えた。コンソメスープは玉ねぎなどの野菜を炒めて、ブイヨンで煮る。野菜はしっかり炒めておくと味が全然違うのだ。
これだけお料理できれば、もう体調も完全復帰だ。

「リョウにはフランスパン切ろうか?」
「うん。」
「おお、よく食べるね。さすが育ち盛りだね。」
リョウの分だけガーリック入りマーガリンを塗ってオーブントースターでかるく焼いた。
グラタンをあちあちふうふうしながら食べ終わった後、デザートの杏仁豆腐を食べているときに、電話がかかってきた。
電話の主は、先日かかってきた時に途中で話しを切ってしまったイズミさんの義理の弟の佐藤さんだった。
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