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66.早朝の、お仕事見学

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アラームの音は小さくしてあったが、ヒロトは、それが鳴るまでに目が覚め、ムクリと起きた。
カフェの下で泊まるのは初めてだったが、あったかくて気持ちのいい布団だった。
辺りはまだ真っ暗だ。・・寒い。布団から出るのが辛い。頭の芯がぼーっとしている。
ファンヒーターだけつけて、また布団に戻って丸くなった。
40分かけて通勤しなくていいと思うと精神的な負担が違った。
工房にも座敷があるから布団を持ちこめばもっと楽だろうが、そこまであの工房を占有していいのかどうかわからない。まだ始まったばかりなのに、こんなことを考えるのは時期尚早だな。

眠いのもあるけど、体のあちこちに疲労が残っている。わずかに休みたい・・という体の声も聞こえるが、そんなものはぶるんと振り切る。意を決して布団から脱出した。
ファンヒーターの前に座り込んでハイネックのヒートテックTシャツの上に白のシャツを着た。そして黒のストレートのジーンズ。ロールアップにしているのはおしゃれだからではなくて、単に丈が長いからで、職場は変っても今まで通りの白黒の仕事服だ。そして厚手のセーターとダウンジャケットを着こむ。

昨夜は、川のせせらぎを遠く聞きながら、いろいろ考えていたが、いつのまにか寝落ちていた。
頭に残っているのは、マキノさんが言った「美緒を迎えに来い。」という言葉だけだ。
額面通りに受けとめれば、しなければいけない事はわかる。マキノさんの自宅まで朝5時半に行けばいいのだ。
美緒と今日も会える。それはわかった。それだけでいいとも思えた。
しかし、その意味することが何なのかよくわからなくて、考えることは放棄した。

仕事の段取りを頭の中に並べてみる。
今日はスーパー出しと弁当。工房に言ったらすぐに炊飯器のスイッチを入れる。
今日は、おばちゃん達がみたらしを作りに来る。たぶん正午を過ぎてからだろう。

湯沸かし器の熱いお湯でタオルをぬらして、寝ぐせを整え身支度をし布団を片付けた。
さあ・・。マキノさんの家へ・・・。
と思ったとたん、バクンと心臓がはねる。昨日から・・こればっかりだ。

遊はまだ寝ていた。もう学校は冬休みに入っている。
布団の上から「いってくる。」と声をかけた。
「んー。がんば。」と少し鼻にかかった遊の寝起き声が返ってきた。
玄関を出て、車に乗り込む。真っ暗な国道を走る。妙な感じだ。バクンバクン・・。

マキノさんの家の前までくると、玄関の外灯がついていて、美緒とマキノさんが並んで立っているのが見えた。
バクン。バクン。バクン。

「おはようございます。」
「いってらっしゃい。がんばれ。」
「はあーい。」

美緒は、車に乗り込むと、元気よくマキノさんに手を振った。
・・なんだか、機嫌がいい。
すっかり仲良くなったようだ。

工房の前に車を停めて、鍵を開ける、建物の中も冷え切っている。
迎えに行くより先にこっちに来てヒーターと炊飯器のスイッチ入れときゃよかったな。
「寒いだろ?」
「うん。寒いね。」
美緒は、寒い寒いと言いながらも興味深そうにあちこちを見渡している。
自分は、美緒を放置して昨夜から今朝に段取りを考えていた通りに仕事を始める。
サラダ巻をするために用意していた材料を出してきて、野菜とたまごをハムをそれに合うサイズに切って行く。手が冷たくて動きにくい。
やりかけて、ふと気がついて、目の前にあった材料をパンに挟んで簡単にサンドイッチを作った。
「朝メシ、まだだろ?」
「まだだけど。これもあるよ?マキノさんが持たせてくれた。」
バッグから、ラップに包んだおにぎりとお湯を注ぐタイプの味噌汁を出してきた。
マキノさん・・サンキュー・・と心の中で拝む。
「こっちには、お茶しかないんだ。」
「わかった。ヤカンはこれ?お湯沸かしてお茶入れるね。そんなことより、さっさと指示出してよ。せっかく手伝うためにいるんだから。」
「ああそうか。じゃあ、シールに日付を押して、パックに貼ってほしい。」
ヒロトは、スーパーからもらってあるシールが入っている箱を棚から卸して、パックに一つ貼って、一つ見本を作って見せた。
「わかった。」

しばらく2人は黙って作業を進めた。
材料を出してきて、肉を炒めて、エビとブロッコリーをゆでて、たまごはもう焼いてあるから、少し取り分けて錦糸卵に切る。・・・。ようやく部屋が温まってきた。
さっき炊飯器のスイッチが切れたから、あと10分で酢飯に合わせる。それまでに、いなりずしの具を用意する・・・。

ヤカンがカタカタと音を立てお湯が沸いて美緒がお茶を入れてくれた。
おにぎりは、包んであったラップを半分まで開いて、作業をしているそばに並べた。
仕事の手は止めずに、時々それを手に取ってかぶりつく。
時間がもったいないから。口と手を同時に動かすのだ。美緒が、よくわかっていて感心する。
美緒は、スイーツのお店でチーフの補佐をしていたから、黙っていても作業の流れを読もうとする。
・・・あのお店を辞めて、一年間どんな仕事をしていたんだろう。
今はパティシエではないと言っていた。

ヒロトは昨日の続きの話をしたくなって、声をかけた。
「なあ、あの・・美緒?」
「なあに?」
声をかけたものの、また何を話せばいいのかわからなくなった。
「昨日は,財布を・・・ありがとう・・。」
「いいえ、どういたしまして。」
「今日もこうして,手伝いに来てくれて・・。」
「・・・。」
ヒロトは、またそのまま黙ってしまった。


「ヒロトってさ、昔からそうだよね。」
「・・何が?」
「自分からは何も言わずに、人から言われたことを優先してしまう。」
「・・そんなこと、ないんだけどな・・・。」


「ヒロトはさ、私に何かを聞きたいのでしょう?」
「・・・まぁ・・。」
「私にしゃべらせるより、自分のことから言うほうがいいと思うよ。」

美緒は、まるでオレを試すかのようににっと笑った。




自分が言わなければいけないこと・・・いっぱいある。
あると思うけど、言えない。
るり子のことは、分かっているようだし、おやじのこともわかっているようだし、
何を端折って何を言うべきなのか・・・。

考えながら作業すると、手元のスピードが落ちる。

それを察知した美緒が、上司のように指図しては、次の仕事を要求してくる。
「シールはとっくに終わってるよ。次は何をすればいいの?」
「あっ、はい。・・ええと、鶏モモ4kgを解凍してあるから一口大に切って。」
「2袋?わかった。から揚げにするぐらいの感じかな?」
「うん。」
「これをこう切ってこう切って・・これぐらい?」と美緒が切る線を指で示す。
「もう少し大きく。半分に切って半分に切ってもう一度半分ぐらいに。」
「はい。」
ヒロトは、酢飯を合わせるために焚きあがったごはんを釜から持ち上げて半切りにドンとひっくり返した。2升釜だから扱いやすい。釜の底の形になっているごはんを少しくずして、合わせ酢を一気に流してザクザクと混ぜる。


さっきの続きのつもりで言葉をひねりだした。
「オレね、今は何も言えないし、自分のことすら決められないんだよ。」

何かを伝えなくちゃと言う焦りがあるのに、本当に何も言えない。

・・・本当は、事情とかいきさつとか言い訳なんて関係なしに、
美緒に合いたかったんだということを、伝えたい思いがあった。
・・でも、自分の望みや欲しいものなど言っていいとは、思えなかったのだ。
輝く未来があるわけもないのに、今まで大事にしたわけでもないのに、今更、本当は好きだったとか、そばにいて欲しいとか、言えるわけがない。


ははっ・・ふいに美緒が笑った。
「きっと、何も決められないまま、何年も経つよ。」
「・・・。」

返事ができないまま時間が過ぎていく。
ごはんは、暖房を入れていない座敷に置いておけばすぐ冷める。弁当の段取りをしながら、何度か酢飯の上下を返すのだ。次の言葉を探していると美緒から何度目かの檄が飛んだ。

「ヒロト。手は止めないように。」
「わかってるよ。」
「スーパーに卸すのって、これだけしかないの?」
「うん。今はそれだけ。昨日クリスマス仕様のを多めに出したから、今日は控えてる。年が明けたら、卸す店舗を増やすから、最低でも3倍、うまくいけばもっといけると思う。」
「ふうん・・それならいいかなぁ。この数量にこれだけの時間と手間かけるのは効率悪いなと思った。それに、誰かもう一人でも、短時間でもいいから手伝ってもらったら全然違うんじゃないかな。」
「・・頼むのが申し訳なくてさ。」
「お給料出せばいいだけでしょ?仕事すれば対価があって当然で、カフェでもこっちでも同じじゃない?」
「そうなんだけど・・向こうも忙しいだろ。」
「じゃあ、こっち専用の人を探せば?」
「そうだなぁ。」
美緒の言うことはもっともだと思う。オレは、商売をしていく覚悟が足りないんだろうか・・。

いつの間にか外が明るくなってきていた。
ヒロトはお弁当の分の米を砥いで、副菜の用意にかかっていた。
このおかずは、カフェのランチでも使うのだ。工房とカフェを分けようとしている時に、混同するとややこしいかもしれないけど、敏ちゃんがなんとかするはずだ。



「自分の一番正直な気持ちが、・・一番言いにくい。」
だいぶ経ってから、かなりの勇気を出してヒロトは言った。

「気持ち?・・・素直になればいいだけじゃない。」

「言おうと思うんだけど、過去も未来が真っ暗で・・・。」
「浮気した過去と、借金に追われる未来だね。」
「・・・。」

「わたしがここまで来たこと、ヒロトはどう思ってるの?言ってみて。」

「・・えと・・う、う、・・うれしかったけど、オレと関わると将来はロクなもんじゃないと思ってる。」
「だからそれは、もう私とはつきあわないっていう意味?」
「・・・。」
「浮気して私が怒ってるし、自分はお父さんの借金かぶろうと思ってるし?」
「・・・。」

「手が止まってるよ。ごはんに空気入れるんでしょ?上下返そうか?」
「あ。うん。頼む。」

美緒は、その手には少し大きすぎるしゃもじで、酢飯を切るように混ぜている。だんだん酢飯がふんわりとなじんできた。


美緒は、その作業を終えると、次の仕事を請求せずに、ヒロトにまっすぐ向き直った。


「ヒロトが煮え切らないなら、先に私から言おうか?」

「・・・?」


「私はね。」
美緒は、胸に手を当て深く息をすってゆっくりとはきだした。

「私は、ずっと、・・ずっとヒロトのこと好きだったよ。」


そう言った後、美緒はしばらく黙った。


言い方が唐突だったこともあるけれど、ヒロトは少し驚いて美緒の顔を見た。




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