境界のクオリア

山碕田鶴

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53.合縁 四

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「二人とも……どうしたんすか?」

 明美と晴久を交互に見ながら、憲次郎は戸惑っていた。

「明美さんはやたらと機嫌が悪いし、お客君、なんだか目が赤いけど……大丈夫?」
「何よ?  アタシが悪いみたいな言い方なの?  振られたのはアタシの方なのに」
「ひえっ⁉︎  いきなり痴話喧嘩?」
「お客君は美女より熟女が趣味なんだって」
「なっ⁉︎  それは、明美さんが……」
「ぶはっ!」

 憲次郎は口を押さえて笑いをこらえる。

「……ヤバい、ごめん、お客君最高……で、なんで目が赤いの?」
「知らない。アタシが後から下りて行ったら、もう玄関口で泣いていたもの」
「やっぱり明美さんが原因じゃないすか。こんな純真無垢な子を傷つけちゃって……」
「何よ! お客君は傷つかないって言ったもの。それに傷モノにしたのはアタシじゃないわよ!」
「……それ、ちょっと意味が……。明美さん、ほら落ち着いてよ。お客君相手だとすぐムキになっちゃって、仕方ないなあ、もう」

 憲次郎は明美の頭をなでながら、晴久にごめんねと謝った。



「では、仕切り直しです。お客君が来てくれたことにカンパーイ」

 憲次郎はことさら陽気に挨拶した。
 ライブハウスのあるビルにほど近い路地裏には、飲食店が数件並んでいる。
 憲次郎たちの練習が終わり、明美と共に合流した晴久は、行きつけらしい一軒に連れて行かれた。喫茶店なのか居酒屋なのか、狭い店内はほぼ満席で賑わっている。
 晴久は一番奥のテーブルに明美、憲次郎と向かい合って座った。晴久の両隣には、憲次郎のバンド仲間、「ササイ連合」のメンバー二人が座っている。
 晴久の目の前には有無を言わさず烏龍茶のグラスが置かれた。見れば全員烏龍茶のみだ。明日も朝から仕事だから、まあいつもこんなものだよと憲次郎は笑った。明美の前には後から親子丼が運ばれて来て、一人だけしっかり夕食も済ませる気らしい。
 明美は丸めたおしぼりを指示棒にして、晴久の前で左右に振った。

「お客君の右隣がワタルでぇ、左隣が弟のトオル。説明と紹介、以上」

 それだけ言うと、明美は目の前の親子丼に手をつけた。

「まとめてツインズです。初めまして、お客君」

 両隣から同時に声がかかる。晴久の呼び名諸々は説明済みらしい。
 よく似た双子で、顔と声が全く同じだ。ツンツンの金髪も黒基調の服装も持ち物も動きまでもが全て同じだ。
   どこにも区別させてくれる隙がない。

「初めまして。あの……お会いして早々に明美さんと騒いでいて……すみません」

 晴久はツインズに謝ったが、二人はニコニコと笑っていた。金髪がよく似合う、真面目で賢そうでスマートなお兄さんという印象だ。

「せっかくお客君が来てくれたから、今日は久々ササイ話ー!」
「おうっ!」

 既に盛り上がっている憲次郎とツインズは、とにかく仲が良さそうだった。いつもテンションの高い明美が、今はおとなしく見える。

「お客君、俺たち三人は高校の同級生なの。ササイファンっていうか当時はササイさんがいたバンドのササイ推しでさ。俺たちもバンドやったらカッコよくね?  ってノリで音楽始めたら面白くて」
「そうそう。ケンと十年続くとは思わなかったね。まさかササイさんと知り合えるとも思っていなかったけれど」
「高一の頃だとお客君いくつだ?  小六?  中一くらいかな」
「そうですね」

 晴久が転居した年だろう。
 引っ越す前の数日間、晴久は入院していた。その間に何があったのかはわからない。退院すると全く知らない土地に家があって、父が本当にいなくなっていて、晴久の持ち物は何もなく、そこに母しかいなかった。
 記憶を必要としない数年の始まりに、晴久が思い出すべきことは何もない。
 だから、その時期を憲次郎たちが埋めてくれるような気がした。楽しかった思い出を分けてもらえるようで嬉しかった。
 テーブルの下で、明美が足を蹴ってきた。晴久が明美を見ると、イジワルな目が「また泣いているの?」と訊いている。
 晴久は、明美に笑顔で返した。たぶん今までで一番いい笑顔だ。
 明美は、少しだけ笑って親子丼に視線を戻した。
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