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51.合縁 二
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ライブハウスのビル周辺で、晴久は楽器のカバンを抱えた若者と頻繁にすれ違った。あまりにも場違いな雰囲気に気圧される。音楽と無縁の自分が来る場所ではない。
だが、石崎も明美も憲次郎も、みんなこちら側の人間だ。
今さらひるむな……。
意を決して受付に行くと、先に窓口から声をかけられた。
「あれ? 前にササイさんと来た知人さん?」
年配の女性は、晴久を不審がって明美に身元確認していたスタッフだった。
「こんばんは。よく覚えていらっしゃいますね」
「覚えてますよぉ、ササイさんと明美ちゃんが一緒だったし。しかもスゴイ地味な子で。あ、ごめんなさいね。いつも個性的な子ばっかり見てるから、ついつい」
手をパタパタさせながら女性は笑った。
「あの、ササイ連合……さん、か明美さんって今日予約入っていますか?」
「え? 明美ちゃんならすぐ後ろに……」
「え?」
背後に人の気配を感じたのと同時に、晴久は明美にいきなり抱きつかれて腰にしっかり手を回されていた。
「こんばんわあ。よくそんな恥ずかしい名前、口にできるわね?」
緊張して固まる晴久の肩越しに受付の女性へ挨拶すると、明美は晴久を外へ連れ出した。
「明美さん、いつも距離近過ぎですって。あと、ササイ連合って、憲次郎さんがそう言えって……」
「あー、また言ったあ」
イジワルな目で笑う明美は、今日も完璧な美女だった。
「ケンたちは練習で来ているけれど、あと一時間は出てこないわよ。連絡入れとくけど待てる?」
「時間は大丈夫です。明美さんは?」
「アタシは別の場所。ちょっとつきあってよ」
明美が指差したのは、ライブハウスのビルの上だった。
晴久は明美に連れられて、ライブハウスと同じビルの別の玄関口から中に入り、階段で最上階の八階まで上った。さらに階段を数段上がり、屋上出入口の鍵を開けて外へ出た。
フェンスで囲まれているとはいえ、端まで行けば直下が見える。晴久は足がすくんで出入口ドアにつかまっていた。この高さから落ちることを想像してしまい、恐ろしかった。
「ちょっとー、こっちに来ればぁ? せっかくいい眺めなのに」
「いえ……僕、高い所は苦手なんです」
「なあにー? 怖いのお?」
フェンス前で風を受けながら明美が訊く。
「僕、高い所から落ちたことがあるんで、嫌なんです」
「あー……」
明美は晴久の前に戻って来た。
「アタシは、いつも空しか見ていなかったわ」
「ここ、何ですか? 入って大丈夫なんですか?」
「アタシの練習場所」
明美は屋上の鍵と、玄関口から持って来たほうきとちりとりを晴久に見せた。
「このビルのオーナーがライブハウスの店長と直接知り合いでね、屋上で歌の練習をさせてくれるって言うの。オフィスビルだから夜は人がいないのよ。場所代は、帰りに階段を掃除しながら降りて来てってね」
「それで、ほうきとちりとり」
「日中のバイトが終わったらここに来るのがアタシの日課。お掃除エプロンもばっちり常備よ。ササイさんが保証人になってくれているの。歌わせてほしいとお願いしてくれたのもササイさん。何か問題が起きたらササイさんの責任になっちゃうから、鍵の管理も掃除もいい加減にはできないのよ」
「いつから……」
「えっとぉ、十年前?」
「十、年……」
晴久が時計台のあるショッピングモール近くの家を引っ越してこの地方に住み始めた時から、明美は毎日ここへ来て歌い続けていたことになる。
だが、石崎も明美も憲次郎も、みんなこちら側の人間だ。
今さらひるむな……。
意を決して受付に行くと、先に窓口から声をかけられた。
「あれ? 前にササイさんと来た知人さん?」
年配の女性は、晴久を不審がって明美に身元確認していたスタッフだった。
「こんばんは。よく覚えていらっしゃいますね」
「覚えてますよぉ、ササイさんと明美ちゃんが一緒だったし。しかもスゴイ地味な子で。あ、ごめんなさいね。いつも個性的な子ばっかり見てるから、ついつい」
手をパタパタさせながら女性は笑った。
「あの、ササイ連合……さん、か明美さんって今日予約入っていますか?」
「え? 明美ちゃんならすぐ後ろに……」
「え?」
背後に人の気配を感じたのと同時に、晴久は明美にいきなり抱きつかれて腰にしっかり手を回されていた。
「こんばんわあ。よくそんな恥ずかしい名前、口にできるわね?」
緊張して固まる晴久の肩越しに受付の女性へ挨拶すると、明美は晴久を外へ連れ出した。
「明美さん、いつも距離近過ぎですって。あと、ササイ連合って、憲次郎さんがそう言えって……」
「あー、また言ったあ」
イジワルな目で笑う明美は、今日も完璧な美女だった。
「ケンたちは練習で来ているけれど、あと一時間は出てこないわよ。連絡入れとくけど待てる?」
「時間は大丈夫です。明美さんは?」
「アタシは別の場所。ちょっとつきあってよ」
明美が指差したのは、ライブハウスのビルの上だった。
晴久は明美に連れられて、ライブハウスと同じビルの別の玄関口から中に入り、階段で最上階の八階まで上った。さらに階段を数段上がり、屋上出入口の鍵を開けて外へ出た。
フェンスで囲まれているとはいえ、端まで行けば直下が見える。晴久は足がすくんで出入口ドアにつかまっていた。この高さから落ちることを想像してしまい、恐ろしかった。
「ちょっとー、こっちに来ればぁ? せっかくいい眺めなのに」
「いえ……僕、高い所は苦手なんです」
「なあにー? 怖いのお?」
フェンス前で風を受けながら明美が訊く。
「僕、高い所から落ちたことがあるんで、嫌なんです」
「あー……」
明美は晴久の前に戻って来た。
「アタシは、いつも空しか見ていなかったわ」
「ここ、何ですか? 入って大丈夫なんですか?」
「アタシの練習場所」
明美は屋上の鍵と、玄関口から持って来たほうきとちりとりを晴久に見せた。
「このビルのオーナーがライブハウスの店長と直接知り合いでね、屋上で歌の練習をさせてくれるって言うの。オフィスビルだから夜は人がいないのよ。場所代は、帰りに階段を掃除しながら降りて来てってね」
「それで、ほうきとちりとり」
「日中のバイトが終わったらここに来るのがアタシの日課。お掃除エプロンもばっちり常備よ。ササイさんが保証人になってくれているの。歌わせてほしいとお願いしてくれたのもササイさん。何か問題が起きたらササイさんの責任になっちゃうから、鍵の管理も掃除もいい加減にはできないのよ」
「いつから……」
「えっとぉ、十年前?」
「十、年……」
晴久が時計台のあるショッピングモール近くの家を引っ越してこの地方に住み始めた時から、明美は毎日ここへ来て歌い続けていたことになる。
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