4 / 65
4.遭遇 三
しおりを挟む
駅前に戻った晴久は、また同じベンチに座ってみた。人通りはまだ多いが、先ほどの騒ぎを知っている人はいない。ただ人が通り過ぎて行くだけの場所だ。晴久を気にかける者は誰もいない。
今日も、晴久はこうしてベンチに座ってぼんやりと人の往来を眺めていた。仕事帰りのいつもの習慣だ。
僕は誰も知らない。誰も僕を知らない。ここに僕は存在しない。
自分に暗示をかけるようにして、ゆっくりと意識を落としていく。静かに水底に沈むように、深く、深く、自分はどこにも存在しないと確認して安心できるまで。
晴久にとって、それは一日の終わりの儀式のようなものだった。
人と接することの苦痛。人と関わりたいのに踏み込めない葛藤。
澱のように溜まっていく今日一日分のストレスの感情を全て捨て、自分を空にする。そこまでしないと明日を生きられない。
男に呼びかけられた時、晴久は自分の心の底に沈んでいた。
いつもなら意識朦朧となったりはしない。たぶん疲れ過ぎていたせいだ。
新年度が始まって、職場の人間関係が再構築される時期は慣れるまでが辛い。
深く沈み過ぎて、自分で戻れなくなっていた。そして、心の底に埋めたはずの声を聞いてしまった。
「あなたはいらない」
「消えてしまえばいいのに」
晴久がどれだけ過去に遠ざけても、なお消えない母の声が意識を侵食する。呪詛のように自分に向けられ続けた言葉だ。
油断をすると心の奥底から声が聞こえて来てしまうのは、自分でもわかっている。自分で勝手に思い出しているだけだ。
晴久はそう思うが、声が聞こえた瞬間に体が固まったように動かなくなるのをどうすることもできない。溺れて水に沈むような息苦しさと胸の痛みから逃れられない。
実際に言われたわけでもないのに、とっくに過去になっているのに、そう理解できるのに、体が勝手に反応する。心が勝手に騒いで暴れる。
あの人が偶然僕を助けてくれたのだ。
あの人が呼んでくれたおかげで、僕は溺れる水底から這い出せた。
無愛想で気難しそうでいきなり説教してきて宇宙人の話で……見た目はきちっとした感じだったのに、衝撃的に変な人だったな。でも、僕を不審者扱いしながらも心配してくれていた。
そういえば、きちんとお礼を言っていなかった。
ありがとうございました。
何のお礼か説明するのは難しいけれど。あの人にまた会うことなんてないだろうけれど……。
今日も、晴久はこうしてベンチに座ってぼんやりと人の往来を眺めていた。仕事帰りのいつもの習慣だ。
僕は誰も知らない。誰も僕を知らない。ここに僕は存在しない。
自分に暗示をかけるようにして、ゆっくりと意識を落としていく。静かに水底に沈むように、深く、深く、自分はどこにも存在しないと確認して安心できるまで。
晴久にとって、それは一日の終わりの儀式のようなものだった。
人と接することの苦痛。人と関わりたいのに踏み込めない葛藤。
澱のように溜まっていく今日一日分のストレスの感情を全て捨て、自分を空にする。そこまでしないと明日を生きられない。
男に呼びかけられた時、晴久は自分の心の底に沈んでいた。
いつもなら意識朦朧となったりはしない。たぶん疲れ過ぎていたせいだ。
新年度が始まって、職場の人間関係が再構築される時期は慣れるまでが辛い。
深く沈み過ぎて、自分で戻れなくなっていた。そして、心の底に埋めたはずの声を聞いてしまった。
「あなたはいらない」
「消えてしまえばいいのに」
晴久がどれだけ過去に遠ざけても、なお消えない母の声が意識を侵食する。呪詛のように自分に向けられ続けた言葉だ。
油断をすると心の奥底から声が聞こえて来てしまうのは、自分でもわかっている。自分で勝手に思い出しているだけだ。
晴久はそう思うが、声が聞こえた瞬間に体が固まったように動かなくなるのをどうすることもできない。溺れて水に沈むような息苦しさと胸の痛みから逃れられない。
実際に言われたわけでもないのに、とっくに過去になっているのに、そう理解できるのに、体が勝手に反応する。心が勝手に騒いで暴れる。
あの人が偶然僕を助けてくれたのだ。
あの人が呼んでくれたおかげで、僕は溺れる水底から這い出せた。
無愛想で気難しそうでいきなり説教してきて宇宙人の話で……見た目はきちっとした感じだったのに、衝撃的に変な人だったな。でも、僕を不審者扱いしながらも心配してくれていた。
そういえば、きちんとお礼を言っていなかった。
ありがとうございました。
何のお礼か説明するのは難しいけれど。あの人にまた会うことなんてないだろうけれど……。
1
お気に入りに追加
15
あなたにおすすめの小説
伏線回収の夏
影山姫子
ミステリー
ある年の夏。俺は15年ぶりにT県N市にある古い屋敷を訪れた。大学時代のクラスメイトだった岡滝利奈の招きだった。屋敷で不審な事件が頻発しているのだという。かつての同級生の事故死。密室から消えた犯人。アトリエにナイフで刻まれた無数のX。利奈はそのなぞを、ミステリー作家であるこの俺に推理してほしいというのだ。俺、利奈、桐山優也、十文字省吾、新山亜沙美、須藤真利亜の6人は大学時代、この屋敷でともに芸術の創作に打ち込んだ仲間だった。6人の中に犯人はいるのか? 脳裏によみがえる青春時代の熱気、裏切り、そして別れ。懐かしくも苦い思い出をたどりながら事件の真相に近づく俺に、衝撃のラストが待ち受けていた。
《あなたはすべての伏線を回収することができますか?》
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
あやかし狐の京都裏町案内人
狭間夕
キャラ文芸
「今日からわたくし玉藻薫は、人間をやめて、キツネに戻らせていただくことになりました!」京都でOLとして働いていた玉藻薫は、恋人との別れをきっかけに人間世界に別れを告げ、アヤカシ世界に舞い戻ることに。実家に戻ったものの、仕事をせずにゴロゴロ出来るわけでもなく……。薫は『アヤカシらしい仕事』を探しに、祖母が住む裏京都を訪ねることに。早速、裏町への入り口「土御門屋」を訪れた薫だが、案内人である安倍晴彦から「祖母の家は封鎖されている」と告げられて――?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる