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2057-2060 シキ
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「ハルトぉ、そんなところにいると落ちるぞ。飛ぶ勇気もないくせに柵に近づくな」
肩を掴まれてビル屋上の柵から引き剥がされた。
ハルト?
「なあんだ? お前、自分の名前も忘れちまったのかよ?」
周囲に転がる人間の塊からも、小馬鹿にしたような笑い声が漏れる。
ああ、ビルの屋上だ。
いつでも飛べる安心感が心の拠り所となって、日暮れになるとどこからともなく人が集まってくる。
ただひたすら時間を耐え、人生を我慢すればいい。その先にあるあの世はきっと楽園だから。
ははは、ここでは死神こそが崇拝されるのだろうな……。
「ハルト? 大丈夫か」
私は、今はハルトなのか。この肉体のハルトは既にあの世か……。
身体が重い。頭が霞んでいる。
「なあ、お前は、誰だ?」
先ほどから私の世話を焼くこいつは誰だろう。二十歳前くらいの、目つきが鋭い細身の男だ。
「それも忘れたのか? 別にいいさ、そんなこと」
親しげに私を抱き寄せ、まるで犬猫のように甘やかす。
地べたに座る男に身を任せて寝転がり、髪を撫でられながら夜空をぼんやりと眺めた。
幾度見上げたかわからない星空に何の感慨もないが、かつての空はもっと暗く、星はもっと輝いていたはずだ。
天のもっと向こうの闇が、ここからでは見えないな。
ただでさえ視界が悪いというのに、何やら滲んでぼやけてきた。
頬を伝う滴に、男は黙って触れた。
溶けていく。
消えていく。
もう、この身体は命が続かない。
……そうだ、次を探さないとな。
次……なぜ?
男に髪を撫でられるたびに、温かい光に包まれたような気持ちになる。
なんだろうな。私はこの感じも、この男も知っている気がする。
それなのに、この肉体が思い出すのを邪魔している。
「なあ、私はもうすぐお別れだと思う。お前を忘れてすまない。よくわからないが、今までありがとう」
「なぜ礼を言う? ハルトは俺を覚えていないのだろう?」
男が怒った様子はない。私が廃人同然なのはきっと以前からなのだろう。
「なんとなくだ。……たぶん、いつも助けてもらって、守られていた気がする……」
「そうか? まあ、お別れなら仕方ないな。でも、大丈夫だ。俺はいつだってお前のそばにいる。お前が呼べば、必ずお前を見つける」
「……あれだな、ほら……天使。お前、みんなが話している天使みたいだな」
男は首を横に振った。かすかに笑ったように見えた。
「違う。それを言うなら死神だろう? お前がそう呼んだんだぞ、俺を死神だって」
「私が? ……そうか、酷いことを言ったな。すまない……」
「いいんだ。呼び方なんてどうでもいい」
繋いだ手が温かい。触れる先からとくとくと男の命の音が伝わる。
もう、私からは伝えられない。
だから、次を探さなければ。
……なぜ?
肩を掴まれてビル屋上の柵から引き剥がされた。
ハルト?
「なあんだ? お前、自分の名前も忘れちまったのかよ?」
周囲に転がる人間の塊からも、小馬鹿にしたような笑い声が漏れる。
ああ、ビルの屋上だ。
いつでも飛べる安心感が心の拠り所となって、日暮れになるとどこからともなく人が集まってくる。
ただひたすら時間を耐え、人生を我慢すればいい。その先にあるあの世はきっと楽園だから。
ははは、ここでは死神こそが崇拝されるのだろうな……。
「ハルト? 大丈夫か」
私は、今はハルトなのか。この肉体のハルトは既にあの世か……。
身体が重い。頭が霞んでいる。
「なあ、お前は、誰だ?」
先ほどから私の世話を焼くこいつは誰だろう。二十歳前くらいの、目つきが鋭い細身の男だ。
「それも忘れたのか? 別にいいさ、そんなこと」
親しげに私を抱き寄せ、まるで犬猫のように甘やかす。
地べたに座る男に身を任せて寝転がり、髪を撫でられながら夜空をぼんやりと眺めた。
幾度見上げたかわからない星空に何の感慨もないが、かつての空はもっと暗く、星はもっと輝いていたはずだ。
天のもっと向こうの闇が、ここからでは見えないな。
ただでさえ視界が悪いというのに、何やら滲んでぼやけてきた。
頬を伝う滴に、男は黙って触れた。
溶けていく。
消えていく。
もう、この身体は命が続かない。
……そうだ、次を探さないとな。
次……なぜ?
男に髪を撫でられるたびに、温かい光に包まれたような気持ちになる。
なんだろうな。私はこの感じも、この男も知っている気がする。
それなのに、この肉体が思い出すのを邪魔している。
「なあ、私はもうすぐお別れだと思う。お前を忘れてすまない。よくわからないが、今までありがとう」
「なぜ礼を言う? ハルトは俺を覚えていないのだろう?」
男が怒った様子はない。私が廃人同然なのはきっと以前からなのだろう。
「なんとなくだ。……たぶん、いつも助けてもらって、守られていた気がする……」
「そうか? まあ、お別れなら仕方ないな。でも、大丈夫だ。俺はいつだってお前のそばにいる。お前が呼べば、必ずお前を見つける」
「……あれだな、ほら……天使。お前、みんなが話している天使みたいだな」
男は首を横に振った。かすかに笑ったように見えた。
「違う。それを言うなら死神だろう? お前がそう呼んだんだぞ、俺を死神だって」
「私が? ……そうか、酷いことを言ったな。すまない……」
「いいんだ。呼び方なんてどうでもいい」
繋いだ手が温かい。触れる先からとくとくと男の命の音が伝わる。
もう、私からは伝えられない。
だから、次を探さなければ。
……なぜ?
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